心頭滅すれば…  (7/16)

高校生の頃、寒風吹きすさぶ校庭で二時間も防災訓練させられました。本当はすぐ終わるはずだったのですが、一部の生徒がやる気なくてダラダラしてたから連帯責任で長時間に。今なら「その子等だけ残して真面目な生徒は教室返して欲しかった。それかかったるいんなら非常時でその子等は真っ先にどうとでもなればいいよ、だからもういいじゃんでお開きにするとか(※黒い事言ってますがその子等に強い負の感情は皆無ですし実際何か起きたら助け合いますけど、その子等も真面目にやって早く終わらせようとする子達の事よりも自分を最優先してるんだから謝る気になれない(笑))』なんて思うでしょうけど、先生方や多分おいでだっただろう消防士の方々も意地や誇りがおありでしょうし(軟弱な学生を鍛える事が快感v的な体育会系のノリは無かった…と思いたい♭)、世界を知らない頭でっかちの洟垂れ小僧どもと違って訓練の重要性を遥かに理解なさってらっしゃるし、何より有事の際の重大な責任もおありだからでしょうか。ご自身達も寒さこらえて根気強く指導、つまり妥協はして下さいませんでした。それに私たち生徒も今思うと基本皆素直だったのでしょうね。嫌々でも離脱する事無く黙々やってましたから。反対に今の子達みたいに、世間では個性がどうとか言いながら小さな頃から本来気にする必要なんかないような事にまで他人の評価に翻弄されている状況に否応無く投げ込まれていたなら、案外この訓練はもっと早く終わってたかも。そう思うと平和だったのかな。当時日本は平和ボケしてると嘲笑われてましたが、そりゃ危機管理意識は必要ですが世界全体がボケるほど平和になってくれるのが本当は理想的なのですから。……あ、話が脱線してしまいました。
話は戻りますが上記のようにカタカタ震えてるのもいい加減うんざりするほど時が経った頃、このままでは震えが酷くて肩こり(…はそういえば当時ありませんでした、なり始めたのは事故以降なので)とか風邪引いたりとか、あまり体強くないのでどうしようと思ってる時に、ふと思い出したのがテレビだったか本だったかにあった、臍下三センチくらい下にある丹田に力を入れて体の力を抜く事でした。さっそく実践してゆったり深呼吸。驚きましたよ。止めようにも止められなかった震えが面白いくらい止まりましたから。その後も寒さなんて屁の河童、余裕で乗り切りましたし風邪も引きませんでした。
あれから●年、あぁ昔そんな事があったなとふと思い出した時に、あれって思いました。そもそも汗や鳥肌って体温調整して体を守るためのシステムですよね。それを気の持ちようで変えちゃうのって却って体には良くないんじゃない?あまり度が過ぎると脳低温療法になっちゃうんじゃない?と。これってどなたに伺ったら分かるのでしょうか。何科か分からないけど医者?整体師?挌闘家?というか答えあるのかな?


LoveでなくCallとか  (7/14)

私の心に長年心に燻っていた、こんな曲がありました。
レ♯ーーーレ♯レーーー、シ♭ド♯ーーード♯ドーー
↑     ↓    ↓ ↑       ↓
分かりづらくて済みません。楽譜書くともっと簡潔かつ明瞭になるのですが、どうかご勘弁。
この曲は多分ジャズで「I love you, I love you」って歌ってたと思ってたけど、全く違ってました。しかも私が聞いたのは阿川泰子さん…と思い込んでたけど、それも間違っていたのでしょうか。「コピーは三田」あたりでやってたように思うのですが、音源やCDに関しての最終的な情報に辿り着けません。この曲は元は『BAGDAD CAFE』という映画の曲で、Jevetta Steeleさんが歌った「Calling you」だそうです。大ヒットしてかなりの方がカバーしたとあったので、阿川さんもどこかで歌ってらっしゃると思うのですけどね(この曲はJUJUさんVer.も好きです)。
あ、それで曲名も歌手も歌詞も、どころか曲自体断片しか覚えていなかったのがなんで今になって分かったかと言いますと。なんと「美の壺」という番組で流れてたのです。これは奮いました。そしてなんかイメージと違っててがっかりもしました。もっと幻想的でミステリアスな感覚があったと思ってたのですよ。記憶というのは都合よく改ざんされるものだし、部分的に強調される事も多々あるものと分かっています。だからこそ特に甘く優しく美しい記憶というのは素敵な思い出としてそっとしておく方がいい場合もあるとも思います。でも今回のは分からなくて一生悶々とするよりはずっと良かったので、この素敵な偶然にキスしたいです。
ちなみに「美の壺」で歌われてた方は多分Steeleさんとは違うと思います。声質が彼女より柔らかかった気が…。
結局阿川さんが歌われたのかどうかは公式サイトにも音源の情報がなくて不明瞭なままなのですが、そういえば別の曲ですけど彼女の歌う「Good Bye」もとっても素敵ですよ。こちらはアルバムにありました。美しい曲なので歌詞は?と探してる時にこちらのサイト様のちょっと興味深いページに行き当たりました。
歌詞も書かれていて本当に助かりました♪


ドリーム  (5/20)

