翌日。 綾香達、三人は朝から即売会会場に向かい、半日かけてお目当ての本を手に入れる。 大変充実した時間を送るのであった。 帰り道。 「第一公園によってほしいんだ。写真を撮りたいの・・・」 突然、綾香が文化祭で展示する作品の撮影の手伝いを二人に頼む。 綾香は他に部員が二人しかいない写真部に所属していた。 だから、友人二人に撮影の手伝いを頼む事がよくあった。 普通こういった頼み事は前もって言うべきだ。 しかし、いきなり言い出す所が綾香らしいのかもしれない。 二人もいつもの事なので綾香の唐突な頼みごとを、あっさり引き受ける。 三人は第一公園へ向かう。 「第一公園」は五年前に出来た「街区公園」の一つ。 場所は綾香の家から3kmほど離れた所にある。 入り口を入ると、公園の中央に植栽されているナツツバキの幹が陽に照らされ金色に輝いているのが目に入る。 そして近代的なデザインのオブジェクト。 ナツツバキの周囲をなぞるように植栽されている低木がこの公園の植栽デザインのポイントだ。 遊具が集中しているゾーンには、数日間続く暑い陽射しの中でも元気に幾人かの子供達が遊び回る。 反面、オブジェクト側はほとんど人がいない。 綾香が以前から眼をつけていた、オブジェクトの一つに三人は向かっていく。 目的地点が見えた途端、三人の足は思わず歩みを止めた。 低木4、5本が掘り起こされ、オブジェクト周辺に乱雑に投げ捨てられていたのだ。 低木は掘り起こされてから幾ばくかの時間しか経ってない様に思えた。 が、初夏の厳しい暑さに葉は既にしおれていた。 美樹が、眉根を寄せ少し険しく眼鏡の奥の目を細める。 「木を掘り起こすなんて、ひどい事する人がいるのね」 「どうしよう?取り敢えず、木を日陰に置いとこうよ・・・」 律子が小さい声で提案しながら心配そうに、綾香の顔を覗き込む。 綾香は二人に気を使わせないように振り返り、微笑むと 「うむ。木が枯れたらまずいもんね・・・」 と応じながら、すぐさま樹木を日のあたらない樹木の影に置き始めた。 しばらくして。 「これで帰ろう。あとは管理の人が見つけて何とかしてくれるよ」 作業を終えた綾香が二人に努めて明るい表情を向けて促す。 二人も頷く。 三人は公園を出てそれぞれ帰路に向かった。 午後8時。 綾香の家。 リビングルームでは両親の弘明と晶子が、それぞれにくつろいでいる。 リビングと繋がる構図となっている食卓では部活から帰ってきた稔之が、黙々と夕食を取っていた。 「綾香、今日は遅いわね。また中津さんの所に行っているのかしら・・・」 綾香と同じ大きな瞳を見開いて晶子は、白い壁に掛けられている時計を見やりながら呟く。 「・・・本屋かも知れないぞ?」 カッチリと固めた髪型。 レンズには曇りが一点もない眼鏡をかけた弘明が、新聞から目を離さずに応えた。 几帳面な性格が前面に出た容貌は、いかにも理数系の研究者と言う感じだ。 「もーっ。そろそろトンカツを揚げてしまわないと、明日のお弁当に使えないじゃないの」 少しずれた不満を漏らしながら、華やかな雰囲気のある顔を顰めて晶子は台所へと立ち上がる。 二人とも娘の心配はそれ程していない。 綾香の日常行動範囲が狭いせいかもしれない。 稔之は黙って下を向いて食べ続けている。 ●(挿絵3) ・・・またかよ・・・いつも一体何考えているんだか、分かんねーよ 20分後、内心舌打ちしつつ自転車を第一公園へと走らせる、稔之。 アパートに戻った後、美樹に電話で今日の出来事を稔之は聞き出した。 すぐに着替えて、おそらく綾香が居るであろう場所に向かう。 普段、学校では綾香は真面目な方。 あまり勉強の得意ではない稔之は色々と世話になっている。 