Act1 「水瀬綾香と関谷稔之」

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一学期期末考査、最終日の朝、7時。
場所は某県、市街地外れに存在する住宅地。
朝から強く眩しく日差しが、辺りを照りつける。
日差しの中、制服姿の少女が、自宅玄関前に一人立ち続ける。
水瀬綾香。(みなせ あやか)
立華大学付属高校、二年。普通科所属。 
体を動かす度に肩にかかるストレートの髪が、サラリと揺れる。
そして澄んだ色をした大きな瞳が、見る者に強い印象を残す。

先程より、少し苛立ちを交えながら綾香は玄関の扉を見つめていた。
・・・もう・・・いつまで人を待たせるんだよぅ・・・
綾香の家で朝食を取っている、稔之を待っているのだ。

綾香が今一度、腕時計を見た瞬間、扉が勢いよく開き、背の高い少年が現れる。
関谷稔之。(せきや としゆき)
同校二年。体育科所属。
部活動はバスケ部。
脱色と染色をくり返した結果の明るい色をした髪。
時折、鋭い光を放つ、眼が一層、稔之の精悍な容貌を際立たせる。

「おっす。待たせて悪いな」
遅れた申し訳なさからか努めて明るく稔之は振舞う。
「もう少しで置いて行くつもりだったよ」
一瞬憮然とした表情を稔之に見せると、綾香は歩きながら器用に大学ノートを広げる。
「時間がないから出そうな所だけ言っとくね」
●(挿絵1)
二人とも、考査科目は英語Uを残すだけ。
従って、今日は稔之と駅まで一緒に登校するという話になっていた。
お互いの登校時間が違う二人の間では、かなり珍しい事だ。
同じ学校でも通学時間の違う二人が、朝に顔を合わせる事は少ない。

「体育科の範囲は72ページまでだから、多分3行目の直接話法を間接話法に変えるのが出るよ」
「了解。時間までに覚えるようにするぜ」
二人はノートを見ながら最寄りの駅まで歩いていく。
テストの対策を練っている為ではあるが、寄り添うように見える二人の姿。
傍目から見ると、付き合っている風に見えない事もない。
しかし、二人を結び付けている理由は稔之の家庭事情からだ。

綾香と稔之の父親は大学の同級生同士。
下宿先も同じだった為、大変仲が良い。
卒業後も、二人は同じ製鉄会社に入社したので、かなり頻繁に交流が続いていた。
そして稔之が5歳の時、稔之の父親は離婚した。
以来、父親と二人で暮らしていた稔之。
稔之を不憫に思った綾香の父親は、食事の時に稔之を呼び、自分の家族と食事を一緒に取らせるようにした。
その習慣は現在でも続いている。
3年前、稔之の父親はニューヨーク支社に単身赴任する。
綾香の家の前の道を隔てた所に建つアパートで稔之は、一人暮らしを始める。
稔之が高校を卒業するまで、二人の父親の間で、そのような形が決められた。

綾香と稔之は同じ小学校出身。
しかし中学で綾香は現在通う学校の付属中学へ進み、稔之は地元の中学に通った。
高校で稔之が綾香の在籍する学校に入学。
二人は再び同じ学校に通う事になる。
学科が違うので二人は、お互いの姿を時折校内で見かける程度。
会話も普段は挨拶を交わす位。

試験直前最後の悪あがきをしつつ駅に辿り着き、丁度やって来た電車に二人は、乗りこむ。
間もなく、電車は市街地中心の駅に到着する。
ホームに降り立つと稔之は同じクラスの友達を見かけた。
綾香の方を向いて頷くと友達の名前を呼びながら大勢の乗客の間を稔之は、軽快にすり抜けて行ってしまった。
入れ違いにホームの隅で待っていた中津律子(なかつ りつこ)が静かに綾香の方へ向かってきた。
少し垂れた目と顎までのシャギーボブが可愛い。
付属中時代からの友達で今はクラスメイトだ。

 「おはよう」
周囲の喧騒にかき消されそうな小さな声が、辛うじて綾香の耳に届く。
 「おはよう。律っちゃん。範囲に入っているプリント見せて?」
 「いいよ・・・」
律子は丁寧に折りたたんだプリントを綾香の前に差し出す。
今度は律子と歩きながら綾香は、構文の暗記に没頭を始める。
駅の中央口から出て東方面に歩いて15分の所に、綾香達の通う「立華大学付属高校」がある。

途中、大通りの交差点で、工業高校の男子生徒が自転車で二人の前を通り過ぎる。
男子生徒が綾香を「チラリ」と見て通り過ぎたのを、律子は俯き加減の視界の隅に捕らえた。
綾香はプリントに見入っていて気付くそぶりも無い。
  
友達のひいき目でなく、律子から見ても綾香は可愛い。
「美少女」の部類に入ると思う。
色白ですらりとした細い手足。
大きな瞳を一層引き立てる、小さくて整った顔立ち。
サラサラの髪は日に透けると輝いて、見る者を思わず惹き付ける。
校内でも綾香に密かに憧れる男子生徒は多い。
しかしながら、当の綾香は全く恋愛事に興味が無さそうだった。

中1から高2まで綾香が恋愛に関する話しているのを、聞いた事がない。
理由は2つあると律子は解釈していた。
一つは綾香が偏った趣味をしているから。
もう一つはやはり稔之の存在。
律子は稔之と大して面識はない。
なので、あくまでも憶測の範囲だが。
しかし律子から見て綾香が稔之の事をどう思っているのか全く分からなかった。
稔之の事にしても綾香が、話題にする事は少なかったからだ。
 『確かに、みなちゃんが関谷君の事を意識しているようには見えないな』
律子が心の中で呟いた時、ふいに綾香が律子の方を見た。

「どうしたの?」
大きな瞳が律子の顔を映し出す。
●挿絵2
「え・・・あっ明日の事どうしようかなって思って・・・」
綾香の瞳に心の中を見透かされそうな気がして、律子は慌てて話題を作り出す。
一瞬言葉がつまりそうになる。
しかし綾香は律子の様子に深く気を止めなかったようだ。
「ああ明日ね」

可愛い顔に似合わない不敵な笑顔を浮かべる、綾香。
明日は市内の外れで行われる同人誌即売会の日。
共通の友人、萱野美樹(かやの みき)を誘って三人で本を買いに行く予定なのだ。

(※同人誌即売会・・アマチュアによるオリジナル、二次作品(ゲームやアニメ、 芸能関係が多い)の作品(主にマンガ、イラスト、小説)をそこで販売する集まりの事)

「実は××さんが描いている本が欲しいんだ。
 あのサークルは人気があるから、朝一から行って会場の前で並んでおこうよ」
英語の暗記よりも頭を働かせ、一瞬の内に明日のイベントに対する様々な思いを巡らし、目を輝かせる綾香。
「うん・・・私もそのサークルの本が欲しいから、そうしたい・・・」
綾香の注意を別の方向に完全に逸らせた事で、内心ホッとする律子。
「ああ、明日が楽しみだな。だけど先にテスト頑張らないとっ」
綾香は先程より意欲が増した様子でプリントを食い入るように見ている。
そして二人は再び暗記に集中しつつ、校門をくぐった。

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