第一章 伝承輪廻

 ――夢は、現(うつつ)か幻か。

 この地は、四方の国より成る。
 即ち、北の朧阿(ろうあ)、東の史鳳(しほう)、西の少飛(しょうひ)、南の嘉条(かじょう)。
 
 この地に伝わる伝承は、やがてこの地の現実と成る…。

〜第1話〜

南に位置する国・嘉条の片田舎、小さな農村に弦楽器の音色が響いていた。各地を渡り歩く吟遊詩人のものだ。緑に溶けるような音の余韻の後には、その周りに集まった人々の拍手と喝采が響いた。
「いいぞー兄ちゃーん」
「これでおしまいかい?もっと聴かせておくれよ」
 そんな歓声に応えるかのように、吟遊詩人は姿勢を直した。
「…よ―し、陽興(ようこう)の都ももうじき祭だ。ここはひとつ、皆様のご要望にお応えしてもう一曲ご披露いたしましょう!!」
 再びわっと拍手が起こる。緑の大地に再び弦楽器の音色が響き始めた。遠方には荷馬車がゆっくりと通り過ぎて行った。

             *             *            *

「着いたよ嬢ちゃん。あんた運がいいね。今日は都で一番の祭らしいよ」
 様々な楽器の音色と、人々のざわめきが大きくなって来た頃、馬車は止まった。
御者の声が到着を教えてくれる。少女は自分の荷物を背負い、同乗していた積荷の間を縫って、荷台から降りた。
「じゃあな。しっかりやんなよ」
「はい、ありがとうございました」
 都を通ると言うので乗せてもらった礼を言って、少女は再び動き出した馬車に頭を下げた。
 ここからはまた一人。見上げれば首の痛くなるような都の城壁と城門を前に、少女はふと故郷を思い出した。


  ――華燐(かりん)、辛くなったらいつでも帰ってきていいんだからね。
  見渡せば、家の他には一面の大地。そんな故郷で聞いた母の言葉。その周りで家族が騒ぐ。
  と言っても彼らに血縁は無い。
  平穏に時が流れているかに見えるが、何十年も前からこの地のどこかで戦は起きている。
  そんな時代の中で、『ひとり』になった者たち。それが、少女の『家族』であった。
  何も無い片田舎、自給自足で暮らしていくには限界もある。
  だから、一人で働いていけるようになった『家族』は、一人立ちしていく。

  今年は少女――華燐の番だった。寂しくもあり、不安でもあった。
  それでも、『帰る場所』があるから、やっていける。そんな確信もあった。


 故郷と都はまるで別天地だった。
 陽興の都は全体が碁盤の目のように整然と区画されている。南の城門からまっすぐ北に通っているのが、今祭りが行われている大通りである。大通りは都のほぼ中央に位置する宮廷城門に繋がっている。
通りの果てにはその宮廷城門の瑠璃瓦が小さく見て取れる。それほど距離があると言うことだろう。
 その大通りを中心に軒を構える店舗や家屋は、碁盤の目に沿って絶え間無く立ち並んでいる。そして、そこに住む者・あるいは祭目当てにやってきた人々が作る雑踏。更に、街と人を飾る極彩色の装飾や衣服。何もかもが新鮮に、そして衝撃的に華燐の中に入ってきた。
 しかし、驚いているばかりではいけない。
自分はここに『仕事』を探してやってきたのだ。少しでも早くそれを見つけなければ。一応の路銀はある。だが、そう何日も宿屋暮らしが出来るほどの額ではない。どこか健全に、願わくば住み込みで働ける場所を確保しなければ、今後の生活に希望は望めない。だから、残念だが呑気に祭に興じている暇は無い。
 楽器の音色と人込みをくぐり抜けながら、華燐は目的達成に向かった。

           *                  *                 *

 『運がいい』と荷馬車の御者には言われたが、今、華燐の抱える目的において、『祭』という状況は決していいものではなかった。
 目の前の人間と会話をするにも大声を張り上げなければならず、呼び込む声は、品物を見て行ってくれという客引きの物ばかり。人込みをかき分けるのも結構な重労働だ。結果、華燐が手に入れていったのは、予想以上の疲労だけであった。
 
