倉敷美観地区かいわい

大原美術館

 おいでんせ〜(おいでなさい)
一度皆さんにゆっくりと散策してもらいたいと思い、見慣れている美観地区とその周辺を旅行者の立場で歩いて見ましたよ。

 ヤッパリいいわ

 アイビースクェア・鶴形旅館・倉敷美術館・倉敷民芸館・倉敷観光案内所・大原家の母屋・緑御殿・今橋・中国銀行本町支店・倉敷考古館・・・喫茶エルグレコ・路地・阿智神社・町屋の佇まい・なまこ壁・柳の木・新渓園・芸術ぶった絵描きやさん・森田酒造・ゆのしや・倉敷川・楠戸家はしまや・民芸屋さん・むらすずめの橘香堂・果物の佐野屋・怪しげな露天のおじさん・・・
 もういくら書いてもきりがないのでここまで。
写真は本町方面から見た倉敷美術館
井上家住宅

 今回、文化審議会が知恩院の本堂と山門を国宝に、大津市の旧伊庭家住宅を始め倉敷の井上家など9件を重要文化財に指定するよう文部科学省に答申していますが。

 その井上家は、江戸時代後期まで倉敷町の役人を務めた特権商人(宮崎屋の屋号を持つ古禄の一軒)でした。
 宝暦3年(1753)に改造されているが、建てられたのは17世紀末とやら。
屋根も壁もはがれていたり傷みが激しいですが見るほどに重厚な風格を感じさせるのは何ででしょうね。

 井上家の側の路地も、その昔荷物を積んだ大八車が轍を軋ませながら通っていたのでしょうか。
倉敷アイビースクェア

 ぼっけぇ〜ええところばぁ〜で〜(大変良い所ばかりですよ)
100年以上前に建てられた倉敷紡績の工場を改装して出来たホテルですよ。
 赤レンガに蔦が絡まってムード満点、蔦のある部屋の窓には明治時代の吹きガラスが其のままに使われていますよ。

 でも、紡績が一番の産業の時代女工さんが働いていたと思うと寂寥たる思いがします。
今はその働いていた人と同じくらいの若い人々の人気のスポットというのも何か割り切れないものがあります。
 熟年の皆さんも一度宿泊されて倉敷の雰囲気をあじわってはどうでしょう。
旧大原邸

 わしゃーこのへんじゃここがぼっけえすきじゃけんのおー(私はこの辺りではここがものすごく好きですよ)

 旧大原邸の母屋は本瓦葺屋根、白壁、倉敷窓、倉敷格子で、200年前そのままに現存していて国の重要文化財。

 前に架かっているのが今橋、美術館を進むと右にあるのが緑御殿で大原家の東邸・有隣荘、論語の「徳は孤ならず隣あり」からつけられたらしい。

 今橋の欄干には児島虎治郎のデザインで龍の線刻が美しい。
説明文だけで面白くないでしょう、反省しています。
今橋と線刻

 大原孝四郎が設立した倉敷紡績を継いだ孫三郎は倉敷絹織(現クラレ)を設立、その後数多くの福祉施設や文化施設を創設しています。(これらについては追々掲載します)

 児島虎治郎は孫三郎の知遇を得て絵の勉強にヨーロッパへ遊学、その時期孫三郎の意を汲みヨーロッパ美術品を買い求め、エルグレコ、ゴーギャン、モネ、マチス等の名品を大原家へもたらします、今の美術館の基になったんですね。

 今橋は以前の橋に替わって大正15年現在の橋に生まれ変わります、石の欄干に刻まれた虎次郎の菊と龍のデザインはこの一帯の風格を更に増している様に思うのは私だけでしょうか・・・
(ここの写真2枚は古い町並みを歩く七ちょめさんからのご好意です)
藤木工務店と中国銀行倉敷本町支店

