第6回松山市「坊ちゃん文学賞」応募作品

小説『アカシヤの伝説』

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ここまでの物語のあらすじ

  1974年の広島市、主人公の薬師堂 誠(通称ヤクシ)は多感な高校2年生。

 舟入高校男子バレーボール部に所属し、日々猛練習に明け暮れていた。当時は

 全国的なバレーボールブームの中、とりわけバレーの盛んな広島、その中でも

 この年の舟入高校には潜在能力を持った個性的な選手たちがたまたま集まって

 きていた。バレー部監督のスケイチ(松本介一)は、今一つパッとしないそんな

 チームの秘めた可能性に賭け勝負に出る。「バレーを続ける者は頭を坊主に丸め

 て来い」と大胆な坊主宣言を行う。このことによりバレー部員たちは大揺れに揺れる。

 ヤクシは何とか事態を収拾しようと走り回るがまとまらない。2人の退部者を出し、

 渋々ながら全員坊主頭となりバレー部は再出発する。 気落ちした選手たちの心とは

 裏腹にスケイチの思惑通り、チームは連戦連勝快進撃を続け、遂に名門修徳高校を

 倒して広島県一位となりインターハイ出場を勝ち取る。

   一方、ヤクシは中学時代から同級生の中原美樹に長年片想いしている。そんな中

 同じクラスの大森雪子は、堂々とヤクシに愛を打ち明ける。そういう雪子を羨ましく思い

 ながら、相変らず美樹に気持ちを伝えられないでいるヤクシ・・・・・

   人類史上初の原子爆弾投下にも耐えて生き残った被爆アカシヤは、校庭の片隅で

 そんな若者たちを静かに見下ろしていた。作者自身の高校時代をモチーフに、多感な

 若者たちを描いた汗と涙と青春の物語り・・・・

   (「つかさまことのホームページ」の連載の方から先にお読み下さい。)

     

           プロローグ

 広島は美しい町です。

東西と北をなだらかな山に囲まれた、あまり広くも無い三角州(デ

ルタ)の中を六本もの川が走り、瀬戸内海に流れ注いでいます。

 満潮の時には、その六本の川が満々と水を湛え、まるで水に浮

いた都市のように見えるのです。 

 街は緑にあふれ、往来には昔懐かしいチンチン電車が行き交い、

公園では子供たちが鳩と戯れる・・・・

 実に平和らしい、今や平和のシンボルとなったこの街ですが、

それはまた、五十年前の人類史上未曾有の原子爆弾投下という惨

禍から負けずに立ち上がった広島市民のエネルギーを垣間見る思

いでもあります。

 さて、その広島市の西南、江波の港の手前に位置するのがわが

母校舟入高校なのです。舟入高校は、戦前は広島市立高等女学校

といい、あの運命の一九四五年八月六日、学徒動員で爆心地近く

に建物疎開作業に出ていた市立高女の女生徒六七九人が被爆、全

滅したという悲しい歴史をもっています。 

爆心地から2キロメートル程度の距離なので、現在の舟入高校、

当時の市立高女も当然壊滅状態だったらしいのですが、その中で奇

跡的に残ったのがプールとアカシヤの樹々だったと言われています。

七十五年は草木も生えぬと言われたが、翌年の春には、焼けて丸裸

になったこの木の枝から、ポツリ、またポツリと緑の芽が吹き出し

てきた、草木でさえ生きているのだ、我々人間だって必ず生き抜い

ていけると思った・・・という話を教師から高校時代何度も何度も

聞いたものでした。

 その命を吹き返したアカシヤは、夏ともなれば枝一杯に緑葉を賑

わせながら、グラウンドの片隅から、若者たちの成長を幾世代も幾

世代もじっと見守ってきたのです。被爆の後遺症か、年老いて脇腹

をつっかい棒で支えられながら、今を去ること二十数年前、一九七

四年の夏にも、確かにグラウンドから僕たちを見降ろしておりました。

                1

 ぼんやりとした意識の中で、遠くに何やら人の声が聞こえる。女

の声のようだ。まったく騒々しい、それにひどく眩しいじゃないか。

 昨夜も遅くまで起きて久しぶりに日記を延々十数ページも書いた

りしてクタクタだった。せっかくの二日続きの休校だっていうのに

朝っぱらから一体どうしたと言うのだろう。

 今日は国鉄がストやってて学校休みだから、昼過ぎまで寝かして

おいてくれって言っておいたはずなのに。

「なんだよもう、うるさいなあ」

「起きなさい、それがね、ストは昨夜の内に中止になったのよ」

「ええっ、ストが中止?それじゃあ今日授業あるんじゃないか」

 あわててベッドから飛び出して居間の柱時計を見ると、時計の針

はもう7時十五分を回っていた。完全に目が覚めてしまった。

「どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだよお」

 寝坊すると、必ず朝一番におふくろに文句を言うのが俺の悪い癖

なのだ。

「いい加減にしなさい!さっきからずっと起こしてるのに、あなたが

起きないんじゃないの」

 まったく何てことだ。国鉄は昨日から二十四時間ストで完全に止

まっていて、労使の折衝も、夜七時の段階では物別れに終わってい

た。深夜十一時のニュースでもまだ解決していないとのことだった。

これならもう一日は休みになるなと確信して、夜更かししてしまっ

たというのに。

 俺たちの舟入高校では、国鉄ストの時には始発時までに全面解決

の場合は、当日の授業は平常通り行われることに決まっている。こ

ういう深夜皆が寝静まった後での急遽解決というのが、我々にと

っては一番困る訳だ。

 そして、それにもまして俺の気持ちを焦らせるのは、舟入高校の

「早朝登校制度」というものの存在だった。

 「早朝登校制度」とは、始業時間に一分でも遅刻すると、翌日か

らは始業時間より三十分も早く登校しなくてはならないという制度

なのである。

 詳しく言えば、朝八時半のショート・ホームルーム開始の時に

一分でも遅刻すると、翌日から一週間続けて朝八時までに学校に来

て、生活指導委員の先生の確認スタンプを受けなくてはならない。

もし途中一日でも遅れようものなら、またゼロからのスタートとな

り、七日連続できるまで延々と続く。

 始業時間を厳守し、遅刻者の安易さを曖昧にしないという制度の

趣旨はよく判るのだが、問題はそのやり方なのだ。八時半のチャイ

ムが鳴り渡ると門が閉まり、横の狭いくぐり戸から一人一人中へ入

れてチェックし、有無を言わせず翌日から早朝登校を強制される。

まったく懲罰的な感じなのだ。もっと生徒の自主性を尊重して反省

を促すといった方法は取れないものだろうか。

 どうもこの学校には、生徒のことなのにすべて教師のほうが勝手

に決め、実行するという旧式な体質がある。

もっと生徒を信頼することは出来ないのだろうか・・・などと顔を

洗いながら考えている間にもう七時三十分になってしまった。

 どんなことがあっても朝飯だけは抜かしたことが無いという俺な

のに、食パンを半分かじって大急ぎで服を着替え家を飛び出した。

急がないとまた早朝登校だ。

あーあ、朝だけはもっと悠長にいきたいものだ

          2

 停留所には丁度バスが入るところだった。

俺は慌てて、全速力で駆けて閉まる寸前の扉を押し開けてバスに飛

び乗ろうとした。

と、その瞬間、バスとは反対の方向から小走りにやってきた黒の制

服を着た女の子と目が合った。

 驚いたことには、それは何と、わが愛しの中原美樹だったのだ。

彼女も気づいて微笑んだように俺には見えた。俺に向かって「おは

よう」と声をかけたいが言えないといった顔をしていたように俺に

は思えたのだが、考え過ぎだろうか。

 彼女も俺に続いてバスに飛び乗った。

こういうチャンスは逃してはいけない、まるで映画にでも出てくる

ようなチャンスはまたと無いのだから、何が何でもものにしなけれ

ば・・・と心では思いながら、今、中原美樹の顔を見た瞬間から体

はコチンコチンで、バスに飛び乗る一瞬のことでもあるし、また例

の如く・・・ああ全くなんて嫌な性格なんだろう、例の如く彼女な

んて全く眼中に無いという素振りで気付かないふりをして黙りを決

めてしまったのだ。それで結局朝の挨拶をする機会を失ってしまった。

彼女もどちらかと言うと俺と似たような性格で、こちらから話し

かければ目を輝かせていくらでも話すのだが、話しかける機会を逸

してしまったりすると、やはり男なんか眼中に無いといった素振り

をする。お互いよく知っているし親しく話したこともあるのだが、

今朝は何となくこういう形になってしまった。

 本当に俺のこういう性格には自分の事ながらほとほと参ってしま

う。これが相手が男だったらどうということも無いのだが、こと女

の子、それも中原美樹となると、意識しすぎるあまりわざと気づか

ないふりをしてしまう。

 中原美樹は丁度俺の目の前五十センチの所で、吊革にぶら下がっ

てこちらに横顔を向けて立っていた。

 今、俺のすぐ近くにある彼女の顔、それは何て美しいのだろう。

中原美樹・・・・この名前が今までどれほど俺を悩ませ苦しめてき

たことだろうか。彼女はバスが今来た道を一キロほど戻ったところ

にある新興住宅団地に住んでいる。俺と彼女とは、同じ中学校の卒

業生である。中学一年の九月に彼女は東京から転校して来たのだった。

 その時には別に気にも止めなかった。とってもおとなしそうな子だ

った。しかし、日が経つにつれて彼女は目立ち始めた。授業中実に

活発なのだ。

 先生の質問に対していつも率先して手を上げて、指名されるとき

ちんと答えた。彼女が目立つのには半月も必要なかった。頭が良く

て勉強が出来た。その癖、転校早々卓球部に入部しスポーツも万能

のようだった。でも、お茶目とか騒ぎ過ぎといった感じは無くて、

何となく都会的に洗練された感じでスマートだった。しかし、どこ

となくツーンとお高くとまった雰囲気もあって、クラスの人気者と

いうタイプとも違っていた。

 二学期も終わりの頃だっただろうか、彼女を意識し始めた自分に

気がついたのは。俺は授業中彼女の方ばかり見ていて、時々ふと彼

女が俺の視線に気づいてこっちを見ると、慌てて目をそらせた。

 ともかくこの頃になると、寝ても覚めても頭は一日中彼女のこと

で一杯で、授業中、休憩時間、放課後、と、視界に彼女が入るとき

はその姿に熱い眼差しを向けた。完全に彼女の虜だった。

この時から俺は一方的に恋に落ちた。そう、あくまで一方的な所が

話の味噌ではあるが・・・それ以来、片思いがずっと続いている。

 彼女とは中学の後の2年間は同じクラスではなかった。

そして高校受験。当然ここで別れ別れとなり、俺の幼い恋も終わりを

告げるはずであった。ところが何たる運命か、彼女と同じ高校に合格

してしまったのだ。三年間同じ高校に通える・・・このときどれほど嬉し

かったことか。

 そんな訳で中学一年の三学期から高校二年の今日まで、寝てる時を

除いてひとときたりとも忘れたことが無いほど彼女にぞっこんなのだ。

昨夜も十ページ以上も募る彼女への思いを日記に書きなぐって疲れ

果てて寝たのだった。

 ・・・・その俺の心を狂おしいまでにかきむしる彼女は今、目の前にいる。

あの目、何て美しい澄んだ瞳をしているんだろう。

まるで涙で潤んでいるかのような、しかもとても寂しそうな瞳。

ふんわりとした濃い艶のある清らかな黒髪も綺麗に分けていて、丁寧に

櫛を通してきたあとがはっきりと残っていた。

そしてあの吊革を握っている左手、何てすべすべとした柔らかそうな白い

手をしているんだろう。

 ・・・・俺は前にあの白い手を思い切り握ったことがある。

 中学三年になる春休み、中一のときのクラス有志で県北の三段峡に

ハイキングに行った時のことだ。誰かがラブテスターという当時流行っていた

おもちゃを持って来ていて、俺は彼女とそれをやる羽目になった。男女が一方の

手で手を握り合い、もう片方の手はそれぞれ電極を持ち、スイッチを入れる。

テスターの針が大きく振れれば相性がいいという、今考えれば何とも子供だまし

の機械だった。

俺はすべての想いを込めて、(この手を通じて俺の想いよ、君の心へ響け!)と、

力一杯彼女の手を握り締めた。

 ところがラブテスターの振幅を示す針はほとんど動かなかった。はち切れんば

かりの、この胸の想いに反して。

そんなこともあった。

・・・・あの横顔、なんて色白で透きとおった肌をしているのだろう、しかも何

て寂しい陰りのある顔なのだ?

