砂の明星(アケボシ)


――― ここに記すは 偉大なる都の栄華 そして・・・ ―――

 西暦2000年代後期―――世界は空前の考古学ブームであった。

 2000年の始め頃から叫ばれ続けてきた環境問題。中でも砂漠化問題は、今や人口問題と重なり深刻な問題となっていた。肥大する人口に対し、その居住区となり得る地域はことごとく砂の大地へと姿を変えてゆく。
 そこで、技術革新の末、今や地表の数十パーセントを占めると言われる砂漠地帯の開拓事業が進められてきた。そのうち、ある開拓団が砂漠地帯の地質調査を行なっていた折、偶然にも発見された一枚の石版が事の発端であった。
 考古学界に預けられたその石版に記されていた、模様とも記号ともつかない造形が研究される事幾年、それはついに人々の知り得る言語となって地上に現れた。

―――偉大なる都 バトゥーダよ 永遠なれ―――

 ただの石版ならば、これほど取り沙汰される事は無かっただろう。記された文字にばかり人々の関心は注がれていた。しかし、この石版がもたらした衝撃は、文面よりもむしろ石版そのものにあった。
 その石版の作られた年代は、人類の文化のあけぼのと信じられてきた世界四大文明よりも更に古い。遡ること数千万年前のものだと判断されたのである。人類など誕生してもいないとされる遥か太古の昔に、文字と思われるものを記した石版が作られていた。これが真実ならば、人類史の常識は根底から覆されるであろう。衝撃は、瞬く間に全世界へと広がった。生来の考古学者のみならず、太古の都の響きに魅せられたにわか考古学ファンまでもが、こぞって『伝説の都・バトゥーダ』を話題にした。

 アイシャ・ノイ・スガワもその一人だった。
もっとも、彼女は流行に乗ったにわか考古学者などではなく、幼い頃から古い石や歴史学に興味を示し、現在駆け出しの新米考古学者として活動し始めた人物だった。
 遺跡に秘められた謎の類に目の無い彼女が、この発表に心揺さぶられない筈は無かった。彼女は押しに押して両親を納得させ、意気揚々と石版の発見された砂漠地帯へと向かった。

 そこまでは良かったのだが。

「・・・・・・出口・・・出口どこぉ・・・・・・」
 生まれるよりかなり昔に放送されていた歴史番組を映像記録で見て以来、気に入って揃えたベージュのシャツにキュロットスカート。そしてキャップにブーツという考古学ファッション(と彼女は呼んでいる)に身を包んだ彼女は、身ひとつで重い足取りで砂を踏みしめていた。
 身ひとつで。
彼女の欠点は、その向こう見ずな行動力と、純粋過ぎる性分にあった。本来、この治安も決して良くはない時勢に女一人の旅だと言うだけで、どれほど注意してもし足りない筈なのだが、彼女はまだ見ぬ古(いにしえ)の都にだけ思いを馳せていた。前もって万全に準備していた大きなリュックは、この砂漠地帯で物欲しさの軽犯罪者に騙し取られてしまっていた。
 しかし、それ以上の犯罪に遭わなかったのは彼女をこれまで無事たらしめた悪運の強さのお陰だと言える。荷物を奪われ、そのまま捕まえられまいと必死に逃げていた彼女は、その途中にあった風穴のような穴に滑り込んでしまったのである。彼女自身が意図的に取った行動ではなく、偶然にも滑り落ちてしまったわけだが、結果としてそれ以上の深追いはされなかった。

 しかし、その穴は思った以上に奥まで続いていた。犯罪者達が去ったのを確認して、穴から抜け出そうと試みたが、足元に堆積していた砂に足を滑らせ、そこから更に奥まで落ち込んでしまったのである。そして出口を探してさまよい歩き、薄暗い穴の中、彼女は未だ出口を見出せずにいた。
「・・・わたし・・・・・・こんな所で死んじゃうのかな・・・・・・のど・・・かわいた・・・・・・」
 肩で切り揃えた髪は既にぐちゃぐちゃで、大きな瞳には涙も滲んできている。そして顔と言わず手足と言わず、あちこちに擦り傷が出来てしまっていた。自然に足取りも重くなり、体を支える気力も萎え始めていた。その矢先、
「ひゃっ!?」
 注意力がおろそかになっていた足元が、再び砂に取られてしまった。そこには、更に下へと通じるであろう穴。体勢が崩れる。
「っきゃあああああああーーー・・・・・・」
 暗闇にこだましたのは、砂と衣服が擦れ合う音と、甲高い悲鳴だけだった。

「・・・・・・痛ぁ・・・・・・」
 アイシャは自分にまだ意識のあることに気付き、ゆっくりと体を起こして頭を振った。どうやら『縦穴を落下した』というよりも『緩い斜面を滑り落ちた』という状況らしい。そして幸いにも堆積していた砂がクッションの役割を果たし、大きな怪我を負う事も免れたようだ。
「・・・・・・ここ・・・何処・・・?」
 しかし、状況は良くなったわけではない。今までよりも更にひんやりとした空気がアイシャの身体を取り巻いていた。思わず身震いをして、そっと背後――洞窟の奥を振り返る。そこには、信じられないようなものが存在していた。

 それは、切子ガラスの壁画のように見えた。薄暗い闇の中、洞窟の深部を、岩とは明らかに異なる物質が覆い尽くしていた。岩とは異なるが、その表面は滑らかではない。そこだけ岩の成分が別の物質に変化したようにも見える。アイシャは、赤ん坊が這うようにしてその前まで近付いた。冷たい空気の密度が更に増したように感じられる。
「・・・・・・氷・・・・・・?」
 アイシャが呟くと、その唇から僅かに白い息が漏れた。夢を見ているかのような語調だった。ここは砂漠に出来た洞窟の中である。確かに気温は低いが、ただの氷が溶けもせず原形を留められるとは思えない。しかも、この容量で。アイシャが落ちてしまったこの洞窟の深部は、部屋ひとつ分にしては充分に広いと言えよう。空洞の全てが見渡せたわけではないが、正しい立方体や直方体に整えられているようにも見えない。その空間の、部屋で言えば奥一面を氷壁は埋め尽くしていた。
 氷壁の足元数十センチには、石を積み上げた堰が作られていた。泉か何かであったとも考えられる造形だが、その堰を遥かに越えた位置まで凍り付いているというのもおかしな話だ。アイシャはおそるおそる氷壁に手を伸ばした。触れたその冷たさが僅かに指先を噛む。あるいは何らかの理由で間欠泉のようなものが瞬時に凍りついたのだろうか。
 その時不意に、氷壁に何かが彫り込まれている部分に気付いた。それは、文字のように並んでいたが、文字というよりも記号に近かった。不思議な事に、氷の表面に顔を近づけると、光度が増したようにそれははっきりと見て取れた。冷静に考えれば、ここには地上からの光など殆ど届かない筈であった。それなのに、自分の手足は未だに形を判別できる。信じられないが、この氷壁に何らかの光源があるということだろうか。
「・・・?これ・・・・・・ひょっとして、バトゥーダ文字?」
 アイシャは呟いた。見覚えのあるその形。ブームの発端となった石版に記されていたものに酷似した形。それは、解読された文面に記された名前を取って、『バトゥーダ文字』と仮称されていた。
「・・・・・・読める、かも・・・!」
 洞窟内にその高い声を響かせると、アイシャは胸ポケットから小さなノートを取り出した。リュック本体は騙し取られてしまったが、常に携帯していたこのノートは被害に遭わずに済んだのだ。そっと、目の前の文字を指で辿りながら、ノートと記号とを照合させていく。研究チームによって解明・発表された記号の規則性をメモしていたのである。
「ええと・・・」
 アイシャの唇が、たどたどしく言葉を紡いでいく。
「・・・・・・『ここに・・・肉体を封じし魂を・・・人魔(カーラ)?、と成し・・・封ずる・・・もの、なり・・・。封印を・・・解く、者・・・三度(みたび)の魔力を以って・・・その望みを叶えられ・・・る、ものなり。・・・然るのち、人魔(カーラ)となりし魂、は・・・地の、戒めを、・・・解き・・・放たれるもの、なり』・・・・・・?」
 3行ほどに記された記号は、所々が不明ながらも、その全貌を見せた。一体何の事だろうか。形だけなら、砂漠地方に伝わる物語によく似ている。封印を解かれた精霊が、その者の願いを叶えてくれるというお伽話。空腹の中、賢明に想像をめぐらせ、アイシャはふと薄暗い氷壁の上部を見上げた。

