「青磁・川瀬忍」紹介

川瀬忍鉢  若くして世に出た天才としか言いようが無い人物。

 実に鮮やかな青磁の発色また、洗練されたフォルム、手の切れそうなシャープさ。南宋官窯を目指し、それを超克し、伝統の形を用いながらも一目して川瀬忍の作と分る自己の形をしっかりと持っている作家。

 作品を見なくても電話で話を聞けば、作品を買うことが出来る作家。どれ一つとして色むらも、形の崩れもなく、作品に対する厳しさは想像を超えるものがある作家。

 この作家については、何もいう事がありません。表現してよさが分るものでもないし、注文をつけるべきところもありません。作品を一目見ていただければそのことが了解されると思います。 ただ、伝統的な形に沿って造られる作品と、独自の感覚による新しい造形の創造という二系列の作品群があります。新しい造形感覚によるものは、その薄さ、曲線の素晴らしさ、曲線によりなまめかしさを感じさせる色合いと肌合いの美しさ、そしてその気品の高さに驚嘆せざるを得ませんが、飾るとするとその不安定性に問題があり、手を出すことができません。
 一方、伝統的なものについては、単なる写しにとどまらず、色合い、形、全体のバランスに申し分なく作者の精神が凝縮され、川瀬忍の宇宙が出現しており、品格の高さは板谷波山に優とも劣らないと思います。

 この作家の作品を始めて見たのは昭和52年ごろではなかったかと思います。高さ20Cm程度の「青磁八角花入」と名付けられたもので、その美しさにビックリしました。すでにその展覧会の開会日前に売れており残念な思いをしたことがあります。その後、沢山の作品を見ましたが、自分の思う形となかなか出会いません。のんびりと川瀬忍を追いかけて行きたいと思っています。

「陶説574号」(平成13年1月号)に掲載された川瀬忍・西田宏子・森孝一による「鼎談・青磁の魅力を探る」から抜粋。

≪青磁との出会い≫
 ぼくが青磁を始めたころ、二十歳前後だと思うんですけど、どうして根津美術館に伺ったかその時の理由は忘れたんですけれど、たまたま今並んでいる高麗青磁の鉢を拝見しました。今ぼくは、青磁の輪花の鉢を多久さんっていますが、輪花という技法を教わったのがその高麗の輪花の鉢なんです。一〇弁がきちっと全部中に入っている鉢なんですけれど、それがスタートで、今その延長線でいろんなことをしてます。 それまでは轆轤挽いて、丸く作るだけだと思っていたのですけれど、それを柔らかいうちにぐっと曲げて輪花にするっていうことを教わったんです。

≪青磁を始めたきっかけ≫
 ぼくは青磁を中心として発表しているやきものの作家なんですけれど、どうして青磁を始めたかて、今、森さんからいわれたんですが、あんまりかっこよくないんですけれど、一応うちは祖父の代からやきものをやっておりまして、祖父や親父は染付や赤絵をやっておりました。高校を出てすぐに、この世界に入ったんですけれど、その頃別に何をやりたいかとか、やきものやりたいかなど関係なく、家がこういう仕事だから入っただけなんです。 小さい頃から小遣い欲しさに、土もみとか自然に覚えていったんですけれど、仕事に入って、まず、染付の場合、単純に絵を描く工程と、轆轤を挽くという工程があるのですけれど、まず轆轤を挽くほうだけを、親父にいわれて、絵を描くことは絶対にだめだといわれたんです。その時に窯から出てくる、染付の高台のところのちょっと釉の溜まったところとか、染付の釉なんですけれどちょっと青いんで、その時に釉が濃くなると青くなるてことがわかったので、 これを意識的に全体に、厚く掛けちゃえば、青磁が出来るという、それがぼくの青磁を始めるきっかけだったんです。

≪第1歩≫
 まずプロセスというか釉なんですが、やきものの場合、森さんがおっしゃったように、一端焼いてみないと結果が出ないんですね、一番最初に、釉が厚くなって青磁になるわけなんですけれど、親父に隠れてやっていたら、僕の爺さんが、宋時代の龍泉窯の袴腰の香炉を一つ持っていまして、お前、青磁をやるならこれをまず写しなさいといわれまして、それを祖父からもらって、再現というか、習うことが最初だったんです。別に学校へ云って釉薬の研究したりしていないもので、 その古典というか、袴腰にいかにまず土を近づけるか、上釉を近づけるか、そういう作業から入っていったんです。ですから、家では親父は窯をしょっちゅう焼いてましたんで、色見を入れることからスタートしたんです。

≪土に鉄分が必要ですが土の話を≫
 青磁は上釉が青いとかどうとか色々いいますけれど、実際は土を見ているんだと思うんですよ。上釉を通して見た土の色が青くなっているんです。ですから釉薬だけじゃなくて土が大事だと僕は思っているんです。

≪鍋島の青磁、白磁で青磁を造ることについて≫
 厚くかけて、土が白いと同じ青をのせてもきれいはきれいなんですけれど、なんていうか、土にちょっと鉄分があると、にごってというか、深くなって来るっていうか、その違いだと思うんです。ねらうものが鍋島の場合はたぶん、そういう深みとか強さじゃなくて、きれいさとか軽快さとかをねらったから、たぶん白い土の上に青磁釉を掛けたと思うんです。ですから中国の官窯の黒い土がありますよね、ああいう生地に鍋島の青磁釉をかけたら、もっと違う表現になっていたと思うんです。

