宮沢賢治『札幌市(作品第一〇一九番)』の特異性を感じること
 
  札幌市(作品第一〇一九番)
 
遠くなだれる灰色と
歪んだ町の廣場の砂に
わたくしはかなしさを
青い神話にしてまきちらしたけれども
小鳥らはそれを啄まなかつた
             (岩波文庫・昭和五〇年六月二五日第二九刷による)
 
 『春と修羅 三』に所収されたこの詩を意識して読んだのは、つい最近のことである。他の多くの賢治の詩とは違って、賢治個人の姿が等身大で描かれているように思える。
 この詩の特異性はどこからくるか。まず、札幌という異郷が描かれていること。しかもそれは賢治特有の想像上の異郷ではなく、現実の、ともすれば想像上のそれと比べて惨めな、情けない現実の土地である。その中で賢治は、自分自身もまた、幻想のバリヤーを取り払われ、生身の自分をさらけ出さざるを得ない。
 現実の世界の中で、幻想はなんと力なく惨めなものであろうか。「遠くなだれる灰色と/歪んだ町の廣場の砂」は、現実の中で幻想を喪失した賢治の、心象風景というにはあまりに「かなしい」。もはや賢治は現実をこのように幻想化するだけの力しか持てなかった。「廣場の砂」を見つめることだけが彼に残され、うつむいた彼の頭の向こうにある町は、「歪んだ」と言わなければ賢治は自分自身を守れない。賢治は幻想を武器にして現実と戦おうとする。明るい昼下がり、遠く雪を頂く山並、現実の世界に住むもの達にとっては、ありふれた、あるいは明るくのどかな、あるいは心にもとまらぬ日常の風景である。賢治は自分を苛むものに対して、現実的な抵抗手段を持たない。ただ自分を守ろうとする。「青い神話」という幻想を手にして。しかし、唯一幻想を分かち合えるはずの地上の小鳥たちも、「それを啄まなかつた」。
 こうした現実に対する手段としての幻想という立場から賢治の作品を考えると、なぜ日本であるようなないような世界の童話を書いたのか、なぜ自らを「修羅」となぞらえたのか、なぜ羅須地人会を創設して土に生きようとしたのか、なぜ化学と宗教の中に理想を見ていたのか、そうした賢治の短い生涯を暗闇の中から照らし出せるように思える。
 はたして幻想は現実に対抗し得る手段となるのか。
 その前に、現実とは何であるか。私たちが生きていること? 生きるためなら、社会は必然なのか? 家族は? 貨幣は? 国家は? 法律は? 宗教は? 文化、文明は? 農林水産業は? 子孫を残すために生きるならば、食物と生きつづけるに必要な環境があればよいのではないのか。
 多くの疑問符に対抗し得るのが、個人個人の中の現実ではないだろうか。そしてそれを私たちの多くは、幻想と呼ぶ。なぜか。私たちの多くは、こうした多くの疑問符を自明のこととしてのみ生存し得る存在だからだ。ただ生存するだけなら人間としての意味がない、と。しかし、ある人々は、そうした自明さの中では存在できないことを敏感に感じ取る。多くの者にとっての自明さは、その多くの者にとっての幻想によって成り立つ。その時幻想は現実として、鋭敏な人々を抑圧しにかかる。そしてその抑圧とは、実は幻想を現実として成り立たせている多くの者達にとっても切実な問題なのである。そこに芸術表現を成立させる要因も、また芸術作品を受容する要因もある。
 幻想は、現実に対抗し得る手段となるか。
 これまで述べたように、現実は幻想の総体であり、吉本隆明の言葉をかりれば「共同幻想」である。その幻想の総体に個的な幻想が対抗し得るかということである。
 宮沢賢治において、個的幻想はどのような形をとって現れるか。
?@「イーハトーブ」に見られるように、日本的風土に根ざしながらそれを異化すること。
?A『春と修羅』に見られるように、宗教と化学の融合、あるいは宗教の化学的解釈、または化学の宗教的解釈。
?B「羅須地人会」に見られるように、土着的風土の昇華。
?Bのことは?@の実践と見られるから、?@と?Aの事柄を見ればよいかもしれない。
 ?@の事柄に関して私が思いつく限りのことを、詩を材料にして述べてみようと思う。
 まず、地方語(方言)の使用について。賢治の作風を大きく特徴づけるものに、地方語の使用があげられるのは、ごく一般的なものであろう。詩の中には『高原』のように、地方語のみで書かれたものもあるが、多くの詩はいわゆる標準語によって書き記され、またあるものは文語によって書かれている。
