F1種について

F1の席巻

「F1」とは、聞きなれない言葉ですが、品種に関する用語で「雑種一代」を意味します。雑種一代とは、交配によって作られた新品種の一代目ということです。今日品種改良されてできた新品種のほとんどが、F1であるといわれます。ということは、流通している野菜や花の種の多くがF1です。例えば、あなたが家庭菜園をしようと思ってホームセンターなどで種を買うとしましょう。商品の包装袋には、たいてい「××交配」と印刷されています。これがF1種です。はっきりと「F1」と書かれているものもあります。

F1でない品種も、あることはあります。在来種とか固定種などと呼ばれますが、そのような種の袋には「在来種」などとは書かれていません。なので、F1種か在来種かを見分けるには、とりあえず袋に「交配」と書かれているかどうかで判断するしかありません。ごくごく大雑把にいって、むかしからある品種は在来種、新しい品種はF1種と考えられます。

在来種かF1種かを意識する人は少ないでしょう。でも、意識してほしいのです。在来種かF1種かということに。私たちは今、知る知らないに関わらず、F1種の野菜を食べ、F1種の花を愛でています。

F1種の何が問題なのでしょうか? 一般には、F1種は問題視されるどころか、品種改良の成功例だと考えられています。もちろん品種改良には多くの利点があり、私たちはその恩恵を受けてはいます。しかしF1種がこれほどまで拡大し、それがこの先何をもたらすかを予測したとき、この技術には疑問符をつけざるをえません。

循環しない品種

F1種は、一代限りです。その一代目の個体が人間が意図したとおりの形姿や性質を備えていれば、それで使命を果たします。その個体から二代目以降が生まれることは想定されていません。常に一代目の個体として消費され続けるのが、F1個体の宿命です。一代限りとは、そういう意味です。

実際に、F1種の個体から二代目はできにくいといわれます。子孫ができにくいのです。たとえできたとしても、二代目の個体は親とは全く違った形姿や性質をもっているなど、同一品種としての特性を保持しずらくなっています。そうなると元々の品種改良した目的から外れてしまうので、F1はF1止まり、すなはち一代限りで終わるのです。

これに対して在来種は、品種としての特性が親から子、子から孫へと代々保たれています。ゆえに、世代を超えて種として存続していくことができます。このことは逆に、在来種が長い年月をかけて環境に適応しながら生き延びてきた証でもあります。

一代限りのF1種は世代を超えて生命の受け渡しをすることができませんから、循環しない品種ともいえます。厳密にいえば、品種とすら呼べないかもしれません。F1種は、人工交配によって生みだされたハイブリッドのあだ花なのでしょう。

生命の操作

新品種が開発されるさいには、ある特定の目的をもっています。例えば、収量が多い、成長が早い、均一性がある、形や大きさが運搬に適しているといった生産者の都合や、甘い、柔らかいといった消費者の嗜好に合致する性質を作ることです。新品種はそのように作られますから、その結果として、1.個体間のバラつきが少なく、2.成長が早く、3.一斉に発芽し一斉に収穫できるという特徴をもつようになります。

人間にとって都合のよい品種は自然界にはなかなか存在しませんが、このような品種改良の技術を使えば、自然の状態では決して交じり合うことのない品種同士からまったく新しい品種を作りだすことができます。例えば、多収量かつ早く実のなる作物を作りたいときには、多収性の植物と早く実がなる植物を選びだし、人工交配します。人工交配には、ピンセットを使う原始的な方法から、植物に放射線を照射して突然変異を起こす方法、あるいは細胞と細胞を無理やりくっつける細胞融合といったさまざまなバイオテクノロジーの技術が用いられます。

自然界に目を向けると、そこには異なった種の間では生殖ができない種の壁が厳存します。バイオテクノロジーはその種の壁を破り、自然界では決して交わることのない異種間の新品種を作りだすことを可能にしました。そしてこのような人為的な生命操作技術の先には、遺伝子組換え技術があります。遺伝子組換え技術を使えば、植物の遺伝子と動物の遺伝子を合体させることもできます。

種の壁を越えて突き進んでいく科学技術を、私たちはどう扱うべきなのでしょうか? 科学が植物のみならず動物の生殖にも介入するようになり、ようやく倫理的な視点が生まれてきてはいます。しかしこのことについて、人類はまだきちんとした原理原則を打ちだせていません。

