〜第6話〜

 太陽が、南から僅かに傾いた頃、城塞都市・陽興の南門を出入りする雑踏の中に、一騎の乗馬があった。鞍の上には二人の人影。一人は手綱を取っている若い男。もう一人は、その後ろに乗った赤い髪の少女だった。
 陽興南門から西に数里馬を走らせたところに、小さな街がある。と言っても、勿論陽興のような巨大都市ではない。殆ど集落と言っていいような、閑散と建物が立ち並ぶ街である。背後には竹林の立ち並ぶ、閑静な郊外であった。

「さて、ここからは歩かなきゃな」
 馬を御していた槍瑛は、そう言って馬を止めた。馬の鼻先には、小さな街の入口が見えていた。
「静かな街ね」
 槍瑛の手を借りて馬の背から降りた華燐は、目の前の街を形成する建物のひとつを見上げた。先ほどまで聞こえていた陽興のざわめきが嘘のように思えるほど、街は静かにそこに佇んでいる。
「職人の多い街だからね」
 街の中に入ると、建物の中から徐々に様々な音が聞こえてきた。木を削るような音、鋼を打つような音。それらに混じり、背後の竹林が風に揺られてさわさわと音を立てていた。その街の建物は、軒を連ねて立ち並んでいるわけではなく、石垣や竹垣に囲まれた一軒一軒の間を縫うように細い石畳が続いていた。全体的面積こそ小さかったが、慣れなければ碁盤状に区画された陽興よりも迷いやすそうだと華燐は思った。
「・・・ねえ、永泉さんって、どんな人なの?」
 道すがら、華燐は隣を見上げて尋ねた。馬の手綱を牽きながら、槍瑛は僅かに考え込むように宙を見上げる。
「・・・そうだな・・・微妙ーに一言じゃ説明できない人・・・かな?」
「何それ」
 首を傾げる華燐。槍瑛の答えは簡潔だった。
「会ってみた方が早いって事」

*          *          *

 槍瑛が足を止めたのは、古びた家の前だった。周囲の建物と同じく、平屋建ての一軒家であり、その周囲には槍瑛の背丈ほどの竹垣に囲われている。竹垣の途切れた入口から見て左に入れば、小さな庭のような空間が見えた。くすんだ壁の所々に伝う植物の蔦(つた)が、古さを誇張しているのかもしれない。

「まさか留守って事ァ無いだろ。すみませーん」
 竹垣の一端に馬を留めながら、敷地の外から声を掛ける。しかし、中からの反応は無かった。おかしいなと槍瑛が敷地内を覗き込もうとした時、背後から声が掛かった。
「お客様ですか?」
 振り返ると、背後に紙袋を抱えた子供が二人立っていた。背丈はどちらも華燐より僅かに低い程度だ。一人は少年で、長い髪を背中でひとつ、もう一人は少女で、こちらは髪を左右に分けて、どちらも三つ編みにしている。そして、その二人の顔は、互いによく似ていた。
「よぉ、双子。北天(ほくてん)に・・・南天(なんてん)だったか」
「槍瑛さん!」
「師匠、ひょっとして留守?」
「いえ、多分居間で作業に没頭してるんじゃないでしょうか。ちょっと待ってください」
 そう言って、少年と少女は入口から右手にやや奥まった玄関に向かった。直後。
「お師匠様・・・・・・うわぁッ!!」
「な、何?」
「おい、どうした双子・・・・・・」
 二人の悲鳴に、華燐と槍瑛は反射的に玄関に足を運んだ。

 そこで、四人が目にしたのは奇怪な『モノ』であった。まず玄関戸の傍に提げてあった呼び鈴が見当たらない。代用品のようにそこにあったのは、干物のように紐で縦に吊るされた『モノ』。丁度卵のような形をした上半分には、線と点で描かれた落書きのような顔(に見える模様かもしれない)がある。下半分には、上を支えるには不釣合いにも見える細い茎。形だけでも奇妙なのに、更に(最も)奇妙だったのは、その中間点を紐で結ばれ垂れ下がっているソレから、笑い声に似た音がしている事だった。しかも、微妙に人を嘲笑するような笑い声だから殊更不気味であった。
「・・・な、何、コレ・・・」
「お、お師匠様ァ!?」
 やっとの事で玄関戸を開ける北天。家の中に向かって呼んだ声に応えたのは一人の男だった。
「・・・どうした、騒々しい。・・・何をやっているお前達、揃いも揃って」

