童うたの旅

みすずと我が心の旅
 (今日の一葉に掲載していたものです。「おりおりの記」内の金子みすずの詩を先ずお読み下さい。尚この紀行文についてはLULA出版局の各みすずに関する書物及び矢崎節夫先生の講演などから多く引用させて頂いています、その他旅先での仙崎の皆様方にお聞きし参考にさせて頂いた事も添えて感謝しています。)


鯨墓

 私はみすずの心を理解する為彼女の生まれた青海島の通という集落へ向った。

 ここ通は江戸時代初期から明治末期までは捕鯨基地として栄えた集落であった。「一頭捕ると七浦うるう」というほどの財源になったという。

 海の男は鯨の豊漁の宴に酔いながらも心は決して安らぐ事はなかったと・・・他の生命を捕らえ、それと引き換えに生かされている人間の業の深さを。
 鯨への感謝と憐憫の情を忘れる事のなかった漁民達は港を見下ろす向岸寺境内に捕獲された母鯨の解体から出た胎児を手厚く弔い鯨墓を建立したと・・・



 向岸寺には鯨に戒名をつけ位牌と「鯨児過去帳」も残され今でも毎年回向が営まれているという。

                    

 鯨墓には南無阿弥陀仏の下にある印刻には訳文で「鯨としての生命は母鯨とともに終わり、我等の手によって捕らえられたが、我々の目的は、本来おまえたち胎児を捕るつもりはない。むしろ海中に逃がしてやりたいのだ。しかし、汝独りを海に放ってやっても、とても生き得ないのである。どうぞ憐れな子等よ、我々人間とともに人間世界の習慣によって念仏回向の功徳を受け、諸行無常の諦観というか悟りをもってくれる様お願いする」と書かれているそうな。

 鯨法会

鯨法会は春のくれ、 海に魚捕れるころ。

濱のお寺で鳴る鐘が、 ゆれて水面をわたるとき。

村の漁夫が羽織着て、 濱のお寺へいそぐとき。

沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘聞きながら、
死んだ父さま、母さまを、こひし、こひしと泣いてます。

海のおもてを鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。

 
 この様な環境に育ったみすずの精神形成は住民達の命を慈しむ気風によって与えられたものが多々影響されたと思われますね。

 みすずの原点を垣間見たような思いになった所で次回から愈愈みすずの心が詰まった仙崎の町中へ車を走らせましょう。
 



鯨捕り
 気が付けば港湾を逃げ惑う鯨を捕らえ浜へ引き揚げている海の男達の姿を見ていた。

 浜へ引き揚げたその巨大な鯨を村の住民総出で肉、骨、皮、などに解体する姿も見える、そして青い海は解体された鯨の体からの大量の血で紫色に染まっていった・・・ ふと我に返ると通の浜に皐月の陽光が照り返していた。



海の鳴る夜は
冬の夜は、
栗を焼き焼き
聴きました。

むかし、むかしの鯨捕り、
ここの この海、志津が浦。

海は荒海、時季は冬、
風に狂ふは雪の花、
雪と飛び交ふ銛の縄。

岩も礫もむらさきの、
常は水さへむらさきの、
岸さへ朱に染むといふ。

厚いどてらの重ね着で、
舟の舳に見て立って、

鯨弱ればたちまちに、
ぱっと脱ぎすて素っ裸、
さかまく波にをどり込む、
むかし、むかしの漁夫たちー
きいてる胸も
をどります。

いまは鯨はもう寄らぬ、
浦は 貧乏になりました。

海は鳴ります。
冬の夜を、
おはなしすむと、
気がつくとー

 そう言えばここに来る時に寄った海上レストランが紫津浦にあったなぁ。

                 

 村の古老から聞いたお話をどうぞ↓

 紫津浦 ハ百比丘尼伝説
その昔濱の翁が亀を助けた御礼に海の宮殿に招かれた、ふと調理場を覗くと俎板の上に赤ん坊が乗っていた、宴席に運ばれて来た料理は食べる事が出来なくてそれを袂に隠し持ち帰ったと。
 帰って着物を脱ぐ時にその肉を落としたのを娘が見つけた、娘がその肉を食べたところその娘はその後数百年も年をとらずに美しいままだったといいます。その肉は人魚の肉だったと言います。



 一本のナツミカンの木がある。

 心地よい濱風のなか大日比の村落の小路を歩く、一軒のブロック塀に囲まれた家にそれは有った。
程よい高さの木は艶々した青い葉と白い花そして黄金の実を同居させて皐月の陽光に凛と立っていた・・・いや〜今の時期花と果実がついているとは思いませんでしたね。




一昨日歩いた萩の町の土塀からのぞいていた夏蜜柑の白い花が一瞬瞼に蘇った。

 日本海に浮ぶ小さな島、青海島・・
今から約220年前の事、大日比に住む娘、於長さんはある日海岸から名も知らない果実を拾ってきて我が家へ植えたのが現在のナツミカン・・♪名も知らぬ遠き島より流れつく椰子の実一つ〜の世界ですねぇ。