 倉敷銀行の頭取であった大原孫三郎は各地の地方銀行との合併をすすめ、当時倉敷の本町に第一合同銀行(現中国銀行倉敷本町支店)と名前を改め本店改築を思考する。
 一方藤木工務店は藤木正一が大正9年山本鑑之助工務店の一切を引き継ぎ創設しています。
創業時日本銀行岡山支店を建築し信用を高めます。それを見た大原孫三郎は見事な出来映えに感心し本町の改築を藤木工務店に施工させます。
 その後、大原孫三郎から信用を受けた藤木工務店は大原美術館、今橋を始め有隣荘など美観地区界隈の主だった文化施設、旅館、ホテル、商業施設等など殆どを受注しています。
 この特異なゼネコンの藤木工務店が地方の一都市に自社支店を置いているのが理解頂けたと思います。
 その藤木工務店も今春民事再生(早く言えば倒産のようなものですわ)の手続きを提出していますが・・・
北田証券辺り

 ここら辺りが美観地区の中心ぐらいです、柳並木が倉敷川へ映って少し雨なんかが降っている時は風情が有りますよ。

 倉敷川は美術館前から始まります、今橋、中橋、高砂橋、前神橋、入船橋と続きます。
常夜灯(確か昔はここには有りませんでしたが)が有ったり、雁木や石柱(家の中に水をひき入れる為)等ちょっと見ると見逃す所ですが・・・

 今は、岸から少し低い段が付けられていますね、昔は無かった場所ですが、これも余裕が感じられて良いもんです。

 柳は初冬になると枝を切り取り剪定します。来年観光客の皆様が来られたときに倉敷川とまわりの風情が見やすいようにとの心配りです。
 今は初秋少し繁りすぎていますね。
新渓園

 明治26年建築された新渓園はかつて大原孫三郎の澆花園という別邸でしたが、大正10年に倉敷町に寄贈されたそうです。当時庭の所有者の大原氏の雅号が「新渓」だったという事で「新渓園」と命名されたそうです。

 建物の方は孫三郎氏の雅号が「敬堂」であったので「敬倹堂」と名付けられていました。
私が若い頃はよく研修などに使わせて頂きましたが、現在でも各種研修や会合、茶会などに良く使われているようです。その「敬倹堂」も一部解体、修復されていましたね。

 茶室は「遊心亭」として建て直されています、庭の池や深い木々に囲まれ実に雅美な景観を保っていますね。

 ちょっと見逃す様な場所ですが、美観地区では重要な建物ですよ。
喫茶 エル・グレコ

 散策で少し疲れましたね、少し休みましょうか。
高い天井、どっしりとしたテーブルに坐ってゆ〜っくりと飲むコーヒー・・・あ〜ぁ倉敷に来て良かったなぁ〜と想うひとときです。

 大原総一郎氏の勧めによって、大原家の年貢米を扱う管理会社の社宅を、美術館に寄られたお方の為にと喫茶店になさったのが佐々木浦江さん、彼女は黒田辰秋のテーブルを置くことを条件に開店されたとか、う〜んさすが!。
 蔦に覆われた喫茶エル・グレコは知る人ぞしる観光のスポットです。

 美術館に入ると先ず胸を突かれるほどの感動を覚えるエル・グレコの「受胎告知」聖母マリアの許へイエスの受胎を告げる天使・・・17世紀西洋古典絵画の最高傑作ですね。
古い町並みを歩く

 鶴形山の南に位置するかつての倉敷の町の中心地・・・

  町屋の連なる古い町並みを散策したいなら本町の中国銀行倉敷本町支店から東へ、むかし早島道と呼ばれていた東町筋あたりのはしまや呉服店の楠戸家、くらしきの宿東町までが一番の見所であろう。

 染物屋、畳屋、造り酒屋、駄菓子屋、提灯屋、表具屋、等など今でも営業しているお店の佇まいに江戸期の姿を彷彿とさせます。

 写真に写っている車のある所がくらしきの宿東町です。ちょっと写りが悪かったかな。
くらしき舘、観光案内所

 中橋の所で川はくの字に曲がる、丁度その前にある木造洋館建ての倉敷舘、観光案内所です。
元の倉敷町役場、私が学生だった頃はまだ公益質屋だったですよ。
 この辺りから皆さん民芸館の方へに行ったり中橋を渡って川の左右岸を歩いたりと別れて行く。

