〜第5話〜 「・・・貴方・・・もしかして、昼間の・・・」
声を出すことで演奏を中断させてしまった事を少しだけ後悔した。華燐が昼間人だかりの向こうに聴いた音色は、それくらい印象的で美しい音色だった。それを今、目の前にいる青年が弾いてみせたのだ。
一方、声をかけられた青年の方も、事態が飲み込めないといった表情でこちらを見ている。男性にしては色彩の明るい衣服も、背中で編まれた細長い白金色の髪も、淡い翡翠色の瞳も、演奏が無くとも人目を引きそうな容姿の人物だと華燐は思った。ややあって、青年が口を利いた。
「新人の侍女さん・・・にしては服が違うっスよねぇ?えーと・・・スミマセンどちら様っスか?」
細面の顔立ちに少しそぐわないような物言いであった。一方尋ねられた華燐の方も、逆に貴方は誰ですかと尋ねたい心境だ。誰だと訊かれても、果たしてこの初対面で素姓の知れない人物に名乗ってもいいものだろうか。考えあぐねていると、何かを思いついたように青年が真っ直ぐこちらを指差して声を上げた。
「解ったー!!槍瑛様の新しいカノジョ!!」
「・・・ハイ??」
華燐の語尾は、思い切り上がった。肯定ではなく疑問形である。また何の前振りも無く同じ名前が挙がった。彼の――槍瑛の交友関係は一体何処から何処までなのか。そんな華燐の思考お構い無しに、目の前の青年は自身の結論に納得いったように語り始める。
「なーんだそっかー、道理で見ない顔だと。いやァ気をつけた方がいいっスよー?あのヒト確かにカノジョには優しいけど基本的にまんべんなく女の子に優しいっスからねー。ちょっとした優しさがあらぬ誤解を生んで、下手すりゃ救いようの無い愛憎の泥沼関係に発展しかねなくて、人知れず夜な夜な枕を濡らすなんて事にー・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください!私全然そんなんじゃ・・・」
「あれェ?否定しちゃうの?残念だなー」
最後の一言は、第三者。華燐は振り返り、青年は視線を上げる。
「「槍瑛(様)!!」」
まさに話題になっていた、槍瑛その人だった。手にしていた扇子で軽く肩を叩いている。
「てゆーか・・・え?カノジョじゃ・・・無いんスか?」
「そーなんだよお前にしちゃ珍しく気の利いた勘違いしてくれたんだけどなー」
「何よそれ!あの、私全ッ然これっぽっちもそんな関係じゃないですからね!!」
青年二人をそれぞれ見据えて華燐が叫ぶ。
「えー、そんな力一杯否定されると俺落ち込むなぁー。可能性くらい持っちゃダメ?」
「持たなくていい!!」
「あのー・・・、基本的質問なんスけどー・・・、つまるところ、どちら様なんスか?」
控えめに挙手する青年。
「・・・まあ、こんなトコで立ち話もナンだから・・・」
口論をやめ、槍瑛が部屋の扉を扇子で示した。夜の闇は、濃くなっていた。
* * *
「・・・じゃあ、この子が?」
「そ。ちょっと信じられないだろうけどな」
灯りを点した室内で、青年が聞いた内容を反芻し、槍瑛が念を押した。書物や巻物を置いた本棚と大きな角机、そして数個の椅子を中央に吊るされた灯りが照らしている。青年は、促されて椅子に腰掛けた華燐をその翡翠色の瞳でしげしげと見つめていた。ややあって、
「いやー、それならそうとサクッと言ってくれればいいじゃないっスかー!」
突如、目の前に一握りの花を取り出した。一体何処から出てきたのか、華燐が目をしばたく。
「どーも失礼したっスー。改めて初めまして、オイラ遊布(ゆうふ)ってモンです。これでも吟遊詩人なんてやってまーす。ていうか昼間って、ひょっとしてオイラのオンステージ聴いててくれたんスか?なーんだだったら一声かけてくれれば出血大サービスでご奉仕しましたのにー。あ、コレはさっきのお詫びの印に」
