ジョーダン・マックスウェル講演
~“目覚めと気づき”LA会議~

[出典]

原文は、2009年9月20日ロサンゼルスにて開催された『プロジェクト・キャメロット“目覚めと気づき”会議』におけるジョーダン・マックスウェルの講演『Project Camelot LA Awake and Aware :Jordan Maxwell Interview Script』です。動画および音声は、Project_Camelot_サイトから視聴できます。翻訳文の[目次]に見出しを掲げましたが、これは長文を読みやすくするために便宜的にしたもので、原文には見出しはありません。また、前後の司会者による紹介部分は省きました。

ジョーダン・マックスウェル[プロフィール]

オカルト・宗教研究家。1957年以来独自にこの分野での研究を重ね、セミナー、ラジオ出演を通じて宗教的秘密組織やシンボリズムについて人々を啓発する活動を続けている。HP:Jordan Maxwell's Home Page

[目次]

この世のなかで、我々が考えているように動いているものなど何一つない

[拍手に対して]ありがとう。どうもありがとうございます。

これからお話しすることのなかで一つだけ皆さんに覚えておいていただきたいことは、この世界に皆さんが考えているように動いているものなど何一つない、ということです。何一つ、ありません。

警察はあなたが思っているような人たちではありませんし、保安官はあなたが思っているような人間ではありません。銀行はあなたが思っているようなことをしていないし、政府は、あなたが思っているようにはまったく運営されていません。

だから今日世界で起きていることを見れば、筋の通ったものは何一つないことが分かります。すべてが気違い沙汰です。道理のかけらもありません。

それは一見とても破壊的です。しかし、実のところ、皆さんはシステムがどのように動いているか知らないだけなのです。システムは、実に完璧に動いています。

富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっています。大多数の大衆は、テレビ、アルコール、ドラッグで慰安され、富裕者はますます富裕になる一方です。ですから、完璧なのです。ひとたび世界が本当はどのように動いているかを理解すれば、それは我々が思っているようには何一つ動いていないということが分かります。

これまでの人生を通じて私は宗教と神学に興味があり、それらが本当に好きです。起きている時間のすべてをその研究に費やしてきました。それから何かを学ぶのではなく、それについて学ぶためです。

ひとたび我々の宗教がどのように誕生したかを知れば、それはあなたを引きつけてやまないでしょう。いまだかつて見たこともないものが見え始め、いまだかつて考えもしなかった疑問が湧き上がってくるようになります。

だから私は宗教の研究に没頭してきたのです。しかしまた80年代初頭、ごく初期の80年代に、私は政府と金融に関する専門家中の専門家の人たちと知り合う機会を得て彼らの会社に長年いました。そして、政府がどのように動くのかを学びました。私にとって真実を知るということは、大変驚くべきことでした。

私が今夜こうして皆さんの前でお話するまでに48年もの歳月を費やしましたが、私が学んだ秘密をただで皆さんにお教えします。これからそのことについてお話しましょう。

これは秘密です。とても強力な秘密です。しかし「人は、財政的にもあらゆるそのほかのことにおいても、常に自分の聞きたいことを支持する。自分の聞きたくないことは支持しない」のも事実です。

かりにあなたがカントリー音楽を好きだとしたら、ラップコンサートに行くのに30ドルを払わないでしょう。あるいはだれか特定の映画俳優のファンであれば、別の俳優を見に行かないでしょう。人とは常にそういうものです。つまり、あなたが特定の食べ物が好きだとしたらその食べ物と真反対のレストランには行かない、ということです。

人は常に自分の聞きたいことを支持します。各地を移動して人々と付き合ってみればだれにでも分かることですが、一般的にいって人が聞きたくないことは、真実です。真実と直面させられて愉快な人などいません。

しかし、世のなかには勇気のある人たちもいます。今夜ここにいらっしゃる皆さんのように、少なくとも自分が信じていることや知っていることと相反するかもしれないことに耳を傾ける心のひらかれた人たちです。あなたがたは、真実を追求する人です。

私がこれまでずっとそのようにしてきたのは、私もまた真実を追求する人間だからです。

いつも申しあげていますが、私は自分が特定の分野における大家だとは思っていません。私はどんなに自分が無知であるかよくわきまえているつもりです。しかし、政府があるいは銀行がどのように動いているか分析を始めると、これまで分からなかった世界の全体像が見えてきます。

旧約聖書は古代人が記した古代の記録ではない

私が使う言葉は「オカルト」です。「オカルト」とはただ単に「隠されたもの」を意味します。これこそが、今日世界で起きていることです。我々の政府、銀行、教育機関などは全体としてオカルトあるいは隠されたものを土台にして運営されています。私たちが教わり理解していると思っていることは、真実ではありません。

例をお示ししましょう。皆さんのなかで私の商業海事法システムの話をお聞きになったことのある方はいらっしゃいますか? 大方の人はお聞きになられていますね。それではまだ聞いておられない方のためにお話しましょう。

