〜第3話〜
「どうしたんですかお師匠様?」
大通りの人込みの中、少年は一方を見つめる隣の男を見上げた。
「・・・見間違いでなければ用が出来た。もう少し時間を潰していてくれ」
「え?ちょっ、お師匠さまーー!!?」
少年に目を向けず、目をやっていた方向へ男は歩き出す。少年の疑問も制止も受け入れられる事は無かった。
「ちょっと・・・すみません、何処まで行くんですか!?」
半ば強引に手を引かれ、なす術もなく通りを歩かされていた華燐は、ようやく声を出す事ができた。
「・・・そうだな・・・この辺でもいいか」
二人の若者は、大通りの雑踏が途切れた路地で足を止めた。華燐の背後は袋小路になっており、大通りへ出る方向に若者二人が立った。そして、面白そうに口の端を上げて、華燐に向けて掌を出した。
「俺たち、遊びに行きたいんだけどさ?ちょーっと先立つものが無くてね。・・・いくらか・・・持ってるでしょ?」
「・・・やっぱり、・・・恐喝ですか?」
無理矢理こんな所まで引っぱってこられた辺りで大体の察しは華燐にもついていた。しかし、いくらか剣術の心得があるとは言え、華燐はごく普通の少女である。優男に見えても、力を入れて掴んでいた男の腕を振り解くことは出来なかった。路地に入ってようやく放された手首にはまだわずかに痛みが残る。
「やだなあ、そんな物騒に見える?女の子だから穏便に済ませてあげようって言ってるんじゃん」
「ていうかさ、ひょっとして本気で相手にされてるとか思ってた?」
口調は軽いが、明らかにこちらを馬鹿にしている事だけは解った。引っぱってきたのはそっちではないかと怒りが込み上げたが、華燐はそれを押し殺し、彼らの脇を抜けようと試みた。
「・・・帰らせてください」
「おっと。参ったなあ、まだ話終わってないんだけど」
若者の腕が行く手を塞ぐ。華燐は思わず一歩後ずさった。
その時、若者の一人が華燐が腰に提げた物に目を留めた。
「お、よく見ればいい造りの剣持ってんじゃん。女の細腕には過ぎたシロモノじゃないのか?俺たちが有効に使ってやるよ」
「こ、これは・・・あっ!!」
華燐は反射的に剣を庇おうとしたが、若者の手はその抵抗をものともせず剣を鞘から引き抜いた。
しかし、剣は振るわれる事は無かった。
「・・・なっ・・・!!?」
値打ちを見定めようと空(くう)に刀身をかざそうとした刹那、若者の腕に剣の切っ先を地面へ向けざるを得ないほどの重圧がかかったのである。
「!?」
「おい、何ふざけてんだよ?」
何が起きたのか解らない華燐を尻目に、連れの一人が声をかける。その間に、若者の手は剣を取り落としていた。
「・・・イヤ、マジでバケモンみてえに重・・・」
得体の知れないものを見るように若者が地面に転がった薄紅色の刀身を見た時だった。
「案の定だな」
若者とは別の男の声が、通りの方から聞こえた。
「振れもしない剣を何処へ売りさばきに行くつもりだ?」
「・・・え?」
華燐が目にしたのは、文人風の男だった。背は高いが、武人には見えない。右目は、色素の薄い茶色の髪と片眼鏡で隠れている。顔立ちは綺麗な部類に入るのだろうが、横髪の一房だけが長く、少々風変わりな風体の人物、という印象の男であった。
「何だ?てめえ」
背後から現れた第三者に若者二人が振り返る。男は手にしていた扇子を軽く遊ばせながら、物怖じした様子も無く返した。
「軽犯罪の現場を偶然目にした一介の市井の者だ。期待するような者でなくて残念だったな」
「だったら見なかったことにしろよ。それとも正義の味方気取りか?」
「正義の味方を気取って欲しいということは、自分たちの行動に多少の自覚があるということだな」
「なっ・・・」
威圧的に追い払おうとした言葉をさらりと返され、若者の一人が言葉を詰まらせる。男は変わらず落ち着き払っていた。わずかに間を置いたものの、若者はさらに返した。
「・・・じゃあ何か?一人で俺たち二人を相手にするとでも?」
その風貌から正確な年齢を推し測る事は出来なかったが、男が若者二人よりも年長である事は確かであった。しかし、特に喧嘩慣れしているとも思えない若者二人よりも更に優男のようにも感じられた。若者は、いざとなれば腕力にものを言わせるつもりだったのだろう。
