〜第4話〜

(・・・どうしよう・・・)
 武術場の中央で、竹刀を構えたまま、華燐は心の中で呟いた。
周囲には湖成を始め、多くの見物人が囲んでいる。そして目の前には同じように竹刀を構えた一人の男が立っている。
 そして華燐の心境は、かけられた開始の合図によって、『試合』に集中せざるを得なくなった。


 その理由は少し前に遡る。
「あーっ!華燐ちゃんに湖成だやっほーー!!」
「へっ・・・陛下!?」
 夕暮れ近く、街から戻ってきた華燐と湖成に、回廊脇の武術場から声をかけたのは、普段よりも軽装の煌莱だった。自己の存在を主張するかのように力一杯手を振っている。二人はその主張に答えるように、回廊を外れてそちらへ向かった。
「あー、そろそろ武術のお時間なんですねー」
 湖成が懐から手帳を取り出して頁を繰った。何故そんな事項まで記してあるのかと華燐は小さな疑問を抱いたが、当人の性格を考えると大体の察しはついたので声にはしなかった。
「うん、でもね、先生がまだなんだ」
 なるほど、普段の衣装のままでは武術の練習など出来そうに無い。しかし、衣装が変わってもそれを身に纏う人物の大きな瞳は相変わらずよく表情を見せた。
 ふいに、頭上から男の声がした。
「・・・陛下、誰スかこの子?」
 見上げれば、頭ひとつ以上は背の高そうな、体格のいい若者が不思議そうにこちらを見ていた。赤い髪とそこに見え隠れする額の傷が特徴的であるが、別に怖いという印象は見受けられない。
 煌莱が愛想良く返した。
「あ、烽焔(ほうえん)―。華燐ちゃんだよ。話したよね?」
「へーぇ・・・」
「華燐さんご紹介します、こちら烽焔様、嘉条の将軍のお一人なんですよー」
湖成がタイミング良く紹介に入る。
 烽焔と呼ばれた青年は、名前と顔を確認するように改めて華燐をしげしげと見つめた。
「あ、あの・・・?」
「なぁ、アンタ・・・剣とか持ったこと、ある?」
「ハイ?」

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「・・・姫さん。俺知らねっスよ桐巳に怒られても・・・」
 龍真(りゅうしん)は、隣を歩く少女に視線をやった。もしも彼に娘がいたなら同じくらいの年齢であったかもしれない、それほどに年齢差のある少女は、いつも通り、機嫌の良い微笑を湛えて回廊を歩いていた。
「そうですよ鈴琳様、戻りましょう?」
 少女の後ろを付いていく沙那が諭すように自分よりも小柄な少女の顔色をうかがう。
しかし、少女――鈴琳は動じる様子も無く交互に二人を見た。
「あら、お兄様が行ける場所ですもの。私が行ってはいけない理由は無いでしょう?」
「・・・まー、ご本人がそう言うなら俺は別に構やしませんけどね・・・」
 確かに間違ってはいない理論だが、彼らが向かう先――武術場には、少なくとも鈴琳のような『姫』と呼ばれる立場の人間は足を踏み入れるものではないというのが暗黙の了解であった。
 ――しかし、ここにいる『姫』はそこいらの型通りの姫ではないことも否定できない。
 言うだけのことは言ったと高を括った龍真は、自分の茶色い髪を軽く掻いた。
「・・・あれ?何か・・・騒がしくないですか?」
 目的地が近付いた頃、沙那が何かを聞きつけたらしく声をかけた。
「へ?」
 三人が見遣った先にあったのは、ざわめく人の群れであった。

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(・・・やっぱり、敵いっこ無い・・・)
 剣の腕がどの程度か知りたい、と持ちかけられた練習試合のような一勝負の中、相手との間合いを取りながら華燐はそう考えた。
 少なくとも素人ではないと考えていた自分の剣も、今相手をしている赤髪の青年の前ではお遊戯に見えるようだった。どこからどう打ち込んでも、まるで見透かされたかのようにことごとく受けて返されてしまっている。予期しなかったわけではないが、せめて一撃は入れたいと、華燐は再び打って出た。

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「・・・見えませんわね、ここからじゃ」
 人の波は、鈴琳が背伸びをした程度では追いつかない、並以上の体格の兵士達ばかりであった。
焦る様子も無い鈴琳を見下ろして、龍真はひとつ提案した。
「露払いますか・・・おいてめーらちょっと道開けろー」
彼ならば、人込みに引けを取らない体格と威厳を持っている。言葉と手とはほぼ同時に動いており、龍真は声をかけると同時に目の前の体から押しのけた。
「あ、龍真様、に・・・ひ、姫様!?」
 それに気付いた者から、驚いたように体を退かし、あっという間に目の前に道が開けていった。すっかり見通しが良くなった視界の先では、どちらも見覚えのある若者と少女が剣を交えているのが見えた。
「まあ、烽焔に・・・華燐さん?」
「何やってんだ?あのヤロ」
 鈴琳と龍真が共に首をかしげる。すると、人込みの最前列から金の髪の少年が振り向いた。
「あ、鈴琳―」
「お兄様、これは―・・・」
 手を振ったのが実の兄――煌莱であると気付いた鈴琳は、駆け寄りながら尋ねようとした。
 だが、煌莱が説明するよりも早く、武術場には甲高い声が響き渡った。
「烽焔様何なさってるんですかっ!!?」
 声の主は、龍真の背後から一足遅れて状況を確認した沙那である。歓声に包まれていた場が一瞬静まるほどの声は、当然試合の当事者達にも聞こえるものだった。

