ふ〜じん娘。誕生ドキュメント
2007年7月7日 七夕に産まれた我が娘の誕生ドキュメントです。
11月6日 広島カープ黒田がFAせず残留を決めた日、嫁のお腹に新しい生命が宿っていることが分かりました。
11月23日 急な体調不良(妊娠悪阻)で緊急入院。 僕の一人暮らしが始まりました。
一番仕事が忙しい12月、仕事と家事と看病の両立で大変でした。 嫁は激しい嘔吐で激ヤセし、僕も毎日の過酷労働で3キロ痩せました。
12月23日 子供のために何か始めたいと思い、小遣いを叩いてアコースティックギターを買いました。
12月30日 退院が決定。嫁は静養するため、実家へ里帰り。 正月はそれぞれの実家で過ごしました。
平日は一人暮らし。週末は嫁の実家。そんな生活が1ヵ月続きました。
2月1日 検診にあわせて嫁が家に戻ってきました。 僕は有休を取り検診に付き合いました。
2月11日 倉敷の不洗(あらわず)観音寺というお寺に安産祈願に行きました。
嫁のつわりは全く衰えを見せず、家に戻ってからも毎日のように吐いていました。
3月21日 初めての赤ちゃんへのプレゼントを購入。 それは広島カープのベビーキャップでした^^
3月25日 インターネットで買った乳児用の服や布団などが届く。 少しずつグッズにも興味がわいてきます。
3月30日 つわりで苦しむ嫁を実家に預け、僕は広島カープの開幕戦(大阪)をカープ仲間と見に行く。
休みの日は極力外に出るようにしましたが、次の日は嫁は必ず体調不調でダウンしていました。
4月1日 友人からベビーカーやベビーバスの中古品を頂く。 とても助かりました。
4月8日 尾道に旅行。 結局、妊娠期間中、二人で岡山県外に行ったのはこの日が最初で最後でした。
4月17日 子供が産まれると手狭になるのでちょっとだけ広い家にお引越し。 場所、家賃を第一に考え、家はちょっと古めの。。。
この頃になるとお腹も目立つようになりました。 新居とともに徐々に赤ちゃんグッズも揃えていきました。
4月21日 西大寺へパパママスクールへ行く。 オムツや沐浴の方法。 命の尊さを学び僕は涙しました。
4月29日 嫁を実家へ預け、僕は滋賀へギター練習遠征の旅に出る。
5月3日 嫁は実家で静養中。。。 僕は自分の実家(山口)まで帰り、両親に経過を報告。
車で遠出をすると必ず体調不良になるので、僕の実家へはとてもじゃなく帰れなく、いつも1人で帰っていました。
5月13日 嫁の誕生日であり、母の日。 これから母になる嫁に「頑張れ」の気持ちを込めてプレゼントをしました。
5月15日 長渕剛ニューアルバム発売。 強制的に、胎教がこのアルバム中心になりました。。。
6月9日 病院での両親学級に参加。 周りの人も皆お腹がおっきく、出産を実感する。
臨月に入り、嫁のお腹も急成長。 どうしたらこんなに大きくなるの?ってくらい膨らみました^^
6月の嫁は大きいお腹を「重い重い」いいながら家事をしてくれました。
僕も手伝ってあげたかったけど、仕事の過度の疲労とストレスと、カープの弱体振りに・・・
そして・・・
7月5日 毎週木曜は検診日。 今回の検診ではあと「1週間くらいかな?」と言われたそうです。
7月6日 夜中にお腹が痛いと言うので、早朝に病院へ連れて行きます。
僕は急に仕事休めないので、一旦会社に。 すると、嫁からメールが。。。
「破水している」
これは産まれる! 僕は会社に報告をして、とりあえず、今日の配達を終わらせて、早退させてもらいました。
PM3時。 病院に到着。
病院の陣痛室に案内してもらい、そこには嫁のお父さんと妹が先に到着していました。
僕が到着した頃、嫁は意外と元気で、陣痛もまだソコソコでした。
陣痛室は3人部屋で、両隣の人が苦しそうにしています。 義父はその声に耐え切れず、部屋を後にしました。。。
夜になっても激しい陣痛が来ない。。。 とりあえず今日産まれることはなさそう。。。
・・・ってことは明日?? 七夕??