 ああ、一体彼女にはどうしてあんなに素敵な魅力があるのだろうか。俺の心は

何故これほどまでに掻き乱されてしまうのだろう。

 その時バスの中で、彼女と俺とは五十センチくらいしか離れていなかった。

だが、俺の心と彼女の心とはどんなにか遠く引き離れているのだ。

              3 

 四月二十三日、火曜日、今日の一時間目はEnglish-Grammar、つまり英文法の授

業だ。教壇ではキューピーこと才木先生が出席をとっている。

 しかし、今日はもうなんだか授業なんかどうだっていいって気になってしまった。

・・・・・危機一髪のところで今日はどうにかこうにか早朝登校にならずに済ん

だ。だが絶好のチャンスでありながら彼女とは結局今朝は一言も言葉を交せなか

ったのだ。

・・・二十分ほど走って、バスは横川駅に着いた。ここからはもう二十分ほど市

電に乗らなくてはならない。

 ここを逃す手は無い。彼女がバスを降りた後を追って後ろから、

「あれー、中原じゃないか。全然気がつかなかったよ。」

 などと声をかければスムーズに言葉を交せるはずだ。ところがバスは意外と混

んでいて俺はなかなか前に進めない。そうこうする内に中原はもうバスを降りて

電停のほうに小走りに急いでいる。

見ると電車はもう停留所に着いていて、俺と同じようにスト情報に惑わされた舟

高生たちが五〜六十人束になって電車のドアに殺到していた。この電車に乗り遅

れると遅刻は確実だ。

 中原美樹はもうその電停に群がっている舟高生の中に混じって、早くも友達を

見つけたようで、愛くるしい笑顔を投げかけていた。

あの笑顔が何とも言えずまた魅力的だ。そう思い思い、皆の後に続いて満員の電

車に飛び込んだ。

「おーい、薬師堂! こっちこっち」

 毎日恒例の登下校メンバー、バレー部の一年先輩の達山さんや浜地さんたち

が、舟高生で満員札止め、足の踏み場も無い車内の向側で手を振っている。 

「チンチン!」

 いつもの音がして、朝の一時間だけラッシュのこの広島名物、通称「チンチン

電車」は走り出したのだったが・・・

 あー何と重苦しい朝だ。おまけに今日は休みと思っていたので予習なんてやっ

て来ている訳も無い。

 このキューピーこと才木先生は、授業中at randomに生徒に当てて答

えさせるからなあ。それに、時間中テキストを読みながらグルグル教室の隅から

隅まで歩き回るので、ボンヤリしていると視線が合ったりしてとても気まずい思

いをする。

 ああ、それにしても腹が減った。考えてみると今朝は朝食をほとんど食べてい

なかった。

   +     +     +     +     +     +

 寝不足で散々だった一日も無事終わり、放課後となった。

放課後はクラブ活動の時間だ。

 広島はスポーツの盛んな土地である。野球、サッカー、バレーボールと全国的

にもレベルの高い高校がひしめいている。

 俺の育った安佐地域は、中でもとりわけバレーボールの盛んな土地柄で、ほと

んどの小学校で五年生からバレーボールのチームを学校が作っていて、毎年春と

秋の年2回ほど学校対抗のバレー大会が催されていたほどだった。

 そんな訳で、ものごころついた頃にはもうバレーを始めていて、放課後は小学

校の五年から中学、高校とずっとバレー部で練習に明け暮れていた。

 今日は俺は一年先輩の尾田さんと組んでオーバーパスをやっている。今年でか

れこれ六年とちょっとバレーボールをやっている訳だけど、どうも俺はオーバー

パスが一番苦手だ。バレーの最も基本である訳だが、昔からパスの練習の時間が

苦痛だった。

 それに引き換え、尾田さんのパスは上手い。別に基本どおり腰をいったん低く

して丁寧にやっている訳ではないのだが、指を広げて掌を少し動かすだけで、回

転の無い死んだボールがフワッと俺の顔の上に戻ってくる。まあ尾田さんはこの

チームのキャプテンだし、セッターでもあるのだから、上手いのは当然と言えば

当然なのだけれど。

「よーし、次、対人レシーブ!」

 とたんにコートのあちこちから威勢のいい声が上がりはじめる。

組んでいる二人の内、一方が打ち、もう一方がそれをレシーブして相手に返球す

る。ランニングに始まって、柔軟運動、キャッチボール、アンダーパス、オーバ

ーパス、そしてこの対人レシーブまでが、毎日欠かさずやる基礎練習。この後の

レギュラーメンバー中心の練習の前に全員でするいわば肩慣らしなのだ。

 練習が始まってからここまで大体一時間位はかかる。ここまでやれば結構クタ

クタだから、五分ほど休憩が取られる。一年生はこの時間にバケツに水を汲んで

来てコートに少しずつまき、ラインをもう一度全部引き直す。

「早く体育館で練習やりたいな」

 と達山さんがポツリと言った。というのも、一応バレー部は外に土のコートを

持っている訳だが、県下の正式な試合はすべて体育館で行われるのである。それ

ならば体育館で練習すれば良いのだけれど、こっちは剣道部、柔道部、卓球部、

体操部など体育館でしか出来ない競技のクラブが所狭しと分け合って使っている。

俺たちバレー部が体育館を使用できるのは、試合の二週間前からの週二日間と、

全国大会にでも出場するという時に限られているのだった。

「あっ、スケイチが来やがった」

「今日はやけに早いな。いつもは5時前にやっと出てくるくらいなのに」

 見ると、男子バレー部の監督、松本介一が体育教官室を出て、いつものように

ジャージーのポケットに両手を突っ込んでゆっくりとこっちに歩いてくる。

「よーし、次、アタックやるぞ」

 尾田さんが声を上げ、一年達が準備をする。俺たちもやっとぼそぼそと立ち上

がり始めた。

 スケイチが来た。「オース」と皆が挨拶する。

「今どこまで行ったんだ?」

「これからアタックです」

「そうか、よし早くやれ。ああそれから尾田、今日は、サーブレシーブの所まで

でいいからな。後で皆にちょっと話があるから」

(おっ、今日は練習早く終わるらしいぞ)と俺は井上や小出と顔を合わせてニタ

ッとした。

 だが、その後の話って一体何なのだろう?スケイチからそんなことを聞くと何

か不気味でしょうがない。

 しかし、練習は俄然声が出始め、急に熱を帯びてきた。今日の練習はサーブレ

シーブまでということで、後1時間もしない内に終わると思うと皆自然力が入る

のだ。あちこちで、「フナイリーファイトー、ファイトー、ファイトー」という

かけ声が景気よく上がりだした。

達山さん、浜地さん、北村、半田といったレギュラー陣もポンポンといい感じで

アタックしている。ネットの向こう側で球拾いの1年生も大変だ。

 一応俺はネットのこっちで、三年、二年のレギュラーに混じってアタックに加

わってはいるが、まだまだとてもじゃないが、二年でレギュラーの半田や北村の

足元にも及ばない。

           

 サーブレシーブの練習も終わり、皆であたりに散らばった球を急いで集める。「集合!」の声が掛かり、コート脇の監督の前に二列で整列。

「よし、今日は一応ここまででやめておこう。試合も近いし、みんなもここのところ疲れてるだろうからな。どうだ、達山?」

「いいえ、まあ、そうです」 達山さんの言い方が苦しかったので、皆に笑いがもれた。

「ここのところみんな疲れてるみたいだし、特にレギュラー、ちょっと体の切れが悪いぞ」

「はい」と尾田さんや北村たちが答える。

「で、考えたんだが、明日一日練習を休みにする。今日は帰って風呂にでも入ってゆっくり休め」

「はいっ!」と全員が威勢良く大声で返事。試合も間近だというのに、いつもとは違ったスケイチの部員に対する優しい思いやりに、それに何より、明日一日練習を休めるということが皆を喜ばせ安堵させているのだ。

 だが、しかし、この後スケイチが言い放った言葉によって、我が舟入高校男子バレー部は真二つに分かれ、そして皆の休養の一日は悪夢の一日となってしまう訳なのであった。

 これが後々まで我々バレー部員が語り草にした「バレー部坊主事件」の始まりである。

「ところでだ、これはまだキャプテンの尾田にも言ってないし、俺自身も色々考えたのだが・・バレー部は来週から全員坊主にする!」・・・・・・・一瞬俺は、そして、皆も自分の耳を疑った。

「今年のお前らは、力から言ってもかなりのものを持ってる。わしの今まで見てきた中でもズバ抜けてる。今年のチームなら、やりようによってはかなりの所まで行けると思う。だが、それも後一ヶ月しかない県大会まで全員で必死になって頑張っての話だ。それをここ一週間のお前らを見ていると、どうももうひとつ全員が引き締っとらん。そこで緊張してもう一度やり直すために来週から全員が頭を坊主にして出直す。そう決めた!後五日あるからよく考えてみてくれ。文句のある奴は、後日わしの所に来い。それだけだ。今日はこれで終わり」

 一瞬沈黙が通り過ぎたが、尾田キャプテンの「礼」の号令で、全員が、

「ありがとうございました!」・・・・・・・・・・・・・・

 スケイチは、さっさと体育教官室へ帰って行く。

               5

 男子バレー部の部室の中は静まりかえっていた。否、正確に言うと、皆の練習着を着替える音はするのだけれど、誰一人、口をきく者は今日は居なかった。 スケイチの突然の坊主宣言に、と言うよりも、全員坊主にすることによって今年のチームの可能性に、俺は賭けるんだという監督の突然の屈折した決意表明を、皆どう受け留めたらいいのか捉えかねているといった感じだった。 だが、さっきミーティングを解散してスケイチが帰って行った後、コートから部室へ戻りながら、三年の浜地さんが達山さんに、「またスケイチは前と同じこと考えよる」とポツリと言っていた。

俺と小出はそのときそれが聞こえたが、何のことか判らず目を見合わせた。 部室の沈黙を破ったのは、その二年生の小出だった。

「浜地さん、さっき達山さんに言いよっちゃったでしょう。前にもこういうことがあったんですか!」

この質問には達山さんが答えた。

「わしらが一年の時よ。丁度今頃、スケイチが『今年のチームは見込みがあるから全員頭をスポーツ刈りにする!』と言い出して、あの時は、のおー浜地、あの時も余計やめたよのおー」

「あの時は、あれだけで6〜7人やめたかのお。高田の兄貴なんかもおったがのお、やめちゃったわい」

 高田は、俺たち二年生部員の一員だが、彼の兄貴が二つ上でやはりバレー部員だった。センスのいいバレーをする兄弟だったが、兄貴は三年の春まで下積みで苦労しながら、いよいよ自分たちの年という時に、このゴタゴタで退部したらしかった。

