秋祭り

   

昔から白羽神社を氏神とし、秋の実りを祝う祭りがあります。
神社を下がった道には出店が出て老若男女で賑わいます。

宮北・落合の帖佐は今年で百七年。

      




9月1日(ハナガタメ ここからその年の祭りが始まります。
宮北・落合のハナガタメは毎年9月1日にあります。
これは大正5年以来、曜日に関係なく行われていて、その年の祭りに帖佐を出すかどうするかなどを話し合います。
過去には地区によっては帖佐を出さなかった時代もあったそうです。


祭り準備始め
山に入り御幣(ごへい)を作るための竹を伐り、草を刈ります。
だんだんと今年の祭りの雰囲気が出来上がってきます。



お祓い、練習はじめ
幟が立ちます。
初めにお祓いがあります。
神仏である帖佐に携わる前に、この年に帖佐に乗る乗り子を含む関係者一同のお払いをします。
乗り子の座り位置を決め、太鼓のたたき方、リズムなどを教えます。
その後で練習開始。
この日から当日まで、時間を調整して帖佐の練習をします。
一週間、夕方になると遠くのほうから太鼓の音が聞こえるようになります。


ご神燈組立
牟礼北小学校の交差点の白羽神社に向かう道にご神燈が立てられます。
鳥居さんのような形で祭りの堤燈がつけられています。
ここから神社への道が始まるという意味の、『門』の役割をするものです。
帖佐が神社に向かう時
『これから神社に向かいます』
と言う意味でご神燈の下をくぐります。
祭りの終わりにもくぐります。


太鼓台組立
いよいよ帖佐が組み立てられます。
帖佐は前年の祭り終了から次の祭りまで、帖佐小屋におかれますが、布製の座布団や座布団締め、幕などが傷まないよう、定期的に小屋に風を通します。
年に一度の晴れ舞台のために準備されます。
激しい動きにも耐えられるようにしっかりと締められ、見栄えよく装飾されます。



10月12日   
宵祭り
さあ、いよいよ祭。
村まわり(はなあつめ)をします。 
今年も無事、祭りが出来るという挨拶の意味で、家々をまわります。
迎えた家では、無事祭りが出来てよかったですね、と、いう意味を込め
「おめでとございます」
と、挨拶をします。
若連中は
「有難うございます。」
と、返事をします。
御幣でお払いをし、祭りの歌を歌い、帖佐では太鼓を叩きます。
家々はお礼に花(ご祝儀)を渡し、お返しをもらいます。 
自治会ごとに、タオルや小さな手作り御幣など。

八栗山参道には鳥居があり、帖佐の座布団はギリギリの高さでーーー、通ります。
急な坂道が何か所かありますが、トラックに引っ張ってもらい、帖佐が行けるところまで登ります。




祭り日和


【宮北・落合 大人子供帖佐】

  
待ってました!帖佐の座布団と若連中の歌が聞こえてきたら、今年も祭りやあ!という気持ちになります。
帖佐はここから鳥居さんをくぐって坂道を上がっていきます。トラックが頼りになります。

 
大人子供それぞれ花集めに走ります。家々の玄関で歌を歌って御幣でお祓いをします。

 
恥ずかしいから毎年後ろ姿の「睦」の相談役、祭りの縁の下の力持ちです。
老いも若きも寄り合って作っていく祭を何とかまとめ上げて今日までもっていく人。
祭りは作る人たちだけでなく、お参りしたり帖佐を見たり、久しぶりに会った人たちも親睦を深める場。
今年も無事祭が出来てよかった。
そんな日はみんな笑顔で楽しい話がつきません。
話し足りんけんこのあと家に寄るわ、今度ごはん食べに行こう、とか。
あっちでもこっちでも「仲睦まじく」が出来ていきます。
それにしても、見事な龍の幕です。

   
帖佐が店の前にじっと止まりました。
頭が店の前で長い間歌ってくれました。
店よりも長い年月祭りを見てきた帖佐に「うちも古いけど、あんたんとこもたいがい古いの」って言われた気がしました。