しかし、綾香の性格に稔之はついていけない部分が多かった。 想像つかない事を思いついては、後先の事を考えず即行動するのだ。 しかも綾香が起こす行動の影響を、稔之が受ける事もよくあった。 小学生の時。 綾香を含めた近所の友達と、市内の中央を流れる広い川原に遊びに行った事があった。 川原周辺に存在する急な法面の付近で変わった光沢のある石を見つける、綾香。 他の友達が止めるのも聞かずに法面にあがったまではいい。 ところが降りられず、稔之は苦労の末、周辺の住民まで呼んで助けた事がある。 綾香はしっかりと最後まで石を握り締めていた。 石は今でも大切に持っているらしい。 中学の頃。 「目が覚めるような凄い綺麗な女の人」(綾香談)に綾香は、すれ違う。 止せばいいのに密かに尾行していく綾香。 気が付くと綾香は知らない場所に居た。 綾香は慌てず 「自力で帰れそうにないから、迎えに来て」 と稔之に電話をかける。 怒りに拳を震わせながらも傍にある店の名前を聞き出す、稔之。 相当な時間をかけて場所を推測し、家から30km離れている地区へ迎えに行った。 ようやく見つけ出した稔之に向かって綾香は 「だってあんな綺麗な人、今を逃したらずっと見れないんだもん。だから、ついていったの」 としれっと言ってのけ、稔之は怒りを堪えるのに必死だった。 さらに高校に入学し、綾香が写真部に入部して間もなくの事。 借りた漫画を返しに稔之の部屋に行った際、部屋にある照明器具を綾香は、気に入る。 外して写真を撮りたいから一晩貸してほしいと言う、綾香。 即断る、稔之。 しかし普段は素直なのにこういう時の綾香は、とても頑固な所を見せる。 何度も頼む綾香に、稔之はついに折れてしまう。 そして一晩テレビと補助照明だけで過ごした事がある。 綾香曰く「この照明の形、どこか惹かれるのよね」 思い起こせばまだまだ多くの出来事がある。 ずっとこんな調子。 迷惑を掛けられっ放し。 この状態は一体何時まで続くのだろうか? しかし、放っとけばいいのに何故か綾香の非常識な部分を相手してしまう、稔之。 稔之は小さい頃から綾香の両親に面倒を見てもらった。 遊園地や動物園によく一緒に出かけた。 参観日や懇談も綾香と同じように来る。 休日でも稔之が部活の時は必ず弁当を作る。 稔之に非があれば遠慮せず本気で注意し、怒る。 逆に嬉しい事があれば一緒に喜ぶ。 綾香の両親は、殆ど稔之にとって育ての親そのものであった。 面と向かっては照れくさくて言えないが、とても二人に感謝している。 そして稔之の横にはいつも綾香が傍にいた。 公園に着いて自転車を降り立った時、ちょうど若い二人連れと入り口ですれ違う。 稔之は公園の奥へと進んでいく。 稔之の想像通りだった。 綾香は二人と別れた後、一旦、家に戻り、そして家の物置からスコップ等を持ち出した。 再び公園に向かい、掘り起こされた低木の埋め戻しを行っていたのである。 植栽の修繕に取り掛かってから、かなりの時間が経っていた。 公園の土はしっかり締め固められ、スコップを動かす度に軽い衝撃が綾香の手に響く。 スニーカーは既に土で汚れていた。 他人からすれば大した事ない出来事かも知れない。 が、気に入った場所が、損傷されていたのが悔しい。 思うように直せない自分に腹が立つ。 Tシャツが汗で重たく感じた時。 ふいに背後から漂う、覚えのある整髪料の匂いに綾香は気が付いた。 顔を上げなくても誰が来たか分かる。 「何ダルい事やっているんだよ」 不機嫌そうな声を背中に浴びる。 歩み寄って来た稔之が、半眼になって鋭さの増した視線で周辺を見回している。 「木を直しているの」 稔之に構っている暇はないとばかりに、作業を止めずに応える綾香。 