訴訟をしなくてはいけなくなったときに、なぜ私たちはコートすなはち裁判所に行くのでしょうか? 私たちはテニスをするときテニスコートに行きます。バスケットボールをするときにバスケットコートに行きます。この“コート”の全体的な考え方は、ボールを相手方のコートに返すということです。かりにあなたが弁護団を擁して相手方の“コート”にボールを投げれば、相手チームの弁護団はそのボールを打ち返してきます。裁判官は審判です。審判はどちらが勝とうが負けようが気にかけません。いずれにせよ彼に報酬は支払われますから。

裁判官は黒いローブの法衣を身に着けています。たいがいの人は疑問をもちませんが、どうして司祭は黒いローブを身に着けるのでしょうか? 高校生らは卒業式で黒いローブを身に着けます。裁判官は黒いローブを身に着けます。ラビは黒いローブを身に着けます。なぜなら、黒いローブは土星を表しているからです。黒いローブは土星の象徴です。

古代の人々は、土星のことを「輪の王」と呼んでいました。土星は、輪の王です。それゆえ、古代人女性たちは神に従う印としてイヤリングをつけました。男性たちは、神の前で結婚することになっていました。男が結婚指輪をするのは、古代中東の神が土星であったからです。土星はヘブライの神ヤハウェと直につながっていました。だから今日においても、ユダヤ人は土星を信仰しています。

土星は、古代フェニキア語では「シャバス」と呼ばれました。フェニキア語辞書を引いてみてください。土星は「シャバス」、週に一回土星を礼拝することは「サバス」といいます。ユダヤ人がサバスを祝うのは、自分たちの神である土星、すなはち輪の神を崇めていることにほかなりません。

このように、宗教がどのように生じたのか、神学がどのように生まれたのかを分析してみるとよいでしょう。

六芒星というものがあります。これは、「ダビテの」星と呼ばれます。しかし実は、六芒星はダビテの星ではありません。百科事典や参考文献をくまなくあたってみてください。六芒星は土星のことだと書いてあります。六芒星は六角形です。六角形は、土星を表しています。

カトリック教会の諸々のシステムを見てください。教会は恥です、私の考えでは。カトリック教会は、恥です。不名誉です。アメリカのカトリック教会からでてくるものといえば、どれもこれも不名誉なものばかりです。それは、嘘、欺瞞、皮肉に満ちています。海事法の下で運営される拝金主義の組織です。これは世界中に周知のことですが、キリスト教徒たちは聖書について、だれが書き記したものか、またいつ成立したものか知らされていません。

私は、ユダヤ教でさえも紀元前の宗教ではないことを突きとめました。ユダヤ教は紀元前には成立していませんでした。人々は古代のエルサレムについて語りますが、古代にはイスラエルは存在しませんでした。エルサレムはありました。でも、イスラエルはありませんでした。牧師や宗教家たちがどんなに古代イスラエルについてああだこうだと説いてみたところで、実のところイスラエルは紀元前には存在しなかった宗教なのです。

旧約聖書の全体的な概念が発展したのは、9世紀から10世紀、11世紀、12世紀にかけてのことです。つまり、旧約聖書は古代人が記した古代の記録ではありません。古代イスラエルは実在しなかったのです。

イスラエルには二人の偉大な学者、考古学者がいます。この考古学者らは、「聖書発掘」という本を著しました。彼らはイスラエルの考古学者のなかでは最も優れた聡明な学者です。

彼らの著書のなかに、次のように記されています。モーゼはいなかった、ソロモン王もいなかった、ダビテ王もいなかった、と。

聖書が書かれたのは、おそらく8世紀から9世紀、10世紀にかけてヨーロッパにおいてです。それが発展し、最終的に全編がイエズス会とカトリック教会のものとなり、物語が作られたものと思われます。それを現代の我々は、実在した古代イスラエルの物語と思わされています。しかし、古代にはイスラエルは存在しませんでした。決して存在しなかったのです。

モーゼは実在しませんでした。ソロモン王も実在しませんでした。ソロモンは「Sol」「om」「on」です。「Sol」はラテン語で太陽を表し、「om」はヒンドゥー語で創造力を、「on」はエジプトで太陽の名前でした。ギリシャ人が「ヘリオポリス」と呼んだものです。エジプト人は、太陽の都市を「on」と呼びました。辞書を引いてみてください。「on」のところには何と書いてありますか? エジプト語で太陽の都市とあります。だから、電灯のスイッチを「オン」にするといいますね。それは、「オン」が光の街だからです。「Sol」と「om」と「on」、この三つの古代の神秘的な言語が合わさってできた言葉が、「ソロモン」という名です。

古い時代の聖書においてさえ、古いといっても12世紀から13世紀、14世紀頃の聖書ですが、そのなかにダビテ王はでてきません。終始でてくるのは、「ドルイド王」です。

ついでながら、今日我々がアメリカそして西欧世界で支配を受けている政府と法の体系は、ドルイド方式です。アメリカは、ドルイド国家です。カナダもドルイド系です。今申しあげたように、西欧文明はドルイド系の支配体制なのです。