「それでその年は主力選手にも辞める者が続出したりして戦力ガタ落ちで結局鳴かず飛ばずよ。県のベスト8にも入れんかったんじゃなかったかのお。」

「ほうじゃったのお」

小出が間が抜けたように、「ほうですかあ」と言ったので、何かしら皆の緊張の糸も切れて、思い思いにその頃のことや、今日の突然の出来事などを急に火がついたようにワイワイ話し始めた。

 そのとき、二年生だがレギュラーでチームのエースの北村が、

「おりゃ切るよ」そう言ったから、皆は、「オーッ!」と北村の方を振り返った。

「俺は切りますよ。いいじゃない、坊主の方が。夏は暑いし、うっとうしいじゃないか。坊主の方が何ぼかスッキリすらあや」

 二年とは言え、チームのエースを張っている北村の発言だけに、これに正面から反論するものはいなかった。だが俺は知っている。

北村と俺は長いつき合いで、小、中、高校とずっと一緒、いやそれどころか確か幼稚園まで一緒だったはずだから、もうかれこれ十二年からのつき合いになる。小学校の五年でバレーを始めてからはずーっとチームメイトとしてやってきた。

北村は常にレフトオープンでチームのエースを張ってきた男だ。県下屈指の、否、全国に出したって、一七五センチと背丈は高いとは言えないが、決して引けを取らない豪快なアタッカーであることは間違いない。我がチームはこの北村の豪快なアタックで何度となくピンチを切り抜けてきたものだ。

小学校5年の時に、すでにその背丈は一七五センチ合った。四年の時には確か声変わりしていた。中学入学の頃には、もうおっさんの風体だった。走らせれば速いの何の、体育祭の選手リレーでは、アンカーの北村がいつもごぼう抜きして観衆を沸かせた。スポーツ万能、学業優秀、まさに男の中の男、北村は常に我がチームの破壊力抜群の頼れるエースアタッカーであった。

 長いつきあいなので俺は知っている。北村は実は坊主頭が好きなのである。髪を切ることに何の抵抗も無いのだ。

俺たちの行った中学校は男子は全員丸刈りであったが、俺たちの入学の年から長髪でも良いことになった。意地の悪い先輩が、「1年生が長髪でいいわけないだろう。みんな坊主にして来い」と、ある日冗談半分にけしかけたところ、北村は、いの一番、翌日にはもう坊主頭にして来ていた。俺は一度もしたことの無い坊主頭に髪を切るのが嫌なのもさながら、そういう筋のとおらぬタテの関係に服従しなければならないのが悔しくて、初めて床屋で髪にバリカンがあてられ自分の髪が、バサッ、バサッ、と落ちていったときのあの悔しさは今でもはっきり覚えているくらいだ。だが、北村にはそれが無い。何て言うか、この男にとって、そんなことは眼中に無い些細なことなのであろう。そういった男なのだ。

           6

「くそーおもしろくない、高校にもなって坊主とはのお。坊主にしたからいうて、バレーと何の関係があるんや。」

 高校近くの俺たち運動部員のたまり場、「甘党の店 はま」で、ソフトクリームを頬張りながら小出がそうぶち上げた。

「全く、スケイチにも困ったもんよのー。」

 小原がそうつぶやいた。三年生連中は、今日はもう早々と帰ってしまい俺たち二年生ばかりが店に残っていた。三年生は五月の県大会で最後のひと花咲かせるべく頑張ってはいるが、同時に彼等は受験生でもある。スポーツと大学受験の二足の草鞋をはいているわけだから練習が早く終わった日くらいは、家へ帰ってお勉強ということらしい。  

「ヤクシ、お前どうする?」 そう小原が言った。

「俺は断じて納得できんよ!こんなやり方。全く、坊主にするのとバレーの強さと何の関係があるわけ?えー加減にして欲しいよ。しかも、いい年こいて何でこんな事を一方的に先生だけが決めて実行できる?僕らの意見はどうなるわけ?そうは思わんか、みんな?」

俺はまくしたてた。これは本音だ。先のような理由で、中一から中三の秋まで、思春期の、自分の容姿や異性の目などが気になり格好のひとつもつけたい年頃の丸二年十ヶ月を俺は坊主頭で過ごした。整髪料でもつけたい年代だ。鏡に映ったうらなり瓢箪みたいでお寺の小坊主にも似た自分の坊主頭姿が俺は嫌いだった。

後ろ髪が伸びてきて、ホンワリとうなじにかかったときの何とも言えない感触が忘れられない。  

その時から今日まで、まだ髪を伸ばしだして一年と半年しか経っていない。時はまさに長髪ブームで、高校ともなれば何の規制があるわけでなし全く自由だ。長くのばしている同級生も沢山いたが、かといって余り長くてもバレーをするのに邪魔だから、スポーツ刈りよりはちょっと長めの適度な長髪を楽しんでいる程度の可愛いものである。せっかく伸ばした髪をここまできてまた切り落とすのは絶対に嫌だった。何ていうか、こう、自分の青春が失われる、とでも言いたいような、俺にとっては重大事件だった。

「絶対に俺は納得できん。明日、朝のホームルームの後、スケイチに抗議しに行く。」

「オーシ」と何人かからも声が上がった。

実はたまたまバレー部監督のスケイチが俺のクラスの担任で、俺がまあ、一番言い易い立場でもある訳だ。隣のクラスになる新川や、ちょっと遠いが大本らも、自分たちのホームルームが終わり次第駆けつけるからということになった。とりあえず二年生連中は「坊主阻止」で話がまとまりそうな雰囲気だ。

一体どういうことになるか全く判らない。が、皆、切らなくて済めば髪なんか切りたくない訳だし、かといってスケイチもよくよく考えた上で宣言したのだろうし、ちょっとやそっとでそれを覆すようにも思えないが……だが、こんな性も無いことで今まで頑張ってきた皆がバラバラになるなんてことはあっていいはず無いし、まして、これは「バレーをしたければ髪を坊主に切ってこい」と言うようなもので、まさに「踏み絵」以外の何ものでもない。こんなの全く理不尽だ。何とか事態を丸く収拾したいものだが、とりあえず、猫の首に真っ先に鈴をつけに行くのは俺の役目ということに相成った。

                7

 翌朝、八時半から十分間、ショートホームルームが終わるや否や、

「先生、ちょっといいですか。」と教室から出ようとするスケイチを俺は呼び止めた。「何だ?」 廊下に出た所でスケイチがこっちを向いて言った。

「昨日の坊主の件ですが、僕はおかしいと思います。気合いが入っているというのと、坊主にしたらどうなる、というのとは関係ないと思います。」

スケイチは一瞬、ギョッとしたような風だったが、すぐに平静さを取り戻して、

「そうか、まあ来週までまだ何日かあるから良く考えてみてくれ。わしはもう今回は決めとるんだ」こう言うと、スケイチは階段の下に消えた。あっさりと代されてしまった感じで、拍子抜けしてしまった。しかし敵もさるもの、テコでも動かぬ決意だけはしてるらしい。

「ウーン」 俺はしばし廊下に立ちつくした。我々の意見ははなから聞く気がないとみえる。全くの独裁である。思った以上に手強い。

 そこへ隣りの教室から新川康夫が飛び出してきた。

「どうした、どうなった?」

「もう済んだ。全く聞く耳持たんという感じよ」

始業のチャイムが鳴りわたって、慌てて俺たちはそれぞれの教室へ戻った。

 席についてからも頭に血がカーッとのぼってしまったような感じで授業が手につかない。昨日のスケイチのクラブの後の坊主宣言、たった今の俺との短いやりとりが何度も頭の中で思い返された。あの感じでは、スケイチは何が何でも自分の決めたことを押し通す気のようだ。 週あけまでに何とかしないと……だが、何とかすると言っても一体何をどうしたらいいのか。

「薬師堂君」隣りの席の山野真智子の声でハッと我に返った。

「どうしたん、何かあったん?さっき血相変えて松本先生の所へ行ったでしょ。新川君なんかも来てたし、バレー部何かあったん?」

 クリクリッとした人なつっこい大きな瞳でこっちをのぞき込んでいる。山野は一年の時から同級で班学習などでも一緒だったから割と親しかった。中学の時はソフトボール部のピッチャーとして鳴らしたそうで、ウィンドビルで投げる球は速くて男でもなかなか打てるものではなかった。

「いや、別に何もないけど」

「本当?何かボーっとして…」

そうだ、うだうだ一人で考えていても性がない。とりあえず昼休みの時にでも皆に話してみることにしよう。

                          8

二時限目が終わると、変ったことに舟高では十五分間小休止があり、その時間全員が校庭に出て「業間体操」というものをする事になっている。音楽も,ブラスバンド部が吹き込んだ変テコなオリジナルの曲が校庭一杯に流れ、ラジオ体操みたいなそうでないような、「舟入高校体操」というのを皆で一斉にするのだ。

まあ、体操そのものは皆適当にやっていて、校庭へ出ている少しの間、違うクラスの仲良しなどとぺちゃくちゃ話しをするのが、適度な気分転換にはなったりするのだが………。

三々五々生徒が校庭に集まり出した。その時、 さっきの俺のクラスの山野真智子が、もう一人の女の子と一緒に先の方を指さして、

「ねえ、あれ井上君じゃない?ねえ?どうしたん、あれ」と、すっとんきょうな声を上げ騒いでいる。見ると,バレ―部二年の井上洋が昨日までとはうって変わって見事な三分刈りの坊主頭を見せているではないか。ほかのクラスの連中も知らなかったらしくて、

「おー井上きれいになったのう」と井上の周りに何人かが集まり始めた。

どういう風の吹き回しか、なかなかのハンサムで、バレー部の中では一番ファッションのセンスも有り、最も髪を切りそうになかったあの井上が驚くべきことに、一夜にして早くも坊主にしてしまったとは。昨日の帰り「甘党の店 はま」での話しの時も居たはずだったから、坊主反対かと思っていたのだが…。

「おい、ヤクシ、井上見たか?」

 体操が終わりみんながゾロゾロと戻り始めるとすぐに新川が追いかけてきた。「見た見た。まさかあいつが真っ先に切ってくるとはのう」

  「困ったことになった」

バレー部では、三年生、一年生ともに四人ずつしかいなかったのだが、俺たち二年生は十一人もいた。五人はやめてしまったが、入部のときには十六人いた。これは、一九六四年俺達が小学校一年の年、東京オリンピックで「東洋の魔女」と言われた日本女子バレーチームが金メダルをとり、この時あたりからバレーボールが全国で急にさかんになってきていた。そして、一昨年、俺達が中学三年の年の一九七二年に、ミュンヘンオリンピックで松平監督率いる日本男子バレーチームが、念願かなって金メダルの栄冠に輝いた。

世界のクズ、とまで言われた日本男子バレーが、ここまでに至る感動の物語は、テレビなどでもさかんに放映され、日本のバレーボールブームは、まさに頂点に達した観があり、高校でもその影響なのかクラブに入る人数もものすごく増えた。だから、クラブの練習や試合は六人のレギュラーメンバーを中心に整然と行われるのだが、クラブが終わって、クラブ内での色々なことでは、十一人もいる我々二年生が数の力と結束とで結構幅をきかせていた。坊主が好きな北村はともかくとしても、残る十人全員が、坊主頭阻止で一致団結して事に当れば、形勢逆転の可能性もあると思っていた。それが、二日目からこの有様である。この井上の脱落は、いったいどうしたことだろう。

             9

恐れていた通り、井上の抜けがけによる坊主の波紋から、俺達二年生は総くずれとなった。中でも、高田と福崎の二人は、スケイチの強引なやり方に抗議の意思を込めて二分刈りの坊主頭に丸めた後、翌日そろって退部した。

