渾沌とした現代。生きる指針を持ち得ない若者たち。
経済的にも大きな発展は望めず、行き場を失ったかっての企業戦士たち。
此処に書き綴る物語は、750年前の日本に実際に生きた男の物語である。
この人物を嫌う人もいる。反対にこの人に勇気づけられ、多くの困難を切り抜けたと云う人もある。
国営放送で放映中のドラマに、少しだけ登場機会のある人物。
この人物が生きた時代に、日本は今日の我が国の状況と非常に良く似た体験をしている。
それは、外国から攻め込まれるという体験である。
経済が、文化が、人間の心が大きく揺れ動いた時である。
この人物に少しだけ興味を持ち、若干の資料を調べ、多くの想像力を費やした物語(裏ヴァージョン)を書き綴ってみたい。
「おいあの坊主はどうだ」
「若そうに見えるじゃないか」
街道を外れた田舎道で、風体の良くない男共が何やら良からぬ相談をしている。
遠江から駿河へ向かう間道。
かっては京都警護番役の武士たちが通った道を、一人の僧が相模へ向かっている。
手甲脚絆に網代笠。背には笈を背負い、右手に修験者の錫杖とは違う樫製の棒を携えている。
日は天中にあった。
「俺たちは後ろへ回る」
三人の男達が、今にも崩れ落ちそうな建物の陰に走り込んだ
残った三人は、前方の茂みや立ち木の陰に姿を隠した。
武士という階層が治政者とされた時代だが身分制度は未だ確立しておらず、各階層間は流動的である。武士と貴族の荘園争い。武士同士の領地をめぐっての諍いなどで世の中が安定せず、戦となれば銭で雇われ、武士の端くれにくい込もうとする悪党達である。
昨日まで田を耕していた者でも、今日は武器を持って胴丸や具足をつける。山で猪を追っていた者が、その弓の腕を見込まれて武士の端くれに加えられる。うち続く天災や戦乱によって耕す田を失った者たちは、離れた土地へ移動するか生まれた土地で支配者に近づくか、或いは自分の力と才覚でのし上がるか、生きるために必死である。なかにはこの頃発達した鍛冶技術によって槍や刀を造り、不平分子を束ねて近隣の豪族を襲う者なども跋扈した。 彼らは街道筋の山中の洞穴や荒れ寺。あるいは住人が居なくなり朽ちかけた建物など、人が寄付かなくなった場所を住家とし、人通りの少ない道筋で追い剥ぎ・強盗・人さらいなど、考え付く限りの悪業を働いていた。
こういう無頼漢を避けて安全な旅をするために、その時だけ姿を僧形に変える者も多かった。
二間程の近くまで僧が来た時、立木の陰にいた大きな男が道を塞いだ。
「おい、坊主。何処へ行く。
ここから先へ行くなら、何か置いて行ってもらおう」
「手間は取らせん。
見たところ旅姿。銭の二十貫や三十貫は持っておろう」
「痛い目に会いたくなければ、素直に出したほうが身のためぞ」
道を塞いだ三人はいずれも髭面。旅人から巻上げたであろう筒袖の腰を荒縄で縛り、背には太刀を背負っている。
前方を完全に塞いだと見て、廃屋の陰からも三人がバラバラと飛出して来た。
こういう手合いが街道にはゴロゴロしていた。
「嫌だと言ったらどうする」
「何だと!」
若僧と見た相手が平然とした口を利いたので、首領格の右にいた男が腕を捲りながら一歩踏み出した。
「相手になる気はない。銭を差し出す気もない。
ここは天下の公道だ、誰がどこへ行こうと勝手のはず。通らせてもらう」
僧は左足を踏み出した。腕捲りをした男は思わず退ったが、左にいた男と後ろの一人が、刀を抜き放って切り掛かった。
僧の身体が沈んだ。
刀は空を切り、男はもんどりうった。
左手を添えて持ち替えた棒が、男の背中をしたたかに撃つ。
端から五寸ほどをくり抜いて鉄芯が埋込まれた棒である。
刀の鞘が割れ、男は呻き声を挙げて崩れ落ちた。背後から切り掛かった男の刀は、横殴りにはじき飛ばされ、荒れ田に突き刺さった。
刀を失った男は慌てたが、僧は容赦なくその足を撃ち据えた。
グキッと鈍い音がして、男の喉から悲鳴がほとばしる。
「キエー!」
仲間の制止も聞かず、後ろにいた一人が飛び出した。突いてくる構えである。
僧は左足を引いて身体を回転させると、右足を一歩踏み出した。
目標を失った男の刀を下からはね上げ、返す力で腕を撃つ。またもや骨の折れる音がした。
一瞬のうちに悪党は半分に減った。
背中に笈を背負ってこの動き。さすがの悪党たちもこの動きに唖然となったが、僧にとっては赤子の手を捻るようなものだった。
残った三人は悔しそうな表情を見せながらも、道を譲った。
十七・八の頃から仏教の奥義を究めようと安房を離れて京に出た。比叡山に入って半年ばかり経った頃から、僧兵たちの修練に誘われ、満たされない若さを思い切り身体を動かすことで発散させた。最初は学問の徒を目指していたが、生来身体が大きく丈夫であった彼は、馴染むに従ってこの修練も楽しみの一つと変った。
のみ込みの早い彼には、練達の僧たちが競って教えたがった。
荘園をめぐっての領主たちとの争いに、延暦寺も武力を必要としていた。相手は、朝廷であったりそれに繋がる貴族の軍勢などで、生半可な術では対応出来なかった。
当時の寺院は仏典だけでなく、中国からの書籍など学問の設備が整った唯一の施設でもあり、貴族や武士の子弟などが多く集まる場所であった。中でも武士の次男や三男には、小さい頃から武道に親しんだ者も数多くいる。とても坊主には成れそうもないほど気が荒く、血の気の多い者も混ざっていた。
こういう出自の若者たちが、密かに武器を工夫して技を磨く。家を継ぐ長男は家名を繋ぐ者として大切な存在だが、次男や三男はそのスペアに過ぎない。多くの男子がいればその者たちにも土地を分け与えねばならず、かと言ってそれほど裕福でない武士の台所事情もある。山へ入れられた者たちの大半は、こうした口減らし的な犠牲者である。学問をしようと自分から望んで山へ入った者は数えるほどだ。
次へ
光を求めて
伝日蓮裏ヴァージョン
元谷 励 著