ドルイド僧たちは、ヨーロッパにおいてとても強力な聖職者集団でした。ローマ帝国が存在する以前からです。彼らは弁護士であり、法律家であり、宗教家であり、政治家でした。これは、ドルイド体制と呼ばれました。

ドルイド体制を表す最も重要な表象の一つが、魔法杖です。マーリン“魔術師”マウスがもっている杖のようなものです。オーケストラの指揮者は指揮棒を使います。それは、ドルイドに由来しています。

ドルイドを表象する魔法杖は、聖なる木の枝から作られました。聖なる木から作られ確立されたその体制、“ホーリーウッド”すなはちハリウッドこそが、ドルイド体制なのです。ドルイドの表象を知らなければ、ハリウッドで何が起きているのか、ハリウッドがどこから資金を調達しだれが彼らに資金を提供しているのか、これが裏でどのように政府と関連して動いているのかを知ることはできません。

ハリウッドは何が起きるか知っている

ウェブ上には、膨大な量の9・11の載った動画の資料が、2001年以前、その5年前、6年前、7年前から存在します。9・11以前に9・11が映像化されたものです。その原典ともいうべきフィルムが「マトリックス」です。

「マトリックス」の原版では、役者が身分証明書か何かの宣誓書に署名する場面がでてきます。役者が署名するときにカメラがほんの一瞬手元を大写しにします。そこでフィルムを一時停止し少し巻き戻してよく見ると、その文書にはこれから起こることか何かが書かれています。2001年9月11日と書いてあります。これは2001年9月11日以前のフィルムです。

今私がお話ししているハリウッドについての典型的な例が、クリス・カーターです。クリス・カーターは「Xファイル」の制作者です。彼は「Xファイル」が終了すると「ザ・ローン・ガンメン」という新しいTVドラマシリーズの制作を始めます。その初回版は新テレビ番組シリーズ用に作られたもので、たしか2001年の2月か3月あたりに放映されました。

2001年の2月か3月、クリス・カーターの新番組「Xファイル」はフォックス・テレビで放映が開始されました。その第一話は、米国政府内にいる一派が、どうにかして757ジェット機をワールドトレードセンターに突っ込ませ意図的に崩壊させることを画策するというものでした。ドラマのなかで、複数のジェット機がワールドトレードセンター目がけて突っこむ映像が流れました。

それは事件が起きる8ヶ月も前のことです。クリス・カーターはドラマのなかで何かを訴えようとしていました。「でもどうして政府にいる彼らはそんなことをするの?」と登場人物が問う場面があります。

すると政府高官の一人がこう答えます。「なぜなら、我々は中東を支配する必要があるからだ。我々は石油生産量を支配しなくてはならない。我々は中東で優越的な立場を確保していなければならない。だから、我々は戦争を推進するのだ。戦争はよいビジネスだ・・・云々」と。これはドラマのなかの話です。しかし作中、飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んでゆく映像が流されました。

9・11に先立つ3年前か4年前、ジェネラル・エレクトリック社はイタリアで冷蔵庫の新商品を販売し始めました。その冷蔵庫の正面には絵が印刷されていて、それはワールドトレードセンターに突っこむ二機のジェット機の絵でした。ワールドトレードセンターとそれに突っこむ二機のジャンボジェット機です。ワールドトレードセンターに突っこむ二機の9・11ジェット機を表したハリウッド製の映像は、それはそれはもうたくさんあります。ハリウッドは何が起きるか知っているということです。

9・11が起きた日、私はとても落ち込みました。私は講演から逃避し、もうどこにも行かなくなり、ラジオ出演もやめました。だれとも話をしなくなり、何年間も引き籠った状態でした。9・11が私を休業に追い込みました。

私自身に関していえば、私はアメリカに忍従しました。私はすべてのことに堪えました。なぜなら、崩壊して砂塵と化す被害を受けて激憤してもおかしくないはずの国々がどれ一つとして、そのことを問わなかったからです。私はあきらめました。

そうです。なぜなら私は、政府がどのように動くか、宗教があるいは銀行がどのように動くのかよく知っていましたから。

社会保障番号はニューヨーク株式市場で取引されるあなたの身体番号だ

もう一つ例をお示ししましょう。地球にはたった二つのものしか存在しません。土地と水です。

人々は地上に生きています。そしてその土地の法は、その土地に住む人々の法です。それゆえ、法は地上の法と呼ばれます。しかし、地上の法は国によって異なります。なぜなら、それはその土地に住む人々にとっての法だからです。アメリカで許されていることが、ロシアでは許されないこともあります。南アフリカではできることが、中国では禁止されているということもあるでしょう。このように、地上の法は国によって異なります。

一方、水の法は、お金の法すなはち現金の流れであり、液体の財産です。それはこんな風に動きます。一隻の船が入港するとき、船は水上を滑りながら産物を運んできます。それゆえ、あらゆる船は女性であるはずです。だから船長はいつもこういう言い方をします。「彼女はよい船だ」、「彼女は航海に適している」と。船は「彼女」なのです。なぜなら船は女性だからです。「彼女」は製品を生みだすからです。

