〜第2話〜 目が覚めた。
窓の外から、何事も無かったかのように日の光が差し込んでいる。
この国ー嘉条に古くから祀られる宝剣、『花玉』。
その宝剣が選んだ主(あるじ)、――それが、自分。
都に出てきて初めて起こった、信じられないような、真実。
そんなことがあった日の夜、きっと眠れないと思っていた。けれど、どうやら無意識の内に体力が負けてしまったらしい。あてがわれた一室の寝台で目を覚ました華燐は、寝起きの頭でそんなことを考えた。
体を起こし、服を着替える。傍らに置いた宝剣が目に入った。
(夢なんかじゃ・・・無いんだよね)
着替えを続けながら、鞘に収まった刀身を見ていた。剣(つるぎ)は、何を語るでもなく。
帯を結び終えたあたりで、不意に部屋の戸を軽く叩く音がした。
「は、はい」
「こんにちは。よろしいかしら?」
静かに開いた扉から顔を覗かせたのは、華やかな衣装の一人の少女だった。丸く大きな瞳が可愛らしい。
「・・・あなたは?」
「初めまして。私(わたくし)、嘉条第一皇女、鈴琳(れいりん)と申します」
華燐の問いに、少女は全身を見せて一礼して見せた。小柄な少女だ。しかし、その身のこなしは侍女のものより更に気品があるものだった。
「皇女・・・と言うと・・・えーっと・・・その・・・」
そして、少女の自己紹介に入っていた単語は、華燐の目覚め切っていない頭を覚醒させるのに充分の意味を持っていた。ここは、宿屋でも下宿先でもない。都の中心に位置する宮廷の中なのである。
慌てて居住まいを正す華燐に少女――鈴琳は微笑む。
「そんなに萎縮なさらないで。礼儀上身分を申しましたけれど、私、身分など関係無く貴女とお話してみたいと思っていましたの。」
「は、はい・・・」
「華燐・・・さん、でしたわよね?ねえ、お腹がお空きではありませんこと?」
「え・・・ベ、別に・・・」
鈴琳の言葉に、華燐が否定しようとした瞬間、彼女の腹の虫が小さく鳴った。
思わず赤面し、うつむく華燐。しかし、鈴琳はそれを面白がったりはしなかった。
「体は正直ですわ、もうお昼前ですもの。そう思ってお食事を用意してまいりましたの。召し上がられるでしょう?」
「・・・い、いただきます・・・」
いつ眠りについたのか分からないのだ、いつ目が覚めてもおかしくは無い。どうやら自分は随分優雅に眠りこけていたらしい。うつむいたまま、華燐は小声で答えた。
「良かったvそれじゃあ・・・」
「もう来てますよ、鈴琳様」
戸の向こうに声をかけようとした鈴琳に、それより早く女性の声が答えた。数個の器の乗った盆を手に、入ってきたのは、華燐より幾つか年上に見える女性だった。鈴琳の顔が明るくなる。
「まあ、沙那(しゃな)!華燐さん、ご紹介しますわ。彼女は沙那、私付きの侍女ですわ」
「初めまして」
「あ、は、初めまして。華燐・・・です」
沙那と呼ばれた女性は、落ち着いた物腰で華燐に一礼した。華燐も慌てて頭を下げる。
沙那は、寝台近くの丸机に盆を置いた。
「時間が時間だったので、私が簡単に作ったもので申し訳無いですが。お口に合うかどうか・・・」
「大丈夫ですわ。沙那のお料理はとっても美味しいんですのよ」
「れ、鈴琳様」
冷静に見えた沙那が、軽く照れた表情を見せる。確かに器に盛り付けられた料理は、華燐の食指をそそった。
「い、いただきま・・・」
改めて華燐が食事に手を付けようとした時だった。
「華燐ちゃん!!」
「は、はい!!?」
突如入ってきた人影に、華燐は条件反射で返答した。
「まあ、お兄様」
鈴琳の言葉の通り、その人物は金の髪の少年。言わばこの宮廷の主、嘉条の若き皇帝・煌莱だった。
「華燐ちゃん隠れさせてっ!!」
「え?あ、あの・・・」
華燐が『はい』とも『いいえ』とも答え切らない内に、煌莱は入ってくるなり丸机にかけられた布の下へ潜り込んだ。
沈黙。 直後。
「陛下!!」
「あら、桐巳」
負けず劣らずの勢いで部屋に現れたのは、黒髪の青年。
「れ、鈴琳様!?」
彼――桐巳は、室内に皇女の姿を認め、慌てて姿勢を正した。
「どうなさいましたの?そんなに血相を変えて」
「・・・も、申し訳ありません、突然・・・。すみません、今こちらに陛下がいらっしゃいませんでしたか?」
桐巳の目的はやはり先ほど嵐のような勢いで飛び込んできた少年らしい。
いらっしゃったも何も、彼は今机の足元で息を潜めているのだが、華燐にはどう答えていいか分からなかった。
すると、鈴琳が無難に返答する。
「お兄様・・・がどうかなさいましたの?」
「また、ちょっと目を離した隙に姿をくらまされて・・・、華燐さんのことを気にかけていらっしゃったようなのでもしかしたら・・・と思いまして。ですが、・・・どうやらいらっしゃらないようですね。お騒がせして申し訳ありませんでした。失礼します。」
部屋を見渡し、いないと判断したのか、青年は丁寧に詫び、一礼して踵を返した。
ややあって。
「・・・行った?」
机の下から煌莱が顔を出す。少なくとも一国の主が取る行動ではないが。
「ええ、行ってしまいましたわ」
「あー、良かっ・・・」
た。と、煌莱が全身を現わそうとした瞬間。
たたたたたんっ。と小気味いい音を立てて、羽手裏剣が机の淵に綺麗に並んで突き立った。
勿論それは煌莱の頭の真上である。