 一休みしようと華燐は人の波からやっとの思いで抜け出した。
傍から見れば、人々がどれだけ浮かれ騒いでいるのか良く分かる。華燐は今年十七になるが、人込みの中には同じくらいの年頃の少女達も数多く見て取れた。祭の為の余所行きなのか、彼女達の身に纏う衣装はどれも洒落たものばかり。ひらひらと揺れる色鮮やかな衣服の裾は祭を構成する色の一端を担っていた。
 華燐はふと、自分の姿に目をやった。都の流行など、判るはずも無い。動き回る事を想定して、ともすれば少年にも見えるような身なり。肩を過ぎるくらいの髪は、昔から高い位置でひとつにまとめるだけ、というのが殆どで、当然今もその状態である。羨ましがっても仕方ない。そう思ってはいるものの、華燐の目は、どうしても少女達を追っていた。
 そんな折だった。
「そこの君」
「…はい?」
 一瞬、声をかけられたのが自分だと分からず、華燐の返事は遅れた。私ですか?と自分を指差す華燐に、そうそう君、と頷いた声の主は一人の若者だった。男の髪が長いのも、珍しい事ではない。長い髪を一つにまとめて背中に流している。彼は続けた。
「一人なの?良かったら俺と一緒に出店を見て回らない?」
 客観的に見て悪くなく、むしろ割といい部類の顔立ちに柔らかく笑みを浮かべて。華燐はその背の高い姿を見上げた。
 ――…これは…世に言う…
 ナンパである。
 さて困った。決して男との会話が初めてというわけではない。故郷にだって、この若者くらいの年格好の知り合いはいたし、彼らと普通に会話もしていた。しかしナンパとなれば話は別である。都会には多いと聞いていた。が、まさか自分がその標的になろうとは。
 何をどうあしらっていいのか分からず、とりあえず華燐は一歩引いた。
「え、えーっと…、す、すみません。私、ちょっと用があるんで…」
 (多分)相手に悪意を与えないように、言葉を選んで少しずつ後ずさる。嬉しいお誘いなら少し勿体無い気もするが、そうであるか否かを判別できるだけの知識と経験は華燐には無かった。
 すると、青年は不意に声を荒くした。
「ちょっ…そっち、危な…!」
「え…きゃあっ!!」
 何が危ないのか分からないまま、華燐は雑踏の一端に弾き飛ばされ、開けた場所に尻餅をついた。人込みの中で周囲を気にかけていなかったのだから当然と言えば当然なのだが、
「…い…ッたぁ〜〜…」
 今回は、場所が悪かった。
「そッそこの子、退け…!!」
「へ…?」
 顔を上げた華燐の目に飛び込んできたのは…馬脚。
 祭の行われていた大通り、その中央は開けており、客や荷を乗せた馬車が行き交っていた。

 暗転。

              *             *            *

 地面にしては柔らかい。そう思った。
「ん…」
「あっ、気がついたー」
「ひゃあッ!!?」
 ゆっくり目を開け、焦点がはっきりしてまず最初に見えたのは、人の顔だった。しかもその距離は割と近い。思わず奇声を発して跳ね起きた華燐に一瞬驚いた様子だったが、その人物はすぐににっこりと笑った。華燐は、恐る恐る尋ねてみた。
「あの…ど、どちら様で…」
「僕?僕、煌莱(こうらい)だよ。君は?」
 改めて見ると、目の前の人物はまだ少年だった。わずかに癖のある金の髪に丸く大きな緑の瞳が良く映える。そして華燐は寝台の上にいた。掛け布団は、自分の所為で汚してしまっては申し訳無いかのように白い。
「え?…か、華燐…」
「華燐ちゃんかあ、よろしくね。あ、湖成(こせい)ー、あの子気がついたよー」
 名前を問われ、慌てて返すと、少年は思い出したかのように、隣の衝立の向こうに声をかけた。
「はいは―い…あら、ホントだ。ども、おはよーございます。状況、分かります?」
 明るい返事と一緒に顔を出したのは小柄な女性だった。背丈は華燐より低いかもしれない。
身につけているのは白衣だ。彼女の明るい声音で問われた質問に、華燐は記憶の糸を手繰った。
「え、えっと…私、確か大通りで、人込みに押されて、馬の足蹴に…」
「ハイ、状況把握、異常無し。で、最後のひとつは未遂で助かったんですけど貴女、そのまま気絶したそうで。で、取り急ぎこちらに運び込まれた…のがこれまでの流れです。何か、質問ありますか?」
 どうやら事故(未遂)から幾ばくか時間が経っているらしい。軽い身振り手振りのついた補足説明で、何がどうなってここにいるのか、だけは理解できた。
「…基本的なこと、お訊きしていいですか?」
「ハイ」
「ここ…何処なんですか?」
 それでも、これだけは訊いておかなくてはならないだろう。よく見れば、部屋の雰囲気全体が雅やかな造りだった。華燐の問いに、女性ははた、と思い出したように、
「あ、これは失念。えー、こちら嘉条の都、陽興にあります、宮廷医務室でございます」
 旅行の案内係のように片方の手のひらで部屋を指した。
「はぁ、宮て…ぇええええっッッ!!?」
 完全に飲み込む寸前で、何を飲み込もうとしているのか気付いたらしい。クレッシェンドな発声で驚きの声を上げる華燐に、女性と少年は揃って目をぱちくりさせた。
「……きゅ、宮廷って、いわゆるひとつの国で一番大きくて豪華な建造物で、偉い方とか沢山いらっしゃる…」
 恐る恐る、自分のこれまでの概念を指折り音声化してみる。おそらく間違ってはいない筈だ。いちいちそれに頷いていた女性は、『違うんですか?』と目で訴える華燐に対して、明るくこう返した。
「まー、一般的にはそういう定義付けになりますけど、そんな萎縮しなくてもいいですよー?」
「しますッ!!」
 するなと言う方が難しい。初対面とは思いながら、華燐は力いっぱい否定した。
「そーですか?まあ、仕方ないと言えば仕方ないですね。でも、貴女をここまで運んできた人って…」
 女性の語尾をかき消すように部屋の扉が外から開かれた。