 ただ、氷の壁があるのみだと思っていた。
しかし、見上げた氷壁の中に埋め込まれたような『モノ』をアイシャの目は捉えていた。周りの空気よりも更に冷たいものがアイシャの背中を走る。
 『それ』が一番似ているのは、仰向けに水に浮かぶ人の形だった。仄かに紅く、ゆらめくような光を帯びて。
それを捉え、認識した刹那、目の前の氷壁が音も無く砕けた。いや、瞬時に蒸発したと言うべきだろうか。雪よりも更に細かな氷の粒が、水蒸気のように洞窟内に霧散した。
 視界の全てが真っ白に覆われたところで、アイシャは意識を手放した。

 ―――重罪人め
 ―――愚かな真似を

 ―――罪人(つみびと)よ 汝の罪 汝の穢れし魂は 死して新たに生を受ける事さえ許しがたきもの
     ここに 我らが神 我らが王国の名の下に 汝の肉体と魂を封ずる
     すべては我らが神、我らが王国の為に
     されど 我らが神は無慈悲にあらず
     ここに 汝が魂に一縷の贖罪の機を与える
     汝が魂に 我らが神の 救いの御手の あらん事を

 それは、砂を孕んだ風のような音。

 ざわざわと、すべてを蝕んでいくような。

『・・・おい・・・こら、ガキ。聞こえてたら返事しやがれ』
「・・・・・・ん・・・・・・聞こえて・・・ます・・・・・・ひゃあッ!!?」
 頭上から降ってきた声に、アイシャは素直に返事をしてゆっくりと目を開けた。今までの事はすべて夢だと思えたほどだった。
しかし、夢のような現実はまだ続いていた。
 頭上からかけられた声に、アイシャはてっきり別の調査隊か誰か、最悪犯罪者のような者であったとしても、普通の人間が自分を見つけてくれたのだろうと思っていた。しかし、声の主は『普通の人』とは明らかに違っていた。
 確かにその姿形は人間によく似ている。目はふたつで鼻と口はひとつ。それが顔についていて、首の下に胴と四肢が繋がっている。見た目は何処にでもいる若い男によく似ていた。しかし、その耳の形は丸くなく、細長く尖っている。そしてその髪は、勢いよく燃える炎に似て、赤と言うより橙に近い色だ。更にその皮膚の色は、日に焼けた色と言うよりは、赤銅色に近い。上半身には衣服を纏っておらず、その代わりに胴や両腕、頬にかけて、刺青のような黒い模様が刻まれている。額には細長い金の輪が、四肢と首には鎖の千切れた枷がはめられている。そして何よりも人間とかけ離れていたのは、その身体のすべてが仄かに透けていて、宙に胡座をかいたままアイシャを見下ろしていた事だった。
「だ・・・だだだ誰、ですか・・・・・・?」
 アイシャはその場に座り込んだまま、震える声で『彼』を見上げた。すると彼は、忌々しそうに溜息をついた。
『そりゃ俺が訊きてェんだよ。ここは何処で、俺は何でここにいるのか。目が覚めて見回したらお前しかいなかったんだ。何か知ってんだろ?説明してもらおうか』
「・・・と、言われましても私にも何がなんだか・・・」
 自分はただ、この穴に迷い込んで、氷壁を見つけただけだ。そして、氷壁だけでも驚いていたのに、まさかその中(としか考えられない)から見た事もないものが現れるとは。しかしそんな事情は目の前の彼も解っていないようだ。上からの睨むような視線に、アイシャは思わず地面の方に目を逸らした。
「・・・も、もしかして、あなたが・・・人魔(カーラ)・・・・・・?」
『・・・なんだって?』
「ま、間違ってたらごめんなさい!ええと、順を追って説明するとですね・・・・・・」
 アイシャは必死にこれまでの状況を説明した。目の前に浮かぶ未知の存在に、果たして何処まで信じてもらえるか。それは賭けのようなものだった。
 未知の存在である目の前に浮かぶ彼が、怪訝そうに顔をしかめるのが、不謹慎ながら僅かに滑稽だとアイシャは思った。
『・・・それじゃ何か?俺はここに封印されてて、その・・・お前の?願いを叶えなきゃならないって事になるのか?』
「・・・あ、あくまで推測なんで断言は出来ませんけど・・・っていうか、あなた自身何か知らないんですか?」
『知らねぇから訊いてるんだよ。知らねぇ・・・って言うより、思い出そうとしても頭の中がぼーっとしてて何も出てこねぇ感じだな』
 ぼーっとしている割には悪態だけは大したものだが。第三者がいれば、目の前に現れた人ではない『彼』といつの間にか会話を交わしているアイシャは奇異なものに映るのだろう。しかし、アイシャ自身にとっては、言葉も分かるし声も聞こえる、普通に人と話している感覚そのものだったのである。
 やがて、彼は自分の手のひらや姿を眺め回しながら提案した。
『願いを叶えるなんか・・・何をどうすりゃいいのかさっぱり感覚が掴めねえが・・・おい、さっさと願いっての言ってみろよ』
「と、きゅ、急に言われましても・・・・・・」
『まだるっこしいな、何でもあるだろ願い事くらい。さっさと考えろ』
「え?えーっと・・・・・・」
 半ば脅されながらアイシャが首を捻った瞬間、返事をしたのは彼女の腹の虫の方だった。アイシャは、おそるおそる『彼』を見上げた。
「・・・・・・ひとつめのお願い・・・・・・何か、食べ物と飲み物をください・・・・・・」
 頬を赤らめ、アイシャはこれ以上無い情けない笑顔を見せた。

 『ひとつめの願い』を望まれて、彼は漠然と食べ物と飲み物のイメージを思い浮かべたという。すると、そこに姿を現わしたのは、両手のひらに納まるほどの大きさのパンのようなもの。そして、あっけに取られていたアイシャの前に、蛇口を軽く捻ったほどの水がこぼれ落ちてきた。あっという間に地面が吸い尽くしてしまった水は、仕方なくもう一度現れたものを、改めて手のひらを受け皿にして掬い取った。パンのように見えたものは、アイシャの口にしたことのあるパンよりも硬く、乾燥したものだった。しかし、空腹の限界に来ていたアイシャには、そのような事はさしたる苦にはならなかった。
 パンを齧りながら、アイシャは自分がここに至った経緯を目の前の『彼』に話して聞かせた。同じ物しか出せなかったが、彼女に請われる度にパンと水を交互に出しながら、彼はその話を咀嚼していた。
『・・・・・・それじゃあお前は、そのバトゥーダってのを探して砂漠に来た挙句、まんまと騙されて荷物丸ごとかっぱらわれた、と』
「・・・そんなひどい言い方しないでください・・・」
 改めて他者に要約されると自分の愚かさ加減が誇張されて聞こえる。アイシャはみっつめのパンを齧りながら情けなく彼を見上げた。
『・・・悪運強ェバカガキ・・・』
「ばっ、バカでもガキでも無いですよ!大体、私にはアイシャって名前が・・・」
『あーそうかよ』
 憤るアイシャを、彼はそっぽをむいて受け流した。洞窟には、アイシャの声の余韻だけが響く。『彼』の声は、聞こえはするが、決して反響する事は無かった。
「・・・そう言えば・・・あなたには、名前は無いんですか・・・?」
 手のひらに汲んだ水をゆっくり飲み干してから、アイシャは彼を見上げた。
『名前?・・・・・・さあな、何か思い出そうとしても頭の中がぼんやりしてて何も・・・・・・』
「そうなんですか・・・」
 残念そうに俯くアイシャ。しかし、彼の言葉は続いていた。
『・・・いや・・・・・・サン・・・・・・サンドラ・・・・・・』 
「・・・サンドラ?」
『・・・・・・そうだ・・・俺の名は、サンドラで・・・・・・、俺は、捕らえられて、ここに連れて来られて・・・』
「思い出したんですか?」
 自分ごとのように顔を輝かせてアイシャは振り仰いだ。何も分からないからとにかく情報が欲しいという意味では、自分事に違いないのかもしれないが。
『俺は、罪人・・・、で・・・、処刑される代わりに、ここで、裁きを受けて・・・・・・人魔(カーラ)に・・・』
「ざ、罪人?」
 アイシャの顔がにわかに曇る。
『駄目だ、思い出せるのはここまでだ』
 彼――サンドラは息を吐いた。
「・・・さ、サンドラさん、・・・わ、悪い人だったんですか・・・・・・?」
 気付けば数歩後ずさっているアイシャから言葉がかかる。
 『罪人』。確かにそう呼ばれた記憶はあるが、何故か自分がそうだという感覚がサンドラには無かった。おそらくは思い出せない記憶の所為だろう。それなのに、先程までとは明らかに違う怯えた目でこちらを見るアイシャが滑稽にさえ見えた。
『馬ァー鹿。心配しなくても、俺はお前に触れる事も出来ねぇし、妙な力だって、どうやら願いを叶える以外には微塵も使えねぇようだ。安心しろ』
 乱暴に言って、サンドラはアイシャの頭に腕を素通りさせてみせた。
「で、でも、ひとつめの願いを叶えて記憶が戻ったんだから、この先願いを叶える度に色々思い出すんじゃないんですか・・・?」
 今はその自覚が無くても、やがてすべてを思い出してしまったら。しかし、サンドラの答えは軽いものだった。
『その心配も必要無いと思うぜ』
「ど、どうしてですか?」
『・・・お前が自分で解読したんだろ?『願いを叶え終わったら地の戒めを解き放たれる』。つまり、この世からいなくなるって事じゃねぇのか?』
「で、でも・・・」
『そんなに心配なら、3つ目の願いで俺のいないところまで移動させてもらうなりなんなりすりゃいいだろ』
「あ・・・そ、そうか。・・・サンドラさん、頭いい・・・」
『お前の知恵が足りねェだけだ。さぁ、とっととこんな狭苦しいトコ出ちまおうぜ』
 願いはそれからだ、とサンドラは宙に立ち上がる。自分が何の罪を犯したのかさえ思い出せないが、自身が処刑された場所に長く居座るほど無神経ではなかったらしい。
『・・・どうした?』
 立ち上がろうとしないアイシャをサンドラは振り返る。彼女はまた情けない笑顔を作った。
「ごめんなさいさっきからずっと腰が抜けてて・・・」
 彼女が立ち上がれるようになるまで、数分を要したという。