*          *          *

 玄関に吊るされていた奇怪な『モノ』は、双子の必死の抗議によって、取り外されるに至った。
家主――永泉の曰く、ソレは呼称を『アザケリワラウタケ』という、(あれでも)植物であるらしい。人の姿を認めると、先ほどのような音とも声とも言い難い音を立てる為、そう呼ばれているらしい。しかも『タケ』と言うだけありその正体は菌類に属し、奇妙な顔の付いた卵形の部分がカサなのだという。果たしてあんな生物学的に立証し難いモノがあっていいのかと(永泉以外の)誰もが思ったが、永泉は『そんな細かい事を気にしていてはこの世知辛い世の中は渡っていけない』と事も無げに言う。更に、家人が『居間』と呼ぶ部屋に通された後ではそんな事を言っている場合ではなくなった。
 流石に、先ほどのタケほど奇怪な物は無かったが、それでもそこには至る所に不思議な物が数多く存在していた。華燐は詳しいわけではなかったが、木やら金属やらで形作られた支柱の付いた球体やら人形やらは、からくりで動く類のものだと解った。部屋には棚も箱も置かれていたが、床のみならずその上をも埋め尽くさんばかりに数多くの風変わりなからくりが並べられていた。双子の少年――北天は、入るなり『どうやったらこの短時間でここまで汚せるのか』と憤慨したが、どうやら『汚い』と言うよりは、単純に物が多い部屋なのだと解る。窓からの日差しと部屋の明かりが不思議な陰影を作っている。北天が忙しなく片付けを始め、華燐達は中央に置かれた机に促された。椅子に腰掛けると、双子の少女――南天がお茶を用意しに部屋を出、華燐の視線は卓上に移った。先ほどの植物を部屋の隅にある箱に投げ入れ、華燐の真向かいに腰を下ろし、雀に似た形状の木細工の玩具のようなモノを弄る人物は、年齢こそ計れないが、片眼鏡と淡い色の髪の奥に整った顔立ちが見て取れた。

「・・・ねぇ、『師匠』ってどういう事・・・?」
 華燐は、隣に腰掛けた槍瑛にそっと尋ねた。彼は永泉をそう呼んでいた。
「ああ、それは・・・」
「槍瑛が呼びやすいように呼んでいるだけで、別に師弟関係というわけではないよ。単なる呼称だな」
 槍瑛が答える前に、永泉が続けた。聞けば、永泉は軍医・湖成の師であり、槍瑛達はそれを真似て『師匠』と呼んでいるらしい。
「そーゆー事。で?俺に何か用だって?」
 槍瑛は、椅子にもたれた背を起こした。やがて、南天が湯飲みと急須を手にやってきて机に用意し始める。永泉は、手にしていたからくりを机に置き、口調を変える事無くのたもうた。
「ああ、他でもない。しばらく放置していたら奥の書庫がなかなかに壮絶な状態になってきてな」
 視線で促された永泉の背後には、扉も無く続いている隣の部屋の一角が見えた。隣の部屋もこことはさして変わらない大きさであると思われたが、古い本棚に入りきらなくなったのか、床にまで本の山が出来上がっているようだった。
「・・・まさか・・・」
 槍瑛の頬が引きつる。永泉はと言えば、湯気の立つ湯飲みから静かに茶を啜っただけで、一向に動じる様子も無い。
「皆まで言わずとも察しはつくと思うが?北天だけでは今ひとつ解らない事もあるようでな」
「・・・自分で言うのもナンだけどさ・・・・・・まがりなりにも一国の軍師呼びつけた理由が・・・」
「私は片付けの上手い性分ではないし、他にここの蔵書内容に詳しい者もいないからな」
「・・・高くつくよ・・・・・・」
 目の前に置かれた茶を煽ってから、槍瑛はいかにも重そうに腰を上げた。