船が入港すると、「ドック」すなはち船着場に停泊します。船から降ろされるすべての荷には、証明書が必要です。一方、停泊中の船のいる場所は「バース」です。

同様に、人は誕生するとき母親の水からでてきます。その子には出生証明書が必要とされ、「ドック」すなはち医師が署名します。あなたが車やテレビを捨てるときは、死産だから死亡証明書が必要となるというわけです。

私たちの身体は、実際のところ、ニューヨーク株式市場における担保物件です。

皆さんは社会保障カードをもっておられると思います。今日はほかに話したいことがあるので、このことについてあまり話すつもりはないのですが、ちょっと面白いことがあります。社会保障カードの裏側に、一列の数字が印刷されています。私自身のは赤い字ですが、これらの社会保障カードの裏側に記された番号は、ニューヨーク株式市場におけるあなた自身の体の識別番号を表しています。

紙幣を取りだしてみてください。どんなアメリカ紙幣でもよいのですが、10ドル、20ドル、100ドル、1ドル各紙幣の上には、数字列が印刷されています。この番号と社会保障番号は一致します。

おおよそ650万ドルかそれ以上のお金が、私たちの社会保障番号とともに世界中を駆け巡っています。なぜなら、私たちの身体はニューヨーク株式市場で担保されているからです。

あなたの肉体がニューヨーク株式市場で売買されているというわけです。大多数の人々はこのことをまったく理解していませんし、私が何をいっているかさっぱり分からないでしょう。しかしこれが、銀行の動き方です。

銀行と政府は基本的に宗教を基礎に築かれています。宗教が、すべてのものの根底にあります。

だから私は、尊敬しません。尊敬の念はもっていますよ、法と秩序への尊敬の念は。それはそれだけの理由があります。人々がいっしょに生きていくためには赤信号や法規則が必要であることを理解するくらいの分別はもっています。ですが、それはそれとして、私は宗教を尊敬しません。政府を、銀行を、尊敬しません。特に教育機関を尊敬しません。なぜなら、こうした施設にだれが資金を与えているか私は知っているからです。私はお金がどこから来るか知っています。

.我々の銀行は、テンプル騎士団によって我々に提供されています。テンプル騎士団は、ヨーロッパのフリーメーソン支部です。我々の教育施設、大学や短大は、ローマから発せられるフリーメーソンの指令によって建てられたものなのです。

だから角帽は、カトリック教の印です。ユダヤについて申しあげれば、ユダヤ人のなかでいったいどれだけ人が、自らが頭にかぶるキッパ帽がユダヤのものでないと知っているでしょうか? キッパ帽はローマ人のものです。だからローマ教皇はキッパ帽をかぶります。カージナルスもキッパ帽をかぶります。それはローマの印です。ユダヤのではありません。

ユダヤ人たちはローマに忠誠を示すためにキッパ帽をかぶれと命じられたのです。彼らはそれに慣れてしまったので、いつしか最初から自分たちの文化だと錯覚しているのです。キッパ帽はユダヤのものではありません。ローマのものです。

宗教に関して私が戸惑うことは、まだあります。それは、「反セム」であることと「反ユダヤ」であること、この二つの言葉の違いです。

もしもだれかが「反セム」という言葉を使ったなら、どうか覚えておいてください、セム人には4系統あることを。北方セム人、東方セム人、南方セム人、そして西方セム人です。セム系は全世界で13の異なった人種に別れます。アラブ人もセム系の一つです。

ですから、「反セム」という言葉を使った場合、それは世界中の13の人種・民族に反対することです。ユダヤ人に関してものをいうときには、「反ユダヤ」であって「反セム」ではありません。

ささいなことと思われるかもしれませんが、私には大きなことです。人々は間違った言葉を使い、それでいて自分が何をいっているのか理解していません。

とことん悪くなり堕落するのは組織にいる人間と相場が決まっている

宗教、政府、教育機関、なんと多くの人々が喜々として・・・。昨夜のフォーラムでもお話ししましたが、なんと多くの人々が喜々として主人の前にひれふし、主人の望むとおりに搾取されていることか。あなたの主人があなたに望むことは、あなたが服従すること、そしてあなたが主人の意のままに思考することです。

私は全国テレビ放送局のスタジオを見学したことがあります。カメラの後方に立って、ネットワークニュース番組の職員が働くようすを観察しました。大部分の人は想像できないことでしょうが、テレビ局の夜のニュース番組はこんな具合です。テレビを見ているとニュースキャスターが視聴者に直に話しかけますから、キャスターがカメラにまっすぐ向いてニュースを伝えていると思うでしょう。しかし実際は、そうではありません。

実はテレビ画面をはめ込んだ大きな箱が床の上に置かれていて、ピカピカの鏡が角度を作るように立てかけられています。その脇で職員がタイプを打っているか、もしくは既に打たれたものができあがっています。ニュースキャスターは、一言一句しゃべることを指示されます。テレビ画面が鏡に映るので、ニュースキャスターは座ったままカメラ目線でニュースを読むことができるというわけです。