「教授、これを・・・」
「風穴ですかね・・・調査してみますか?」
 年若の助手が、彼に声をかけてきた。その先には砂の割れ目に開いた穴の入口が見えた。彼――フロード・D・ベルネは、探究心旺盛な助手を軽くなだめた。
「いや、危険な生物の巣などであっては危ない。少し様子を見よう」
 彼らは、考古学界では名の知れた調査団であった。現在、砂漠地帯の調査を行なっている。その目的は勿論、幻の都・バトゥーダであった。合計5名ほどの、ごく小規模の調査隊ではあるが、その経歴は考古学界ではトップレベルのチームであった。彼らは現在、砂に僅かに残された足跡が、ひとつの穴で途切れているのを発見していた。
 すると、穴の中からかすかな音が聞こえてきた。
「い、今のは?」
「人の声みたいに聞こえましたが・・・」
「まさか、中に人が?」
 メンバーはどよめき、顔を見合わせた。直後、穴の中から細い腕が覗き、それに引き摺られるようにして一人の若い娘が顔を出した。そして、娘と穴との隙間から、赤い軌跡のようなものが滑り出てきて、宙に停滞した。
「・・・まぶし・・・・・・でも、地上だぁ――・・・」
『・・・本気で自力で登りやがった。さっさと願いを使えば一瞬だったろうによ』
「だって、おかしな事思い出されたら怖いじゃないですか。それに、登れない高さでもなかったし」
 穴から完全に這い出た娘は、宙に浮かぶ人の形に似た不可思議な存在と会話しているようだった。娘の言葉は理解出来るが、宙に浮かんだその存在が何を話しているか、彼らにはまったく理解出来なかった。
「・・・あれ?だ、誰かいたんですか・・・」
 そして娘はやっと穴の周囲にいた人々の存在を目に留めた。彼らは揃って信じられないものを見る目で彼女を見つめていた。
「き、君は・・・?いや、それよりもそこにいる、それは一体・・・?」
 メンバーの中で、おそらくもっとも平常心を残していられたと思われるフロードは、おそるおそる娘――アイシャに尋ねた。アイシャは一瞬きょとんとしたが、目の前にいる人物の顔を認めると、途端に声をあげた。
「も、もしかして、ベルネ教授・・・?」
「私を知っているのかね」
「も、勿論です!!わ、私、アイシャといいます。アイシャ・ノイ・スガワです!」
 お会い出来て光栄ですと、一気に詰め寄るアイシャ。一方宙に浮かんだ得体の知れない者――サンドラには、当然の事ながら、何故彼女がそれほど興奮するのかが判らなかった。そして、不思議な事にアイシャの言葉は聞き取れても、穴の外にいた彼らの言葉はまったく判らない。フロードに、一体何があったのかとたしなめられ、アイシャはようやくそのいきさつを話して聞かせた。

「・・・なるほど・・・。にわかには信じ難い事だが、実際にこうして目にしているのだから、信じざるを得ないな・・・」
 アイシャの説明を受けて、フロードは僅かに自身の口髭を撫でた。サンドラという名のその精霊(と呼んで良いだろう)は、人の背丈ほどの高さにいて、何を言うでもなくこちらを見ている。仮に言葉が理解出来たとしても、その存在は奇異に映ったであろう。
 砂の地平線に巨大な夕日が沈もうとしていた。フロードは考えるように片手を口元に添えていたが、やがて、アイシャに一つの提案を示した。
「・・・アイシャ君と言ったかね。どうやら君と我々の目的は同じのようだ。しかし君も、荷物が奪われたとあってはこの先大変だろう。もうすぐ日も暮れる。どうだね、もし君さえ良ければ、我々に同行しては」
「い、いいんですか!?」
 アイシャにはまたとない申し出だった。助け舟を出され、しかもその相手は自身の尊敬する人物である。アイシャは砂埃だらけの顔の大きな瞳を輝かせた。短く揃えた灰銀の髪の教授は、眼鏡の奥に柔らかい笑みを見せた。
「勿論だとも。君のように新鋭考古学者の研究というのも刺激になるだろうから、是非聞きたいものだ」
「こ、光栄です!ありがとうございます!!」
 勢いよく深々と頭を下げるアイシャを、サンドラは何も言わず見つめていた。

 砂漠の夜は、一気に気温が下がる。しかしそんなものは人魔(カーラ)に何の関係も無い。大型のジープを隣に据えたキャンプの天幕から僅かに離れた岩場の上に、サンドラはいた。アイシャは今頃天幕の中で熱心に教授と話し込んでいるだろう。だが、会話の内容が聞き取れたところでサンドラには判らないことばかりだ。それよりも、物珍しげに自分を眺めてくる割に決して近付こうとしない、教授の助手の視線が煩わしくて、彼は天幕から離れていた。外にある金属の獣のようなものも、彼にとってはいい思いのするものではなかった。
 彼は思い出していた。途切れ途切れに浮かび上がる、アイシャには語らなかった記憶を――。

 音が聞こえる。

 人々のざわめく音。
 人と獣が列を成して砂を踏む音。
 背中では擦れ遭い、足元では砂をからめて引き摺る鎖の音。
 そして、自分の繰り返す荒い息の音。

 ――重罪人め
 ――愚かな真似を

 道の左右にたむろする見物人が、そう自分を罵った。

 自分は今、裁きを受ける為に連行されている。―――何故裁きを受ける?
 自分は重罪人であるから。死よりも重い罰を受ける。―――何の罪を犯した?

 歩みを止めて、自分が何か叫んでいる。 聞こえない、音。
 直後、首から身体が前につんのめって、倒れた。
 首枷から伸びた鎖の先は、目の前を歩く巨大な獣に繋がっていた。
 こちらが歩みを止めた事などお構い無しに歩くそれは、振り返りもせず自分を引き摺り倒した。
 反射的につこうとした手は、後ろ手に幾重にも鎖が絡められ、動かす事もままならない。
 足元の鎖は歩ける程度の長さしかない。

 ――口を慎め。
 ――さっさと立て。

 左右に列を作る、前を行くものよりもひと回り小さな獣に乗った者達が、剥き出しの背中を棒で殴る。
 砂と日差しを避ける為のターバンと長衣は、鎖をかける前に引き剥がされていた。
 容赦の無い太陽の光は、剥き出しになった上半身を絶え間無く射続けている。
 裸足の足を運ぶ度、熱を含んだ砂が噛み付いてきた。

 獣に乗って進む者たちは、揃って目だけの見える頭巾と丈長の衣を身に纏っていた。
 その後ろには、水音を鳴らす瓶(かめ)が吊るされている。
 その一滴でも口にしたいと幾度と無く思った。
 けれど、瓶にはしっかりと蓋がなされ、わずかに聞こえる水音だけがもどかしかった。

 巨大なアーチをくぐると、見物人の声が嘆きの声に変わった。

 ――かわいそうに
 ――なんと酷い

 獣と獣の隙間から、見知った姿が手に顔を埋めているのが見えた。

 やがて、嘆きの声さえ聞こえなくなる。

 どれだけの距離を歩かされただろう。
 ようやく隊列が止まり、獣を降りた者たちは、獣の代わりに鎖を引いて、自分を暗闇へと導いていく。
 暗い坂道を経て辿り着いた開けた空間。
 灯りが点され、正面に作られた浅い堰の中に瓶の水が次々と静かに注がれてゆく。