高田は、二年前、兄貴もスケイチの「スポーツ刈り宣言」でやめており、兄弟そろってこのスケイチのやり方に怒って退部するという最悪の事態になった。

当然、これらのことは各クラスに瞬く間に知れわたり同級生たちの話題となった。二年の十クラスの内男子バレー部員は各クラスに散らばって十一人もいる。昨日まではフサフサと黒髪をなびかせていたのが、前ぶれもなく突然今日からは、丸刈りの坊主頭で登校してくるのだから、噂にならない訳がなかった。誰それはクラブをやめるみたいだ、とか聞きもしないのに色んな噂が耳に入ってくる。

「ヤクシ、お前らどうなっとるんなら。スケイチにえーよーにやられよるんじゃあないんか。」

おっさん面したテニス部の親分肌の隆本も、噂を聞きつけて声をかけてきた。

「強いクラブには、それなりに悩みもある訳よ」と俺もやり返す。

「おっ、言うてくれるじゃあないか」

 隆本と俺とは全く性格もタイプも違うのだが、妙に憎めない奴だった。テニス部とは、グラウンドでコートが隣同志ということもあり、お互い運動部員といった連帯感もあるのかも知れなかった。

しかし、困ったことになった。スケイチの坊主宣言から、今日でもう三日目の金曜日だ。あと二日しかない。

男子バレー部二十人のうち、四人の三年生は、以前の「スポーツ刈り事件」を経て残ったメンバーで、まさか、引退をすぐ前にしてやめる訳もなかった。そして一年生の四人も、中学時代のもともとの坊主頭がボサボサに伸びかけているだけでこれを切るのに余り抵抗があるとは思えない。残るは俺達二年だが、北村、野本、井上が早々と坊主にして練習に出ている。高田、福崎の二人は抗議の退部。

この二人の行動の波紋は大きかった。また一見シティボーイ井上の抜け駆けあっけらかん坊主の影響も大きかった。皆で集まって色々話し合ったって、相談もなくて「一抜けた!」とやる訳だから結局のところ、残った俺達坊主反対派にしても、一人一人が自分で出した結論に従って身を処するしか無くなった。

「薬師堂君」 放課後、山野真知子が俺の側に来て言った。

「バレー部大変なんじゃね。この間、薬師堂くんが朝松本先生に何か言ってたでしょう?あれみんなを代表して文句を言いに行ったっていうんでしょう?」 やれやれ、もうそんなことまで話が伝わっている。

「まあ、文句というか何というか、俺、頭にきとったからね」

「いいとこあるのね。応援するから頑張って。」

気持ちは嬉しいがこればかりは、応援されてもどうなるものでもない。

結局この事件は、日曜日を挟み、翌週の月曜日には、やめた高田、福崎の二人以外の全員が頭を丸めて練習に参加したことで終結した。

だが、今回のことで、スケイチこと松本介一教論は、我々生徒の人望をかなり落とした。月曜日のクラブの後のミーティングで青々とした十八人の坊主頭をぐるりと見渡して「このメンバーで、心機一転、インターハイを目指そう!」と力説した。

しかし、大体がここ二〜三年舟入高校のバレーが強いのには訳があるのだ。ここ二〜三年、どういうことか、安佐南中学と、祇園寺中学のバレー部員が、舟入高校に進学先を選んで、そこでまたバレーを続ける、という風潮のようなものが何となく定着していた。この安佐南中と祇園寺中のある旧安佐郡部というのは、バレーの盛んな広島県の中でもとりわけ盛んな地域で、中学校の対戦ではこの両中学で戦われる地区大会の決勝が、その先は県大会の決勝までもちこまれるくらいレベルが高い地域なのである。特に、この安佐南中バレー部OBには、ミュンヘン五輪で金メダルをとった日本男子バレーの頭脳ともいうべき世界的名セッターの猫田がいるくらいなのだ。ここ数年間は中国五県選抜の大会でさえも、決勝戦は、祇園寺中と安佐南中で争われていた。だから決して根性論ではなく、この二つの中学でレギュラーを張っていたような連中が、どんどん入って一つのチームを作っているのだから、それはもう強くならないはずが無い。

それなのに、やれ坊主だ、気合いだ、と精神論を振りかざして、しかも従わない者は切る、という独裁的体質なのだから支持されるはずも無かった。

バレー部内も、二人の仲間を失い、又、今回のことで、見なくても良かった皆の心の底の部分が見えたりもして、何か気まずい雰囲気が残った。だが、そういう我々の落胆とは裏腹に、スケイチの思惑通り、この後わが舟高バレー部は創部以来の破竹の快進撃を続けることになったのである。

              10

六月に入ってジメジメとした梅雨空が続いていた。少しくらいの雨なら、バレー部も、外で練習するのだが、こう降り続いたのではグラウンドも泥でちょっと無理だ。この日は体育館の隅で、柔軟体操をしたり、腹筋、背筋を鍛えたりのサーキットトレーニングとなった。そうでなくても狭い体育館の中に、幾つかの運動部が入り乱れてワアワアやっている訳だから熱気と湿気でムンムンしている。

「こりゃあ熱いで。もうやっとられん」さすがの浜地さんも音をあげていた。

「よーし、最後、うさぎ跳び三往復で終わりにしよう」尾田さんの笛に合わせて、三人ずつ体育館の壁に沿ってうさぎ跳びで三往復した者から練習終了だ。

「暑い暑い。シャワーでも浴びようで」

 里中さんは、達山さんたちと更衣室で汗を流すらしい。

「おい、ヤクシ、お前どこ見よるんや」

練習が終わって体育館の出口の所に立って卓球部の練習風景をボンヤリ見ていた俺の肩をポンと小出が突っつきニヤッと笑ってひやかして通った。女子卓球部の中原美樹に、俺が長年片憶いしているのが去年の秋小出にばれてしまっていた。

ところが、やはり持つべきものは友とは良く言ったもので、二年の四月のクラス替えで、この小出がたまたま中原と同じクラスになったのだ。

それからというもの、小出は義侠心の厚い所を発揮し、毎日部室で会う俺に、「今日の美樹ちゃんは、こうだった」とか「いや今日の中原は、風邪の治りかけで熱があるのか、ちょっと色っぽかった」とか、律儀に報告して俺を一喜一憂させた。

「小出、俺らもシャワー浴びていこうや」

「ダメダメ、もう満員で大分待つようなで。早いとこ着替えてさっさっと帰りましょうやぁー」

 小出と俺と、あと一年生が何人かブラブラと部室へ戻った。汗でびっしょりになった体操着は、しぼると汗が水のようにしたたり落ちる程だ。

「すみません」部室の外から声がかかった。

「あのー、薬師堂さんおられたらお願いします」

 女の子の声なので、ちょっとびっくりして慌てて外へ出た。

「あの、これ大森さんから渡すのたのまれたんです。読んであげて下さい」

それじゃあ、と言ってすぐにその子は雨に濡れるのも構わず小走りに走り去った。

顔を見たことはあったが、直接は知らなかった。

「今の、秋本だろう?あの子。結構可愛いよな」

「違う違う。あの子は手紙を持ってきただけだよ」

 こういうことになると目聡い小出が俺の手にしていた手紙をさっとのぞいて見て、

「あー大森雪子ちゃんか。アレ確かお前と同じクラスじゃ無かった?」

大森雪子は、四月からのクラス替えで一緒になった。余り話したことは無かったが、まじめで芯が強そうな笑顔の似合う子だった。

「ヤクシ、お前なかなかやるのおー」はやし立てる小出と一緒に、居合わせた何人かの一年生たちもニヤニヤとこっちを見やっていた。 ちょっとテレ臭かった俺は、何くわぬ顔をしてその手紙をさっと、運動カバンの中にしまい込んだ。

外では、雨がますます激しく、とてもやみそうには思えなかった。

              11

大森雪子の手紙は、純然たるラブレターだった。女の子、それも同級生の女の子に、ここまで思われれば、男として本望という感じがした。

一読して、彼女のほのぼのとした素直さ、性格の良さがうかがえた。

「バレーの練習に夢中になっているあなたが好きです」と書いてあ った。全然気がつかなかったが、校庭のどこからか、俺達の練習をこっそり見ていたらしい。あの傾きかけてはいるが、枝振りの良いアカシヤの老木の陰の辺りだったのだろうか。

「あなたの気持ちを、はっきり聞かせて下さい」というような意味 のことは書いて無かったから、どうともせずに数日が過ぎた。すると、昨晩、この間彼女の手紙を届けに来た秋本という女の子から家に電話があり、大森の告白への返事を迫られたのだ。

(どうしよう。)俺は迷う。色々と思いを巡らせるが、結局の所、行き着くのは俺の頭の中には、もう足かけ五年も思い続けてきた中原美樹のことしか無いということだった。大森雪子のことを考えようとすると、中原の笑顔が俺のまぶたに浮かぶ。

そのうちゆっくりと、大森雪子の心を傷つけないように何とか上手に俺のこの気持ちを判ってもらう方法を考えなくては……そう思っていたが、実に考えが甘かった。同時に、彼女がこういう問題で凄く積極的なのにとても驚いた。否、そうではなく、俺が単に消極的なだけなのだろうか。

違う。俺だって恋する女に自分の気持ちを手紙か何かで伝えたい。ただ、俺は怖いのだ。心をうち明けて、もしもその自分の恋する人が、自分のことを何とも思っていなかったならば、その恋の相手は、手紙の来たことを実に意外に思い、それ以後はどんなに「今までと変わらずお友達でいましょう。」と言っても無理な話で、やはりどうしても避けてしまうようになるであろうということが。

だから、……だから俺はこんなに好きでも中原美樹に手紙を出せない。出すと、彼女の、あの天使のような微笑みが二度と俺に向けられないような気がするから。彼女の顔を近くで見ていたいから、俺と同じ電車やバスに乗るのを意識して避けるというようなことに決してなりたくないから、そしてこの間のような嬉しい出来事が無くなるとしたら俺はとても悲しいから。

実はこの間、天にも昇りたいような嬉しい出来事があった。

バレー部の同級生の北村と下校していると横川駅前のバス停でばったり中原美樹に出くわした。彼女と一対一だと、どうしても固くなってしまって一言語りかけるのにも苦労するくらいぎこちない俺だったが、北村と中原と三人となると、祇園寺中学の同窓生ということもあってその日は俺の口も滑らかだった。

「あっ、中原だったのか。俺最近目が悪くなってきて、よく見えなかったよ」我ながら上手な語り口だ。

「今帰り?バレー部いつも遅くまで頑張るのねえ」中原も久しぶりにいい感じで言葉を返してくる。

「薬師堂くん、目は悪くなかったはずだけど。眼鏡かけるのもみた ことないし」

「持ってるけど、あんまりかけないようにしてるんだ。かけると目 つきが悪くなるって言うしね」

すると、北村が、

「ヤクシ、お前は眼鏡をかける前からきつい目をしとるから大丈夫、 大丈夫」

 と横やりを入れた。すると、中原はさり気なく、

「そんなことないわ。ヤクシくんの目は、とっても優しい目よ」

そう言って少し笑った。黒髪がささっと風になびいて、それを右手で耳のところまでかきあげる彼女のしぐさが、「きれいだ」と俺は思った。

たったそれだけの事だったが、俺は胸が締め付けられる程嬉しくかつ時めいた。心が躍った。

ああ、愛しい俺の中原美樹、君は俺の天使だ。君は美しい。

君は、冬の地面の上においかぶさってしまった雪のように純白で、夏の空のように澄みわたり、春先の萌えあがる山野の木や草のように若々しく、

それでいて、秋風のように何となく寂しくて、

今にも降りそうな曇り空のように泣き出しそうで……

できることなら、

 君のために、あの道のほとりに咲いている可愛い花を摘み、

 君のために、美しい詩を書き、

 君のためにギターを奏で、愛の歌を歌い、

 君のためにすべてを尽くしたい。でも……

でもだめなのだ。これは俺の片憶いであって一方通行の恋なのだ。

 中原、少しだけでも君と心のかよう瞬間があるだけで、俺はもの凄く幸福感にひたれて、胸が時めくんだ。この幸せを失いたくない。だから、大森のような勇気が俺にはないし、男として、卑怯なことかもしれないが、とても気持ちを打ち明けることが出来ない。