「何も今しなくてもいいじゃねーか」 稔之は呆れた口調で呟きながら、片眉を上げて綾香に視点を定める。 「だって明日の朝に作業したら、夜の間に木が萎れてしまうじゃない。 ここを写真に撮ろうと思っているんだけど、それじゃ写せないじゃん。木も可愛そうだよ」 稔之から発する非難めいた空気を押し返すように、綾香は大きな声で言った。 ・・・それ以前に、自分のやっている事がどう人に映るかが考えた方がいいんじゃないのかよ? と稔之は一瞬言い返そうと口に出かかるが、止めた。 こういう状態の綾香は絶対聞かない。 稔之が一番知っている。 稔之は綾香から目を逸らして、下を向く。 無造作に掘り起こされた土が視界に入る。 一体、綾香を突き動かしている要因は何なのだろうか? 稔之は一度軽くため息を漏らすと、綾香が汗を拭っている間に、素早く横に置いてあったスコップを取りあげる。 すぐさま勢いよく穴を掘り始めた。 ●挿絵4 綾香の作業ではほどんど掘れなかった個所が、見る間に掘り起こされていく。 瞬く間に、抜かれた木と同じ数の穴が出来あがる。 綾香は稔之の咄嗟の行動に大きな瞳を一層見開いて稔之を見る。 が、気を取り直し、しゃがみ込んで植穴に木を入れ始めた。 写真の構図を思い浮かべながら納得するまで、何度も木を回して向きを考えている。 穴掘り作業が一通り終わると、次に稔之は植えていった木から鋤簾(じょれん)で土を戻していく。 早く終わらせたい一心で稔之はずっと黙って作業を続ける。 やがて埋め戻しが終わり、公園の片隅にある水道で道具を洗い、公園入り口に戻ると稔之は自分の自転車に器用に細いロープで道具をくくりつけた。 稔之の視界の隅では、綾香がバケツで水をやっているのが見える。 木を痛めずに修復が終わったのと、構図的に気に入ったのであろう。 嬉しそうな表情を浮かべている。 一瞬、木を眺める綾香の姿が公園外脇の電柱に取り付けられた電灯に照り返され、眩しく輝いた。 綾香を見つめる、稔之の心の中に温かな心地よい感情が湧きあがる。 無意識の内に口元が微笑に緩みそうになる・・・ が、次の瞬間 稔之は胸に強い鈍い痛みを感じた。 唇を歪めると、固く瞼を閉じ、心の中に拡がりそうになる気持ちをねじ伏せるように無理矢理押し殺す。 突如、心の中で起こった激しい感情を振るい落とすように頭を振り、体勢を変える。 道路の隅に置いてあった綾香の自転車に気づくと歩み寄り、スコップの取っ手を自転車の荷台に頑丈に取り付けた。 取り付け終わって立ち上がろうとした、その時。 「ありがとう。私一人じゃ今日中に出来なかったよ」 ふいに背後から綾香の声がかかり、稔之はビクっと心臓を跳ね上げる。 いつの間にか作業を終えた綾香が傍に立っていた。 「一人で勝手な事をするなよ」 表情を綾香に見られまいと顔を背けたまま必要以上に穏やかさを装った声で忠告する、稔之。 一度、大きく深呼吸すると、稔之は立ち上がり、綾香の方を振り向く。 「急いで帰ろうぜ」 そして自分の自転車に近寄り素早く飛び乗る。 綾香も小さく頷くと、自転車のハンドルを握る。 家に向かう途中。 急ごうと言った割には、稔之が自分の扱ぐスピードに合わせているのに綾香は気がついた。 稔之の後ろ姿を眺め、一瞬申し訳なさそうに目を細める。 やがて綾香の家の前に辿り着く。 そして自転車をしまうと、それぞれの家に入りこんで行った。 稔之は玄関に入りアパートのドアを閉めた瞬間。 2年になってすぐ、付き合い始めた隣のクラスの神埼裕美(かんざき ゆみ)に、電話する約束を忘れていた事に気が付いた。 慌てて、部屋に上がりこみベット脇の時計を掴む。 今かけると逆に迷惑な時間になっていた。 ・・・ううっ・・・すっかり忘れていた・・・ |