 ――罪人よ・・・

 頭巾の一人がひざまずいた自分に向かって言葉を発する。
 数人が押さえつけていたが、もう抗う力など残っていない。
 しぼり出そうとした声さえ、喉の奥で乾き、音にならない。

 ――汝の魂を人魔(カーラ)の器に封ずる
    我らが神の慈悲あらば、汝は人魔(カーラ)という器を以って
    贖罪と転生の機を得るであろう。
    汝が魂に 我らが神の 救いの御手の あらん事を

 無理矢理引き起こされた頭に嵌められた金冠。
 胸に刻まれた炎の烙印。

 灼けた石にも似た、痛み。
 血液さえも沸騰するかのような熱が、全身を駆けた。

 地面に倒れこんだと思った。
 けれど、体が地に触れた感覚は無く。

 そこから先、動いたのは意識だけ。
 視界は闇になり、周囲からあらゆる音が消えた。

 自分は今、どちらを向いているのか、何処にいるのか
 生きているのか、死んでしまったのか。
 何も、わからない。

 ただ、何かが自分の存在を『そこ』に捕らえて放さなかった。

 何処にいるのか分からないまま、誰に助けを求める事も出来ないまま、どれほどの時間が流れたのだろう。

 やがて、ふわり、と体が浮かび上がる感覚があった。
 体など、もう無くなってしまったと思ったのに。
 ふわり、ふわり、と、このまま何処までも昇ってゆけるのだろうかと思った。

 けれど、すぐに周囲を取り巻いた冷たい靄(もや)が、浮遊感を途中に押し留める。
 そして、少しずつ意識さえも覆い尽くしてゆく。

 ただ、真っ白に。

 ここに、いる
 ここに、いる
 ここに、いる

 ここに・・・・・・・・・

 白い靄は、まだ晴れない。

「見つけましたっ」
 不意に、下から声が聞こえた。
 見れば、ケープを羽織ったアイシャが手を振って、岩場に足をかけ登って来始めていた。見ている方がひやひやするような危なっかしい登攀だったが、手を貸したところで触れられなければ意味は無い。サンドラは、せめて落ちるなと願うだけだった。
 やがて、無事に登り終えたアイシャは、岩場の頂に腰掛けた。天幕の中で手当てをされたのだろうか、擦り傷だらけだったその頬や手足には湿布のようなものがいくつも貼られていた。
『・・・何話してたんだ?』
「教授とバトゥーダについての予測を話し合ってたんです。聞いてください教授ってすごいんですよ―・・・」 
 彼女の口から溢れ出したのは、著名な教授の経歴や功績、研究のテーマなどだった。自分が考古学の道に進もうと決意したのは、彼の影響による所が大きいと、彼女は得意満面に話し、サンドラは、数割方意味の分からない単語の話をひたすら聞かされる羽目になり、話題を振らなければ良かったと半ば後悔した。と同時に、聞く限りアイシャたちはかなり高度な文明を持っていることが伺えた。そんな彼らが、何故古臭い遺跡などに躍起になるのかが彼には解らなかった。
「・・・サンドラさんは、こんな所で何してたんですか?」
 ようやく話す材料が尽きたのか、自身の話をやめて、アイシャはサンドラに尋ねた。
『・・・昔の事、思い出してた』
「記憶、戻ったんですか!?」
『中途半端にな』
「そうですか・・・」
 アイシャの口調がやけに残念そうに感じられた。
『極悪人の記憶が戻られちゃまずいんじゃなかったのか?』
 昼間の反応との違いに、皮肉めいた言葉で返す。すると、アイシャは自分の膝に視線を逸らした。
「それなんですけど・・・・・・ごめんなさい」
『・・・どうして謝る?』
 彼女は空を振り仰いだ。砂漠に夜空を邪魔する光は何も無い。文字通り無数に散らばる星が、闇色を埋め尽くすほどだった。
「・・・教授に言われたんです。『法の裁きによるものだけが真実とは限らないよ』って」
 たとえばパンを盗んだ者。食わせなければ飢えて死ぬ子供がいたのだとしたら?
 たとえば盗みを働いた者。元々不当に奪われた物を取り返したのだとしたら?
 罪という事実が消える事は無いけれど、人そのものをそれだけで測る事は出来ない、と。
「・・・だから、本当の事が解るまではサンドラさんを悪人とは決め付けない事にしたんです」
 アイシャは改めてサンドラを見た。しかし、彼の反応はぞんざいだった。
『・・・本当の事が解ってからじゃ遅い事もあるぜ』
「もう、私がせっかく考えを改めようとしてたのに、どうしてそうひねくれた方向に持っていくんですか?」
 アイシャが呆れたように憤る。
『じゃあひねくれた人間だったんだろうよ。俺は逆に、どうやったらそこまでバカ正直にモノが考えられるのかが不思議だがな』
「だから、バカって言わないでくださいって・・・」
『大体、どうせ3つの願いを聞いたらこの世からおさらばなんだ。今更自分がどんな人間だったか解ったところで土産話にもならないだろ』
 アイシャを遮って、サンドラは言葉を続けた。そう、今はそもそも死に至るまでの猶予期間のようなものだ。罪を悔い改めさせたいなら記憶ぐらい残しておけば良いのにと、誰に向けるでもない皮肉が脳裏を過ぎった。
「・・・でも・・・」
『・・・・・・?』
 やや間を置いて、アイシャはぽつりと呟いた。
「でも、自分のこと誤解したまま消えちゃうなんて、悲しいですよ」
『誤解じゃないかもしれないだろ』
「でも誤解かもしれません」
『・・・どういう根拠で?』
 譲らないアイシャに、意地悪く返す。彼女はゆっくりと言葉を繋いだ。
「だって・・・、サンドラさんは私を助けてくれたじゃないですか。パンだって、水だって。あそこでサンドラさんに会わずに何も食べられなかったら、私はきっと今頃ここにはいませんよ」
 そうして、有り難そうに微笑む。
『・・・それは、俺が人魔(カーラ)でお前がその願いを叶えられる資格を持ってたからだろ。『義務』と『親切』は別物だ』
 極めて理想論的なアイシャの理論に対して、サンドラはやはり現実的にしか事実を捉えられなかった。アイシャは何も返せなくなり、沈黙を作る。どうやら話題を打ち切った方がいいらしい。結果的には勝者なのに、沈み込んだ目の前の娘を見るにつけ、サンドラは罪悪感にも似た感覚にとらわれ、息を吐いた。
『・・・ま、何だっていいさ。願いはあとふたつ。決めるのはお前だ。好きに考えて好きな願いに使ってくれ』
 そうすれば俺に文句は無い、と空を見上げたサンドラが、アイシャには何故か悲しげに感じられた。
 ちょうど会話が途切れた頃、再び下から声がかかった。見ればベルネ教授の助手の一人で、アイシャにもう休むようにと促してきた。またしても危なっかしい足さばきでアイシャは岩場を降り始めた。岩場から顔だけ見える位置に来て、彼女は一言呟いた。
「・・・私は、いい人だと思ってますからね」
『あーそうかよ』
 返って来た言葉はやはりそっけなく。降り終えて、アイシャが振り仰いだ岩場の突端に、闇の中燃える灯火(ともしび)のような赤い影がいつまでも佇んでいた。

 勝手な約束。勝手な望み。
 けれど、叶えたいと、人は必死にそれを願う。
 
 誰の、ために。

 *

 翌日も、太陽は変わらず砂の大地を照らし始めた。
 テントを片付け、アイシャはベルネ教授らのジープに同乗した。サンドラは、それよりも高い位置をついていくとだけ言って、ひらりと宙を舞った。彼の視点から見ても、一面の砂漠に終わりは無く、見渡す限り岩場が点在するだけの不毛の大地が横たわっているようにしか見えなかった。いくら便利な移動手段があるとは言え、そんなところに意気揚々と足を踏み入れるとは。彼にはやはり『考古学者』という生業が奇妙なものに思われた。
 灼熱の太陽が、砂の果てに陽炎を作る。その熱さえも、人魔(カーラ)という存在をすり抜けていった。

「・・・・・・ダメですね、エンジンを調べてみないと」
 太陽が空の頂(いただき)からいくらか傾いた頃、アイシャたちのジープは砂の中の岩場のようにそこから動かなくなってしまった。ハンドルを持っていた助手が何度もキーを捻るが、一向にエンジンは音を立てない。
「・・・捨て置くしかないか・・・」
「いえ、足場が足場です。少し調整してみます。先に進んでください、直り次第追いつきますから」
 そうして、助手のうち2名が残り、必要な荷物だけを手に、徒歩での行軍となった。