夢小説って同人系でcookieやJavaScriptで自分の名前を入れて、主にパロ小説内で既存キャラと絡ませて楽しむものですが、でもこれ、世間一般でも子供版のがありますよね。クリエイトアブックとかオリジナル絵本というものです。ぶっちゃけ、やってる事は夢小説となんらかわりないと思います。ただネット上で自由に名前変換ができるのが主に夢小説で、名前を個人に特定して受注発注して本にするのがクリエイトアブックというだけで(同人系で夢小説を本にする方もおいでですし、サイトで変換不可の夢小説を発表してる方もいます)。あと対象とか目的が自分よりもむしろ他者にいってるという点でしょうか。子供は大喜びでしょうね。今は大人用もあるようですが、一般の方々の反応はどうなのでしょうか。同人系でないというだけで寛容に受け入れられているのでしょうか。って、同人関係を純粋に商業関係との対比の意味だけで使うとこんな事問うのもおかしいのですが。同人誌でパロでもエロでもまったくないオリジナルの素敵な詩や絵本を出してる方はたくさんいますから。
実際夢小説は同人関係者たちの間でも好き嫌いが分かれます。別に恋愛関係ばかりではないし、パロ小説は嫌悪されても仕方無いとしてオリジナル小説だってあるのだから、毛嫌いしてる方でも作品を選べば案外楽しめるかもしれません。自分出すなんてこっぱずかしくて読んでられるかぁ!という照れ屋さんには向かないかもしれませんが。
ところで絵の方でも夢絵というのがあります。すごく上手な絵師さんだと写真かと思うくらいあまりにリアルに描かれるため、熱愛するキャラで特にキスやセックスシーンを描かれたりすると、人によっては好きなキャラを汚されたという嫌悪と同じ事を夢見てるのにむかつくといった嫉妬とで、憎悪が絵師さんと夢主さんに向く可能性があります。
この夢絵、創作キャラクターとのカップリングについても言うと、某百科に載ってました。え、オリキャラと自分(もしくはリクやプレで友人や訪問者)カプもそういうんだ?作品も世界設定も当然オリジナルって事ですよね。じゃ普通のオリジナルとどう違うの?と思ったけど、自分を登場させてあれこれするから夢絵であってるのか。自分で開発した乙女ゲームのようなものなのですね。


シミュレーションとシュミレーション  (4/22)

かなり昔からよく間違ってシュミレーションを使うのを目にしますよね。どっちが正しいの?と調べてからは私は前者を使ってます。普通に使ってるから今更言いにくいなんて事もありません。そして後者はネタとして使う事があります。趣味的な意味で。
今日も素敵なマンガの中でシュミレーション表記を見て、あぁここにも?と思いつつ、そういえば最近はネットでどんな風に紹介されてるのかなとちょっとした好奇心が沸いて調べてみました。
 ●シミュレーションとシュミレーション - その他(学問・教育) - 教えて!goo
 ●誤字等の館:シュミレーション
 ●シュミレーションとは (シュミレーションとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
言葉はナマモノというのはよく分かってますが、その時代その土地のTPOと、相手に間違いを定着させてしまう恐れがある事を踏まえた上で使うのがいいって事ですね。


YouTube  (4/22)

改めて自分が登録してる物見てたら、あまりの雑多さに笑ってしまいました。歌だけでもロック、聖歌、演歌、アニソン、童謡、民謡、クラシック、バロック、民俗音楽等々、加えて宇宙の映像だの猫の映像だの赤ちゃんの映像だのとこれまたノンジャンルでてんこもり。さすがにそろそろ整理しようと思ってます(笑)。
その中にサントリーウィスキーの昔のCMが入ってるんですけども(前に紹介したかな?)。
結構好きだったのでこの元になる曲をフルで聴きたいなぁと思って以前調べたら、聞いて全然違っててがっかりしたって話だったのですが、先日別件を調べてる時にたまたまこちらを見つけたので聞いてみました。
あれ、これはこれで良くない?あまりに前評判が悪かったから変な期待せず聞いたからでしょうかね。確かにCM版の方がミステリアスでしたけど、こっちはちょっと穏やかで軽快なため若干滑稽感も含んでいて良いと思います。


視点と人称  (1/21)

昔、中島梓さんの「小説道場」という本を買ったことがあります。その中に視点について書かれているページがありました。正直頭が悪いので今ひとつ分かってない部分があるのですが、それでも自分の書く文や人様の文を読む時に何気に気にするようになりました。ネットで探すとその点を書いている方も幾人かおいでなので、「小説 人称 視点」「中島梓 人称 視点」等で検索されるとお目当てのページが見つかると思います。
人様の小説を読みながら『人称変えるのならちょっと工夫しないとね』とか『視点に神というよりむしろ作者本人の視点と感情が混じってしまっているねぇ』とか『このキャラ視点な感じだったのに、所々ふいに神視点になってるなぁ』とか思ったりする事が多々あって、ストーリーとかキャラの立たせ方とかアイデアの斬新さ等が凄く良かったりすると殊更残念な気持ちに陥ったりするのですけど、言うまでも無く自分も人の事言えた代物ではなくて、後で読み直すとホント苦笑しかないじゃないかといった物ばかりだったりします。気を付けてるつもりで毎度やらかしまくってるんですからねぇ、しかも延々と(呆)。理想は神視点の三人称なのですが。その意味で人称及び視点に違和感もブレも感じさせず、引っかかり無く流れるようにすらすらと最後まで読ませる事の出来る方は、やはり凄いなぁと心から思うのです。
ちなみに同作品中人称変化していてもまったく違和感を感じさせない書き方をされている方々もおいでです。せっかく小説の世界に浸っているので、読むペースが乱され気持ちが現実に戻ってしまうことが無いというのは本当にありがたいです。これもセンスとテクなんでしょうね。