「はぁ・・・」
立て板に水とはこんな人の事を言うのだろう。愛想のいい笑顔で花を渡されたものの、何処にどうリアクションしていいのか解らず、緩慢に華燐は相槌を打った。
「あ、どうでしょ?今一曲思いついたんスけど、もし良ければご披露・・・」
「するのは後にしてくれ。仕事が先だ」
その立て板に堰を作ったのは槍瑛だった。先程まで本棚の前にいたが、今はこちらに向き直っている。青年――遊布がやっと言葉を止め、三つ編みを揺らして振り向いた。
「もぉ〜、話のコシ折るなぁ軍師サマは」
「何とでも」
「ぐ、軍師ィ!!?」
思わず立ち上がったのは華燐だった。一瞬遅れて言葉の意味を理解する。
「・・・アレ?言ってなかったっけ?」
華燐は、軽く髪を掻く目の前の人物とその言葉を比較した。立場と容姿のイメージが一致しないのは、(失礼ながら)煌莱だけだと思っていた。そう言えば都に着いて初めて出会った人物の割に、今までその素姓を聞いていなかった。にしても。
「ていうか・・・その滅茶苦茶意外そうな顔、ちょっとだけ落ち込むなぁ俺・・・」
「だ、だって・・・」
「あはははは槍瑛様やっぱ日頃の行いとか大事なんスよーー!」
遊布は遊布で華燐の反応が面白かったらしく、傍で笑い転げている。当の華燐は納得までにもう少し時間が必要な様子である。その目の前で会話は進む。
「お前にだけは言われたくねえ」
「えー?だってオイラはあくまで『本業』が吟遊詩人で『こっちのオシゴト』は副業ですもーん」
「どうだか」
その間に、遊布の手から槍瑛の手に一枚の紙片が渡る。それを広げ、内容に目を通し始めた槍瑛の表情を、華燐は初めて見たような気がした。人にちょっかいをかけていた軟派な雰囲気はそこには無く、あるのは書面と睨み合う真剣な視線だけだ。声をかける機を逃した華燐も視野には入っていないようだ。傍らから遊布が「ちょっと待っててね」と耳打ちした。
ようやく紙面から顔が上げられ、暗算をするように視点が宙の一点を捉える。
「・・・あ、あの・・・」
「・・・ああ、ゴメン。えーっと、何?」
ややあって、こちらに向き直った表情は、前と同じで厳しさは無い。一瞬言葉を見失ったが、改めて、華燐は当初の目的――昼間の出来事を伝える相手に言葉を発した。
「あ、あのね・・・」
* * *
「・・・へーえ」
「あの、永泉って人・・・知り合い・・・なの?」
いきさつを告げられた槍瑛が、内容を確認するように相槌を打つ。華燐は、この不思議な言伝の真相が知りたくて、疑問を投げかけた。それに槍瑛はやや曖昧に答える。
「まあ、一応。・・・そうだな、それじゃ華燐ちゃん、今度一緒に行ってみる?ちょっと仕事もあるから3日くらい後になるけど」
「う、うん」
どうやら、すべてが判明するのはもう少し先らしい。とりあえず目的を果たすと、体の方に今日の疲れが回り始めた。曖昧な答えを深く追求はせず、華燐はその3日後に答えを求める事にした。
「じゃあ、今日はもう休みなよ。街に行ったり宮の中うろうろしたりで結構疲れただろ?」
「うん・・・」
厳しい表情はもう見当たらない。遊布の言う通り普段は基本的に気の利く優しい性分である事に間違いは無かった。
「眠れないなら付き添ってあげるけど?」
「結構です!!」
しかし次の瞬間、少しだけ見直した人物の株を再び元に戻しそうになる華燐だった。
夜は、更けて。
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