 背の高い後ろ姿が隣の部屋に消えると同時に驚きとも呆れともつかない声が聞こえた。ややあってから華燐は正面に向き直る。
「えっと・・・私、華燐といいます。先日はどうもありがとうございました」
目の前の男は柔らかい笑みを見せた。
「一介の市井にそう固くならずとも良いよ」
「あの・・・今日はどうして私まで」
 手持ち無沙汰に暖かい湯飲みを手で包む。永泉の声はあくまで静かだった。
「ああ、不躾に呼び立てて申し訳無い。本来ならばこちらから出向くべきなのだろうが、どうも宮という場は苦手でな。・・・話というのは、私自身が御剣の主たる・・・華燐殿とゆっくり話してみたかったというだけなのだが」
「私と・・・?」
 永泉は静かに頷いた。
「これまで、誰の干渉も受けなかった宝剣が、一体どんな人物を主と認めたのだろうか、とね」
「永泉さん・・・は、この剣の事をご存知なんですか?」
 先日街で助けられた折も、彼は同じような事を言っていた。
「一度、知恵を請われた事があってね。剣を目にしたのはこれで二度・・・三度目になるかな」
「あの・・・永泉さん。この御剣って、一体何なんでしょう?いきなり、選ばれた主とか言われても、ずっと解らない事ばかりで・・・。もし、何かご存知だったら教えて欲しいんです」
 思い切って切り出してみる。永泉は、組んでいた内の片方の手を考えるように口元にやった。そして、僅かに間を置く。
「・・・そうだな。正直なところ、これまで多くの識者の手にかけられてはきたが、その宝剣の謎は殆ど明らかになっていないのが現状だろうな。解っている事と言えば、この嘉条だけでなく、他の三国にも同じく御剣と称される宝剣があるという事。そして、これらの剣は、国と・・・皇家と共に長い歴史を過ごしてきたという事くらいか」
 長い歴史。華燐には、槍瑛達のような学は無い。しかし、この国や他国がどれほど遥かな昔から続いてきたかのことくらいはおぼろげながらに察しはつく。少なくとも、百年や二百年の話で無い事は確かだ。
 改めて腰に佩いた剣に視線を落とした。初めてこの剣を見た時、それは静かな水の中にあった。手に触れ、大気に晒して尚、磨き上げられたばかりのように美しい刀身だった事を覚えている。
「で、でも、そんなに古い剣が、どうしてこんなに綺麗なまま・・・?」
「それが、御剣たる由縁なのかもしれないな。建国の折からそれぞれの国を見守り続けてきた力、主以外の接触を許さぬ力・・・どれも未知の、『霊的な力』としか言えないのが口惜しいところだ」
 目の前の人物にも、多くの知識があるのだろう事は解る。そんな人物でさえ、立証しきれない謎。聞けば聞くほど自分との隔たりを感じる。
「霊的な・・・だけど、私にそんな力があるとは・・・」
 それなのに、何故か同時に何より近いような感覚。矛盾のような感覚を言葉に出せないでいると、永泉は、卓上の玩具を手にしてゆっくりと椅子を立ち、華燐を見下ろした。
「・・・少し、庭に出ようか」
「・・・?」