 観光舘側から考古舘を背景にして、中橋の太鼓橋の上から写真を撮るのが一番多いところかな、絵になる所ですね。
倉敷考古舘

 倉敷は幕府の直轄地天領として栄え、ここらあたりは物資の集積地だった為、蔵屋敷が多く残っているのです。

 なまこ壁、竪子の塗り込め倉敷窓、瓦の庇、柳、松ノ木、太鼓橋、蔵の直線に橋の曲線、白と黒、色を添える木々の緑・どうですか素晴らしいと思いませんか?。
旅館鶴形

 北田証券前から対岸を望む、倉敷川の岸辺、柳の木、旅館鶴形の厨子二階を体験するのも良いもんですよ。
 旧小山邸(旅館鶴形)は寛永4年(1744)といいますから、大原邸より50年ほど早く建てられたんですね。倉敷の町屋では古いものですから旅館に改造されなければ文化財に選ばれていたでしょうね。
 
 鶴形から右に昔魚を入れていた浜蔵跡の考古舘へと続きます、まずここら辺りが一番の見所でしょう。
大原美術館辺り

 右の塀は大原美術館の塀、向かいの塀が北田証券の塀である。美観地区の中では比較的新しい築80年くらいと思われます。

 表通りへ回る、正面にある株式市況の黒板で現実に戻される。構造改革無くして日本の再生はないのだろうか、痛みに耐え今日の株価は日経平均株価が一時8000円を割り込んだ。バブル崩壊後の最安値だ。

 掘割に浮かぶ小舟、揺らぐ川面、悠々と泳ぐ鯉、懐かしい風景がここには有る。
中橋辺り

 有隣荘から旅館鶴形を過ぎ倉敷考古館まで来ると中橋の所から川は右に向かう、樋門のすぐ前に火の見櫓が見えてくる。

 ここ倉敷考古館も小山家が魚問屋をしていた江戸時代末期に浜蔵として使われていたものです。
 館内の3階まで上がる、暫し足を止め窓からまわりを眺める・・ここから見える倉敷川に中橋、柳の緑、町屋の甍を望む、素晴らしい!なるほど倉敷の美観地区に来たんだなあ〜と言う感慨に浸る・・・と皆さんおっしゃいますよ。
路地

 表道りから路地へ歩を進める。

静寂の中に私はいた・・・
 延々と続く海鼠壁の蔵屋敷裏を曲がり、尚、なお路地へ足を踏み入れる。

焼板を貼った蔵の壁が見える・・暫し時の移ろいのなか懐かしい我が故郷の面影が瞼に浮かんだ。

 急ぐ旅でもない、待ちどうしく思うのはわが心の友・・・
路地 2

 路地へ入る
それは少年の頃女性の秘めやかなところを見た時の好奇心と少しばかりのうしろめたさを感じた時の密やかな想い出を彷彿とする瞬間である。
 町なかの路地はそこに住まう人達の猥雑な息吹を醸し出す不思議な空間・・・
息を潜め通りすぎて行く、その先にあるものは・・さんざめく都会の雑踏・・・
倉敷民芸館

 江戸期幕府の直轄地天領として栄えた倉敷・
年貢米を収める為の土蔵、民芸館はそれだったんですね。

 岡山県民芸協会が母体となって焼物・織物・木工品・漆器・和紙・染物・ガラス・竹細工などなどごく一般に実用として供されていたものを展示する為に昭和23年開館されたそうですよ。
 旧庄屋植田家を大原総一郎氏が寄贈され初代館長の外村吉之助氏により素晴らしい民芸館として生まれ変わったと言います。

 門から続く石畳ふと見上げれば白壁・貼り瓦の土蔵群の眺め、そこには誇り高い倉敷商人の姿が見え隠れする。
日本郷土玩具館

 間口の広い建物ですね、江戸時代に呉服商を営んでいたというこの玩具館。
日本全国から集めたという昔懐かしい玩具を掲示している内部は梁柱の構造がよく解って嬉しいですね。
周辺には備前焼のお店やお土産屋さん等があり多くの観光客で賑わっています。
その後の井上家

 重要文化財に指定を受けて井上家も外壁も漆喰が塗られて綺麗になりました。お隣の白神の荒物屋さんもリニュ−アルされて昔の風情が損なわれています、チョット残念です。

 路地へ入って見ました、絵を描いているグループも見受けられます、まさに絵になる倉敷の路地裏です。


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