ニュースキャスターはただ、だれかほかの人が書いたものを読むにすぎません。脇にいる職員も、ただ上司のいうとおりにタイプしているにすぎません。ニュースというものは、だれか上層部の人間があなたに信じさせたいものにすぎないのです。

だから私は、ニュースを信用しません。私はテレビを見ません。私はハリウッドにも映画にもそんなに関心がありません。でも映画には、たくさん面白いことがあります。

政府について申しあげれば、繰り返しになりますが、私の考えでは政府とは結局のところ、“クリップ一派とブロッド一派”の戦いです。それがすべてです。ただ単に暴力団一派が別の一派よりも優勢だったという話です。相手が自分たちよりもちょっとばかり資金不足であくどくなかったので、そうなったのです。そうして街を縄張りにしました。暴力団間抗争です。

結局、これをつきつめれば一つの結論に到達します。我々は皆人間であり、人間というものはマーチン・ルーサー・キング牧師がいうように、組織なのです。

マーチン・ルーサー・キング牧師は、組織は個人よりも悪徳であると喝破しました。個人が悪人になり堕落することはあります。しかし、人の一団がまとまって悪になり堕落するのは、彼らがバッジをつけた組織の人間であるときです。さあ、暴力団の一丁あがりです。

警察はこんなことさえ放言します。彼らは私にこれと似たようなことをいいます。「我々は町でいちばん大きな暴力団だ。我々は合法である。我々は何でもやりたいことができるのだ」

私はむかしから、政府というものは単なる暴力団抗争にすぎないと思っていました。だれがこの町を運営するのか、ヤクザのどの一派がこの地域を縄張りにするのか、という話です。だから私は、政府を尊敬しません。金融機関やそのほかのすべての機関を尊敬しません。

新約聖書には暗号化されたメッセージが隠されている

そのほかのたくさんのことについてもお話をしたいのですが、やはり私にとって大きな関心は宗教です。

私が思うに、新約聖書に描かれているイエスキリストの話は、個人的な見解では、暗号化されたメッセージです。暗喩です。それは歴史上の話ではなく、とても強力な暗号が隠された話です。

新約聖書のイエスキリストの話に使われている言葉と表象を理解すれば、話全体が暗喩であることが分かります。行間を読んでいくと、そこに表象が隠されていて、想像すらしなかった考えが表現されていることがだんだん分かってきます。

典型的な例は、なぜユダは別れ際にキリストに接吻したのか、という疑問です。これは単なる一例です。聖書ではユダはキリストとの別れ際にキリストに接吻したとされます。キリスト教徒はこう説明するでしょう。それは、キリストを捕まえるため見分けられるようにそうしたのだ、と。

違います。論理的にそれはあり得ません。なぜなら、キリストはシカゴ市南区とかニューヨーク北端に住んでいたのではないはずだからです。キリストが住んでいたのは、ミッキーマウスでも住めそうな小さな、人口はせいぜい三百人ていどの、町の端から端まで横切るのに徒歩で15分か20分そこらしかかからない村だったでしょう。

そんな村で、どうやって隠れるなんてことができるでしょうか? どこにキリストがどの人物か分からない愚か者がいるでしょうか? キリストは支持者たちとともに広場に座っていました。なんのために、立ち去る際に彼に接吻する必要があるでしょうか? 見分けるために?

聖書からは、そうは読めません。聖書は、ユダはキリストを「見分ける」ために接吻したのではないといっています。そうではなく、キリストを「欺く」ために接吻をしたのだといっています。

マフィアをご存知ですか? マフィアに殺される者は、殺される前に死の接吻を受けます。古代の中東では、蠍に噛まれると皮膚に二つの傷跡ができます。その傷跡はまるで人の唇のように見えるところから、古代人は蠍に噛まれることを死の接吻といいました。暴漢があなたに一撃を加えようとするとき、彼らはあなたに死の接吻をします。後方から噛む蠍の仕業さながらに。

キリスト自身が、聖書のなかであることの象徴です。キリストは太陽の暗喩です。つきつめると、キリスト教の信仰は占星術に基づいた太陽信仰にほかなりません。なぜなら、太陽はだれからも所有されないからです。アフリカ人も我々も太陽を所有できません。明らかに、太陽は神のものです。従って、キリストは神の太陽もしくは神の子であり、世界の光です。

いうまでもなく、世界を照らす太陽の光です。太陽がなければ、いったいほかのどんな光が世界を照らせるでしょうか。

キリストには十二人の弟子がいました。この十二人の弟子は、当然のことながら黄道十二星宮を表し、またそれぞれの一ヶ月を表します。

彼は、我々の前に現れた救世主です。そうです、それは毎朝午前5時半頃上ります。太陽は我々の救済者です。もしも太陽が昇らなければ、我々は死んでしまいます。

ひとたび新約聖書に隠された象徴の分析を始めれば、キリスト教が基本的に占星術と太陽信仰であることが分かります。しかしそれは非常に巧妙に隠され別の衣装をまとっています。暗喩を分析して、話全体を読み返してみてください。私が今お話ししていることが圧倒的に明白になりますから。