中原が、俺に微笑みかけてくれた。これだけで今の僕は満足だ。 

                    12

 一九七四年、第二七回広島県高校総合体育大会バレーボールの部は、六月一日より始まった。

通称スケイチこと松本介一監督の突然の宣言により全員坊主頭とはなったものの、何となく、皆心にわだかまりを残しつつ予選に臨んだ舟入高校男子バレー部ではあったが、どうしたことか、連戦連勝、破竹の快進撃を続けていた。下馬評も高く、シード校のため第一日目の一回戦は不戦勝、二日目、初戦となる二回戦を印之島高校に二対〇(十五対五、十五対二)のストレート勝ち。続く三回戦、同じくシード校の元町高校をこれも二対〇(十五対五、十五対三)と圧倒的な強さで順当に勝ち進んだ。二試合とも相手に十点も取らせない圧勝だった。そして、大会三日目、準決勝はこの一〜二年間、どちらが勝ってもおかしくない程のフルセットの大接戦を毎回演じてきた宿敵、三陽高校との対戦。三陽のエースは、我が母校祇園寺中の一年先輩の小田川さんで、負ければこの試合が高校最後となる。

この試合にかける凄まじい気迫が伝わってきた。

案の定、今回もフルセットの大接戦となった。第一セットこそ十五対九で取ったものの、第二セットをあっさり五対十五で取られてしまった。ファイナルの第三セットは、まさに手に汗握る大シーソーゲーム、逃げる舟入に再三再四追いすがる三陽を最後の最後、土壇場で突き放し、十五対十三、セットカウント二対一で辛くも逃げ切り、遂に舟入が決勝進出を果たした。

達山さんや、浜地さんは、

「勝ったらインターハイじゃないか。おいおいやめようで。夏休み中バレーの練習じゃあ受験勉強どころじゃないぞ」

などと冗談とも本気とも判りかねるようなことをぶつぶつ言っていたくせに、結局勝った。

決勝の相手は高校バレーの名門、修徳高校。全国制覇数限りなく、実業団や全日本など日本男子バレー界に幾多の人材を送り出している名門中の名門、相手にとって不足はない。

舟入が県大会の決勝に残ったというニュースは、その日の最後の授業が終わって放課後になる直前、学校に伝わった。

「男子バレー部が、県総体の決勝に進出しました。試合は午後四時からですので、みんなで行って応援しましょう。」

と校内放送で流されたという。県大会の決勝進出など、どの競技であっても凄いことで、スポーツにあまり力を入れていない舟入などではもう二度と無いことかも知れない、というようなことで四時の試合開始が近づくにつれて、次から次、授業の終わった舟校生達が男も女も続々応援に駆けつけてきて、県立体育館の二回南側観覧席は騒然となった。四〜五百人はいただろうか、

「フレーフレーフナイリ、フレーフレーフナイリ、ワーッ!」

期せずして誰かが即興で音頭をとると、割れんばかりの手拍子と大合唱が沸き起こった。これほどの人の前でプレーするのは皆初めてだったが、緊張と言うよりも、声援が嬉しくて、腹の底から力が沸き上がってくる感じだった。

「よし、いこうで!」とキャプテンの尾田さんを中心に、ベンチ前で十二人の円陣が組まれた。

「勝つぞ、絶対に勝つぞ!」半田が自分に暗示をかけるようにハッパをかける。

「おーし!」円陣の中の何人かがこれに呼応した。皆のテンションも上がってきた。

審判の試合開始のホイッスルが鳴った。

「おっしゃあ、いくぞーっ、フナイリーファイトー!」

「ウォーッ!」

円陣中央のキャプテンのかけ声に続いて全員で雄叫びをあげて、各自それぞれのポジションについてゆく。

           13  

今年の高校男子バレー広島県第一位をかけた試合が始まった。

舟入のスターティングオーダーは、前衛レフトに北村、対角線のバックライトが浜地、前衛ライトに達山、バックレフトが野本、センタープレーヤーでバックセンターが半田、そして前衛の真ん中が、セッターでキャプテンの尾田、これが舟入のベストオーダーである。

最高身長が達山さんの百八十センチで、チームの平均も百七十五センチという小柄な舟入チームの身上は、息の合ったコンビネーションバレーだ。速攻にオーソドックスなオープン攻撃を散りばめて相手を攪乱させ、一気に主導権を握って突き放す、この戦術に尽きる。

今回は予選からこのコンビバレーが絶好調で、チームも乗りに乗っていた。そこへもってきて、この大応援団である。舟入の選手が一本レシーブし、スパイクする毎に大歓声が上がる。ポイントを取ればもの凄い拍手。いいところを見せたいので皆気合いが入っている。

打っては北村が相手の三枚ブロックをはじいて決める、守っては普段とても取れないような球もレシーブし、ジリジリと舟入が先攻してゆく。対する修徳は、何故か全体に浮き足立って元気が無いように見えた。

修徳のエース青田も今日は今ひとつ生彩を欠いていた。身長一九〇センチの超高校級である青田のスパイクが、小粒揃いの舟入の前衛にブロックされて思うように決らない。ブロックを上手くはずした球も、舟入の徹底したレシーブで拾われ逆にサーブ権を取られる。

 一方の舟入は予選から続いていたテンポの良さに最後の一試合で益々磨きがかかった。中央突破の半田のAクイックが見事に決まる。達山さんの打点の高い速攻も快調だ。セッター尾田さんの絶妙のトスワークが今日は冴えに冴えていた。徐々に舟入のリードが広がり、気がついてみると十五対六で一セット目を舟入が取った。

「よし、行けるで行けるで。」

「勝とうぜ、絶対勝とうぜ!」

「おっしゃあー。」

コートチェンジ中も、流れる汗を拭いながら、皆口々に叫んだ。

「フナイリー、ガンバレー!」     

二階の観客席から、誰かの手拍子で五百人の大応援団の三三七拍子が体育館に響いた。

二セット目は、流石に修徳も気合いを入れかえてきて、こちらのスパイクを良く拾ってつなげてくる。一進一退で思うように、リードを広げられない。がっぷりと互角に組んだ試合で五対五まできた所でスケイチ監督は、たまらず作戦タイムを取った。

「焦らずに、ゆっくり落ち着いて行け。」

 三十秒の小休止の後プレー再開。

修徳も負ける訳には行かないので必死だ。七対六で修徳が一点リードした。

「こりゃいかん。」そのあと、何とか舟入がサーブ権を取り戻した所で、スケイチは、さっとベンチを立って副審にメンバーチエンジを告げた。

「井上、里中行くぞ!」

「メンバーチエンジ、一番アウト八番イン、二番アウト七番イン」

 副審がアピールした。エース北村に代わって、我々ベンチの二年生の中から、唯一この日試合のコートに立ったのは、井上である。ピンチサーバーとして、サーブの時からコートに入り、サイドアウトのローテーションで後衛から前衛に上がった所で、又、元の選手をコートに戻す。疲れたレギュラーメンバーを、その間だけでも休ませることが出来るので有効だ。井上は威力のある変化球サーブと、持ち前の反射神経で抜群のレシーブ力をもっていた。

「おりゃあ!」かけ声と共に井上のサーブが修徳コートに飛んだ。

これは何なく取られトスに回された。レフトから青田が、ラインぎりぎりをねらって豪快にストレートにアタックを打ってきた。目にも止まらぬそのボールは舟入のコート上にあわや決まるか、と見えたその瞬間、バックレフトに入ったばかりの井上が横っ飛びに飛びこれを見事にレシーブ、次へつなげた。この超ファインプレーには、二階の舟入応援団からもどよめきが起り、続いて割れんばかりの拍手に変わった。井上の拾った瞬間、「キャァ―!」という女子生徒の悲鳴のような黄色い声援もあった。

「よっしゃ。井上。ナイスプレー!続けていこうで、いこうで」

ベンチの俺たちも思わず立ち上がって喝さいし、叫んだ。

結局、このメンバーチェンジが効を奏したのか、修徳に傾きかけた試合の流れがまた舟入に傾き出し、修徳は八点までが精一杯、波に乗った舟入は、ボンボンボンと得点を重ね、十五対八で勝ち、セットカウント二対零、ストレートで、優勝の栄冠を手にした。

高校バレー界での西の王者、あの修徳に勝ったのだ。しかも二セット共、十点も取られていないなんて。広島県の一位として、堂々とインターハイに胸を張って行ける。

そして、あの応援、大歓声、すごい拍手と熱気の渦。こんなこと今だかつて無かった。コートで実際に戦った北村が、野本が、半田が抱き合って泣いていた。ベンチの新川も泣いていた。そして秘かに「負けようで」と言っていた受験生組、三年の達山さん、浜地さんも、ふたを開けてみれば大活躍であった。

修徳は、二位でインターハイ出場は決めたものの敗れてガックリきていた。

吉山監督は試合が終わるとものも言わず、さっさとコートから引き上げた。しかし、俺は吉山監督に、名門修徳の意地と誇りを見た思いだった。舟入に再三リードされても遂に一度も吉山監督は席を立たず、タイムアウトの一回も取ろうとはしなかった。新鋭舟入ごときに慌てて作戦タイムなど取るのも恥、という気位がビンビン伝わってきた。

一言も発せず帰っていった吉山監督の背中に、俺はそれを感じた。

選手たちは明日からこってりとしぼられることだろう。

                       14   

八月二日より行われるインターハイへ向けて、舟入バレー部は夏休みに入ってからも練習に明け暮れていた。

しかし、その前にけじめをつけておかなければならないことが一つあった。大森雪子のことである。

色々と思い悩んだが、大森雪子の俺に対する真剣な思いを踏みにじる訳にはいかない。俺の真実を真正面から彼女に伝えて判ってもらうことしか俺には出来ない。そういう結論に達し、彼女に会うことにした。

親友で、俺と彼女の間を取り持っている秋本裕子に、「今週の月曜日の夕方六時に、学校の中庭の所で待っているから来て欲しい」と伝えてもらうことにした。

ところが、これがちょとした行き違いから、彼女を大きく傷つけることになってしまった。六時に学校でと、俺は、「夕方の」と言わなかったらしく、彼女は、早朝の六時に学校に行ったというのだ。

そして、待っても待っても俺が来ないので、もしや、からかわれたのでは、との思いもあって、ガックリきて傷心のまま帰途についた。

俺はと言えば、その日は、午後から修徳高校バレー部との練習試合で午後の二時からずっと修徳高校に行っていた。やっと練習の終わった時には六時半になっていた。

急いで舟高に向かった訳だが、彼女はもはや居るよしも無い。

(何だ、ちょっとくらい遅れたからといって待ってくれてもいいのに。その程度の気 持ちだったのか。真剣に考えて損した。)

 と、俺の方も肩すかしをくらったようで拍子抜けだった。

以後、クラスで顔を会わしても、向こうも目をそらすし、俺の方も、ぷいっと知らん顔を決め込むような気まずい関係となった。

何日かして、また、例の秋本が、夜家に電話をかけてきた。

「薬師堂くん、ちょっとひどいんじゃない。雪子泣いてたわよ。朝早く呼び出しといて、薬師堂くん結局行ってあげなかったんだって?その気が無いんだったらハッキリ言ってあげればいいのに。私からかわれたのかも知れないって、雪子傷ついているわよ」