 つまり、地方語の使用は特徴的ではあるが、賢治を純然たる地方語詩人としては扱えないだろう。このことは歴史的流れの中で仕方のないこととしてとどめることも可能だが、私は『永訣の朝』をとりあげて、私が感じている違和感を述べてみたい。
 『永訣の朝』は賢治の妹トシの臨終に際して作られたものだが、そのトシの言葉が仮名書きやローマ字の岩手語(花巻語?)によって記され、そのことが私たちの感動を深める大きな要因となっている。私が違和感を覚えるのは、賢治の言葉が標準語であること、しかも「美しい」標準語であることなのである。もちろん、当時詩のすべてを地方語で書くということ自体、ほとんど不可能なくらい難しいことであったこと(詩がどう成り立つかという観念が時代のすべてを支配している。それは現在も同じことである。)や、賢治自身の文学観の問題もあることは確かなことで私も否定できない。が、そのうえでやはり、私は違和感を覚えて仕方がないのである。なぜ、賢治は自分達の母語でトシに語りかけてやらないのか。この詩が美しければ美しいほど、悲しければ悲しいほど、私は賢治に、ある種の冷たさといったものを感じてしまうのである。なぜ、賢治は最愛の妹の死を、こんなに悲しいまでに美化しなければならないのか。
 (芸術)表現は、表現者にとっての慰安でなければならない。自分を慰めてくれるものでなくては、私たちは自ら表現するということをなさないであろう。であれば、賢治は、自分の言葉に岩手語を使わないことで、妹の死に対する最大限の慰安を受けていたのではないだろうか。たぶん、賢治はトシの枕辺で、岩手語で語りかけたに違いない。臨終に際しては、岩手語で泣き叫んだに違いない。しかし賢治に慰安を与えるのは、生身の岩手語ではなかった。
 『永訣の朝』において、トシの言葉としての岩手語は実にうまく表記される。「(あめゆじゅとてちてけんじゃ)」「(うまれでくるたて/こんどはこたにわりゃのごどばがりで/くるしまなぁよにうまれでくる)」そして、私が一番胸を打たれるのは、「(Ora Ora de shitori egumo)」。もちろん、いまだに(今だからこそ?)私たちは地方語を表記する方法を持たない。それゆえこうした平仮名表記やローマ字表記をなしたとも言えるし、そのことを詩人的直感で理解していた賢治の才能を称揚することもできよう。
 しかしそのことよりも、母語は音であることを直感していたことに、感動を覚える。まさに音が、音のみが、私たちを包みかかえる言語の本質なのではないか。その自分を包みかかえる言語の本質を表記するすべがない。私たちは言語の抱擁を自分のものとして捉え返すことができないのだ。言語を抱擁し返すことができないのだ。
 トシから発せられた最期の言葉。それを賢治は捉え返せないのだ。トシの言葉の抱擁に対して、その言葉を抱きしめ返せないのだ。その悲しみこそが、『永訣の朝』の悲しさのすべてを決定していると、私は思わざるを得ない。賢治は自らが成し得るもっとも美しい言葉でもって、トシの言葉の抱擁に応えようとした。しかし応えきれない思いが残っていく。
 賢治が標準語で詩を書き綴ったのは、時代の中での必然ではなかった。総体的幻想に対抗する手段としての個的幻想のひとつとして、このことは賢治の中でどういう意味を持って立ち現れてくるのか。またそれ以前に、標準語使用が個的幻想として成り立つのか。
 問題は、標準語使用にあるのではなく、標準語の文脈の中で捉えられた地方語の中にあるのではないか。
 これは凡庸な結論かもしれないが。『永訣の朝』においては、標準語の中に岩手語を配することで、賢治の個的幻想がたち現れてくるのではないか。岩手語が個的幻想を形作るために、賢治は標準語で詩を書いた。賢治がどれほど美しい言葉を綴ってトシの言葉の抱擁に応えようとしても、いやそうすればするほど、トシの言葉の美しさが引き立つ。賢治は、そのために、この詩を書いた。言葉では抱擁し返せないために、詩表現でもってトシの言葉をいとおしみ、せめてもの抱擁にかえたのではないだろうか。『永訣の朝』において、賢治の個的幻想はこのように現れてくるであろう。
 このことをこじつけて広げれば、賢治の個的幻想は標準語の中でしかなし得なかった、ということではないか。
 では標準語の中でしかなし得なかった、賢治の個的幻想とは何か。
 化学や宗教が、地方語では表現できないからだろうか。