          *             *               *

「ねぇ聞いた?市井(しせい)の女の子が宮に連れてこられたらしいわよ?」
 宮廷のほぼ中央に位置する廟で、掃除の手を休めて女官が言った。
部屋にはもう一人、彼女と同じ仕事をする女官がいる。
「え?何それ?」
「ホラ、今日は大通りで祭りがあったじゃない?そこで一騒動あったらしくて」
 廟は、円柱形の建物である。そして他の棟とは違い、人の出入りは少ない。定期的に出入りするのは清掃係の女官くらいのものであった。屋内は、蝋燭の明かりが薄暗く照らしている程度である。しかし、滅多に人が入らない割に、柱や天井には細やかな細工が施してあった。二階程度の高さまで吹き抜けになっている廟の中は、ちょっとした会話も反響し、不思議な空間となっていた。
 小声の会話は続く。
「へぇー、でも、何で宮廷(ここ)に?」
「それが、丁度そこに居合わせたのが…」
 廟の中央には祭壇のような段差が組まれている。
それを登った所には、これも細かな細工の彫られた石櫃(せきひつ)が置かれている。石櫃には蓋が無く、軽く手を広げたほどの大きさのそれを、静かに水が満たしている。水底は、闇(くら)い。
 丁度その祭壇の辺りの清掃にかかった時、女官の一人がふと注意した。
「ちょっと、乱暴に扱っちゃ…」
 石櫃の水に、小さな波が立っているのが目に入ったのである。てっきり相方が揺らすような事をしているのだと思っていた。
「え?私何も…」
「え…?」
 本当だ。よく見れば二人とも波立てるような事はしていない。しかも、揺らされて立った波ならば、いずれは消える筈なのに。石櫃の波は、静かに湧き出る泉のように、その中央から、静かに、しかし絶える事無く湧き出し続けていた。
「ね、ねぇ…なんか、おかしくない?これ…」
「やだ、治まらないわよ…。ど、どなたかに知らせなくちゃ!!」
 女官二人は慌てて廟の出口に向かった。

         *               *                 *

 一人の男が、左右を見回しながら足早に回廊を歩いていた。
「…陛下!どちらにおられます!陛下!!」
 探し人らしい。男の歳はまだ若い。回廊の角を曲がって数歩歩いてから、彼はゆっくりと足を止めた。
「…これで大人しく出て来てくれれば、苦労は無いんだがなあ…」
 整った顔立ちに、溜め息と一緒に憂いが現れる。
「どうなさいました?桐巳(とうみ)殿」
 そんな彼に、向かいから歩いてきた女官が二人、声をかけた。
「ああ、貴女達、陛下をお見かけしませんでしたか?」
 探し人の行方を尋ねる男。身分的には彼の方がよほど上なのだが、彼は誰に対しても丁寧な言葉で接する。そして、物腰穏やかな気性からも、宮廷の女性からの人気は高かった。
「陛下…でございますか?」
「陛下でしたら、確か先ほどあちらへ…」
「あっちの棟は…まさか…」
 顔を見合わせ、自分たちのやってきた先を手で示す女官。この宮廷の構造を知り尽くした彼は、その方向から考えられる可能性のうち、最も有力なものを選び出していた。そんな時だった。
「桐巳殿!!」
 今度は彼が歩いてきた方向から、女官が二人駆けてきた。慌てていたらしく、辿り着いた彼女たちは肩で息をしている。
「どうしました?そんなに慌てて」
 多少驚きはしたが、取り乱す事無く青年――桐巳は尋ねた。女官は、途切れ途切れに言葉を発した。
「は、はい。実は…」

        *              *                 *

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