「朝早く?ちょっ、ちょっと待ってくれ、夕方の六時って俺は言ったんだよ。クラブで大分遅れたけど俺も行くには行ったんだ」

「えー、?私、薬師堂くんが六時に、って言うから朝の六時と思って…・・」

とんでもない行き違いだった。こんな大事な時に、こんな大事な問題で。人生とは、得てしてこんなものなのだろうか。

とにかく、俺は大森雪子に、まずは謝りたかった。

まさか朝とは思いもせず、「夕方の六時」と言わず、ただ、「六時」とだけ言った俺の方に非があるのは明らかだ。そして、謝った後、彼女には悪いが、もう何年も片憶いの好きな女の子が居て、寝ても覚めても、この子のことしか考えられない。君の気持ちは本当に嬉しいが、その気持ちに応えられない。堂々と、心をうち明けられる君を羨ましく思う、というような意味の手紙を彼女に書いて秋本に託した。

暫くして、大森雪子から返事が来た。

「残念だけど、あなたがそんなにまで私のことを色々と考えてくれていたことを知ってとても嬉しかった。あの日学校に来てくれていたことも知らされた。何て自分はドジなんだろう。穴があったら入りたい気持ちです。……好きな人って、どんな人かな。あなたにそんなにも思われている人が、とっても羨ましい。その人とうまくいけばいいネ。これからも、いいお友達同士としてつき合ってゆければ、私は嬉しいのです」

こんな趣旨の返事だった。

この手紙を読んで、俺は泣いた。彼女のいじらしい心や、俺の中原に対する長くつらい片憶いの日々など思い出され、涙が次から次へと出て性がなかった。

          16

七月二十八日、いよいよ全国高校総合体育大会(インターハイ)へ向けての旅が始まった。今年のインターハイは、福岡県の直方市で行われる。部員十七人と監督、コーチの総勢十九人は午後には小倉駅に着いた。

「ようこそ、いらっしゃい」

「いそがしいところすみません。お世話になります」

駅には舟入バレー部0Bの山下さんという人が出迎えてくれていた。スケイチが丁寧に頭を下げている。山下さんは、小倉にある角友金属男子バレー部のマネージャーをしている。0Bの中で実業団でバレーを続けている数少ない先輩であった。

インターハイのバレーボールの日程は八月二日からで、それまでの数日間を、インターハイ出場チームが四〜五校集まって、体慣らしの意味も合わせてここでミニ合宿、この角友金属体育館三階にある茶室に泊って練習試合にあけくれた。七月三十一日の昼、そこを打ち上げ、バスで、直方市から更に二十キロメートルくらい南の脇田温泉へ移動。「桃源境」旅館にその日の晩からは寝起きすることとなった。

八月二日、開会式に続いて、いよいよ待ちに待った大会が始まった。やるべき練習は、もうすべてやり尽くした感があった。広島県内にはもう負ける相手はいない。しかし、所詮井の中の蛙、これから対戦するのはどれも激しい予選を制して勝ち上がってきた各県の一位のチームなのだ。一体どこまで我々の力が通用するものだろうか。不安なような、武者震いのような言いようのない気持ちの高まりが皆にあった。

予選グループ戦、舟入は滋賀県代表近見高校との対戦、勝てばこのまま決勝トーナメントに進める。負ければ一試合だけ敗者復活戦に臨め、勝てばトーナメントに残れるが、負ければそれでお終いとなる。初戦でもあり大切な試合であった。

インターハイの初戦ということで第一セットは皆動きが固くエンジンのかかりが悪く落としたが、二セット目からは落ち着きを取り戻した。速攻、コンビネーションでは舟入が優っており、セットカウント二対一で制し、無事予選リーグを突破した。

ほっと胸をなでおろす感じだった。ここまできて初戦敗退では送り出してくれた広島の皆にも顔向け出来ない。一方、同宿の広島修徳高校は予選グループ戦で苦戦していた。初戦大阪の藤見寺工に二対一で敗れ、あわやというところ敗者復活戦で金沢松陵工を二対0で破ってかろうじて決勝トーナメントに残った。

八月三日決勝トーナメントの初戦、対戦相手は宮崎県都工業高校。やはり全国大会ともなると各チームとも一定の実力を備えていて、ブロック力、レシーブ力、攻撃力ともそこそこの力を持っている。

スタートの第一セットを取っても、ちょっと気を許すと第二セットはすぐ取り返される。少し気をもんだが、第三セットに入って攻守上手くかみ合い、この試合も二対一で舟入が制した。無事決勝トーナメント一回戦突破である。

大会も三日目となり、どんどんと試合日程は進んでゆく。この日は、もう一試合、二回戦が行われた。対するは、神奈川県法政高校。

昨日からすると、もうこれで三試合目で、メンバーも皆、体のキレがいい。試合前のアタック練習でも、達山さんのスパイクしたボールが相手コートのアタックエリア前に突き刺さり、ポーンともの凄い勢いでバウンドし、体育館の二階席に飛び込んだ。相手チームも唖然という感じ。全国大会へ来ると、舟入などは全く無名で、広島で高校男子バレーというと「修徳」が、代名詞となっているくらい余りにも有名なのだ。その修徳を、県予選で破った「舟入」という、元気のいいチームがいるらしい、という声が、ボソボソとささやかれ始めたようだ。

この第二試合は、舟入は乗りに乗りまくった。選手も絶好調だ。セットカウント二対0だが、第二セットなど、あわや相手を零敗かという所まで追いつめた。結果的には、一点だけ取られたが、圧倒的な強さを見せ、三十分で片づけた。今年の高校バレーに舟入あり、を強烈にアピールした。

           

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 神奈川の法政高校に難無く勝った俺たちは、意気揚々と、「桃源境」旅館に引き上げた。

どの顔も笑っていた。それもそのはず、この時点で舟入は、参加五十八校中、ベスト十六に入ったのだ。

「達山さん凄い調子ですね。」とすかさず俺がほめると、

「おお、負ける感じがせんのよ。」と、汗を拭き拭き、着替えながら達山さんが弾むように言った。

一体どこまで勝ち進めるのだろうか。そんなに甘いとは思えないが。

旅館へ戻っても、そこここで、弾けるような笑いが起っている。

ところで、修徳高校はどうしただろうか。修徳の吉山監督とスケイチとは、東京体育大学の同期だそうで、舟入がある程度強い去年と今年は、まるで姉妹校のように、バレー部同志で一緒の遠征合宿や、練習試合をしていた。おかげで、弱かった俺たちは強くなったが、俺たちのレベルに合わせていた修徳の方は、逆に弱くなったということもあるかもしれない。今回も、修徳も一緒にこの桃源境旅館に泊まっていた。(そうだ、早川に聞いてみよう。)早川は中学の同級生で、三年間同じ釜の飯を食ったチームメイトだ。高校は修徳に進学し、今回の大会にも補欠だがメンバーの一員として来ている。

俺は奥の修徳の部屋の方に足を進めた。ところが、人の沢山いるような気配はするのだが何かシーンと静まり返っていて妙な感じだ。丁度女中さんが廊下を通りかかった。

「あのー、修徳高校は今日の試合はどうなったのでしょうか?」

「へえ、それが負けられよったらしいですわ」

 気の毒そうに言った。

何てことだ。それほど強くない年でも全国大会で「修徳」と言えば、その名前だけで対戦相手は萎縮して、一〜二回戦くらいは軽く突破するのが常の修徳であったのに。今回は二回戦で、しかも地元福岡の電習館高校に二対〇のストレート負けを喫してしまったとは。メンバー全員正座のままの大説教が、駆けつけた厳しい先輩諸氏からされている最中のこの静けさなのであろう。

これは大番狂わせだ。

これまでのところ、優勝候補の筆頭は大阪・大工大附属高校、その他静岡・東海高校、東京・東央大附属、茨城・古賀高校、山口・宇辺商業等々前評判通りの強豪が順当に勝ち上がっていた。この一角に、全く無名の我が舟入高校が食い込んで来ている訳だった。

「修徳が負けた」とのニュースは瞬く間に舟入の皆の知るところとなり、(まさか)という思いと同時に、やはりここは県大会ではなく一ランクレベルが上の全国大会なのだ、と皆の浮かれ気分も一気に吹き飛ぶこととなった。         

 大会第四日目、三回戦の相手は大阪代表藤見寺工業。修徳が予選グループ戦で二対一で敗れた所だ。実は、こんなことは初めての経験だったが、角友金属の山下先輩がこの強豪藤見寺工のチームを詳しく研究してくれて、昨夜我々の旅館を訪れ、全員参加で緊急ミーティングが開かれた。とても有難かったが、何せ一度も対戦したことも見たこともない相手の「このレフトの何番がどうのこうの、こいつがこう来てああだこうだ……」とやるものだから、何が何やらさっぱり判らない。だから、実際皆ちょっと情報過多の頭でっかちになっていた。

八月四日、ベスト八進出をかけた三回戦で舟入はとうとう負けた。

県大会の初戦から続いてきた破竹の快進撃も七連勝でストップした。藤見寺工は伝統校だけあってやはり強かった。舟入よりも数段レベルが上、という感じでどこを取ってもそつのない洗練されたバレーをする。打てども決まらず、ブロックに飛べども止まらず。ブロックには舟入はよく行っていた。しかし、相手のアタックが舟入のブロックに当たってコートの外に落ちるブロックアウトがとても多かった。これは藤見寺の作戦だったかも知れない。まともに打っても前衛の三人皆にブロックに飛ばれたら、弾き返されるだけだから、藤見寺ははじめからブロックアウトにするつもりでコート外を狙って打ってきていたのでは無かろうか。これはとても高度な戦術である。これに対し舟入の選手はがむしゃらに相手コート目指して打つので相手のブロックは面白いように決まった。最後は、野本のライトからのアタックが見事にブロックされてけりがついた。一セット目、八対十五、二セット目、九対十五、セットカウント二対0。点数的にも軽くあしらわれたといった内容だったと言える。

この試合中、俺は舟入バレー部の一年生五人と二年で唯一人ベンチに入れなかった小出に感謝したい。ベンチに入れない彼らは体育館二階の観覧席で観戦していたわけだが、藤見寺工は全国大会の常連らしく慣れていて大阪から大応援団が来てもの凄い声援なのに対して、舟入側は、たったの六人で声を枯らしてよく頑張った。試合中ふと二階の応援席の方を見やると、

「フレー、フレー、舟入」の六人の声の後に続いて、全然舟入に関係のない人たちまでが一緒に手をたたいて応援してくれていた。恐らく地元直方市の人々なのだろう。これを見たとき思わず胸が熱くなった。

こうして、俺たちの長かった夏はようやく終わった。                   

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インターハイに始まり、インターハイに終わった感のある思い出深い夏も終わりを告げ、蝉に代わって鈴虫やコオロギたちが夜を限りに泣き続ける秋も深まってきた。晴れ上がった日の日中などは、まだまだ太陽光線も強烈だが、日が暮れるとめっきり肌寒くなってきた。日没も大分早まってはきていたが、薄暗くなってもまだ居残っている生徒が結構多い。

このところ、舟入の各クラスでは十月に行われる文化祭の準備に慌ただしい。舟入では、一〜二年生は、テーマその他一切自由で各クラス毎に出し物をやることになっている。喫茶店をやる所あり、お化け屋敷をする所あり、また、ハイカラにも八ミリを回して自主映画を創り映画上映する所あり……と、てんでバラバラで全く統一性はないのだが、日頃は何かと縛られることの多い学園生活。こればかりは生徒委せで全く自由なので、日頃鬱積したエネルギーがほとばしり出ることと相成るわけ。学校あげてのお祭り騒ぎと化してとても心地よい。各クラスとも張り切ってその準備に余念がないのだ。

