■ラ・ベル(ガンズ版)(9/1)

※ネタバレあります

王子が矢を射た相手が、彼が心から愛している妻とは知らなかったとはいえ、また仮に森の神が娘の懇願に多少なりと譲歩したとしても、もし条件が整えば娘以外の女性と幸せになってもいいぞという罰って、娘を殺された親のかける呪いでしょうか?
それが最も酷い懲罰になるほど男女の愛が重要すぎるという事なのだろうと、プロメテウスやアトラスを頭に浮かべながら見ていた仏映画の美女と野獣。
愛を知らない傲慢な王子の方がまだ分かると思ってしまった私は野暮の骨頂なのでしょう。
でも外見の醜くさ(ある方面の方々は激萌えしそうですが)はともかく、悔恨の念に苦しみながら生き続けさせる事に意味があったという事でしょうね。それなら贖罪の日々もいつか許される日が来ると言う期待を持たせつつ、それを裏切られるという日々も、やはり残酷な罰の一環だったのでしょう。
対照的にラストでペルデュカスを取り込んだシーンは、あれはどの程度の罰になるのかと首を捻ったりも。むしろ温情なのでしょうか(あっさり殺さず暫くもがくしかない恐怖に怯えさせはしたけど)。
他にも思った事はありましたが忘れました。あ、そうそう。頭の大きな犬は必要だったのかな?あぁ、あの犬達かなとニヤリとしたのは確かですが。あと友人達のその後は?

こちらにも詳しい事が書かれています。
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美女と野獣