逃げてゆく妖精以降 詩三十編以前
「新望」創刊号(一九七八年5月)初出
二十五日目
黙した花の先鋭からこぼれる
緩やかな笑みが
壁の中に消えていってしまえば
髪毛一本私のためにふるえてくれる
そんな日々が
背の高さを風にとんでしまう
青い木々ではかられて
今日の重さがラジオから流れてくる
(私は髪毛一本のために今日生きた)
と、私は呟いて
明かりを消すために部屋を閉じる
(アナタノ存在ヲケスタメニ)
白い手はうまく隠された
混乱は混乱を作って
私は手を振る
白いセンターラインの上をうごめく影
気狂いになってしまえばよいものを
なぜアナタは生きようとするのか
捉えようとすればするほど逃げてゆき
捉えようとすればするほど
あなたがとらわれる
白い夜がずっとつづいていた
あれから
少年は青白く痩せ細り
紳士は脂ぎって肥った
あかるいのはどっちだろう
どちらかがあかるいとしたら
それは目の錯覚というものだ
丸い蛍光灯は私たちを縛りつける
空回りをつづける上の空を
風船みたいに頭の上にくくりつければ
きっと空中旅行出来るだろう
すべての話を否定すれば
私の心はみごとに公開されるだろう
その白い箱
センターラインにけっきょく
ぐるぐる巻きにされてミイラ男
なってしまえば楽なのに
ライダーたちは表情を埋めて
今夜もすぎた
私は親父のように
玄関先で呆れる
枯れ葉に手をつっこんで
あたたかい
と言った子どもたちは
眠った
白い手はうまく隠された
垣根の曲がり角
日曜日を
たき火に燃してしまいましょう
あなたのも私のもいっしょに
人形を燃やしてしまいましょう
あなたの目が炎に反映して
私は私の鋭くとがった冷たい心をつきつける
こおりついた水溜りのように
冬の空へと
消えかかった太陽の風へと
緑の葉が灰色になるように
あなたは炎のむこうで消えてしまった
私は私の軽くなった心を胸にしまって
垣根のむこうへと歩いてゆく
私のために生きてくれるあなたが消えて
はためく冬空の下で
私はふりかえってたしかめる
私には私の影より重い存在がなくなったことを
それからちゃぶ台でお母様とお茶を飲みます
スライディング・チェア・ニュートロン
擦り減らされた繊維が語っている
時計仕掛けの電子の中で
私たちのすべては存在を得、存在を失う
前後の圧縮された空間の
無限の上空と無限の奈落
かつての私たちの歴史が夜道を流れていく
暗い時があったという私たちの歴史を書き留めたノート
孤立する枯れ木の下のかなしみの笑い
ケースのむこう側では
時は水族館のようにおとなしく
小指を噛む少女が
ルージュをまっ赤にぬった時計を握りしめ
わたしの時を握りしめ
わたしの現在を握りつぶそうとしている
スライディング・チェアの沈む海へ
私たちの父は葬り
支柱を取り去った空へ
私たちの母はないがしろにする
石のつづく門から私たちは出
骨のくすんだ白さで私たちは歩く
スピードメーターが黴色の時間を偽造し
かすかに支えられた色づく涯ての空が
私たちの生を証明してくれるが
私たちではなく、空が、
逃げていく
春の前に
いとど空洞(うつろ)になりき
汝れが耳にはこの雨も聞こえず
紙を筒にして覗けば
梅の日の明るさのみ見えて
いつか盗み見し本の走り読みに
胸の途絶えて
聞こえず
遠き日にばかり続く穴道を
手で塞ぐ赤子の手
乳臭き音の背温きとき
窓辺に顔よせ己が息聞き
瀘過されし透きたる光掌に転がし
汝れがめくる暦を軽蔑し
はただ一人沈黙すれば
耳はいとど空洞(うつろ)になりき
汝れが耳にはこの雨も聞こえず
遥けき窓の灯も仄見えず
見えず
梅が枝を折れよ雫
一日は疾く過ぎてゆき
饒舌すぎた日々を、私は恨む
雨にみたされた町はずれで
私は人間になろうとするポストのように
ためらわれて裏返しに書かれた手紙を
思わず吐き出してしまう
私の脇をすりぬける電車の響きが
あまりにもふくよかすぎて
雨の中ではなにもかもが
途切れ途切れにつづいている
ぬれた踏切りが私をひきとめる
傘がならんでしずくをこぼし
金切り声を上げて待つ人々の…………
私は背をむけて
頭にあふれ耳からこぼれる思いを
気取られぬよう
雨の流れに流す
私の詩という思いを