俺たちのクラスでは、一年の時には初めてということもあり皆で張り切って食べ物屋をやろうということで「ワラビ餅とところてん屋」というのをやった。これがまあ、いざ作って売ろうとするとなかなか大変で、事前の練習や準備も大変なら、当日の店の切り盛りも大変だった。おかげで他のクラスの出し物を見て回る時間など全く取れず、疲れただけで散々だった。それで今年は無難なところで「ガラクタ市」をたてることに落ち着いた。まあ早い話がバザーであって、これなら各自使い古した物を持ち寄って、後は店番を二〜三人置いて交代でよそのクラスの出し物も存分に見て回り、文化祭を楽しもうという魂胆なのである。

文化祭の出し物と言っても、やはり世相の影響は免れない。今年は何といっても香港の生んだカンフースター、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が爆発的なブームとなった年だ。それらを反映してか、この「燃えよドラゴン」を真似たような映画を作るクラスが続出した。バレー部の小出と井上のクラスでも、訳の分からないような台本を誰かが書いて、連日遅くまで教室や中庭などを舞台に撮影を繰り返していた。どんな駄作が生まれるのやら。詰め襟の学生服を着た者同志がヌンチャクを振り回しながら「アチョー!」とやり合う事になるのだけは大体想像がつくのだが……。

さて、そんな中わがバレー部の面々はと言えば、三年生は直方インターハイでの藤見寺工に敗れたあの一戦が事実上の引退試合となり、一応クラブ活動には終止符を打つこととなった。後は大学進学を目指し、遅れていた受験勉強に本格的に埋没することとなる。

残された我々一、二年生は、これからは一から新しいチームを作り直していかなければならない。秋から冬に向けては特にボールに触るのを最小限にとどめて基礎体力作り、筋力アップなどに重点を置いたサーキットトレーニングが練習の中心となる。五〇メートルダッシュの繰り返しや校庭を何周も走るマラソンもきついが、とりわけ辛いのは鉄亜鈴を使っての筋力トレーニング、中でも極めつけは四キロの鉄亜鈴を片手に一つずつ計二ヶ八キロを持ったまま、砂場でしゃがみ跳びを十回も二〇回も続けるトレーニングで、これはへとへとに疲れる。しかし、これらを一二ヶ月も続けていると筋力は確実にアップしているらしく、アタックや、サーブのスピードが目に見えて違ってくる。こんな早いアタックを打てたのか、と自分でも判るくらい効果抜群なのである。

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ヘロヘロになる程の厳しいトレーニングが終わったある土曜日の夕方、三々五々帰ってゆくバレー部員たちを尻目に、部室には野本と新キャプテンの半田、そして俺の三人が残っていた。その日の練習が始まる前、野本が練習の後話があるから残っておいて欲しいと言うのだった。それにしては半田も残っているようなので変な気はしたのだが。

普段寡黙で余り口数の多くない野本が言いにくそうに切り出した。

「ヤクシ、実はなあ、この間、小出や小原らが話しているのをたまたま聞いたんだが、ヤクシが昔から中原美樹のことを好きだったって言うのを初めて知ってびっくりした。半田とは帰る道が一緒なんで、いつか帰る道々そんな話になって、半田も中原が好きだっていうことで、こりゃあ一度三人できちんと話をしといた方がいいかなあ、とまあこんな訳なんだ。」

何ということだ!俺と野本と半田とは、祇園寺中学〜舟入高校と、もう五年越しでバレー部のチームメートとして同じ釜の飯を食ってきた仲間なのだ。その三人が、よりにもよってまた、一人の女の子に思いを寄せることになるなんて。

「僕は近いうちに自分の気持ちを伝えようと思ってる。」

半田がきっぱりと言った。

半田が中原のことを思っていたとは意外だった。だが、野本のことは俺の方は知っていた。それについてはにがい思い出があるのだ。

中学三年の夏休みが始まって間もない頃、バレー部の三年生の八人が北村の家に泊まって大騒ぎをしたことがあった。夜も更けた頃、誰かが、好きな人を公表し合おう、と言い出して、順々にそれぞれ顔を赤らめながら意中の人の名前を言い合った。俺も今まで誰にも言えず一人思い悩んできたが、遂に言うことになったかと、内心、友に打ち明けるのが恥ずかしくもあり、また嬉しくもあった。ところがそのとき野本の番が先に来て、野本が「中原美樹」と言い放ってしまったのだ。続いて俺の順番がやって来たが、野本のことを考えるととても言う気になれず、「特に好きな子はいない」とどの女の子の名前も挙げずに逃げたのだ。その時の俺の胸の中の大激震など誰も知りはしなかっただろう。野本はこの時皆に打ち明けたことで自分自身ふっ切れたのか、この後は彼女に積極的にアタックするようになった。いつだったかバレーの練習の後、何人かで繁華街へ繰り出すというので俺もついて行ったところ、何とそれは野本が中原に送る誕生日プレゼントを買いに行くのにひやかしで皆がついて行ったのであった。それも知らず、のこのことついて行って本当に悔しい思いをした。いっそ、あの時思い切って自分も打ち明けてしまっていたら、どんなにか楽だったろうと思った。野本とも真正面からやり合うことができただろう。その時は真剣に考えていた。俺は野本の心を知っているが、野本は俺の心は知らない。俺があの時嘘をついたからだ。死ぬほど中原に恋い焦がれていながら、自分の心を正直に友の前にさらけ出すことをしなかったからだ。正々堂々野本に打ち明けることなく、友を出し抜くような真似は出来ないと思っていた。しかし思わぬ事からそれにけりをつける日が遂にやってきたのだ。

「三人の中の誰かが彼女とうまくいったなら、その時は後の二人は潔く諦めること」

俺たちは三人だけの暗黙のルールを守ることを誓って別れた。正々堂々、男と男の勝負だ!負ける訳にはいかない。誰が何て言ったって、世界で一番彼女のことを愛しく想っているのはこの俺なのだから。

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日一日と陽が短くなり、一夜毎に寒さが増してくる。十一月に入ると、運動部各種目の秋の新人戦のシーズンとなる。各校とも三年生が抜け、メンバーを組み替えて鍛え直した成果を競い合う。

真っ青に澄み渡った秋晴れの日曜日、市立工業高校体育館では、広島市地区の高校男子バレーボール新人戦が行われていた。

インターハイでも立派に通用した六人のレギュラーメンバーの内、三年の三人が抜けたポジションを目指してこの九〜十月の二ヶ月、歯を食いしばってハードなトレーニングを耐えてきた。その甲斐あってか、遂にこの俺がレギュラーポジションの一角を担うこととなったのだ。スターティング・オーダーで前衛のライトが俺のポジションとなった。前衛レフトがエース北村、その対角後衛ライトが第二エースの野本。セッターにバレーセンス抜群の井上が入った。これはバックセンターからスタート。前衛中央には、速攻ABクイック、時間差何でもござれのセンタープレーヤー、ナイスガイのキャプテン半田。そして、俺の対角バックレフトには長年一緒にベンチを温めてきた小原が入った。

あまりに今までチームが強かったため、中学三年間と高校の二年間計五年、試合に登録はされても控え選手として出番が無く、ベンチを暖め続けてきた俺だったが、一年生にもズバ抜けた技量の者は今年はいないし、今回はチャンスと見て秘かにレギュラー入りを狙っていた。その苦労も実り遂に念願叶って、レギュラー入りを果たした。スターティングメンバーとして試合開始のホイッスルを聞いた時には思わず武者震いした。(やるぞー、見てろよー)と腹の底から力が沸いてきた。今まで公式試合に出番の無かった五年間、たまりにたまった物が一気にほとばしり出る感じだった。

試合では初スタメンと言うことで、がむしゃらにプレーするのに精一杯で、何がどうなったのかほとんど覚えていない。まあ俺の所に上がったトスは一本あったか無かったかというところだ。あくまで俺は補助アタッカーであり、囮のクイックに入ったり、ブロックに跳んだりするのが役目だ。

その点、平等なのはサーブである。サーブは野球の打席と同じで全員に順番に必ず回ってくる。控え選手だったこの五年間、サーブの技術を磨くしか試合に使ってもらえる可能性が無かったから必死になってサーブ練習をしていた。それが実ったか、何本かサービス・エースも決まった。長年下積みの練習の甲斐あったというものだ。

結局一試合目、二試合目には順当に勝ったが、三試合目、準々決勝で敗れてしまった。この夏の文句のつけ所の無いメンバーからすると何ランクも落ちる俺なんかがレギュラーにいるのだからこの程度のものだと、負けても自分自身はサバサバしていた。それどころか三試合もフル出場してそこそこのプレーが出来たことの心地良さと疲労とでこの上もない満足感を感じていた。

「ヤクシ、なかなかサーブが良かったのお。何本決まったかのお」

出番は無かったが、いつも俺とベンチを暖めていた小出が帰る道々俺を褒めてくれた。長年の下積みの苦労を知っているだけにお世辞でも嬉しかった。

「まぐれ、まぐれ」と、一応俺も謙遜という言葉は知っている。セッターの井上も初めてのフル出場で、俺と同じく負けても生き生きとして一年生のつけたスコアブックを見ながら帰りのバスの中で楽しそうに今日の試合を振り返っていた。

「井上、今日一本だけどんぴしゃりAクイックが合うたな」

「うん、あれは惜しかった」井上も俺を見てニヤっとした。ジャンプ力の無い俺は、滞空時間が短いので何度井上とAクイックの練習をしても一度もタイミングが上手く合わなかったのだ。それが今日二試合目の途中、井上が上げたトスにどんぴしゃりのタイミングで打てたAクイックが相手コートに突き刺さった、と思ったのだが、その寸前にこちらの誰かがネットタッチをしていて、結局幻のAクイックに終わった。が、後にも先にもあんなにきれいに打てたAクイックはあの一本きりだった。スコアブックの上での記録には残らなかったが、俺の心のノートには鮮烈に記録された。井上との生涯一度の忘れられない幻のAクイックだった。        

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色々なことのあった一九七四年も終わりを告げ、新しい年一九七五年が開けた。この四月からはいよいよ三年生となる。それは同時に、大学受験の勉強に本腰を入れて取り組む時期が来たということだ。

中学三年間まるまるバレー漬けであったため、高校に入ったら色んな事に首を突っ込んで視野を広めたいと思っていた俺だったが、入学式当日から先輩にバレー部に引っ張り込まれ、しかもこのチームが強かったために、この二年間というもの、バレー部の活動を中心にして自分の高校生活が回っていたような気がする。この二年間、何に一番打ち込んだかと問われれば、やはりバレーボールだったように思える。

だがしかし、これでいいのだろうか?バレーで身を立てられる訳でもないし、このままずるずると今まで通りバレーを続けていて大学に無事進学できるであろうか。二兎を追う者は一兎をも得ぬ、という。

確かに日頃から地道に努力していれば三年の八月までクラブを続けようが現役で志望校にパスできるかも知れない。しかし、厳しい練習の後、風呂や食事を終えて机についても、二〜三〇分もすると激しい睡魔におそわれなかなか上手いように勉強もはかどらない。

バレー部の場合、とりわけ「クラブを続ける」という意味が、即ち「インターハイ連続出場を目指す」ということであって、このインターハイ出場権を得るということは並大抵のことではない。ある程度の勉強時間の犠牲というものは当然出てくるし、そこを両立させようとすれば寝る時間を削ってでも努力する、ということになる。