「・・・と思ったんですけれど」
終始落ち着いた雰囲気であった鈴琳も、予想外だった、という顔をする。
「と、桐巳・・・?」
「やはリこちらでしたか」
名を呼ばれた彼は立ち去ってはいなかった。戸口に立つ穏やかな笑顔。
「・・・ず、ずるいよ待ち伏せなんて!」
「陛下を謀ってしまったこと、どうぞお許しください。ですが、政務を放り出してこのような所まで足を運ばれる陛下の行動も、感心できるものではございませんよ?」
反論するが、どうやら分が悪い煌莱。桐巳は机の武器を回収しながら流れるように返す。
「だって・・・気になったんだもん・・・」
「華燐さんには鈴琳様がついていらっしゃるようですし、ご心配には及びません。さあ、お戻りください。政務を終えられたら私も何も申しません」
どうやら泣き落としも通用しないらしい。
「か、華燐ちゃん!また来るから!来たら色々いっぱい話しようね約束だからね―――――・・・」
振り返りながら必死に訴える言葉が徐々にフェードアウトしていく。煌莱は志半ばで惜しくも捕獲・連行される運びと相成った。
「・・・昨日も思ったんですけど、ひょっとして私、陛下のお邪魔になってるんでしょうか・・・」
「いいえ、陛下のあの好奇心のお強さは今に始まったことではないですから」
「そうですわ。お兄様は昔からちっとも変わりませんのよ」
恐る恐る訊いてみた華燐の問いに、沙那・鈴琳の見解はあくまで冷静、且つシビアであった。『陛下を見る目』と言うよりも、むしろ『手のかかる弟』か何かを見る目である。鈴琳に至っては血を分けた実の兄だったりするのだが。
「はあ・・・」
それもどうなんだろうと思いつつ、華燐はとりあえず頷いた。
「華ー燐さんっv」
そんな折、新たな来客の声がした。
「湖成」
「へへー、おっ邪魔しまーす♪」
昨日と変わらない明るさで、軍医・湖成は軽やかに入室してきた。昨日の白衣とは違い、今日の彼女は普段着らしい衣服を纏っていた。
「どうなさいましたの?湖成」
「イエ、ちょっと華燐さんをデェトにお誘いにv」
* * *
「すみませんねー、付き合わせちゃって。一人で街に出るのもつまらなくって―」
「イエ、それは別に・・・」
湖成と華燐は人通りの中を歩いていた。城下の大通りである。昨日の祭ほどではないが、今日も人通りは多かった。
華燐は『花玉』を帯剣していた。
この特別な剣を持ち歩くのは様々な意味で物騒な気がしたが、そこいらに置いておく気にもなれず、何より、身に付けておかなければならない、身につけておきたい気持ちが生まれていたからだった。幸いなことに、昨日手にした時と同様、その刀身は、気にならないほど軽く感じられていた。
「あの、あの宮廷って、いつもあんな・・・?」
「そーですよー。いやー楽しくって綺麗どころも多くていーい職場ですvだーいじょーぶ、すーぐ慣れますよ」
「はあ・・・」
思い切って訊いてみた割に、こちらの反応も意外なほど軽かった。この場合、返答する者の性格も少なからず反映されている感もあるが、いずれにせよ華燐には、それが嬉しく感じられた。
未だ完全に信じきれていない気もする現在の状況。そしてこれから起こるであろう未来形の出来事。
文字通り、何がどうなるか予想もつかない。
しかし、その不安も和らぐような、そんな確信を抱かせる人達だと、華燐は思った。
「あ、ここですここ。ちゃっちゃか用事先に済ませて来ますんで、ちょっと待っててもらえます?終わったら一緒に色々見て回りましょー」
「あ、はい」
ひとつの店舗の前で湖成は足を止め、中に入っていった。
暫くの間、ただ所在無く立っていると、小さな歓声と、ひとつの音色が聞こえてきた。
そちらを見れば、小さな人だかりが出来ている。音色はその中心から起こっている。どうやら旅の楽師か何からしい。柔らかな弦楽器の音色が聴こえ始めると、歓声はぴたりと止んだ。もっと近くで聴き入りたい気もしたが、人を待っている最中だ。華燐は仕方なくその場で耳をすませた。
心安らぐ音色に聴き入り始めて数秒のことだった。
「ねえ君、一人?」
「はい?」
どこかで聞いたような言葉に、華燐は顔を上げた。立っていたのは二人の若者だった。
「良かったらさ、一緒に何処か遊びに行かない?」
見覚えのない若者の言葉に、華燐は返答に困った。
そのひとつに、まさか自分がこんなに何度も若い男にお誘いを受けるとは思わなかったという驚きもあったが、何よりもまず上手い返し方が分からない。槍瑛の場合、結果として悪いことにはならなかったが果たして今回は。
「済みません。私今、連れを待ってるので」
それよりも、自分は今湖成の用事が済むのを待っているのだ。相手に悪意を与えないようやんわりと断ろうとした。
しかし今回はそれで済まない相手だった。
「いいじゃないか、後で詫びれば済むだろ?」
「そうそう、ホラ行こ!」
「えっ・・・あっ!」
若者二人は畳み掛けるように華燐の手を掴んで歩き出した。有無を言わせぬ若者の言葉と賑わう人込みに、華燐の言葉はかき消された。
「華燐さーん、お待たせしました―・・・・・・華燐さん?」
ほんの数十秒のすれ違いだった。
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