   
子ども帖佐はお母さんたちが付いています。
近所のおじさんも笑顔で写真撮影。手にはビールを持っています。


【宮ノ下大人帖佐】
 
花集め。
歌ってくれたのは演歌気質の若連中。気持ちよさそうやけど、こんな節回しだったっけ。
「こいつの歌、ねばいやろ」んー、納得。
 
この人!宮ノ下のには毎年髪形で祭りを盛り上げてくれる人がいます。
パイナップルの年もあったけど、今年は日の丸かいの?
こういうのがあるけん祭りは面白い。


【牟禮濱大人帖佐】


「入っていいですか?」堂々と店の中に入って歌ってくれました。
牟禮濱の歌はとにかく声がいい。

  
この時間は空の色が本当にきれい。しばらく歌声が響きます。
この人の声には聞き惚れます。ほんっとにいい響きです。
祭りの厳かさ。それを感じる歌声です。

 
息を合わせて太鼓をたたく乗り子。
幕は重々しく、房は顔を隠すほど大きい。
明日の本番まで続きます。



夜になると、マルナカ八栗店で三つの帖佐の競演があります。
牟禮濱、久通り、そして宮北・落合の三台の帖佐が出ます。
白羽神社のお祭りはかなり歴史があり、始まった頃と今とでは、祭りの意味も存在もかなり違ってきたと思われます。
しかし、祭りに関わる人たちは仕事を休んだり、休日に出来る事をしたり、裏方の仕事をしたり、
年齢にかかわらず 「祭りを成功させるための気持ち」「祭りを楽しむための努力」 という昔からの伝統を受け継いでいるようです。


10月13日 
本祭り
朝、花火がなって祭の開催を知らせます。

【久通り子ども帖佐】

  
久通りの花集めはとにかく元気!大きな声ではっきりと歌って気持ちがいい。
毎年ここで馬場の練習をします。
担ぎ手も乗り子も笛に合わせて速さを変えます。帖佐を走って回したりします。ピピーッ!長い笛が鳴ったら頭の上まで帖佐を持ち上げる。御幣は横。
これで本番は大丈夫。


今日は祭り日和。
池の方から気持ちのいい秋風が店の中を通り抜けていきます。


帖佐はご神燈をくぐり、いよいよ白羽神社に向かいます。
神社の境内で帖佐のお披露目です。
始めは子供帖佐。
大人帖佐の真似をして走る姿が、頼もしくもあり可愛くもあります。。
小学低学年は訳が分からないまま走っているのでしょう。
可愛い帖佐に拍手が送られます。
次は大人帖佐。
暴れます。
幾つもの自治会の帖佐が自分達が一番だと競い合います。
笛の合図で帖佐を担いだ若連中が、走り回ったり持ち上げたり。
乗り子は振り回されながら必死で太鼓を叩きます。
激しすぎて崩れそうになると、他の自治会の若連中が助っ人で入ります。
同志が助け合う・・・。
これが祭り。
ピピーーーッ!
一番長い笛が聞こえると終了。
観客から惜しみない拍手が送られます。

自治会の帖佐が神社を下がり、最後に白羽の神輿が下がると祭りが終わります。
神輿が鳥居をくぐる前に、氏神様に
『祭りが終わるのはまだ早い、もっと続けましょう』
と、下がる神輿を上がらせます。
一度上がって、下がるとまた上がらされます。
昔の人が祭りの終わることを惜しんだのでしょう。
氏神様もそう思ってくれるのを喜んだようです。
それは今も引き継がれています。

帖佐はご神燈をくぐり、祭りの終わりを告げます。
帖佐小屋までの道のりも、太鼓をたたき、歌を歌います。
そして来年の祭りまで静かに収められます。

宮北・落合の帖佐が帖佐小屋に帰ってきたのは7時過ぎ。
無事終わりの拍子木が打たれました。
今年もお疲れさまでした。



どうやぶり
祭りの後の慰労会です。
「どう(労)」「破り⇒発散」という意味だそうです。
昔は少し違う意味もあったようです。
祭礼などで氏子の代表に選ばれた家を「頭屋(とうや)」と言います。
祭りが終わった後、関係者を招いて慰労の祝宴を開くことを「頭屋振舞(とうやぶるまい)」と、いうそうです。
「頭屋振(とうやぶり)」がなまって「どうやぶり」と、言ったそうです。



10月14日
片付け
今年の祭りの余韻を楽しみながら、昨日まで準備したものを元に戻します。
が、ここから来年の祭りの準備が始まります。
今年の良かったところ、予定していたけど出来なかったところ。
これを次の祭りに向けて取り組んで生きます。
お祭りは終わることがありません。