しかし、その思惑は意外にも味方から否定された。
「・・・お、おい、待てよ」
「何だよ?」
仲間の制止に振り返る。
「前、ダチから聞いたこと思い出したんだよ。片眼鏡で変わり者の男の話。そいつには、無事でいたかったら手ェ出すなって・・・」
「何?」
相棒の口から発せられた言葉に、若者は思わず目の前の男を見た。男はと言えば、やはり動じた様子も無く、記憶の糸を手繰るような表情を見せていた。
「・・・ああ、以前のアレか。噂の立つのは早いものだ・・・。だが、そっちの男はなかなか耳聡いようだな」
そして、合点が行ったという笑みをこちらへ返す。
「・・・へッ、馬鹿馬鹿しい。こいつが同じ奴だって証拠も無いだろ?」
「他人の空似だという証拠も無いがな」
「てめぇ・・・ッ!」
さらりと受け流された事に腹を立て、若者は男に掴みかかろうとした。すると、もう一人がその袖を引いた。
「おい、やめとこうぜ。どうせあの剣も売り物にゃならねえよ。面倒な事にならない内に行こうぜ」
もう一人の若者が促す。どうやらこちらの方が幾分度胸が足りないらしい。
「・・・ちっ」
舌打ちし、若者二人は男の脇を抜け、大通りへと走り去って行った。
「・・・月並みな捨て台詞が無いだけマシか・・・」
その背中を見送りながら、片眼鏡の男は呟いた。華燐は、向き直った男に頭を下げる。
「あ、あの・・・ありがとうございました」
「何、礼を言われることなどしてはいない。それより、大事なものなのだろう?」
「あっ・・・」
地面に転がったままの剣を指され、華燐は慌てて地面へとしゃがみこんだ。
手にした剣は決して重くなど無く、やはり手に吸いつくように軽い。柄の汚れを軽く払い、立ち上がって鞘に収めようとした時、華燐は男の口から意外な言葉を聞いた。
「・・・御剣の、主・・・」
「え・・・?」
「どうして・・・」
ゆっくりと立ち上がり、改めて男の顔を見上げる。その整った顔立ちに、言葉で表せるはっきりとした表情を見て取る事は出来なかった。
男は続ける。
「一度、目にした事があるものでな。それに、お嬢さんがよほど腕っ節に自信が無い限り、大の男が振れもしなかったその剣を持てる筈も無い。なのに、彼らの手さえ振りほどけなかったお嬢さんが今そうやって軽々と手にしている。そんな剣はどれほど名のある鍛冶師にも打てはしない。・・・剣は、主を見出したのだな」
自分が手にしている宝剣。その『主』の存在。
今、偶然としか言えない形で出会った人物が、何故それだけの事を知っているのだろう。
少なくとも悪意は見られないが、華燐は驚きを隠せず目を見開くしかなかった。
「・・・貴方は・・・」
「槍瑛には、会ったのかな?」
「は、はい・・・」
優しい雰囲気に、華燐は返答した。
御剣の存在を知り、槍瑛を知っている。ということは何か宮廷に関わる人物なのだろうか。
「なら、奴に近いうちに私の元へ来いと伝えてくれ。その時には、お嬢さんも来るといい。私の名は永泉(えいせん)。そう言えば分かる」
変わらない落ち着き払った口調でそれだけ告げると、永泉と名乗った男はゆっくりと踵を返した。
「あの・・・」
「悪いが、連れを待たせていてね」
華燐の足は、男を追うことは出来なかった。足を動かす前に、頭の中で事態を上手く整理する事が出来なかったのである。
やっと足が動き、大通りに出た時には、もうその後ろ姿を見つける事は出来なかった。
その場に立ち尽していると、雑踏をつんざく甲高い声が耳を打った。
「あーーっっ!!華燐さん見ーーっけ!!」
「こ、湖成さん・・・」
力一杯こちらを指差し確認して走り寄ってきたのは、片手に包みを手にした湖成だった。
「もーー、何処行ってたんですかー?イキナリいなくなったらびっくりしますよ私でもー」
「ご、ごめんなさい・・・」
「でもとりあえず、無事で良かったですー」
胸を撫で下ろす湖成に謝りながら、華燐の胸中には、先ほどの風変わりな男への謎が生まれていた。
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