「ひゃあっ!!」
 ゆっくりと傾きながらも、太陽は足元を熱し続ける。休憩を挟みながらしばらく歩いていくと、唐突にアイシャが前につんのめって砂上に転んだ。あの洞窟にアイシャが迷い込んだ過程を聞き及んでいたサンドラは、よく転ぶガキだと上空で悪態をついた。
「アイシャ君?大丈夫かね」
 隣を歩いていたフロードが手を伸ばす。
「いたた・・・だ、大丈夫です、ごめんなさい・・・」
 手を借りて立ち上がったアイシャの顔は砂まみれで、彼女は急いでそれを拭った。
「一体何につまづいて・・・・・・石・・・?」
 フロードがアイシャの足元に目を遣ると、砂の色とあまり変わらない白い石がそこに落ちていた。アイシャはそれに目を留めると、怒りに任せて放り投げようと腰をかがめた。
「もーっ、こんな所に落ちてるんじゃ・・・・・・あ、あれ?」
 ところが、拾い上げようとした石はびくともしなかった。
「どうしたんだね?」
「・・・これ・・・ただの石じゃない・・・・・・ずっと、下まで続いて・・・」
 石を掘り起こすように、アイシャの両手が周囲の砂を払いのけた。しかし、その石が砂から離れる事は無かった。
「大きめの石じゃないんですか?」
 助手の一人が覗き込んでくる。アイシャはしばらく砂を掘り下げた。しかし、いつまでたっても石の全容は現れる気配が無い。それだけではない。自然に転がり、風化した石ならば、もっといびつな形である筈だ。しかしその石は、アイシャがつまづいた部分から下に掘り下げるにつれて、円や楕円、円柱状の形が積み重なったような、明らかに人為的な造形を見せていったのである。
「まさか・・・・・・」
 フロードは呟くと、助手を促して、アイシャと共に砂を掻き分ける作業に入った。何ものにも触れる事の出来ないサンドラは、合計4人が砂を掘る作業をただ傍観するしかなかった。
 人の手で掘り下げられる砂の量など、この一面の砂漠から見ればたかが知れている。おまけに砂は、土とは違う。何の湿気も帯びないそれは、掘り返した先から崩れ、労働量の何割かは無駄と言っていい作業になった。しかし、それでも明らかになった事がある。一向に全容を現わさないその石は、おそらくまだはるか下まで続いているだろう事。そしてその材質は、石とも粘土とも取れる奇妙な物質であるという事。
「・・・・・・バトゥーダ・・・・・・?」
 アイシャが額から落ちる汗もそのままに呟いた。過去に存在したと思われる物質の殆どは、現在の考古学で解明されている。しかし、かつて発見されたバトゥーダの石版の材質だけは未だ解明されていない。その色や質感は、この砂に埋もれたままの棒状の石によく似ていた。
「・・・もしもこれが、尖塔か何かの突端だとしたら、・・・・・・まさか、ここら一面すべて・・・?」
 助手の一人が周囲を見渡す。あるのは果てしない砂の地平線のみである。
「この砂の海の中にバトゥーダがあると言うのかね?」
「確信は無いですけど・・・・・・でも、可能性はあると思いませんか?」
 アイシャの仮説は、あまりに壮大だった。しかし、同じ夢を抱く者にとっては事実であって欲しい仮説だ。
「で、でも、こんな膨大な砂をどうやって・・・」
 もう一人の助手が言った。砂漠を掘り起こすのは困難な作業であった。先ほど素手で行なったものを、機械で行なったとしても結果は同じである。確かにいつかは成し遂げられるであろうが、果てしなく気の長い作業となるのは必至だ。助手の一人が溜息をつく。
「・・・魔法のひとつでも使えればな・・・」
「魔法・・・・・・そうだ、サンドラさん!」
 アイシャは頭上を振り仰いだ。まるで空気に色が付いたかのように、そこに浮遊する存在に。
「ふたつめのお願いです。ここら一帯の砂だけを払いのける事はできますか?」
 小柄な体が両手を広げて指し示すのは、広大な砂の海。
『・・・また盛大な頼みだな・・・。やってみなけりゃ分からねぇが、・・・いいのか?それがふたつめで』
「はい!!」
 アイシャの声は希望に満ちていた。裏切る事が後ろめたくなるようなその視線に、たとえ遺跡の類が見つからなくとも願いの内容だけは実行される事を祈った。

 見渡す限りの砂の海。これを掘り返す、いや、吹き飛ばせばいい。必要なものは・・・風だ。風を起こして砂を舞い上げればいい。その周りもまた砂でしかないのだから、何処に迷惑がかかる事もない。願いを叶える為の魔力のようなものは、どうやら願いを叶える為に思い描いたものを現実に起こす事が出来るらしい。サンドラが心に思い描くと、大気がゆらめき、突如として竜巻のような風が巻き起こった。アイシャたちは自身をかくまい、思わず目を閉じた。目の前で砂嵐が起こる轟音が轟く。ぱちぱちと雨のように砂の礫(つぶて)が体を打つ。やがて静寂に返りそっと目を開けると、アイシャたちの目の前に信じられない光景が広がっていた。

 彼は走っていた。
 迷路のような回廊を、ただひとつの目的地を求めて。

 外観しか見たことの無い巨大な建物の中、道を探し出す為に、人に刃を向けた事もあった。
 罪だと知っていた。それでもなお。

 やがて、巨大な扉が目の前に立ち塞がった。
 息を呑み、ゆっくりと扉を開く――。

 そこは、からっぽに見えた。
 正面の台座には、細長い棺。
 それ以外には何も無い、ただ空虚な世界。
 すべてを、無へと還すような。

 背後から、複数の足音が駆け寄ってきた。

 ――そこを動くな!

 空虚な世界に、罵声だけが響いて。

 巨大なすり鉢状の穴――と言えばいいのだろうか。目の前に広がっていた砂の地平線は大きく抉れ、隕石が落ちて出来たクレーターのような大穴を作り出していた。実際には巻き起こった竜巻が砂を払いのけた結果であるが。しかしただの大穴ならば、これほど呆然と見続ける事はなかっただろう。そこには、大穴の底から生えてくるような、巨大な建築物が佇んでいたのである。
 それは、不思議な光景だった。先ほど掘り返した石――と思われた造形物を、そのまま巨大化させたようにも見える。幾重にも突き出た塔は、円形や楕円形の積み木を積み上げたような形を成して、幾何学的な印象さえ与えている。その間や周辺に細い柱が立ち並び、楕円の円周に窓らしき穴が幾つもくり抜かれている。彩色された部分は見られなかったが、黒味がかって見える部分にはおそらく彫刻が施されているのだろう。

「・・・・・・これは・・・・・・」
 そこにいる誰もが息を飲む中、やっとの思いで声を絞り出したのはフロードだった。まさに夢を見ているような光景だった。これまで発掘されてきた遺跡の中で、これほどまでに美しい原形を留めているものは無いと言えるだろう。下部こそ砂の中に埋もれたままだが、姿を現わしている部分は殆ど崩れている形跡が無い。吹き飛ばされた砂の余韻が降り積もってはいるが、そのようなものは物の数には入らない。見事なまでに、そこにひとつの都が現れていたのだ。
「・・・・・・すご・・・い・・・・・・」
『・・・バトゥー・・・ダ・・・・・・』
「サンドラさん?」
 アイシャは宙に浮かぶ紅い影を見上げた。彼の視線もまた、砂上に現れた都に釘付けになっている。
『これだ・・・・・・、間違いない、これは、バトゥーダの王宮だ・・・・・・』 
 俺は、ここにいた、と、その人魔(カーラ)は呟いた。

 その穴の側面にロープが降ろされた。近くの小さな岩場に繋ぎ、どうにか足りる程度の長さだった。助手の二人は、そこに日陰を立ててロープを見張ることになった。
 アイシャとフロードはゆっくりとロープを伝い、そっと遺跡に足をつけた。