バレーは嫌いではない。だが、かれこれもう七年間も毎日毎日飽きもせずバレーを続けてきている。それこそ無我夢中でやって来た。そろそろ卒業してもいい時期ではないだろうか。今バレーをやめることに後悔はない。ただ、今まで雨の日も風の日も、苦しみや喜び、悔しさ、嬉しさを共にしてきた「友」を捨てることになるのが、それが嫌だ。他の新三年生のメンバーも、皆大学進学を希望していて、俺と同じ立場なのだ。それをさっさと見限って、自分のことだけを優先しようとする……それが裏切りでなくて何であろう?何年もかかって育んできた友情も一夜にして無に帰してしまうだろう。

かといって、このまま三年になってバレーを続けても勉強が気になって練習に身が入らないだろうし……。

この間、電車で偶然バレー部の二年先輩の浜尾さんにバッタリ会った。浜尾さんはこの一年間の受験浪人生活を振り返ってつくづくと言った。

「浪人なんかするものじゃないぞ。絶対するなよ、浪人なんか」

この言葉が俺の頭の中で鳴り響き、苦しませるのだ。

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何て嬉しいんだろう、俺は中原美樹に嫌われてはいなかった。それどころか、ここの所、二人はちょっといい仲なのだ。

俺はこの間のことで、てっきり中原に嫌われてしまっただろうとしょげ返っていたのに、どうということは無かったのだ。

先週の火曜日、学校の食堂での出来事だった。昼休み、クラスメートの今野と学生食堂に行った。すると彼女も来ていた。俺がカレーを二人分、今野がうどんを二人分分担して取ってきて持ち寄って食べるのが日課となっていた。順番待ちの生徒の列が長く、ようやく俺の番が来てカレー二皿を持って相棒の今野を捜すと、驚いたことに、中原美樹と同じテーブルにちゃっかりと腰を下ろして何食わぬ顔して食べている。

実は、二年の春の修学旅行の時今野には、俺が中原に片思いしていることを知られてしまっていた。今野は気を効かせたつもりなのか、わざと彼女の近くに座ったのだ。

「おーいヤクシ、こっちこっち」と今野が大声で手招きしていた。

今野の左隣の席が一つ空いていて、その隣りに彼女が友達と向かい合って座っていた。俺は今野にカレーを一皿渡したが、慌ててしまって、そそくさと今野の斜め右前側に席を取ってそこで黙々と食べ始めた。ところが、うどんを既に今野が彼女の隣に置いている。

「おい、ヤクシ、こっち来いよ。うどんここに置いてるぞ」と今野が言っているのに、頭に血がのぼってしまって、そのうどんをわざわざ取りに行って自分の席に戻って黙々と食べ続けたのだ。

ここのところ、彼女の前に出ると前々からこうしようと決めていた予定の行動以外は、自然な立ち振る舞いが全く出来ない。友人がわざわざ呼んでいるのに知らん顔して行かないというのは、よっぽど俺が彼女を毛嫌いしていると写ったことだろう。その日からガックリとしょげ返っていたのだった。

ところがそれから一週間後、昨日の月曜日家への帰り、俺の乗っていたバスに、途中から彼女一人が偶然乗り込んで来た。

「やあ」という感じで軽く声をかけた。彼女も俺に気づいて小さく「ああ」とこちらを向いた。

さあ、それから俺の方はと言いえば、先週の学食でのことが頭にこびりついていたから一体何をどう切り出そうかとまごまごしていた。と、意外にも先日のことなんか全く無かったかのように彼女の方から話しかけてきたのだ。

「どこから乗ったの?」

「うん?十日市から」

「そう」

スムースに会話が始まって、食堂でのことは、単に俺の考え過ぎだったのか、と内心ホッと安心しかけていたところに、

「この間食堂で………うどんのびちゃったでしょう?」

と、急に話がそこへ戻ったのでドギマギしてしまった。

「う、うん、まあ」

「何かおかしかった、あの時の薬師堂君。最近私を何かすごく意識してない?中学校の時からずっと知ってるのに、変によそよそしいのよね」

ズバリ核心をつかれて、俺はカーッと顔が耳たぶの辺りまで真っ赤になって行くのが判るくらいにウロたえてしまった。だが咄嗟に、言うチャンスが有ればいつか言おうと思ってずっと胸に秘めていた言葉が、内心の臆病さとは裏腹に大胆に口をついて出た。

「いやー、中原さんが最近見違えるようにきれいになったんで、もう意識しちゃってまともに見れないんだよ」

「そ、そんなこと言われたって……」

今度は中原の頬が、ポッと紅をさしたようにほんのりと赤みがかった。

かろうじて何とかピンチを凌げた。やっと平静さを取り戻して、

「卓球部はいつ引退する?」

「一応私は六月まではやるつもりだけど」

「そうか。実は俺、今色々考えてるんだよね。バレーも長いこと続けてきたけど、そろそろ潮時かな、とかね」

「そうね。バレー部の場合半端じゃないものね」

別れるまで、ずっと二人で色々なことを話した。話が途切れることは無かった。

俺はもう、天にも昇るくらい嬉しくて、彼女が俺のことを嫌いとかそう言うのでは全然無くて、俺の彼女を意識するあまりの頑なな最近の態度が、彼女との意志の疎通を一方的に妨げてきていたのだということが判ってとっても安心してバスを降りた。

最近彼女に対する俺の思いは募るばかりで、彼女を意識しすぎてまともに口すらきけないようなぎこち無い自分にもういい加減にこの恋は諦めようかと内心本気で思い始めていたのだった。だけども、そんな考えはあっという間に跡形もなく消え失せてしまった。やはり中原美樹が一番素敵だ。

それに、俺は中原との接点を発見した。彼女と俺とは同じ町内なのだが、郊外行きのどのバスでも俺は帰れるけれども、彼女はその中の団地行きバスに乗らないと帰れない。このバスの便は数少ないから、中原が帰りに乗るバスの便は大体決まってくる。そのバスに二区間前からこっそり俺が乗っておく。すると横川駅前から一人で乗ってくる中原に会えるというわけだ。

ここの所毎日のようにその手を使って、中原と二人色々なことを話しながら帰るのがちょっとした楽しみになっている俺なのだ。

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三月も学年末試験が終わって、後は三年になるのを待つばかりとなった。

クラブのことをどうするかという大問題が真正面から俺に迫ってくる。年末の時点では、悩んでいても結論は出ないのでともかくクラブを続け、二年の終わりの時点で結論を下すということに心を決めておいたのだが、とうとうその時が来てしまった。三月二十日の終業式の日にすべてを決めようと思っていた。だがその日が目前に迫ってくると本当に困った。自分自身どう決断したらいいのか判らないのだ。

バレーというものへの興味や熱意は、今やほとんど消え失せてしまったといってよかった。初めてフル出場した秋の新人戦に燃え尽きてしまったのかも知れなかった。そんな俺がバレーをやめるのをためらっているのは、只、只、今まで頑張ってきた二年生の仲間八人と訣別することになるのが嫌だということ以外何も無いのだ。

そうこうしているうちに、三月十七日、井上と小出が何の相談も無しにクラブをやめてしまった。大本や小原も揺れている。俺も迷いに迷っていた。

帰る道々三人で延々と話し合った。

「クラブをやめれば確かに時間は出来る。だから勉強ははかどるかも知れない。が、けっして正しいとも思えない『受験戦争』といったものに甘んじて、頑張っている友を見捨ててもいいのか」

「そうだ、今やめることは自分自身の私利私欲のために友を見捨てることだ。自分さえよければそれでいいというエゴに過ぎないではないか」

「だが、そこまで他人本位にクラブというものを考えるのはどうなのか。インターハイを目指す気力もなく、試合に早く負けた方がいいと思っているような俺たちが居たって練習の邪魔ではないのか」

「それでは俺たちは、歪んだ教育システム、大学入試といったものに負けてしまうことになるのではないのか」etc……

去年の十二月二十九日、舟入バレー部二年生九人で集まった忘年会は大いに盛り上がった。俺たち九人、苦しいながらも同じ釜の飯を食った仲間と心底思えた。あの時、あれほどまとまっていた九人が今はもう「大学入試」という大きな怪物の前でバラバラにされてしまっている。

 

           二十四

遂に運命の日、三月二十日がやって来た。

今日を限りに、舟入高校男子バレー部をやめることをとうとう決意した。

思えば、小学校五年の時から、雨の日も風の日も毎日のように白いバレーボールの球を追いかけてきた。しかし、今日を限りにスポーツの世界からは足を洗うことに決心したのだ。

そう決めたら、何かフーッとふっ切れた。

――――この最後の日のバレーを、一生忘れることのないくらいに全力でプレーして、思い出深いものにしよう――――そう心に刻み、最後の日の白球を追った。ここの所二年生が一年生を鍛えることに重点を置いた練習をしていて、二年生は一年生とペアを組み柔軟体操からパス、レシーブまで手取り足取り見てやるのだ。俺は一年の正田と組んでいる。正田は身長百六十センチあるか無いかの小柄だが、素直でバイタリティーある可愛い気のある奴である。

「まだまだ!」

俺の打つ球を重心を低くして正田が必死にレシーブしてくる。全身全霊を込めて俺は打ち返した。何やら熱いものがこみ上げてきて目が潤み、ボールがツーっと逸れて体育館の床を転がっていった。

青春の日々を費やしたバレーボールよ、さらばだ。

外は雨が降り始めていた。

                                       

練習が終わって気の変わらない内に退部の決意をスケイチ監督に言いに行くことにした。今日でやめることを小原にだけ打ち明けると、小原も「お前がやめるのなら俺もやめる」と言い、二人で退部表明に行くことになった。

スケイチはグラウンド南端の体育教官室に居る。小原と二人歩き出したところでキャプテンの半田と出くわした。出来れば半田とは顔を合わせたく無かった。頑張ってゆく彼等の前に立って、俺たち二人何の話があろうか。

どう話を切り出すものかと迷ったが、

「今からクラブをやめる決意を言いに行く」悪いとは思うが、と言うと、

「悪いと思うならやめるな」

穏やかだが厳しく半田が言った。そして、

「自分の立場として、やめろとは言うことが出来ない。自分としては、あくまでやめるものがいたら引き留める立場なのだから」と言った。俺は何も言えなくなった。暫く沈黙が続いた後、

「やめることについてどう思う」と俺が聞いた。

「そのことについてとやかく言うことは出来ない。井上、小出、大本とやめていって、やっぱり寂しいし、それにまた裏切られたような気もする。だけどやめることについてはとやかく言えない、僕は」と言うのだ。

俺はもう、自分のエゴの悲しさと、半田がここまできてもまだ優しい態度で俺たちに接してくれる、その心に打たれ、涙が出てきて性がなかった。その涙が目から溢れるのを見られまいと必死になっていた。半田が「寂しい」と言った時、本当に寂しそうだった。

つい三ヶ月前、二年生九人はまだしっかりと固まっていた。それが今はもうバラバラになってしまった。

とにかく俺は半田に、そして他の皆にも一言謝りたかった。

「みんなを裏切ることになって本当に悪いと思う」涙をこらえて、精一杯心を込めて、そう言った。

途中から、野本も俺たち三人の様子を見かねて近づいてきた。半田は監督には相談の形で行く方がいいだろう、と言った。そして最後に、

「それでやめることに決まったんだったら、もう勉強の方に打ち込めよ。だけどお前ら、僕らに気兼ねすることは無いよ。僕らは今まで通り友達なんだから。な」

そう言って帰って行った。野本も俺たちに背を向けながら、

「まあ、またいつか九人が集まることもあるだろう………」と、通り過ぎていった。

 俺は涙が出て今にも溢れそうで、涙が落ちるのを歯を食いしばって我慢して、小原と二人、校庭の片隅にいつまでも立ち尽くしていた。

その傍らでは、つっかい棒で支えられたアカシヤの老木が、ひっそりと立っていた。風で枝をゆらゆら揺らしながら、まるで俺たちを静かに見おろしているみたいに……

 

                              ―完―