                   
   



≪ 帖佐って? ≫

帖佐と言えば「お祭り」、お祭りと言えば「豊作」「神社」と連想されますが、稲作が盛んな地域では「雨乞いの道具」としての性質も持ち合わせるという歴史があります。
本当に重くて、大人が50人で担いでも傾くことがあるくらいです。
素材のほとんどが「木」で出来ているというのもありますが、他にもいろんなものが装飾されています。
中には「雨」に関わるものもでてきます。




【 座布団 (ざぶとん) 】
屋根です。
この座布団には神霊が宿ると考えられています。
家でお客様に使う柔らかいものではなく、しっかり重心を取れるように硬くて重いものになっています。
色は赤でヴィロードのような光沢があります。
五段に重なった座布団は下にいくほど小さくなり、中心に重みが集まり、前後左右のバランスが取れるようになっています。
宮北・落合の帖佐には布団締めに、金の糸で昇り鯉(鯉が滝をのぼっている様子)の刺繍が施されています。




【 房 (ふさ) 】
座布団の四隅の括りから房が伸びています。
これは「雨」をあらわすものとされています。
座布団の段の間には小さい房、一番下からは大きい房が伸びています。
結び目は太く編みこまれた一本の縄から出来ており、複雑な結び方をしているので、一度解けるとなかなか元にはもどりません。
長時間やっていると、偶然出来ることもあります。
夜には大きな房の代わりに堤燈が付けられ、神秘的な明かりとともに練り歩きが続けられます。




【 欄間 (らんま) 】
座布団の下には木の枠があり、綺麗な欄間が四面を飾っています。
欄間は三段あり、これも座布団同様、下にいくほど幅が狭くなっています。
何年も磨かれ、使い込まれた木は、濃く渋い色に変わり艶のある光沢を出しています。
彫刻は『源平合戦』の模様です。
語り継がれている有名な場面ではなく、軍列を組んでいる物静かな様子などが施されています。
その他、鶴、松、翁などおめでたいものが彫刻され、複雑な隙間が太鼓の音をより重みのある響きにしてくれます。
ちなみに、彫刻には亀と波がありますが、『浦島太郎伝説』ではありません。
欄間は中で太鼓を打つのりこたちの明り取りにもなっています。




【 飾り幕 (かざりまく) 】
龍の刺繍が施されています。
龍は「雨を呼ぶ神様」とされていて、雨の少ないこの地域には縁起のいいものです。
刺繍は神話として有名な『ヤマタノオロチ伝説』です。
スサノウノミコトがヤマタノオロチを退治するお話。
スサノウはオロチに奪われたクシナダヒメを櫛の姿に変え、髪にさし戦いに挑んだそうです。
見事大蛇を倒した後、二人は末永く幸せに暮らしたそうな。
ちなみに・・・スサノウノミコトはヤマタノオロチに酒を飲ませ酔ったところを倒したということです。
荒ぶる神として伝えられているスサノウノミコトですが、地上では機知に富んだ優しく勇敢な神として知られています。
祭りでも暴れる帖佐に勇敢に立ち向かう若連中たちの姿が見られます。
しかし、一升瓶のお酒を飲むところは、もしかしてオロチのほうかも・・・。
宮北・落合の法被の背中も龍の模様が入っています。
飾り幕は見た目より布が厚く、重く、簡単には捲れないため、のりこたちが出入りするのも大人に手伝ってもらわなければいけません。





帖佐、今昔



【 太鼓 】
帖佐の命。
太鼓台の中心に置かれ、乗り子が囲むように座って叩きます。
太鼓の縁に
「昭和弐拾七年太鼓張替商木田郡前田邑大浦喜惚次」
「蒔昭和参拾稔九月南呂吉祥日張之細工人大川郡神前村宮本弥三郎」
とあり、皮を張り直した日にちと人が記載されています。
皮の張り具合でバチの跳ね方、音色、響き具合、飾り幕からの抜け具合が違います。




【 法被 】
少し切れていますが、左から
役戸 牟礼浜 宮ノ下 宮北・落合 久通り 川西。
それぞれ祭りに所以のある模様が描かれています。
宮北・落合は、雨を司る神の使いとして昇り龍の模様が描かれています。
その中でも頭(かしら)の法被は特別です。
祭りの最中、指示を出すという大切な役目があるので、若連中がどこを見ればいいかすぐに分かるように違う柄の着物を着ます。
目立つように少し派手目です。