 その西本家は弘化四年(1874)家屋改築の際夏蜜柑を切り倒したそうですが暫くするとその根元から再び芽を出して来て生育したのが現在の原樹だそうですよ。
 (国指定・天然記念物 大日比ナツミカン原樹)

 

お花がちって 実がうれて、
その実が落ちて 葉が落ちて、

それから芽が出て 花がさく

そうして何べんまわったら、
この木はご用がすむかしら。




 その後青海島のナツミカンは全国に広がり、伊予甘、夏甘などに品種改良され私達の嗜好にあって親しまれていますね。
 
仙崎八景

大泊港

山の祭のかえりみち、
・・・
{以下消去}

 と、ここまでUPしていましたら、ウッカリしていました子供達は今夏休みに入っていたんですね。
 そうしましたらこんな詩を思い出しましたよ・・

 こだまでしょうか

「あすぼう」って いうと
「あすぼう」って いう。

「ばか」って いうと
「ばか」って いう。

「もう あすばない」って いうと
「あすばない」って いう。

そうして、 あとで
さみしく なって、

「ごめんね」って いうと
「ごめんね」って いう。

こだまでしょか、
いいえ、だれでも。



王子山
 遊覧船が波浪をたてて通り過ぎて行く、時を経ずして波浪が岸を撫ぜていく・・・
瀬戸を挟んで青海島の王子島が見える。
 


 王子島

公園になるので植えられた、
 桜はみんなか枯れたけど、
伐られた雑木の切株にゃ、
 みんな芽が出た、芽が伸びた。

木の間に光る銀の海、
 わたしの町はそのなかに、
龍宮みたいに浮んでる。

銀の瓦と石垣と、
 夢のようにも、霞んでる。

王子山から町見れば、
 わたしは町が好きになる。

干鰮のにおいもここへは来ない、
 若い芽立ちの香がするばかり。

 まわりの人達が幸せになる事が自らも幸せだと、そしてわが町が好きだと言い切れる人達がいかほどいるでしょうか?・・・みすずはそんな人でした。

 浜の石

浜辺の石は 玉のよう
 みんなまるくて すべっこい

浜辺の石は 飛び魚か、
 投げればさっと 波を切る。

浜辺の石は 唄うたい、
 波といちにち唄ってる。

ひとつ ひとつの浜の石、
 みんなかわいい石だけど、

浜辺の石は偉い石、
 皆して海をかかえてる。

 目から鱗です、小さな石は皆して海を抱えていたんです。

 ひとりひとりは小さな存在だと思っていても世界いや地球をかかえていたんです、わたしは・・・。
 誰一人として役に立たない人はいないんですね。


 



瀬戸の雨
 古老は雁木を降りていった。
周りを見渡し潮の流れを確かめる・・何気ない仕草にも漁師の鋭い感覚が見て取れる。



 瀬戸の雨

ふったり、 やんだり、 小ぬか雨、
 行ったり、 来たり、 渡し舟。
・・・・以下略



 お魚

海の魚はかわいそう。

お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩を貰う。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。

 かわいそうに(私に)食べられるのです・でも私は生きる為に(魚を)食べなければならないのです。
 食事前には「いただきます」と両手を合わしています。

 
 波の橋立
 {削除・・・}



こころ
 今もふるさと仙崎の人々に守られてみすすは生きていました。

家々にはじぶんちで好きなみすずの詩を書いた木札が軒先に庭木の枝に揺れています、いやいやお店にお寺にそして郵便局にも皐月の涼風が揺らしていました。

 みすずの墓所、遍照寺の境内に「こころ」の詩碑がありました。

  

こころ

お母様は おとなで 大きいけれど、
お母様の おこころは 小さい。

だって、お母様はいいました、
小さい わたしで いっぱいだって。

わたしは こどもで 小さいけれど、
小さいわたしの こころは 大きい。

だって、大きい お母様で、
まだ、 いっぱいに ならないで、
いろんなことを おもうから

 みすすは愛児ふーちゃんの事で心が一杯だったのでしょうか・・

西条八十が下関で合った時の記述があります。(書籍から概略にして転載します)

 「夕暮れに下関に下りてみると、プラットホームにそれらしい影は見当たらなかった。時間を持たぬ私は懸命に構内を探しまわった。
 ようやくそこの、ほの暗い一隅に、人目をはばかるように佇んでいる彼女を見出したのであったが、彼女は一見二十二、三歳に見える女性でとりつくろわぬ蓬髪に普段着のまま、背には一、二歳の我が子を背負っていた。
 ・・・ ・・・」以下略

