レースで活躍したコロナ
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船橋サーキットを走るRT41 |
PT20の活躍
1963年5月に行われた第一回日本グランプリでは、トヨタがパブリカ,コロナ,クラウン,で、3クラス制覇をするなど目覚しい活躍をしました。コロナは5月3日に行われたツーリングカー・レース(1300cc〜1600cc)にPT20で出場し、1位(式場壮吉
氏),2位(立石宜 氏),3位(松永正義 氏)と大健闘でしたが、翌年1964年5月の第2回日本グランプリではスカイライン1500の独断上となり、惨敗の結果に終わりました。
コロナベースのレース仕様車
第3回日本グランプリの前哨戦ともいえる、完成間もない富士スピードウェイで1966年3月に行われた第4回全日本クラブマンレースで、コロナ1600Sをベースにトヨタとヤマハ発動機が共同開発した1600ccDOHCエンジンを積んだ1600GTのプロトタイプともいえる「RT-X」の名前がつけられたマシンが登場。3台が出場し1位(細谷四方洋
氏),2位(福沢幸雄 氏),3位(田村三夫
氏)でゴールした、3位の田村 氏は惜しくも失格となったが「RT-X」は素晴らしい成績でデビューを飾りました。しかしその後行われた第3回日本グランプリには出場せず、次に姿を見せたのが1967年7月の鈴鹿12時間レースでした。このレースでは「トヨタ1600GT・RT-X」の名前で出場、1位(福沢幸雄
氏/鮒子田寛 氏)組,2位(細谷四方洋/大坪善男
氏)組というデビューに続き好成績を飾りました。1968年5月の第5回日本グランプリでは「RT-X]の名が取られ「コロナ1600GT]として出場。予選3番手まで独占し、本戦でも大岩湛矣
氏がスカGの追撃を振り切って優勝しました。1969年のJAF-GPでも日産GT-Rを相手にし、トップを死守しゴールしたが走行妨害という判定で惜しくも勝利を逃しています。
国際ラリーでも連戦連勝
RT40は海外のレース、ラリーでも世界の一流車を相手に次々と優勝をさらいました。
ラリー、レース名 | 場所 | 開催月 | 順位 |
南アフリカ、ラリー | ローデシア | 9月 | レギュラリティ・トライアル 総合・クラス 1位、2位 |
モービル・ナショナルラリー | 北ローデシア | 7月 | 総合優勝、クラス優勝 |
ローウッド・プロダクション・レース | オーストラリア | 6月 | クラス優勝、総合2位 |
ペンハロンガ・ラリー | アフリカ | 5月 | クラス優勝、総合2位 |
ローウッド・4Hツーリングカー・レース | オーストラリア | 3月 | クラス2位 |
● 南アフリカ・ラリー
トータル・ラリーと呼ばれたこのラリーの、レギュラリティー・トライアルで総合優勝と2位を独占。順位は1位2位コロナ,3位ワーゲン1500,4位クラウン,5位モーリス1100,6位サンビームでした。
● モービル・ナショナルラリー
アフリカの北ローデシアとサンビアの高原地帯を走る1280キロのラリー。1位コロナ,2位モーリス,3位シムカ,4位ワーゲン,5位6位ボルボ,7位コルチナ・ロータス。
● ローウッド・プロダクション・レース
オーストラリアのローウッド・サーキットで行われたスピードレース
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勝ち取った優勝カップを並べ記念撮影 | ナビ席は手回しの計算機等アナログの世界で〜す。 |
このように、コロナはモータースポーツの世界でも大活躍でした。