7月7日 夜中、うとうとする事も多かったのですが、義妹と交代で嫁の背中をさすりながら頑張れ!と励まし続けました。
結局夜が明け、子宮口が変化ないことにがっくり。。。
破水が始まってるため、このままでは赤ちゃんが危険なので陣痛促進剤を打つことに。
義父も再び合流した午前10時。 促進剤を注入。。。 これからが死闘の始まりでした。。。
言葉では、文章では表すことの出来ない、まさに命の戦い。
この7時間の死闘は僕の心の中に閉まっておきます。。。
午後5時20分、子宮口が全開になった!ということで分娩室に移動。
さぁ、いよいよ七夕ベイビーの誕生。 これから気合を入れて・・・
・・って荷物等を準備してると、
「お父さん!産まれますよ!」
「はいっ??」
なんと、分娩室に移動して20分後、5時40分に女の子が誕生したのです。
あまりの速さと、今までの疲れとが重なって、誕生の瞬間、号泣するとばかり思っていた僕の涙腺は拍子抜け。
やっと産まれた・・・ 正直それが第一の感想でした。
産まれたばかりの我が娘は2時間ほど母となった嫁のお腹に抱っこ。
僕もだんだんと父となった喜びがわいてきました。
親や兄弟、会社、友達に連絡をして、21時過ぎ頃、僕は帰宅。
すぐ布団に入ってぐったり朝まで眠ったのは言うでもありません。。
7月8日 僕の両親、兄弟、嫁の父、姉妹が病院にお祝いに駆けつけてくれました。
7月14日 無事退院。 新生活が始まりました。 最初の1週間は僕の母が山口から助っ人に来てくれました。
娘が我が家にやって来たその日、広島カープの黒田投手が通算100勝を達成しました。
そして・・・僕と妻と娘。。。 3人の新生活がスタートしたのです。。。
7月29日 我が子が産まれて・・・3週間経ちました。
妊娠していることが分かった時、嫁はとても喜んでいました。
予定日は7月18日で、(亡くなった)お義母さんの誕生日に近くて、お義母さんの生まれ変わりだと喜んでいました。
しかし、喜びも束の間、稀に見る妊娠悪阻の症状で入院、嫁は結局、産まれるまでずっと、つわりが続きました。
女性はお腹に命が宿っている時点でお母さんです。
でも男には実感がありません。
僕は野球を見に行ったり、飲みに行ったり、相変わらずの生活をしていました。
それでも、頑張って家のことを手伝って、我が子の産まれてくる準備をしました。
名前は6月くらいに決まりました。
剛やカープにゆかりのある名前は全て却下され、女の子らしい名前になりました。
予定日は18日でしたが、七夕に産まれてくるとロマンチックだよね、ってことで、
お腹の中の子に「七夕に産まれてこーーぃ」なんて毎日声をかけていました。
もうひとつ心配だったのが、立ち会えるかどうか。
僕は急に休める仕事じゃないので、実は立会いは諦めていました。
しかし、唯一といっていいほど急に休みが取れる金曜の午後、我が子は産まれる準備をしたのです。
1日早まって木曜では絶対に休みが取れませんでした。
きっと我が子はパパとママが喧嘩をしないように、
そして、パパとママに見守られて、産まれてきたかったのでしょう。
実際、立ち会えてすごく良かったです。
あんなに頑張っている嫁を、命の戦いを初めてみました。
女性は強いです。
陣痛が長かったため、産まれてきた瞬間は、正直、感動より安堵の気持ちのほうが強くて涙が出ませんでした。
しかし、3週間たった今も・・・あの命の戦いが鮮明に蘇るのです。
この子が10ヶ月もお腹の中で生きていたのか! そう考えると感慨深いです。
ホント、よく産んでくれたと思います。
そして、まさか本当に七夕に我が子が産まれるとは思いませんでした。
しかも2007年7月7日 17時40分。。。
7並びな子です(笑)
お腹にいる時に「七夕に産まれてこーぃ」って声をかけていたからなのでしょうか?
七夕に出会えた奇跡を、今はただただ感謝するばかりです。
そして、頑張って産んでくれた嫁にも。。。
今は頑張って育児に奮闘中です。
よく泣きますが、とてもかわいいです。
親バカな僕はデレデレになって、そして将来、男にだまされないか心配をしています(笑)