子供用の法被もあります。
これは地域に関係なく、背中に祭りの文字が入っています。
 

 

宮北・落合               久通り



【 帳面、堤燈、布団締め 】

宮北・落合
昔の使っていたものです。
帳面は大切に木箱に納められています。
布団締めは今のような金色ではなく、少し落ち着いた色で刺繍されています。
糸は絹糸で、年月が経ってきれいな飴色に変わっています。
布団を立てに締め、昇るという意味で今も昔も鯉の刺繍です。
ちなみに、鯉が昇って龍になります。
堤燈は電気ではなく、本物の蝋燭を使っていました。
帖佐は揺れるのでよく燃やしていたそうです。


 




【 着物 】
乗り子が着る着物。
法被より長めで裾を腰に引っ掛けて着ます。
乗り子は帖佐に乗ると幕に隠れているので、なかなか見えませんが、祭りの花形という意味では、一番お洒落な着物を着ています。
 




【 御幣 】
宮ノ下は花集めの時、花のお礼に御幣を渡します。
竹を切り、紙を巻き、水引を結びます。
一年間、家を守ってくれるでしょう。
神様が宿っているような有り難い気持ちになります。  
 
 






【 写真 】
モノクロの写真が時代を物語っています。

風景も今とは違い地面は土。
「牟礼町」という町は坂が多く、大人の男の人でも帖佐を担ぐのはかなりの力と人数が必要です。
帖佐を担いでいる人は今と違って自前の服を着ています。
中にはワイシャツにスラックス、ネクタイ姿の人もいます。
法被が出来たのは最近だそうです。






女の人も帖佐のためにおにぎりを作ったりお茶を用意したり、祭りに参加していました。
お祭りはやっぱり握り飯。
時代は変わって方法は変わっても、今でも昼ごはんは握り飯です。

帖佐の形も、座布団の厚さや引き棒の長さが今とは違うようです。
集合写真を見ると、改めて帖佐がどれほど大きいかが分かります。






頭にお面をつけて立っている人が持っているのはマタギです。
昔は道もでこぼことしていて、今みたいにきれいに舗装されていませんでした。
車も少なく、道に植わっている木が枝を伸ばしていることも少なくありませんでした。
帖佐が通るとき木の枝や電線が引っかからないようにマタギで引っ掛けて押します。
帖佐が通り過ぎると元にもどします。
今では持つ人もいませんが、何かの時の為に帖佐を引っ張るためのトラックの後ろに積んでいます。


      



帖佐を担ぐときは腹巻に鉢巻。
いろいろなものが入ります。
財布、お守り、ご祝儀。
両手を使えて、激しい動きでも中に入れているものが飛び出さず、便利です。
お腹も冷えません。



形が違うと言っても、あるものがなくなる訳ではなく・・・。
よく見ると、座布団下の房が半分ついていません。
無くしたわけではありません。
この年は付けることが出来なかったのです。
これには祭りならではの深い物語があるのですが、これを知る人は年々少なくなっているようです。
この頃の房は絹の糸で出来ていて、ほどくと長い一本の糸になっていたそうです。
年月が経つにつれて白い絹糸は飴色に変わっていき、その色が濃くなるほど、値打ちがあったそうです。
房はこの年の祭りの後にちゃんと戻ってきたそうです。
めでたしめでたし。




酒。
やはり祭りにはお酒。
これだけは昔からちゃんと引き継がれてきたようです。
これは神社から頂いた木箱に入ったお酒です。
一生瓶のお酒のなかに、一つだけ木箱に入ったものがあったそうです。
「おーい、来い来い!帖佐担がんか!」と言って参加したような格好。
「服なんかえんじゃ!酒飲め!」
そんな声が聞こえてきそうです。
年配の頭に呼ばれ、普段祭りとはちょっと離れている人が、照れながら祭りに参加していたという印象を受けます。
今でははこの人たちが若い人たちに酒を教えています。



こんな細い山道も練り歩きました。
御幣を持った人が先頭を歩きます。
若頭は前後に注意をして、全体に指示を出します。
小さな子供は怪我をしないように大人の人に手を引かれて後ろからついていきます。
天候への感謝、秋の収穫は人里はなれたところにも向けられています。