「へ!?」
 それは、華燐が正面から打ち込んだが、烽焔にとって受けるに何の無い一撃の最中であった。
そして、華燐にしてみても受け止められてしまうと半分以上予測のついてしまうような、半ば捨て鉢の一撃であった。
「あ」
 ところが、予想しなかった相手の一瞬の隙によって、その一撃は予想以上に見事に面一本を取っていた。
 場には、静寂。

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「・・・ごめんなさい・・・」
 一撃は入れたいと思っていたが、こうも気持ちよく相手の真正面に入ってしまうと、改めて申し訳無い気持ちになる。医務室にて華燐は額をさする烽焔に頭を下げた。
「イヤ、いいって・・・ていうかいつまで大笑いしてやがる龍真!!」
「・・・
ハラ痛ェ・・・」
「龍真様笑い過ぎですよー・・・ぷふっ」
「お前も吹いてんじゃねェよ湖成!!」
「ご、ごめんなさーいでも何と言いますかあはははは」
「・・・もういい・・・」
 烽焔は烽焔で、今では腹を抱えて必死に笑いを堪えている龍真と湖成に怒りの矛先が向いているようだった。怒鳴り飛ばされた龍真は、涙目になって肩を揺すり、それをなだめながら湿布薬を片付ける湖成にしても、口元は緩んでいる。言っても無駄だと烽焔は肩を落とした。
 その隣で鈴琳が呟いた。
「大体事情はわかりましたけど・・・」
「それにしたって乱暴すぎますよ!!華燐さんが怪我したらどうするんです!?」
 そこに続けたのは沙那だった。どうやら彼女は自分の身を案じてくれているらしい。当事者である華燐以上に、彼女は烽焔の行動に憤りを感じているらしかった。
「まーまーまー。コイツの直球思考は今に始まったことじゃねえし。・・・しッかしフツーぱっと見解るだろ?なァ嬢ちゃん」
「えーと・・・」
 気さくに声をかけてきた壮年の男性も、烽焔と同じく将軍の一人と聞き、華燐は少なからず萎縮し返答に困った。
「それに、烽焔だって女性相手に本気だったとも思えませんわ、沙那もそんなに烽焔を叱っては可哀想ですわよ?」
「で、ですけど・・・」
「そうだよー、ラブラブな君に厳しく言われちゃ烽焔様だってショック大きいよー?」
 楽しげに鈴琳に同意する湖成の直球発言に、沙那と烽焔は同時に赤くなった。少々不謹慎ながら、可愛い恋人同士だと華燐は思った。
 ふと、話題を切り替えるように煌莱が呟いた。
「ねえ、ところでさ。鈴琳たちは何で武術場に?龍真今日は確か非番じゃなかった?」
 その問題提起に龍真はぽんと手を打った。そして楽しげに口元を上げた。
「ああ、そーだそーだ。いえね陛下、他でもない武術担当の奴が体調崩したらしいんでね。今日は俺が代わりにみっちりシゴキに来たってワケですよ」
「え・・・?りゅ、龍真が・・・?」
「そゆことです、さー参りましょーか陛下!!」
 対照的に顔をこわばらせて笑う煌莱をがっちり捕獲して、龍真は楽しそうに医務室をあとにした。一同は声も無くそれぞれの表情でそれを見送る。
「・・・あ、あの・・・いいんですか?」
 おそるおそる質問を投げかけた華燐に対する反応はさまざまだった。
「いーのいーの。ああ見えて龍真の奴手加減わきまえてるし」
「頼もしいですわ」
「もしかして、桐巳さんに教えられないような裏技とか教えてくれるかもですよっ」
「湖成・・・それちょっと笑えない・・・」
 数分後、武術場から高めの悲鳴が聞こえたとか聞こえないとか。

             *                *                *

 空に浮かぶ光が夕焼けから月明かりになった頃、夕食を終えた華燐は、二階の回廊を抜けて、執務室の近くまで来ていた。まだ歩き慣れない宮廷の朱塗りの柱や欄干が、月と部屋の明かりで昼間とは違う顔を見せ、一層迷宮のような雰囲気を醸し出している。
 夕方の一騒動で忘れそうになってしまったが、昼間出逢った謎めいた人物――永泉と名乗る男からの、伝言とも言えないような言伝てを一応は伝えておこうと、槍瑛の行方を訊いて辿り着いた先であった。
(・・・ここで、合ってるよね・・・?)
 おそるおそる角を曲がろうとして、華燐はふと足を止めた。その先から、柔らかな弦楽器の音が聞こえてきたのである。
 誰かがいる。華燐は足を踏み出す前に、そっと曲がり角の先を覗いてみた。
 執務室の入口近く、回廊の欄干に体を預け、一人の青年が弦楽器を爪弾いていた。やがてその音は、単音ではなく、ひとつの曲として聴こえてきた。
「この曲・・・!」
 昼間、街の大通りで聴いたその音色に思わず小さな声を上げる。
華燐と奏者の目が合ったのは、その直後だった。

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