キリストは処女宮の生まれです。キリストは処女から生まれたからです。処女宮の生まれであるというのは、黄道十二星宮の一つ処女宮のことです。

これがどんな風に解釈されるか例をお示ししましょう。夏の初日、まさに第一日目、太陽は北半球の最も高い位置にあります。もうそれ以上北には行けません。

夏の初日、太陽は北半球の高いところから南下し始めます。一日に一度ずつ移動し、90日後にあるいは90度まで進んだ後に真ん中まで降りてきます。夏の太陽は、獅子王でした。なぜなら太陽は獅子宮にあったので。獅子王、ディズニーの獅子王です。

それからまた南下を始めて、最後には天蠍宮に来ます。神の太陽はとても熱せられていました。獅子宮にいましたから。しかし今は降下してきて、秋になりました。降下は“フォール”すなはち秋です。降下し、南下し、そして秋にかけて、太陽は蠍のいる天蠍宮へと進みます。

だからユダは、キリストに死の接吻をするのです。すなはちユダは蠍を表し、蠍が神の太陽すなはち世界の光に死の接吻を与えて、彼に磨羯宮での死を迎えさせるためです。死にゆくキリストは、さらに降下します。

面白いのは、太陽は12月22日の冬至点に到達するまでずっと南下し続けることです。

太陽は、12月22日に南の空の最低点に達します。それが冬至点で、冬の始まりです。そして三日間、米国海軍がそれを説明できるかと思いますが、太陽は12月22日、23日、24日の三日間同じ度数から昇ります。もうそれ以上南に行かず、また北にも戻りません。太陽は、12月22日と同じ度数から次の二日間すなはち23日と24日も昇ります。古代人は、太陽は生きていたといいました。天蠍宮で死の接吻をしたのは、獅子ことユダ一族でした。太陽は三日間動きません。彼はお墓のなかに三日間いるのです。

12月25日、太陽は再び北に一度移動します。海軍がするように計測することができるでしょう。計測できます。とてもわずかですが、適切な計器を使えば、太陽が北に一度移動したことが確認できます。これをもって、太陽の命が甦りました。

そこで、神の太陽が再び生まれたことを祝います。彼は再び生まれました。いつ? 12月25日です。そこで私たちはクリスマス、すなはちキリストのミサを祝います。

太陽は再び北半球に向かって戻ってきます。太陽は冬にいったんは死にますが、春になって命の躍動を取り戻します。

太陽が命を吹き返し赤道を越えるとき、「過ぎ越し」と呼ばれる祭りをします。太陽が赤道を越えて再び北半球に戻ってきたことを祝う祭りです。

今日我々はだれかが亡くなると、「祖母が昨夜逝きました」とか「祖父が逝きました」などといいます。この「逝く」あるいは「過ぎ往く」という言い方は、常に死と関係しています。神の太陽もまた、赤道を“過ぎ往き”ます。

一年に一度、世界中のユダヤ人たちは「過ぎ越しの祭り」を祝います。これは単に、赤道を越える太陽の祭りです。

キリスト教徒は、この祭りはユダヤ教徒の祭りであって、自分たちはユダヤ教徒の祭りと関係あることはしたくないと思っているので、過ぎ越しの祭りをしません。そこでキリスト教徒たちは、まったく異なった祭りをします。それは、「神の子復活祭」と呼ばれる祭りです。

その日彼らは外にでて何か行のようなことをしますが、それが「イースターご来光奉仕」と呼ばれるものです。実際彼らは外にでて、「ご来光奉仕」と呼ばれる行のために日の出を待ちます。つまり、これはどういうことなのでしょうか? キリスト教徒は太陽を信仰しているのでしょうか?

キリスト教の教義において、「息子」と「太陽」この二つの言葉に互換性があるかどうか調べてみますと、神はそのことについて多くの情報を与えてくれます。基本的にキリスト教は、結局のところ太陽信仰であり占星術であります。旧約聖書は占星術であり太陽信仰です。ヤハウェは、先ほど申し上げたように太陽と土星に関係があります。

西洋世界のシステムの根っこにあるのは、宗教と政治とセックスとドラッグとロックンロール

古代宗教についてもう一つ例をあげましょう。

モーゼは月の神です。モーゼは、月信仰の指導者でした。それゆえヨーロッパでモーゼの絵画や彫像を見ると、モーゼは角をかぶっています。ご覧になったことがありますか? 角をかぶったモーゼです。バチカンにあります。世界中の博物館にあります。

どうしてモーゼはいつも角をかぶった姿に描かれるのでしょうか? それは、モーゼが月信仰の教祖であり月崇拝者だからです。

ユダヤ人は一時期、月を信仰していました。その時期をモーゼ時代と呼びます。 アメリカ先住民の酋長らも角をかぶります。バイキングも角をかぶります。なぜならこれらの団体・宗派、すなはちアメリカ先住民、バイキング族、中東の古代人らは皆、月を崇拝していたからです。

