マクロビオティックの系譜

マクロビオティックの語源

『マクロビオティック』という言葉は、ギリシャ語で「大きな」を意味する『マクロ』、「生命」を意味する『ビオス』、「方法」を表す接尾語『ック』から成り、全体として「大きな生命な方法」という意味になります。

この言葉が史上初めて現れたのは、ヒポクラテスの著作『空気、水、場所』です。紀元五世紀、古代ギリシャ時代、ヒポクラテスは病気は自然の秩序に反することが原因であると考え、自然の秩序と調和した食事をしながら皆が健康で長寿を誇る民族を、この言葉を使って紹介しました。人の自然治癒力に重きをおくヒポクラテスの 医学観と彼が確立した自然療法は、近代合理主義が現れるまで西洋医学の中心となりました。『食べ物を汝の薬とせよ、薬を汝の食べ物をせよ』は、ヒポクラテスの箴言としてよく知られています。

時代は下り17世紀、ラブレーの著作『パンタグリュエルとガルガンチュア物語』のなかに、マクレオンなる島にマクロビウスという仙人が棲んでいる話がでてきます。また18世紀のドイツでは、クリストフ・フェーラントの著作『マクロビオティックまたは寿命を延ばす方法』が、人々に広く読まれました。概して西洋では、健康で長生きする仙人のような人々の伝説が生きており、彼らの自然と調和した生き方が『マクロビオティック』と呼ばれていたようです。

医食同源の食事法

自然と調和した食事法が健康の基であるとする教えは、洋の東西を問わず各地の民族文化のなかに見いだすことができます。インドのヴェーダ哲学や中国の老荘思想には自然法とともに医食同源の食事法が説かれています。中国宋王朝時代の哲学者ヤン・ファンは、簡素な食事がないがしろにされ白米と肉料理がもてはやされる風潮を批判しました。日本では江戸時代に貝原益軒が『養生訓』を著し、人々に健康のための飲食法を説きました。

禅宗の食事は、桜沢が自らの著書を「ゼン・マクロビオティック」と名づけたことからもわかるとおり、マクロビオティックの教えにその精神が受け継がれています。禅宗では食事をとても重要視します。食事係は単なる雑用係ではなく、「典座」という高い位が与えられます。調理法も、食材を捨てることなく全部を使う「一物全体」が徹底され、動物性食品をまったく使わない精進料理が編みだされました。

宗教が食事法を説くことがあります。それにはもちろん"宗教的"理由づけがなされますが、大きな視点で見ればそれも健康法ととらえられるでしょう。例えば、セブスデイアドベンティスト派を興したエレン・ハーモン・ホワイトは、肉食をしないで穀物と野菜の食事をする方が神の御心にかなうと説きました。この教えを守る信者らは、現代の各種の疫学調査で、そのほかの集団よりも健康であるという結果がよくでているようです。

近代マクロビオティックの興り

『マクロビオティック』が食事法を指す言葉として広まったのは、近代マクロビオティックの祖といわれる桜沢如一の活躍によります。明治26年生まれの桜沢は、若いころ結核にかかり死の淵をさまよいますが、玄米菜食によって健康を回復します。この玄米菜食を指導していたのが、石塚左玄医師が主宰していた食養会という組織です。食養会は、玄米菜食によって病気治しをすることで人々に評判でした。病気が治ってからも桜沢は、その食事法の原理をさらに確かなものにすべく、聖書や古代哲学や伝承医学など西洋東洋に伝わる知識を研究し、宇宙の秩序に基づいた食事法を確立しました。1920年代パリを訪れた桜沢は、自らをジョージ・オーサワと名乗り、その教えを『マクロビオティック』と呼んで普及活動を精力的に展開しました。

|TOP|