 そこは、遺跡の中でも上層に位置する部分だった。そこから下へと進んでいく。床や壁には砂の残骸が降り積もっており、歩けばざりざりと音を立て、そっと壁面に触れれば、そこからぽろぽろと砂が崩れた。やがて、姿を現わしている部分の最下層まで辿り着いたが、そこから先は砂に埋もれたままで、立ち入る事を許されなかった。
「この巨大な建物すべてを飲み込むほど広範囲に及ぶ地盤沈下・・・あるいは地殻変動でも起きたと言うのか・・・?」
「そこに、長い年月をかけて覆い隠すくらいの砂が降り積もったということですね・・・」
「そう考えるのが妥当だろうな」
「・・・でも、いくら砂の中だったとは言え、これだけの年月が経ってるのにほとんど風化していないなんて、このレンガ、一体何で作られてるんでしょうね」
 しかも、近くで見ればこの遺跡にはレンガの継ぎ目というものがほとんど見られない。建物と言うからには、それなりの大きさのレンガを積み上げて造られたものだと予測されるが、ここにはその形跡は無い。まるで、一枚岩をくり抜いて作られたような滑らかな壁面だった。
「・・・すべてをゼロから調べなければならないだろうな」
 アイシャに返すフロードの言葉は、考古学者らしい歓びに溢れたものだった。
「やりましたね、教授」
「まったくだ。アイシャ君、君のお陰だ。感謝するよ」
「そんな・・・」
 アイシャもまた、嬉しいのだ。彼女の感情表現はとても分かりやすい。
「場所が場所でなければ、上で待つもの達もつれて来られたのだがな。・・・さあ、次の部屋も調査してみよう」
 考古学者という2人の人種は、本当に嬉しそうに遺跡を巡っていた。決して感謝されたかったわけではない。サンドラにとっては願いを叶えた事を歓ばれようが歓ばれまいがどちらでも構わなかった。彼にはむしろ、脳裏を埋め尽くすように蘇る記憶だけが気にかかるばかりだった。

 巨大な扉がそびえていた。ゆっくりと押すと砂の擦れる音に混じってじわじわと開いてゆく。
大広間のような場所だった。はるかな上座には階段状の足場が見え、その頂上に大きな直方体の箱のようなものが見える。部屋の左右には、城壁のように凹凸の造形が施された台座が続いている。更に外側にはくり抜かれたように深く大きな溝が作られており、そっと覗き込むと例によって、砂が堆積していた。
「・・・ここは・・・?」
 周囲を見渡しながらアイシャが呟いた。他の部屋と同じように、足を踏み入れると砂の擦れる音がする。フロードはゆっくりと上座に近付き、箱の蓋に手をかけてみる。きらびやかな紋様の彫刻の施されたそれは、重い音を立てて動いた。しかしそこには何も無く、ただ、砂のようなものが堆積しているだけだった。
「これは、一体・・・」
『・・・王墓だ・・・』
 フロードの呟きを受けたわけでもなく、サンドラが続けた。彼の中に蘇った記憶の一欠片。
「王墓?」
 サンドラの近くにいたアイシャが見上げる。宙に浮かぶ人魔(カーラ)は目を合わせることなく、ただ周囲を見渡していた。一方、アイシャの言葉を聞いたフロードは、彼なりの仮説を立て始める。
「・・・そうか、棺はこの特殊なレンガで造られているからこうして原形を留めているが、中にあったであろう、・・・おそらく王の遺体はすっかり無くなってしまったというわけか」
 それほどまでに長い年月を経て蘇った王宮。しかも、あり得ないほどの造形を留めたまま。フロードは呟く。
「素晴らしい・・・何もかもが考古学界を震わす大発見だ・・・」
「・・・サンドラさん、何でここが王墓だって・・・?」
 一方アイシャは、人魔(カーラ)の記憶が気になるのか、彼を見上げたままであった。
『・・・俺は・・・ここで・・・』
 ここに、来た。 
 ―――何の為に?
 ―――誰の、為に?
 陽炎のような人影。去って行く足音。
 呼び止めたいのに、その名前が、思い出せなくて。
「・・・サンドラさん?」
『うるせぇな、何か用・・・・・・!?』
 我に返り、声の主を振り返ろうとした時だった。

 その背後に、直線上のその先に、真っ直ぐにこちらに腕を伸ばした人影を見た。

 人影が手にしている黒い金属らしき塊が何であるか、サンドラが知るはずも無かった。
 けれど、彼はその『目』を知っていた。―――危険な、ものだと。

『退けろ!!』
「へっ!?」
 突然浴びせられた大声に、アイシャは反射的にびくりと体を震わせた。刹那。

 背後から恐ろしい速さの『何か』が、アイシャの頬と髪を掠めた。
 実体を持たない人魔(カーラ)の足元をすり抜け、『それ』は弾けるような音を立てて壁面の一箇所に衝突した。
 やがて、重力に任せて『それ』は―――1発の銃弾は、音も無く砂の敷き詰められた床に落下した。

 驚いた事に、壁面には何の傷も見当たらなかった。アイシャは、掠められた自分の頬にそっと指を当てる。わずかにぬるりとした感触と熱が指に絡みついた。指を濡らしたのは、赤い液体。宙に浮かぶ人魔(カーラ)は、信じられないような目で、自分の背後を睨んでいる。アイシャは、ゆっくりと振り返った。

 振り返った先に――王の棺らしき箱の載せられた壇上には、一人の男が立っているだけだった。よく知った顔。よく知った姿。つい先ほどまで見ていた姿といくらも違わない人影。ただひとつ違うとすれば、その手に構えられた銃口が、真っ直ぐにこちらを見据えている事だけだった。そして、彼は変わらない優しい口調のままこう言った。
「おや、アイシャ君。避けてもらっては困るよ。遺跡に傷が付いてしまうじゃないか」
 もっとも、その心配は杞憂だったようだが、と笑う。共に来ないかと微笑んだ時そのままに。
「きょう・・・じゅ・・・?」
 アイシャは、その人の名前を思い出すように言葉を繋いだ。その人に間違いないはずだ。それなのに、何かが決定的に違う。
「・・・なんの、冗談です・・・?」
 そうだ、冗談だ。かすかな笑い声さえ含んで、アイシャは尋ねた。返された言葉は教え諭すような。けれど、決して理解の出来ないもので。
「冗談でこんな真似は出来ないよ。いいかい、よく考えてみたまえ。この『バトゥーダの発見』は、今世紀最大の偉業だと言えよう。では、それを成し遂げたのは?そう、君だ。人魔(カーラ)とかいう未知の存在を連れた君がいなければ、この砂に埋もれた遺跡は発見されなかった。君が見つけたと言っても決して過言ではない。しかし、それでは君は何だ?・・・残念ながら君は、まだ実績も何も無い新米考古学者に過ぎない。・・・そんな君に先を越されたとあっては、他の研究者たちの誇りはどうなる?」
 口調はあくまで穏やかだった。けれど、アイシャには何も解らなかった。声が聞こえないわけではない。理解出来ない言葉でもない。ただ、感情でだけ、理解出来なかった。相手の言葉が代返してくれる。アイシャが言葉に出来ない答えを。
「そう、彼らのプライドは踏み躙られたも同然だ。・・・・・・判るね?」
「・・・で、でも・・・」
 やっと声がせり上がって来た。けれど、その先に続く言葉はまだ胸の奥から上がってこない。やがて、相手の口調は僅かに変化した。
「・・・ここまで言っても判らないのかい?・・・『私が』バトゥーダ発見の報告を持ち帰る為に、君の存在は邪魔なんだよ」
 はっきりとした語調が広い室内に響いた。アイシャは、体すべてが鼓膜になったように感じた。一方、アイシャ以外の言葉を聞き取れないサンドラは、逆に唯一言葉の判るアイシャが一言も発さない事にもどかしさを覚えていた。
『・・・おい、あの男、何話してるんだ』
 その声さえも、アイシャに届いただろうか知れない。立ち尽くしたまま、彼女は言葉を発さない。
「心配せずとも苦しませずに送ってあげよう。・・・そうだな、助手の一人がその台座に登って調査をしているうちに足を滑らせ、不運にもその向こうの大穴に落下して命を落とした。・・・不慮の事故だったのだよ」
 左右に並ぶ凸面に目を遣って、フロードは微笑んだ。信じられないくらい穏やかな笑顔で。
 アイシャは、冷静に考えようとしていた。しかし、頭の中で渦を巻く様々な思いはいつまで経ってもその流れを止めようとしない。理論的な言葉なんて出て来ない。出て来る筈が無い。彼女はやがて、ただ一言だけ、銃口に向かって言った。
「・・・・・・嫌です」
「・・・君はもっと物分かりのいい子だと思っていたよ」
 銃口が改めて一人の娘に向けられた。その腕に、無慈悲な力を込めて。
 それが何を意味するのか、この遺跡と同じ時を経た人魔(カーラ)――サンドラには解らなかった。
 ただ、彼はその『目』を知っていた。
 それは、あの日薄暗い洞窟で彼を見つめた幾つもの目。
 自分たちが正しいとだけ信じ、それに抗う者を間違いだと決め付けた目。

