部屋の戸を開けたのは、華燐の見覚えのある人物だった。
「湖成、あの子の具合は…」
「おや、噂をすれば」
 長い髪を一つにまとめた男。何の飾り気も無いような自分に、大通りで声をかけてきた男。
「あ、貴方、街で会った…」
「って君、気が付いたんだね?良かった…」
 華燐が確認しようとすると、向こうもこちらの存在に気付いたのか、男はこちらに向かって歩いてきた。
「おかえりなさーい。どちらに行かれてたんですか?」
「やっとこさ御大臣方に話つけてきたトコ。ったくアタマ硬いったら…。大丈夫だった?どこか痛むトコとか、無い?」
 肩が凝ったと言うように首筋に手を当てながら白衣の女性に返答し、そのまま一連の動作のように寝台の淵に座り、こちらに気遣った言葉をかけてくる。
「は、はあ…」
「イヤ、俺にも責任あると思って…。いきなりこんな所で目が覚めてびっくりしただろ?
でも、あの辺りの医者に任せると後々都合が悪かったから…」
「…あ、貴方が、私を…?」
 その言葉の流れを聞いて、華燐はひとつの答えに辿り着く。こちらの緊張を和らげる為か、彼は大通りで見せたような笑顔を見せた。
「ん。ああ、まだ名乗っても無かったね。俺は槍瑛(そうえい)。君は?」
「…か…華燐…」
「華燐ちゃんか、可愛い名前だね。…どうかな?お詫びの意味も込めて、明日にでも俺とデートしない?」
「ハイ??」
 流れるように滑らかに言ってのけられ、気付けば華燐は両手を相手の手のひらに包み込まれていた。思わず素っ頓狂な声が出る。
「明日で都合が悪ければ、別に明後日でも明々後日でも弥の明後日でも…」
 つまりはいつでもオッケーらしい。華燐は見事に大通りの続きを始められている事に気付いた。
「そ、そうじゃなくて!!大体、私は都(ここ)に仕事を探しに…」
「陛下!!」
 (仕事を探しに)来たんですから済みません、貴方の申し出、お断りさせてください。
そう言い切ってしまおうとしていた華燐の目標は、志半ばでよく響く第三者の声にかき消されてしまった。