 そのふさえさんは今も関西のほうでご健在であり、時々こちらへお立ち寄りになると「お母様の何倍も長く生きさせて頂いています。お母様は皆様に愛されて幸せです、」と・・
 記念館を守っていられるみすずさんを知っていらっしゃる数少ない女性のお方からお聞きしました。

 記念館で矢崎先生の講演をお聞きしました。先生はこうおっしゃいました。
辛いに横一を加えると幸となります、でもそれに人が沿うと倖になります。他者がしあわせにならないのに自分だけがしあわせである事はないと・・
 「幸せは自己、倖は自他」みすずはそのようにいきていました。

今日は母の日・・言ってみませんか「お母さん私を生んでくれてありがとう」、と・・・

 こころの掲載時が母の日でしたので時期がずれての掲載です、尚みすず保存会のから詩の掲載は十篇程度にとの要請があったとmittuさんから掲示板でお知らせがありましたので今回から既に掲載しているものから削除しますので御了承下さい。



八百屋のお鳩
 仙崎駅から「瀬戸の雨」の詩碑がある海辺までのみすず通りには、みすずの詩碑やゆかりの場所が数多く点在していましたよ。

 あらあら近くのお寺から鳩が飛んで来ましたよ・・・

八百屋のお鳩

 {削除}



私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、 小鳥と、 それから私、
みんなちがって、 みんないい。

 みんなちがって、 みんないい。と言われると私はホッとします。

みんな違ってみんないいのです。人間だけではないのです、動物も植物もです。森羅万象みんな光輝いているのです。




さびしいとき
 漁師町を歩くと矢鱈にお寺が多いのに驚かされる。

 さびしいとき

私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友達は笑うの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
仏さまはさびしいの。

 さびしい時、一人ではないのです、お母様は優しいのです。憂える時に人が寄り添っているじゃあないですか。
 私がさびしいときに、仏さまはさびしいのです・・そうです仏さまもでなく、仏さまはです。
みすずが言いたかった事は仏さまは私と一緒なのです。他人事の様に仏さまもではなかったんですね。



神仏と言いますから当然みすずの詩のなかにも神様が出て来ます。

 蜂と神様

蜂はお花のなかに、
お花はお庭になかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神様のなかに。

そうして、そうして、神様は、

小ちゃなはちのなかに。

 そうです、それを見ている私の心の中に神様はいらっしゃったんですね。

 今、私はみすずの年譜を見ています、ペンネームみすずで童謡を書き始めたのが20歳、死の前年の25歳で絶筆になっていました。「若き童謡詩人の巨星」と言われる所以です。



空の鯉
 「極楽寺のさくら」の石柱が立っているみすずゆかりの極楽寺・・・

 さくらの木

もしも、母さんが叱らなきゃ、
咲いた さくらのあの枝へ、
ちょいと のぼってみたいのよ。

一番目の枝だまでのぼったら、
町がかすみのなかにみえ、
お伽のくにのやうでしょう。

三番目の枝に腰かけて、
お花のなかにつつまれりゃ、
私がお花の姫さまで、
ふしぎな灰でも ふりまいて、
咲かせたやうな、気がしませう。

もしも、誰かが みつけなきゃ、
ちょいと のぼってみたいのよ。


 今は皐月鯉のぼりの季節ですね。

 空の鯉

お池の鯉よ、 なぜ跳ねる。

あの青空を泳いでる、
大きな鯉になりたいか。

大きな鯉は、 今日ばかり、
明日はおろして、 しまわれる。

はかない事をのぞむより、
跳ねて、 あがって、 ふりかえれ。

おまえの池の水底に、
あれはお空のうろこ雲。

おまえも雲の上をゆく、
空の鯉だよ、 知らないか。



 空の鯉は昨年TOPに掲載していた詩です。
皆さんはこの詩を読んでどうお感じになりましたでしょうか。皆様のご感想をお聞かせ下さい。
 



わらい
 みすずの実家跡とお隣の元造り酒屋さんを改造して今年4月11日金子みすず記念館がオープンしました。(今日の一葉に掲載していた時の年代です)

 昭和57年彼女の遺稿集が「三冊の手帳」が見つかります。(その現物を拝見しました)その中には彼女の手書きで優しい筆致の童謡詩512編が綴られているそうです。

 当時を再現した金子文英堂から入り二階に上がるとみすずの部屋には彼女が使っていた文机があります。
       

 中から店を眺めると当時の商家の様子がよく分かります。

                                    

本館には常設展示と、ギャラりー、思いでの原稿などみすずの世界が広がります。



星とたんぽぽ

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だぁまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は目にみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。


長い間ご愛読下さって有難うございました。


わらい

それはきれいな薔薇色で、
芥子つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
大きな花がひらくのよ。

もしも泪がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。

 今回の旅であなたはみすずに合えましたでしょうか・・・何時の日かあなたのなかのみすずに出合って下さることを祈ってお別れです。

 次回からは唱歌を題材にした旅をお届けしようと思っています、しばらくお待ち下さい。





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