たとえばここに私の一つの思いがある。
この「今」という時にある私たちは何をまちがえているのか
「ひと」と言うとき、自らの重みが重力に引かれるのを必死にこらえている私
冬を幾度も越したアルコールの液体が咽喉を通るときの痛み、それよりも
経巡る時が、いつまでも此処に留まっていること
幽霊のようであれば、私は「私たち」にでも「人々」にでもなれるだろうが
目覚めたときの癒しようのない下痢の感覚は、どこかで誰かにつながっているのだろうか
縁側が失われてもう久しく、
猫のあくびもハウスダストを除けながらなされる時の私に
いつまでその感覚がつきまとうのか。