          *          *         *         *           *

「…へ、ヘーか…?」
 平価・兵家・陛下。
 いくつか漢字変換は思い当たるものの、多分正解は三つ目だろう。じゃなくて。
 頭の中で奇妙な変換ゲームを終えた時、華燐が見たものは、(おそらく勢い良く)開け放たれた部屋の扉と、その向こうに立っている一人の美青年だった。華燐だけではなく、部屋にいた全員の視線が扉の方に釘付けになっていた。
「…やはリこちらでしたか…」
 納得いったと言うように、彼はゆっくり入室してこちらに向かってくる。
「って…ま、まさか貴方が…?」
 信じられないけれど、と華燐は未だ自分の手を取っている男――槍瑛を見た。しかし槍瑛は、いや、俺じゃなくてと手で示し、陛下はあっちとその手で示す。その先には。
「な、何で分かったの桐巳…?」
 そう言えばさっきからずっといた金髪の少年が、ゆっくりと(わき目も振らずに)向かってきた黒髪の青年に対し、ぷるぷると震えている。
「方向さえ分かれば大体の見当はつきます。私が何年貴方にお仕えしているとお思いですか?」
 しかし、その涙目に騙される青年ではない。穏やかな言葉は笑顔と共に。モトが端正な分、迫力のレベルが違う。
「…へ、陛下って…いわゆるひとつの国で一番偉い人で、イメージとして威厳のある…」
 そんな光景を見ながらも、華燐は再び指折りイメージを列挙していた。律儀にそれに返すのは白衣の女性。
「まー、一般的にはそうですけど、嘉条(ウチ)の陛下はお若くして即位されましたんで…」
「あ、あの子…もとい、あの方が…」
 故郷と都は別天地。
 お母さん、都には私の常識の及ばない事がいっぱいです。
 華燐が必死にイメージの更新を図ろうとしている傍らで、槍瑛は扉の外からそっと様子をうかがう者達に気付いた。
「…おい桐巳。あの子たちも陛下捜索部隊か?」
「え?いえ、彼女たちは…そ、そうでした陛下!!至急、廟にいらしてください!」
 槍瑛の言葉に本来の目的を思い出したらしい。桐巳は突然真剣な顔付きで少年――煌莱に向き直った。
「廟に?何かあったの?」
「ええ、廟の石櫃の様子がおかしいのです。私も先ほど確認しましたが、鎮めの水が波立ち続けていて…」
「分かった。槍瑛も来て」
「はい。ごめん華燐ちゃん、積もる話はまた後で」
 煌莱に促されて槍瑛も席を立つ。男三人が出て行くと、部屋は妙に静まり返った。
しばし呆然としていた華燐だったが、間が持たず、そっと女性に尋ねてみた。
「…あの…私、どうすれば…」
「ん――…、行ってみますか?」
「ハイ?」
 返って来たのは聞き返したくなるような答えだった。女性は続ける。
「見たとこ、もうお元気そうですし。てゆーか私自身が行きたくてウズウズしてるだけなんですけど、ここに貴女一人置いて行くわけにも行かないので」
 つまり、自分が行きたいから貴女も付いて来てくれると嬉しいです。ということらしい。見れば彼女の目はしきりにそういった旨を訴えている。
 ややあって、華燐は恐る恐る返した。
「…私、何も責任取れないですよ?」
「あ、その辺は大丈夫です。私が何とでも言いくるめますから。いやー、話の分かる方で嬉しいですよー。あ、自己紹介が遅れました。私、湖成と申します。こちらで軍医なぞやってます、よろしく。」
「は、はあ…」
 改めて差し出された手にとりあえず応える。
「それじゃ、話がまとまった所で、レッツラ・ゴー!」
 そのまま手をとって、女性――湖成は華燐と共に(滅茶苦茶嬉しそうに)部屋を出た。

         *                *                 *

 ―――りん。

 鈴に似た音だった。

「あ、あの、今何か聴こえました?」
「イエ、何も?」
「そう、ですか…」
 気のせいかな?そう思うことにして、華燐は前に向き直った。
 湖成と一緒でなければ、とうの昔に屋内で迷子になれただろう。華燐が部屋を出て十秒も経たないうちにそう思えるほど、宮廷の造りは細かく、何処もかしこも似通っていた。
 まず部屋を出て左右に続いていたのは長い長い廊下。朱塗りの欄干(らんかん)の向こうはすぐ屋外で、距離を隔てたその先には、おそらくこちらと同じ造りの建物がある。その建物と繋がった回廊を途中で折れて、更に曲がる。何処まで行っても天井や柱の装飾は絶える事無く、実際以上に歩いたような錯覚を覚えた。
 そして、やっと湖成の足が止まった。
「…ハイ、到着――。皆さん何がどうされたんですかー?」
 円柱のような建物の入口だった。どうやらここが『廟』と呼ばれた場所らしい。中央の祭壇にいた先ほどの三名。周囲には数名の兵士が控えている。
 槍瑛は入口付近で足を踏み入れた小柄な娘と、その後ろに隠れるように立っていた少女に気付いた。
「湖成…に、華燐ちゃん?」
「あ、ご、ごめんなさい。私、部外者なのに…」
 やっぱり怒られる。湖成は大丈夫だと言ったが、華燐はやはり気が引けて更に身を縮めた。

 ―――りん。

 やはり聴こえた。鈴に似た音。今度はさっきよりも大きい。
「…あの、この鈴みたいな音、何ですか…?」
 誰か知っているのではないだろうか。そう思って、華燐は失礼ついでに尋ねてみた。
「鈴…?何か聴こえる?桐巳」
「いえ、私には…」
 首を傾げて隣を見上げる煌莱、黒髪の青年も、首を横に振る。