≪陶器と青磁との違いについて≫
 窯から出したときの気持ちなんですけれども、なんていうか、日本の土もの、例えば備前だとか、信楽とか、ああいうものは窯から出すと、どこかいいところを探しますよね。見る場所とかなんかね。ぼくの青磁は違うんですよ。さっきのちぢりとか、ゆがみとかはそれ全部をボツにしなきゃならないんで、窯から出すとまずぐるぐる回して、いいとこ探すんじゃなくて欠点ていうか、それを探す。そういう作業をまずしなきゃならないんで、それが根本的に違うと思います。

≪埃はどの段階で気をつけるのか≫
 窯詰めるときです。窯詰めるとき、作っているときもそうですけど、土の中にいろんなごみが入るていうか、ぼくは大磯でやってますんで、多分そこら辺にある土は鉄分の多い土なんで、それが飛んできて、作っている品物の上にちょんとのっかって、知らないうちに釉を掛けた後それがとんできて、目に見えないんですけれど、窯に入れて、窯から出すとそこがポツっと黒くなってるんです。

≪青磁の土について≫
 青磁の場合、粒子が細かくて、ねばりっけがあって耐火度もあるっていうのが、それが条件なんですけども、なかなかその昔出来た土が今どこにあるか、中国にはあるでしょうけど、今手に入らないですから、結局自分で探すしかない。一部中国から入りますけど、そういう土を、手当たり次第に手に入れて調合して、テストしていく。ですから今でも自分の作品を焼く窯の中に色見を入れていくっていう。そういう作業は事務的だし、面白くないわけですけれど。そういう色見を作って、 宋磁に憧れたんで、特に官窯タイプのに憧れましたんで、台北の故宮博物院に行くと一番沢山見れるんで、よく行って、色見をポケットに入れてそれで品物が並んでいるところに行って、もう少し青いかなとか、もう少し照りが沈んでいるかなとか、もうしょっちゅうしてました。

≪窯の種類と焼成温度は≫
 電気窯です。1250度前後ぐらい。今さっき細かいパウダーっていうか、土っていうか、今ぼくは青磁の中に鉄分を入れるんですけれど、鉄分に中国からよく春先飛んでくる黄砂っていう、そのもとになっている黄土高原の土というのを、今使っています。これは中国から飛んでくるぐらい細かい土なんです。

≪米色青磁は酸化焼成の問題ですか≫
 ええ、米色青磁も、一番最初はあの青い青磁を焼こうと思って、青磁は還元をかけて焼くんですけれど、窯でたまたま失敗で端っこの方が一部酸化になっちゃうと茶色になるんです。作っている人は多分全部失敗、全部捨てちゃったと思うんですけれど、それを監督していた誰かが、青いやつより茶色いのもあってもいいんじゃないかと。茶色を、意識的に焼けっていって出来たものもあるんじゃないかな。

≪上釉に含まれる気泡について〜龍泉窯の気泡より、官窯の気泡の方がずっと細かいが?≫
 あの泡全部取っちゃうとプラスティックみたいになっちゃう。今は薬の調合で泡を増やすこともできれば、減らすことも出来るんですね。泡を減らしてあるところまで行くとだんだんしっとりした感じになってくる。あるところまで減らしちゃうとツルツルの感じになっちゃう。

≪貫入の右回り、左回りの入り方について≫
 あの貫入というのは土と上釉の収縮率の違いから出るんですけれど、特にあの細い鶴首みたいなものは轆轤で挽いた時に無理がかかっていて窯の中で戻ろうとするんですね。その作用で貫入がまっすぐに入らないで、まず一定方向に斜めに入るんです。その理屈から考えると逆に産地で出来た品物が轆轤が時計回りで回っていたか反対回りで回っていたかが確認できるんですね。で、中国の焼物はほとんど時計とは反対回りなんで、あの貫入が右上から左下へ流れています。 高麗青磁もそれがほとんどだと思っていたら、最近その反対のタイプをちょっと目にしたので、それが偽物かっていわれたら偽物じゃないんで、高麗は両方あったのかなって今思っているんです。

≪「中国陶器だってやさしいのがいっぱいある」とのことについて≫
 ええ、やさしいっていうか、一番最初青磁に入ったとき、品物を見るには、台北の故宮博物院が一番いいと思って、しょっちゅう行ったんです。最初、南宋官窯を勉強しに行ったんですけれど、その時にそれまでは青磁っていうと、やきものの中で一番楷書というか、かたいもので、きちっとしているもんだと、仕事を始めたころは思っていたんですけれど、向こうに行って南宋官窯とか、特に汝官窯とか見るとか見ると、きちっとしているんですけれども、 だけど、きついだけじゃなくてね、柔らかくて、触ったら温度があるんじゃないかとか、ぐっと押したらへこむんじゃないかとか、そんなふうに思えたんですね。それ以降今でも、自分の作品もそういうふうにしたいなと思っています。結果は別問題としてね。

≪大内筒、鳳凰耳花生の工夫されているところ≫
 一点一点その工夫して苦労してるっていうのが見えるのは、具体的にいうと、大内筒も鳳凰耳も器形の胴はドンとしてますよね。あれは大内筒の胴もこれぐらい、鳳凰耳の胴もこうですよね、結果として同じだけの厚みの釉が掛かっているんですけれど。窯の中で釉薬っていうのは流れるんで、窯入れたときは下に流れないような工夫がいるんです。あのタイプ、よーく見てると胴に横筋があるんですよね。始め何で青磁にこんな横筋があるのかわからなかったんですけども、 自分でやってみると、あの形はそのまま普通の状態で釉をかけてそのまま焼くと下にぽこって、釉が溜まるんですよね。あの形、ずどんとあって、下に釉が溜まるとだらしがなくてね。それで窯に入れる前には、下のほうはきっと薄く削ったり、なんかそういうね、ずうっと見ていると、自分が苦労したせいか、そういうふうに見えてくるんですよね。筍の筋もただついているわけじゃないと思います。

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