月の下四分の三は、角の形になります。だから彼らは角をかぶりました。 アラビアには高い山脈があります。夜エジプト側から見ると、月は東から昇ります。月が山脈から昇るので、古代人は月が神であり神が山に住んでいると信じました。そこで彼らは、山の老人すなはち山の神の祝いをしました。

古代アラビア世界では、月は「シン」と呼ばれました。「S・I・N」、これが彼の名前です。アラビアの月の神は「シン」といいました。一方、山は古代語で「アイ」です。この山の名前である「A・I」と、山に住む神すなはち月の神の名前「S・I・N」を合体させると、「シナイ」になります。

そうです。モーゼはシナイ山に登っていきました。いいえ「シナイ」ではなく、「シン・アイ」です。月神の山へ。それゆえユダヤ人たちは、月が昇る日没後に祭りを行います。

ユダヤ人たちは日中に祭りをしません。というのは、日中は太陽がでているからです。その間はキリスト教徒が神の太陽を祝う時です。ユダヤ人らは月神、シンを祭ります。

どうか誤解のないように。私は皆さんを挑発しているのではありません。ただ、宗教がどこから生じたかを皆さんにお話ししているだけです。宗教は、我々の政府、我々の銀行、我々の教育機関を提供している人々と同じ人々によって我々に与えられています。西洋世界の忌々しいシステムの隅から隅まで、その根元には、宗教と政治とセックスとドラッグとロックンロールが巣くっています。

それはひたすらビジネス、ひたすらお金、ひたすら人々の支配に明け暮れます。

私がセックスを口にするなんてどうかしていると思われるかもしれませんが、そうではありません。この世界ではどんなにかあらゆることにセックスが役目を果たしているか、皆さんはご存知ない。男性が黒いローブを身に着けるという事実一つとってみても、ローブは女性の服装ですから。宗教のなかで、こうした性的なことにまつわる話は数多くあります。すべてのものごとの根底には、性があります。

十字架もまた性的な表象です。エジプトにおいてさえ、方尖塔があります。エジプト方尖塔は、ワシントン記念碑のような建物です。ワシントン記念碑は、エジプト方尖塔の形態です。方尖塔は勃起した男根を表していて、男根は女性の卵巣につながります。これを卵巣任務といいます。

それから水が落ちてきます。水は女性の液体で、それがしたたり落ちやがてどっと流れだします。すると男根は卵巣に到達します。卵巣執務室に。とまあ、こんな具合に、性的な表象はそこかしに氾濫しています。

六芒星すなはち土星も・・・。

申しあげたいことは、世界中の我々の機関とりわけ西洋文明における機関は、象徴主義、嘘、欺瞞、思考のごまかしを土台に成り立っているということです。

アメリカでは事実に基づいて裁判に勝つことは不可能だ

どこかで、もしもあなたが本当に真実を探し求めるならば、といっても大部分の人はそんなことはしませんが、映画にありましたね、何でしたか? トムなんとか・・・ええ、その映画です。ともかく、そのなかである子どもが真実を探したいというと、もう一人の青年がこう答えます。「君は真実を扱えないよ」

そのセリフはまったく正しいといわざるをえません。人類世界が世界の本当の動きについて真実を知ったとしても、それを扱えるとはとても思えません。

昨夜申しあげたように、民主主義政府というのは、地上に出現しうる政府のなかで最悪のものだと私は確信しています。民主主義政府以上にひどい政府はないでしょう。

その理由をこれから説明します。まず第一に、「デモ」はギリシャ語由来の言葉で「暴徒」を意味します。なので、プラカードをもった群集が通りにでて大声でわめくことを「デモ・ストレーション」といいます。デモ・ストレーションです。「デモ」は暴徒化した群集です。

そこで「デモ・オクラシー」ですが、「オクラシー」は、規則です。つまり、暴徒群集の規則がデモクラシーというわけです。デモクラシーの現実は、45人の白人が一人の黒人を絞首刑にすることですよ。これが“デモクラシー”です。「我々は皆投票した。そして一人の人間が殺されることになった。我々は皆選挙権を行使したんだ。だから民主主義だろう?」

いいえ、そうではありません。アメリカは、立憲共和国として建国されました。立憲共和国とは、だれもが従うべき法体系をもっているということです。そこでは、個人が暴徒から守られるはずです。

私の出身地南部では、ご存知のようにクー・クラックス・クランという組織があって、彼らはだれでも好きな者を選びだします。実行者は45人と決まっていて、彼らが拉致したその者は絞首されます。いったいだれが口外するでしょうか? 「これは民主主義だ。だって皆投票したのだから。違法であるはずがないさ」

いいえ、それは違います。アメリカは、立憲共和国として建国されました。その意味するところは、憲法は法律ですから、国民はだれであろうとも法に従わねばならないということです。また、国民は法によって守られねばなりません。

