マクロビオティック健康相談室食神

マクロビオティックの視点から見た明治期

今年西暦2018年は、明治政府が樹立されて百五十年目にあたり、いわゆる明治維新百五十周年になります。記念式典もあったようですが、全体的にあまり盛りあがっていないようです。それどころか近年は、明治維新への批判的な言説をも散見するようになりました。例えば、明治政府は長州士族がテロリズムにより簒奪したクーデター政権であるとか、日本の近代化を啓蒙した福沢諭吉はアジア人蔑視思想のヘイトスピーチの元祖であるなど、作家・司馬遼太郎氏が作ったといわれる明治賛美と同調するような論調とは違います。人々の間に、日本が近代化を急いだ明治期への冷ややかな感情が沈殿しているのでしょうか。そこで今回は、明治期をマクロビオティックの視点から眺めてみることにします。

暗黒時代の始まり

マクロビオティックの観点から明治を振り返ると、明治期はまさに暗黒時代の始まりです。それ以前の日本は、自給自足経済が前提の菜食国家でした。畜産と酪農は存在せず、肉といえば狩猟肉か魚を指しましたが、獣肉食は強く忌避されて、人々は雑穀、米、野菜、海草を食べていました。そのほとんとが四里四方で採れたものであり、食料自給率はもちろん百パーセント。労働が厳しく食料の絶対量が少ないという"貧しさ"はあったかもしれませんが、多種多様の豆腐料理、工夫を凝らした季節の野菜料理、漬物、味噌や梅干などの保存発酵食品など、和食の基礎は江戸時代までにほとんど完成され、繊細で心やさしく、達者でよく働く日本人を育んできました。

その日本食の伝統が破壊される第一歩が、明治時代から始まります。明治5年、明治天皇は自ら肉を食すことを宣言、国民にも肉食を促しました。これは、日本国開闢以来獣肉食を否定してきた国の方針を百八十度転換する暴挙でした。戸惑う人民も多くいましたが、文明開化の大きな時代の流れにのみこまれ、日本人の食事に徐々に畜肉や乳製品が入るようになっていきました。

砂糖の消費量も増えます。肉と砂糖は、実は西洋人の食事を特徴づける二大要素です。十字軍遠征でアラブ世界にしかなかった砂糖の味を知った彼らは砂糖を渇望し、大航海時代に西インド諸島をはじめ中南米、アジア、アフリカまで広範囲に植民地を建設、アフリカ人を奴隷狩りし、砂糖プランテーションで働かせ、悪名高い三角貿易を何世紀にもわたって行いました。明治期の日本人がどれくらい西洋人を真似しようとしたか定かではありませんが、彼らと同様に南方に進出、台湾を植民地化して製糖業を興します。

露呈した白米至上主義の弊害

近代化を急ぐ日本に現れたもうひとつの食の変化は、白米の普及です。精白米を食べる習慣は、江戸時代には一部の上流階級に普及しましたが、明治に入ると精米技術の向上とともに庶民にも浸透し始めます。とりわけ軍隊では兵士に白米食が保証されており、彼らの主食になりました。

ところが思わぬことが発生します。脚気が蔓延し、軍隊ではこの病気にかかって戦えなくなった兵士が続出しました。原因は白米食によるビタミンB欠乏症でしたが、当時はまだビタミンの存在が発見されておらず、風土病説、細菌感染症説、中毒説など諸説入り乱れ、政府は対応に苦慮します。

脚気は脚気衝心といって心臓が冒されて死に至る病気として恐れられ、白米を主食にした日本人の国民病の様相を呈します。実は、脚気を治すには麦飯がよいことは経験的に知られていました。海軍は独自の調査から、兵食に肉を加え次いで麦混合食にすることによって脚気を克服しましたが、陸軍は科学的根拠にこだわり白米食をやめようとしなかったため、多くの兵士が無益にもこの病気で亡くなりました。頑迷な白米至上主義が招いた悲劇でした。

産声をあげた日本独自の食の哲学

同時代のドイツでは、食べ物を化学的に成分分析をしてタンパク質、脂肪、炭水化物に分類する方法が確立されました。近代栄養学の興りです。この栄養学は西洋人の食事を模範としたために、当時の日本人の食事は炭水化物が多くタンパク質が少ない"貧しい"食事とみなされました。

この学説ゆえに、明治初期に日本に招聘されて東京大学で教えていたエルヴィン・フォン・ベルツ医師は、健脚の人力車車夫に肉を食べさせればもっと速く走れるにちがいないと考え、有名な人力車走行実験を行いました。結果は、菜食の方がよく走れたために、日本人に関してはタンパク質摂取量が少なくてもかまわないとベルツ医師は考えました。にしても、西洋の学説が圧倒的に優勢だったのであり、乏しいタンパク質量を補うために肉食が奨励されたことに変わりありません。こうして日本の伝統的な食習慣に人々が目もくれなくなっていたこの時代に、日本独自の食の理論を打ち立てた人物が現れます。陸軍薬剤官として勤めあげた石塚左玄です。

石塚は、食べ物の重要性を強調しつつ

  1. 人の主食は穀物であること
  2. 人の食は風土に根ざすこと
  3. 食べ物は精白せずに全体を食べること
  4. ナトリウムとカリウムのバランスが肝要であること

の原則論を立てました。そして実践の場として療養所を開設し、玄米と野菜を中心にした日本の伝統的な食事によって多くの人の病気を治していきました。石塚左玄の理論と実践は、彼自身が食養道と名づけたことから一般に食養と呼ばれ、後世のマクロビオティック運動につながっていきます。

地続きの道

明治期に始まった日本の近代化は、大正・昭和そして平成へと時代が変遷するなかで完了しました。その結果として、現在のわたしたちの国そして生活があります。西洋を手本に近代化を急いでよかった反面、その過程で失ったものも多かったのではないかと感じます。

この国の米、魚、野菜、大豆製品などの伝統的な食べ物は、世界でも有数の健康的な食習慣とされてきた。それなのに日本人はこの食習慣をさっさと捨て去ろうとしている。エリック・シュローサー著『ファストフードが世界を食いつくす』より

明治は遠いようで、まぎれもなく現代と地続きにつながっています。明治期に敷かれた軌道の上を現代日本人はいまだに一生懸命走っていますが、軌道修正すべきときに来ていると思うのはわたしだけでしょうか。