そのために。

 打ちっ放しコンクリートの壁をなでて、風が茶色のススキ野原を騒がせるため通り過ぎて行った。
 カチカチと良い音を立てるカッターの刃を出し入れさせながら、ぼんやり物の散乱する所々割れたリノリウムの床を眺める。

 ふらっと家を出て、前から何気なく見ていたここに、カッター一つ持って来た。
 最初に、落ちていたロープをくくって首を吊ろうとした。
 落ちて後ろ頭を打った。
 何か痛いしばかばかしくなって、そのままずっとぼーっと寝転んでた。

 ずっと頭の中がはっきりしない。

 頭を打っても。首を絞めても。

 自分で自分の首を絞めても、意識なくなったら力がゆるむから死ねないらしい。
 やってみたら本当だった。 

 かち、と大きくカッターの音が響いた。
 最大まで出した、さびの浮きかけた刃をひたりと手首にあてる。
 かさぶたがまだの残るそこは、切っても切ってもすぐに血が止まってしまう。
 冷たい、細い感覚がつんと頭の芯に効く。
 包丁やかみそりじゃこんなのは来ない。包丁は大ざっぱすぎるて切れないに決まってるし、かみそりの傷はすぐ治ってしまう。
 つうっと赤い筋がうまれた。
 しぬことにりゆうなんてない。
 生きる理由も死ぬ理由も無いから、境界線で立ったまま。
 失血死しようにも血はそんなに流れてくれず、あたしの元気な血小板はまたかさぶたを作ってしまう。
 フィブリン。トロンビン。フィブリノーゲン。プロトロンビン。
 いつか習った、血を止めるものの名前があたまのなかをうろうろする。
 血友病なら簡単に死ねたかな。 
 カッターの血をぬぐって、壁に背中をあずけた。
  人間の体と意識はきっと別物なんだ。
 あたしが壊したがっても、あたしのいれものは止まってくれない。
 なかみはこわれやすいのに。 

 昔見た血はこんなに綺麗だったっけ?

 何度も死ぬ少女の話を読んだことがある。
 12才の少女はあっけなく死んでいった。
 でもあたしの近くには殺人者も薬もない。
 高い建物や火さえ。
 カッターと切れたロープだけ。
 餓死は時間がかかるし、塩素ガスなんてこんな風通しのいいところじゃまず効かない。
 赤い筋がまたうまれる。 
 割れたリノリウム。草のゆれるおと。
 切れたロープ。其のそばにころがるコンクリート。
 そこの大きな染みはなんだろう。 

昼。

夜。

昼。

よる。

ひる。

よる。

・・・・。

 

    とうとつにわかりました。

    もっとふかく

    えぐるように

    きりおとすように

    ここをきりさけばよいだけなのです。

    こうこついろのあかいものが

    ほらとめどなくあふれます。

ながれる水

とめどなく

 このてをあらわないと。

-

 ああ  そらをとんでる

 

 

 

 

 

 

*−*−*

 

 

 

 

 

 海辺のここは、風がいつも啼いています。
 私は浜辺に居たそうです。このさびたカッターナイフだけを持って。
 私を住まわせてくれている人はいい人です。
 私は自分が誰なのかわかりません。
 でもあの丈の高い草むらを見ると、この小さなカッターナイフを見ていると、何かを思い出せそうです。
 だからほんの少し、この草むらの中で刃を出してみました。

  かち

 赤い筋が、白い手首に、またうまれる。

 

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