 永泉が『庭』と呼んだのは、入口から左手に見えた空間の事だった。庭と言っても、宮廷のように造形が施されているわけではない。家屋の壁と竹垣との間に出来た、地面だけの空間とも言える簡素な場所だった。
「・・・華燐殿は、随分その剣の力を畏怖しているようだな」
 振り返った人物は、細身ではあるが槍瑛よりも僅かに背が高いようだった。
「それは・・・やっぱり、計り知れない力は怖いと思いますし・・・」
 街の背後に見えた竹林の音だろうか。風に混じって何かがさざめくような音が聞こえた。
「これは、あくまで私の持論に過ぎないのだが」
「持論・・・?」
 そう言いながら、永泉は手にしていた玩具を弄る。小鳥のような形の、尾羽の部分が螺子になっているらしい。長い指が、ゆっくりとそれを回していく。
「確かに、その剣には未知なる力が秘められているのやもしれない。しかし、どれほど強大な力があるとしても、剣は剣、道具でしかないという事だ」
「道具・・・?」
 それは例えば、屋内に置かれた様々なからくりのようなものだろうかと華燐は考えた。
「そう。例えば、華燐殿が私に悪意を持ったとして、私を傷付けようとしたとする。その剣を私に向かって振り下ろせば、私は簡単に深手を負うだろう。しかし今、その剣は微動だにせず華燐殿の腰に佩かれたままだ。それは、華燐殿が私に悪意を抱いていないからという事になるな」
 腰に帯びた剣と目の前の男を見比べながら、やや間を置いて、華燐は頷く。螺子を巻き終えられた玩具は、そっと持ち主の手を離れる。翼の部分が忙しなく上下運動を始め、玩具の小鳥はかたかたと鳴きながらしばらく宙を漂う。
「実際、その剣が勝手に動いて誰かを傷付けたという話も残っていない。喩えが乱暴かもしれないが、つまりはそういう事だ。結局の所、その剣をどう使うかは華燐殿次第という事だ」
 やがて、数秒と経たない内に玩具は静かに地に落ちた。
 槍瑛は、本の壁の隙間で本を捲っていた。ふと顔を上げれば、書庫に設けられた窓の向こうに二人の人影が見えた。
「・・・だ、だけど、だったらどうして私なんかが・・・」
「それは、その剣と同じ事ではないだろうかね」
 永泉はゆっくりと背を屈め、玩具を拾い上げた。
「・・・『花玉』と・・・同じ・・・?」
 華燐の声に、静かに頷く。
「言ったように、その剣自身にどのような力があるのかは未だ謎のままだ。思うに、この剣に力があるとするならば、それは華燐殿と巡り会った時から明らかになり始めたのではなかろうかな。そして、華燐殿自身の、この剣に選ばれた理由もまた然り」
「・・・・・・」
 同じ、なのだろうか。何も解らないまま引き寄せられた自分。
 それは、この剣も同じなのだとしたら。
 大きな力に一方的に惹かれたのではなく、同じ『もの』を持つもの同士が、引き合ったのだとしたら。
 解らない事に変わりはないけれど、『遠い』と思える畏怖よりも『近い』と思える感情が、心の中で上回ったように思えた。
「何、そう一人で気負う必要は無い。何も解らないのは華燐殿も国一番の識者も同じ事。私は過去に様々な人物を見てきたが、華燐殿は決して悪い判断を下すようには見えない。それに、華燐殿はまだお若い。迷うな悩むなと言う方が間違いというもの。確かに難しく、度胸の要る事やも知れないが、華燐殿は、一人ではない筈だろう?」
 それならば、大丈夫なのかもしれない。
 一人ではない。
 そう誰かに言われるだけで、楽になれた気がした。
「・・・・・・はい」
「大した事が言えず、申し訳無いが」
「いえ、少しだけ無駄な力が抜けた気がします。ありがとうございました」
 頭を下げる華燐に、永泉は、静かに笑みを見せた。

*          *          *

 日暮れも近くなっていた。空の色が青から赤味を帯び始めている。
槍瑛は、片付けのついでに目をつけた本を二冊ほど借りていく事にしたらしい。
「ああそうだ、帰りついでに湖成に届けて欲しいものがある」
 繋いでおいた馬の手綱をほどいていると、永泉が小さな布の包みを手渡した。
「・・・何コレ」
 特に重いものではない。はっきりとした形状は解らなかったが、固いものでもなさそうだった。永泉の口調はやはり動じる様子は無く。
「心配せずとも別に割れ物の類ではない。だが、途中で開かない方がいいぞ。『反応』するとしばらくは賑やかだからな」
「・・・・・・まさか・・・・・・」
 永泉は、言葉を続けなかった。部屋の片隅で奇怪な生物から未だ余韻のように漏れている奇怪な声は外には届かなかった。

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