 ―――りん。

 もう一度鳴る。前よりもはっきりとした音で。
「…まさか…。華燐ちゃん、ちょっとこっちに」
 口元に手を当ててなにやら考えていた様子の槍瑛が、ふと祭壇を降りてきた。
「え?でも…」
「いいから」
 華燐の手を取る。今度は妙な目的ではなかった。
 手を引かれて、華燐は恐る恐る祭壇を昇った。踏むのが躊躇われるほどに見事な細工が施されていたからだ。
 祭壇の中心に置かれていたのは石の棺。先ほどから一定に鳴り続ける鈴に似た音は、ここから聴こえてくるのだと分かる。櫃の中には水が波紋を作り続けている。水底は、闇い。
 しかし、空(から)ではなかった。よく見れば、闇の中心に淡い紅色が見える。細長く、淡い光。

 剣だ。

「これは…?」
「手に…取ってみて」
「私…が?」
 鈴の音は、聴こえ続ける。
「槍瑛様、もしかして…」
 ちゃっかりとついて上がって来た湖成が見上げる。槍瑛は、視線を変えない。
「その『もしかして』が『もしかして』じゃなくなるかもしれない」


 ――――古(いにしえ)に語る 地は天に依りて成る
       天を望む者 其の力を以って 地を分かつ


 水面に少女の手が触れる。さざめき続けていた水面は、少女の指先の作る波だけになる。
 冷たい水の感触。その中で指先に触れたものは、わずかに暖かく感じられた。
 剣の柄を握る。その瞬間、鈴の音は最も大きな音で鳴った。

 水面から、ゆっくりと剣が姿を現わしていく。
 白銀に似た、淡い淡い、薄紅色。


 ――――其の名 即ち 蒼月(そうげつ)、連風(れんふう)、鳥景(ちょうけい)、花玉(かぎょく)
       其は形代(かたしろ)に依りて 時を経(ふ)るなり


「御剣(みつるぎ)が…」
「…これは…」
 護身の為に、故郷の人から剣術を教わっていた。稽古に使う木刀は重かったけれど、真剣はもっと重い筈だ。 しかし、今手にしている剣は、信じられないほど軽い。少しでも触れればすぐに血が流れそうなほど磨き上げられた刀身なのに。
「それは、この嘉条に伝わる御剣、『花玉(かぎょく)』。これまでずっと、この廟に祀られてきたものです。古くからの伝承によれば、この剣を手にし、振るうことが出来るのは一人だけ。剣が選んだ主だけだと言われています」
「そして、剣の主とは、剣の『力』を世に現わす事が出来る者…」
 華燐の隣にいた桐巳の説明に、槍瑛が続ける。
「…ま、まさかそれが、私…?」
「アレ…ガセじゃなかったんですねえ」
 剣を手にしたまま呆然とする華燐。流石に驚いた様子の湖成。
 桐巳の向こうにいた煌莱が間を縫って隣にやってくる。
「僕達には聴こえなかった、鈴みたいな音っていうのも、華燐ちゃんにしか聴こえなかったんでしょ?」
「そ、そうみたいだけど、でも…」
 そんな剣が自分などを選ぶ筈は無い。そう理解して疑っていない。
 けれども、消える事の無い、懐かしさにも似た感覚。


 ――――古に現(うつつ)を語るは 時の輪廻
       巡りて其は 現とならん

 
「何より、今そうやって剣を手にしてるのが何よりも現実だよ。…華燐ちゃん…仕事を探しに都に来たって言ってたっけ?」
「う、うん…」
 華燐は、漸く剣を下ろし、視線を動かす事が出来た。消えない感覚。
「どうやら、『それ』が君の仕事になりそうだね」


 ――――其を得し者 悠久(とわ)の天地を抱(いだ)かん
 

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