『アイシャ!!』

 叫んだ言葉は聞こえたのだろうか。

 激しい破裂音が聞こえた。高い天井に反響し、幾重にも響く。
 ゆっくりと、小柄な体が砂の上に倒れる音が聞こえた。

 けれど、彼女の願いの声は、聞こえなかった。

 仰向けに倒れた彼女の下から、赤い影が這い出してくるように見えた。動くものはそれだけだった。
『・・・アイ、シャ・・・?』
 肩までの髪がぺっとりと頬に貼り付いて、表情が見えない。赤い影はゆっくりと砂の中に染み込んでゆく。
「・・・言い忘れていたね。・・・確かに罪人と悪人が同義とは限らない。しかし、後世の人間は『記録』が真実でしかないのだよ」
 棺の前で、一人の男が言った。こんな時でさえ、相手が何を言っているのか解らない。解らない方が良かったのかも知れない。どれだけ怒りを覚えたところで、この人魔(カーラ)の姿では何をすることも出来ない。――ただ、今は動かない彼女の言葉が無ければ。
 男が階段をゆっくりと降りてくる。ざり、ざり、と砂を踏む音が、可笑しいくらいに響き渡る。
 その時、ぐらりと遺跡が揺れた。
『・・・?』
「な・・・何だ!?」
 震動は、ゆっくりと、しかし確実に規模を増してゆく。サンドラにさえ、大気が震えるのが解った。
「一体・・・何が・・・!」
 やがて誰の目にも確実に、そこが『危険』だと解るほどになった。継ぎ目など見えなかった遺跡内のあらゆる箇所に亀裂が生まれ、生まれた先から崩れ落ち始めたのだ。
「・・・・・・くッ!」
 男は、流石にその身の危険を悟ったのだろう。倒れた娘とその傍にいた人魔(カーラ)などに目もくれず、巨大な扉を抜けてその姿をくらました。
『・・・・・・血の・・・穢れ・・・・・・?』
 サンドラは、足元に倒れたままの彼女を見た。
 バトゥーダは、血を絶対的な穢れとした。そして、その栄華を具現化した王宮を形作る物質は、他のあらゆる物質よりも硬い強度と、生成の過程における変幻自在さを持っていた。しかしただ唯一、人の体を流れる血液との反応によってのみ、致命的に脆く、弱くなるものだった。

 崩壊は止まらない。一枚岩で出来たようなそれは、ただ一箇所に生まれた血によって雪崩式にあらゆる箇所の崩壊を招いたのだ。
「・・・・・・ンド・・・さん・・・・・・も・・・逃げ・・・」
 不意に、崩れ落ちる轟音の中、今にも掻き消えそうな声をサンドラの耳が捉えた。
『アイシャ!!』
 生きていた。無事とは言いがたいが、確かにその目と唇は動きを見せた。
『馬鹿野郎!!どこまでドンくさけりゃ気が済む!何の為の人魔(カーラ)だと思ってんだ!!』
 口を突いて出たのは罵りだった。あの時助かるように願ってくれれば、出来ることもあったのに。彼女は何も言おうとはしなかった。
『今ならまだ間に合う、最後の願いを使え。そうすりゃどうにか生き残れる筈だ!』
 好きに考え、好きに使えと言ったのに。必死に促している自分は、さぞ滑稽なのだろう。けれど、彼女が紡いだのは願いではなく。
「・・・でも・・・そした、ら・・・・・・サンド・・・・・・・さん、が・・・・・・」
 消えてしまうから。
 だから願わなかったと言うのだろうか。
 信じられないほどの。
『・・・やかましい!!このままあの世で俺と再会したくなけりゃ、今ここで願いを使いやがれこのバカガキ!!』
 こんな時にも、何も出来ない。叫ぶことしか。
 こんな時にも――― ・・・そう、あの時も。
「・・・・・・っぁ・・・・・・」
 横たわるアイシャの唇が動いた瞬間と、部屋の天井が崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

 耳元でさらさらと鳴る音に、彼女はうっすらと目を開けた。体は、動く。ただ、砂が邪魔をしているだけ。
服からこぼれ落ちる砂もそのままに、彼女はその上半身を起こした。腰から下は、砂に埋もれたままだった。
辺りを見回す。薄暗く、ほのかに冷気がまとわりつく。見えるものは一面の砂。所々に突き刺さったような岩場。
 不意に彼女は一点に目を凝らした。それだけではない。わずか数歩の先に、砂にも岩にも見えないものを、見つけたから。

 都という名の船は、滅亡へとその舵を取っていた。
 甲板で、羅針盤を見ることも無く宴に酔いしれる王と貴族たち。
 それさえも見せてもらえず、船底でただ舵を取らされる平民たち。

 船の辿り着く先は、船上の誰にも見えない。


 彼は、そこに立っていた。広い広い、大広間のような巨大な部屋。
 正面にある壇上には王の棺。部屋の左右に造られた凹凸の台座と巨大な穴。
 それ以外には何も無い。長衣姿の自身の影以外。
「ここは・・・・・・」
 彼は知っていた。ここは、王の眠る場所。
 そして、―――彼女の眠る場所。
 あの時の、光景。

 ―――重罪人め
 ―――王の墓を暴こうなどと
 ―――愚かな真似を

 ―――ふざけるな!!俺が罪人なら王は何だ!!
     王が俺たちに何をしてくれた!!
     何故あのような王の為に、村の者が犠牲にならねばならない!!

 それは、誰にも届かない最後の叫び。

 酒色に溺れた王だったという。
 晩年になって、自分の墓への殉死者として、千の姫を集めよという、気の触れたような法令を出した。

 『姫』が望みなら、肥え太った貴族の娘をいくらでもあてがってやればいい。
 しかし、金と権力を持て余す彼らが、そのような法に甘んじる筈が無い。
 王の命令に背けば死罪。それよりも、王のもとでの権力を手放すのが怖かった彼らは、王都の外に暮らす極貧の村の娘たちを次々と、自分たちの身代わりとして連れて行った。
 彼らにとってはした金でしかない数枚の金貨と引き換えに。
 愛しい者と、ようやく結ばれた女。
 年端もいかない幼い少女。
 果ては、子を宿した身重の者さえも、城外から消えていった。

 男たちは反抗した。
 年老いた者たちはひたすらに世を嘆いた。
 嘆きの声は、あの巨大な宮殿に届くことなく。

 やがて、国王崩御の報は国中に広まった。

 それが、知る限りのバトゥーダの姿。

『・・・サンドラ・・・』
 名前を呼ぶ声が聞こえた。懐かしささえ感じる声。何よりも聴きたかった声。
「・・・・・・サーニャ・・・・・・?」
 振り返ると、台座の上に一人の娘の姿があった。ヴェールに覆われた長い黒髪。
 日に焼けた肌に、微笑んだのは最愛の面影。
「サーニャ・・・・・・」
 やっと呼べた名前。微笑んで頷くその名の持ち主。
 駆け寄りたい。けれど、足は重く。
 やっと、辿り着いた場所。やっと、見つけたその人。
 いつも見下ろしていた笑顔が、見上げなければ見えない。
 そっと、腕を回して彼女を抱いた。その華奢な体が、消えてしまわないように、そっと。
 同じ感触。同じ体温。あの日どれだけ名を叫び、手を伸ばしても届かなかったその人。
『・・・・・・サンドラ・・・・・・』
「ごめん・・・・・・、ごめんな・・・・・・」
 殉死させられた娘たちは、鎖で繋がれ、生き埋めにされたと聞いた。
 怖かっただろう。苦しかっただろう。
 それなのに、傍にいてさえやれなかった自分。
 せめて、亡骸だけは生まれた大地に還してやりたかった。
 たとえ、それが大罪と呼ばれる行為であったとしても。
 自分勝手な、約束。
 死んでもいい覚悟でここまで来た。 それなのに。
 足りなかった力。届かなかった腕。叶えられなかった望み。
 どんな顔で彼女を見ればいい。分からなくて。顔を上げられなくて。ただ、繰り返すだけの言葉。
『でも・・・あなたは来てくれた。・・・探してくれた・・・』
 やわらかく降って来る言葉。細い腕が、優しく抱き寄せ、髪を撫でた。
 本当なら、逆でなければならなかったのに。
 本当なら、もっと早く。
『嬉しかったよ・・・・・・だから、もう充分だよ・・・』
 見上げると、その微笑みは、幼い子をあやす母のようで。
「サーニャ・・・」
 自分は、泣いていたのだろうか。幼子のように。
 離したくないから。もう二度と、一人にさせたくないから。
『・・・ねぇ、サンドラ・・・』
 彼女は、そっと抱きしめていた腕をほどいた。
 それは、拒絶ではなく、優しさ。
『・・・あなたの鎖は、外れたんだよ・・・?』
 陽炎のように、霞み始める姿。微笑みは、最後の時まで、綺麗で。
 動かしたい腕も、足も、思うように動いてくれない。
「サーニャ・・・!・・・・・・サーニャ!!」
 呼ぶ声だけが、高い高い天井に響き。