民主主義の最大の問題はとても単純です。民主主義は、ただ単に暴漢らの規則を意味します。法律が何を規定していようが関係ありません。

ついでにこのことを申しあげたいのですが、我々はいつもアメリカは法治国家であると聞かされてきました。法律を基礎にした国である、と。しかしながら実際のところ、これは事実ではありません。事実は、この真反対です。アメリカは、地上で最も無法な国家です。無法です。アメリカに法はありません。

考えてみてください。さっき私は「アメリカには法がない」と申しあげました。この国にあるのは、判事が何をいおうがそれが法です。判事が何をいおうが、それこそが法です。裁判所が違えば、つまり判事が違えば、同じ情報と同じ事実そして同じ当事者でありながら、判事はおそらく違った判決を下すでしょう。「でも、それが司法の判断なのです。それが法です」。いいえ違います。それは法ではない。それは、その男の言です。

私は全国各地を旅して色々な教会や宗教団体を見て回ったときに、このことを学びました。『エホバの証人』は古典的な例です。『モルモン教』も古典的な例に入れられるかもしれません。こうした宗教団体の教会はどこも、私が今お話していることに当てはまるかもしれません。

どんな宗教組織、教会、儀式団体、組織、政党のなかにも、きちんとした規則がありません。特定の組織のなかでは何であれ、上にいる長のいうことが規則です。それが法です。

ある『エホバの証人』の教会には年長者がいて、彼は次のようにいうでしょう。「ここに聖書の教えがあります。これが法です」と。別の教会に行くと、同様に「ああ、あの者は教皇の教えに満たされています。ここに本当のことがあります。ここに本当の・・・」

お分かりでしょうか? どこに行こうが関係ないのです。どのモルモン教の教会でも、セブンスデイズアドベンティスト教会でも、キリストアデルフィアン派でも、ワールドワイドチャーチオブゴッドでもどこでも、どの新興宗教でも、どのユダヤ教会でも関係ありません。その教会の上に立つ長が法なのです。

これがまさにアメリカで起きていることです。法律全書に実際何が書かれているかは問題ではありません。この国では、事実に基づいて裁判に勝つことはできません。これが現実です。アメリカでは、事実に基づいて裁判に勝つことはできません。

判事は事実など気にしません。彼が裁判長であり、裁判所では彼が判決を下します。 「それはそうですが、別の判事は・・・」

「別の判事が何といおうが、関係ない。ここは俺の裁判所だ。俺が判決を下す。俺が決める。あんたがいくらか可愛気のあるやつなら、無罪にしてやろう。小憎らしいやつなら、懲役十年追加してやろう。で、いったいどうするつもりなのかね?」

あなたはこういい返します。「まあ、そうですけど、法律には・・・」

「だめだ、だめだ。法律をもちだしてはだめだ。ここは俺の裁判所だ。俺が判決を下すってことさ」

法律もへったくれもありません。アメリカは無法国家です。

聖書のヨハネの黙示録のなかに、「無法の男が出現する」話がでてきます。私はよく不思議に思いました。それはとても面白い話です。・・・聖書のなかには、その気になって探せば実に面白く重要なことがたくさん書かれています。

ヨハネの黙示録のなかに「無法の男」と呼ばれるものの話が語られます。いったい世界のどこでそんなことがあるのかと、私は思ったものでした。アメリカには法律がたくさんありますから。我々は何千もの法律書をもっています。それが私たちのすべてです。法律書があるのですから、この世界にどうやって無法の男が立ち現れることなどできるでしょう?

しかし今、私は理解しました。アメリカこそが、無法の男の本国であることを。

ジョージ・ブッシュは合衆国憲法に何が書いてあるか、権利条項が何を規定しているかなんて気にしていません。そんなことはまったく問題ではありません。彼が大統領であり、何であれ彼がせよと命じることを私たちはしているのです。あなたは「でも法律では・・・」と、反論するかもしれません。彼らの知ったことではありませんよ。もしもあなたが法律をもう一度もちだしたなら、あなたは刑務所に行くことになるでしょう。なぜなら、ブッシュはバチカンを代表しているからです。

ブッシュ政権は、バチカンの前線に立っていました。バチカンは、今日この国にとって最大の敵です。このことを国民はまったく理解していませんが、今日この国が撃つべき最大の敵は、バチカンです。そこら中で繰り広げられているどうしようもないことどもの背後には、バチカンがいます。

皆さんは建国の父らをどう思いますか? 彼らをどのように呼ぼうとかまわないのですが、建国の父らはどこからやって来たのでしょうか? この国を建国した人たちですね? 彼らはヨーロッパから来ました。そうです、ヨーロッパはこの2500年間、ローマが、シーザーの治世から4世紀のシーザー政権崩壊そして5世紀のバチカンの興隆を経てこの2500年間、ヨーロッパ全土を支配してきました。そしてヨーロッパが、世界を支配し続けています。

だからもしもあなたがこの国の本当の敵はだれか突きとめたいなら、聖なる父について調べ始めてください。それからバチカンとアドルフ・ヒトラーとの関係を突きとめてください。

|TOP|