“緑の革命”のからくり

F1種が急速に広まったのは、ここ40年ほどのことです。1950年代から、とうもろこし、小麦、米など穀物のF1新品種が世界各地で導入され、その結果収量が増大して人々を飢えから救いました。これが「緑の革命」と呼ばれる農業改革です。緑の革命は、F1ハイブリッド種の導入によって農業の近代化を達成した成功例として称賛されてきました。

しかしながら結局は、緑の革命は失敗に終わりました。F1種を導入した地域では、確かに短期的には穀物の収量が飛躍的に増えましたが、思わぬ落とし穴もありました。それは、F1種と、それと同時導入された化学肥料と農薬の影響です。

F1種は元々、耐肥性をもつように作られています。というのは、F1種の栽培は多肥が前提だからです。化学肥料を多く投入すれば作物はよく成長しますが、一方で雑草もよく繁茂し、それだけ除草剤の量も増えます。この栽培方法では確かに短期的には収量が増えますが、長期的には、土壌の劣化や害虫の発生などで栽培が困難になり、結局は収量が減ることになるのです。

F1種、化学肥料、農薬、この三つは、近代農業に必須の三点セットです。これらは、農家が毎年購入しなければならないものです。つまりそれだけお金がかかります。大きな成果を期待して近代的農業を採り入れた国々では、今では病害虫、土壌汚染、多額の負債、貧富の格差といった問題を抱えるようになりました。

種子支配

F1種の普及は、思いがけない深刻な事態をもたらしています。種の多様性が、どんどん損なわれているのです。と同時に、種子支配も進行しています。F1種が普及すると農家は毎年その種を種子会社から買うようになり、これまで自ら行っていた採種をしなくなります。その結果、その地域で固有に存在していた伝統的な品種が放棄され、次々と消滅しています。

利益を手にするのは、種子会社です。農家が種子を種子会社から買い続ける限り、種子会社はもうかります。このことは単に農家と種子会社の経済の問題にとどまらず、農作物の作付けや流通にまで大きな影響を与えています。種子会社が種子の製造販売そして流通を握ることにより、農家が作付ける作物から消費者の口に入る食べ物までが種子会社の都合に左右されることになるのです。これが種子支配です。

種子支配に先鞭をつけたのは、F1種です。今後商品がF1種から遺伝子組み換え種子に取って代れば、私たちは遺伝子組み換え作物を望もうが望むまいがまったくおかまいなしに、種子会社の販売する遺伝子組み換え種子の作物しか口にできなくなるでしょう。

種の多様性

多様性こそが自然の理であり、生命の理であると、フランス人植物学者ジャン=マリー・ペルトは述べています。現存する種の多様性を守ることは、調和のとれた都市の魅力や各々の民族の伝統を尊重することと同義であると、彼は熱く主張します。

科学者のみならず一般市民たちも、多くの種が絶滅の危機に瀕している現実を問題視し始めています。FAO(国連食糧農業機関)や各国の研究機関など、遺伝子バンクを設立してさまざまな植物の品種を保護することに乗りだしているところもあります。市民団体やNGOなども、在来種を保存したり自家採種を実践する草の根の活動を展開しています。

種の多様性を取り戻すために、私たちはいったい何をすればいのでしょうか?まず見直すべきは、農業のやり方です。現行農法においては、三点セットといわれる農薬、化学肥料、それらの使用に耐える品種が必須でした。しかしその過程で品種が画一化され、土壌を劣化させてきた事実があります。まずはこのことに向き合わなくてはならないでしょう。

農業の本文は、人々を食べさせることです。一時的な利益を追求するあまり、農地を傷めたり収穫を共倒れさせるようなことをすれば、飢えを招きかねません。従って、私たちは永続的な農法を採用すべきです。そのさい求められるのは、農薬と化学肥料を使わないことを前提とした品種なのではないでしょうか。循環する種子を復活させ、永続的な農法へ転換する、これができるかどうかは、私たちが自然に対して真摯な態度をとれるかどうかにかかっています。

2003年5月

[参考図書]:ヴッパタール研究所編著『地球が生き残るための条件』__ミシェル・ファントン、ジュード・ファントン著『自家採取ハンドブック』

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