 一体個的幻想が総体的幻想に太刀打ちできるのだろうか。個的幻想は常に総体的幻想の侵略を受けつづける。個的幻想が最大限に膨らんだとき、初めて総体的幻想とバランスが保て、個的幻想が自分自身を保て、そしてその時初めて対抗手段となり得る。ほんの一パーセントでもその膨らみが保てないとき、個的幻想は総体的幻想の蹂躙を受ける。私たちはそうした蹂躙の果てに、個的幻想に入り込もうとする。しかし、個的幻想が私たちを保護してくれる保証はどこにもない。それでも私たちは個的幻想に逃げ込もうとするのだ。
 個的幻想が破壊され、それでもそこへ逃げ込もうとするとき、幻想は妄想へと変わる。それでも、総体的幻想の中に自分を位置づけながらあろうとする時、いくつかの取る道が私たちにはあろう。
 まず、より個的幻想に近い総体的幻想に安住しようとする。家族を、恋人を、仕事を、その他諸々を、「愛」そうとする。「愛」とは個的幻想の領域に属しているから、個的幻想を総体的幻想に照射することによって、個的幻想が満たされることを私たちは感じることができる。(「インスタント・ラブ」なんて呼んでみようか)これが手っとり早い総体的幻想の蹂躙から自己を守る方法である。
 これは、幻想の領域が、今まで私が述べてきたような完全な二分割法では成り立っていないからで、私たちの目には見えないようにその色を変えて変化していくものだからできることである。
 次の方法は、個的幻想をより強固にすることである。妄想になる前に立ち止まり、持ちこたえ、個的幻想をより充実させていくことである。
 この困難な作業は、総体的幻想に蹂躙されつづけても、個的幻想の種を持ちつづけることによってなされる。総体的幻想の中では、自分は生きられないことを意識することによってなされる。
 『札幌市』の中で、賢治の視線はなんと冷めているのだろうか。雪の山並を「遠くなだれる灰色」と表現し、札幌の町並みを「歪んだ町」と表現する。これが総体的幻想の実態である。総体的幻想の中で安住する者にとっては愛すべき自然であったり、愛すべき町であるものが、総体的幻想に侵略されつづける賢治にとっては「遠くなだれる灰色」であり「歪んだ町」である。そして詩の後半では、個的幻想の無力さをいやと言うほど味わっている賢治がある。個的幻想の中で生きようとする、あるいはその中でしか生きられない者の、しぼみ尽くそうとする個的幻想の最後を持ちこたえようとする表現が、「遠くなだれる灰色」であり「歪んだ町」であり、個的幻想を「青い神話」と表現することである。そしてこの個的幻想の敗北を「まきちらした」ことにあると振り返り、「小鳥らはそれを啄まなかつた」と認識することで、最後に個的幻想を保持しようとする。ここで例えば「小鳥らは嬉しそうに啄んだ」としても、現実の改竄は、私たちを救いはしない。現実を個的幻想の中に取り込むことによってのみ、私たちは救われる。現実を個的幻想の中に取り込むのだ。
 賢治の最後の反撃は、賢治を救ったのだろうか。
 小鳥が神話を啄むことがないのは、当たり前ではないか。これは幻想の一種ではない。むしろ「神話を啄む」と見ることが、幻想ではないか。総体的幻想でも、個的幻想でもない、変え様のないものが現実として私たちの前にある。それを取り込むのだ。私たちは、そうやって個的幻想に逃げ込むことによってのみ、反撃できる。逃げ込むことが即ち反撃なのである。
 自分の神話を啄まない小鳥たちによって、賢治は救われたのだろうか。
 個的幻想の、総体的幻想に対する攻撃は、総体的幻想を破壊しない。傷つけもしない。私たちが反撃したところで、総体的幻想はそしらぬ顔でいつもと変わらぬ営みをつづける。個的幻想の反撃は、むしろ個的幻想自身のために必要なのだ。妄想に陥ることなく、総体的幻想に逃げ込むことなく、個的幻想を保持することでのみ、私たちは私たちであることができる。
 総じて、『札幌市』は、賢治特有の詩表現であるといえる。『岩手山』と並べてみても、とりたてて特有なものはないと見るべきだろう。むしろ他の賢治の詩の中で『札幌市』を見た時、物足りなさを感じることさえあるだろう。個的幻想が特有な形で現れる宮沢賢治の作品群の中で、その特有さを見せないことが、かえってこの詩の特異性を示している。
 しかしながら、『永訣の朝』において標準語を使用することで岩手語が賢治にとって個的幻想を形作ったように、『札幌市』を賢治詩の全体の中に位置づけることにより、詩表現における賢治の個的幻想が照らし出されるように思える。
                                 1994/3/24