「待っ・・・・・・!!」
 立ち塞がる壁が一瞬で消えたかのように、勢い良く体が前に動いたと思った。
 直後、額が割れるような衝撃と、鈍い音が同時に起こった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
思わず地に手をつく。音と衝撃の余韻が薄れ始めてようやく、彼は自分が起き上がり、そのまま何かに額をぶつけた事を理解した。
「・・・・・・・・・サンドラさん・・・起きる時は、起きるって・・・・・・」
「・・・っこのバカガキ!!どこまで人にメーワクかけりゃ・・・・・・」
 すぐ隣でうめく声の主に、搾り出すように憤る。一人しか知らない、子供のように高い声。
「・・・・・・・って・・・・・・」
 しかし、相手の姿を確認する前に、自分の姿に気付いた。ぶつけた額を抑える腕は、日に焼けた浅黒いもの。頬にかかる髪は黒く。体の紋様と四肢の鎖、そして額の金冠は消え、代わりに長衣を身に着け、ターバンを巻いている。砂に埋もれたままの足元には、サンダルの感覚がある。そして何よりも、額をぶつけ、痛覚があり、周囲一帯の砂の感覚がこんなにも生々しい。
「・・・俺の・・・・・・体・・・・・・」
「そうなんですよ、サンドラさん、人魔(カーラ)じゃなくなってるんです!!私も、最初は夢だと思って・・・」
 傍らの女――アイシャが驚きを含んだ、けれども笑顔で覗き込んでくる。彼――サンドラは、確かに目の前で倒れていた筈のアイシャが平気で話していることに、素直に驚いていた。
「・・・お前も・・・生きてんのか?」
「そ、そうですよ。ホラ、傷口も無くなってて・・・、で、でも服は破れたままなんですけど」
 風穴の開いた血だらけの服という、一種猟奇的な姿だったが、それを身につけ説明する彼女自身は何処も変わらなかった。
「お前・・・最後に、何願ったんだ・・・?」
 サンドラには、願いを聞き届けた瞬間の記憶は無かった。しかしこうして助かって言葉を交わしているからには、何らかの願いがあって、それを叶えたという事だ。だが、問い詰められたアイシャは、
「え、えー―っと・・・・・・」
 急に言葉を濁らせ、視線を逸らせた。
「何だよ言えよ。ホントにまだるっこしい奴だな!!」
 思わず声が荒くなる。姿は既に人魔(カーラ)ではなくなっていたが、本来この世から消えるはずだったであろう自分がこうしてここにいる理由を知らずにはいられない。
 やがて、アイシャはぽつりぽつりと小声で言葉を繋ぎ始めた。
「・・・とっ、とにかく・・・助かりたい、とは思ったんですよ。で、でも・・・私だけ助かって、サンドラさんが・・・消えちゃうなんて、やだと思ったから・・・その・・・・・・」
 声はどんどん小さくなっていく。そして、最後には語尾の消え入りそうな声で、彼女は言った。

 「――サンドラさんと、生きたい、って・・・」

 サンドラは絶句した。目を見開いて、視線を逸らせて気まずそうにしているアイシャを見据えたまま。頭の中はきっとしばらく真っ白だったのだろう。
「そ、その後は、私も覚えてなくって、その・・・気がついたら、ここで目が覚めて、すぐ近くに、サンドラさんも倒れてて、その、近付いてみたら、人魔(カーラ)じゃなくなってて、えーと、息してるみたいだったから、呼びかけてたら、その・・・・・・」
 サンドラが急に体を起こして、覗き込んでいた額を勢い良くぶつけたと。
「・・・・・・信じられねぇ・・・」
「そ、そうですよね、まさか、私もこんな願い事が・・・」
「じゃなくて、お前が」
「ハイ?」
 きょとんとするアイシャに、笑いさえ漏れる。
「ホントに悪運だけで生きてるような女だな・・・」
「・・・・・・あ、それってバカにしてますね?それくらい私だって・・・・・・」
 あるいは、本当に信じられなかったのは。

 サンドラは、砂を払って立ち上がった。手に感じるものは砂ばかりだったけれど。
やがて、薄暗かった世界が一斉に赤い光に包まれていく。世界を染め上げるのは、地平線から昇り始めた丸い光。砂の地平のなだらかな稜線が、光を浴びてはっきりとその陰影を現わしてゆく。
 砂の中に現れた、幻のような古(いにしえ)の都。今はもう砂へと還り、その面影さえ見えない。朝日を浴びればさぞ映えただろうに。
「・・・キレイさっぱり無くなっちまったな」
「そうですね・・・」
 アイシャもゆっくりと立ち上がる。見渡す限り何も無い世界。影だけが、朝日につれて少しずつ形を変える。
「どうするんだ」
 サンドラは呟いた。それに答えるのはたった一人。
 無謀にも砂漠の世界に飛び込んで、今こうしてここに立つ彼女は何を得たのだろうか。
「・・・・・・バトゥーダは見つけられなかったって事にします」
 その声は、意外にも明るく。
「いいのか」
「どうせ、これから先どれだけ探しても見つけようがありませんし」
 そう言って、彼女は笑った。それは、屈託など何も無い笑顔。だから、
「それもそうだ」
 同じように、笑みが漏れた。
「でも・・・・・・あったんですよね」
「・・・そうだな」
 そこに確かに在ったもの。形が消えて、なお残るもの。
 たとえ、この光に照らされなくても。

「・・・さて、と。おい、この砂漠を出たら普通の土地があるのか?」
「え?・・・は、はい、あります、けど・・・」
 唐突に頭ひとつ高い所から尋ねられ、アイシャは反射的に飛び上がった。隣に立つ男は、伸びをしながら続けた。
「じゃ、案内は任せたからな」
「へ?」
「へ?じゃねぇよ。いいか、俺はバトゥーダにいたんだぞ?あれから何千年経ってるか知らねぇが、この時代の地理なんて解らねぇんだからな」
 人魔(カーラ)の時とは違う、耳の奥に響いて残る声。けれど、変わらない口の悪い言葉。
「で、でも地図も無いですよ!?ほ、方角だって・・・」
「太陽昇ってんだろ?だったらあっちが東だ。それとも何か?この時代は太陽の昇る方角まで変わっちまってんのか?」
「あ、そ、そっか・・・」
 やっぱり何処か抜けてるなと悪態をつきながら歩き始める。彼はふと思い出したように振り返った。
「・・・あと、お前の悪運はまだ残ってるんだろうな?」
「た、多分・・・」
 アイシャは首を捻りながら答え、サンドラの影を追った。朝日の昇る方向へ。



 陽は昇る。 幾度の夜を隔てても。

 変わることなく。 何度でも。

  〜Fin.〜


●やっとこさあとがき●

 
ウソッパチです。あり得ません。信じないでください(誰も信じません)。

■執筆後(あるいは読後)、思わずひとっ風呂浴びたくなるめくるめく砂の世界の話。
 まず書きたかったのは、魔法のランプ系の『3つの願い』モノ。
 それだけじゃありきたりなので色々テイスト加えたらこんなブツに成り果てました。
 でも期せずして『遺跡』ネタも書けたので良し。イメージとして『陸の●トランティス』みたいな。
 時差としても多分その辺・・・『有史以前にあったかもしれない文化』ってヤツで。
 こーゆーロマンは好きです。言うほど詳しくないけど(苦笑)。
 でも作品はイメージ最優先です。色々(かいつまんで)調べた割に結局イメージで書く奴(屍)。
 だって数千万年前の砂に埋まった人骨がどうなるかなんてデータ出て来ないべ・・・。
 まだ大陸が動いてた頃ですよ、ええ・・・。

■登場人物は・・・作者的には過去ラヴァーさえ書ければそれで(笑)。
 あり得ない長さの時差ボケラヴァー(ひどい)のその後は御自由にご想像ください。
 つーか、甘かったらごめんなさい。他人の基準が分からない・・・。
 んで、もう一人のあの人は・・・万が一期待してた人ごめんなさい(汗)。
 でも、いい意味で(?)裏切れたら作者的初の試みは成功です。
 ホントはこーゆーの書きたくなかったんですけどね・・・人生冒険です。(まとめ)

■そんなこんなでアラだらけのブツですが、俺にはもう直しようがありません。
 こんなトコまで読んでくださったヒト、アナタは神様です。

 読んでくださったすべての人ありがとうございました・・・。

2003.初夏 まさかこんなに長くなるとは高月天 拝

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