6
開け放った窓から、夜の香気を含んだ風が吹いてくる。人影を映してカーテンが揺 れる。虫の声と遠い話し声。静かな夜。 そして広げた論文の、字面だけを追っていたことにふと気付く。 物憂げな目で窓越しに外を眺め、カップのお茶を一口。 「・・・・・・いやァ。何だよソレ、オイ」 苦虫を5・6匹噛み潰したような顔で、窓枠に座る刃に悠然と目を向ける。 「何」 「・・・何気取ってんだっつってんだよ」 渋い顔のままの刃に、アタシは微笑んで返す。 「アンタがお子様扱いしたからよ」 色々と大人っぽい感じにしてみたんだけど。 「お子様扱いって・・・まァいいや」 面倒くさそうに手を振ると、窓枠から降りてアタシの向かいに座った。 「で?何読んでんだ?」 「『古典文学における天使の位置付けについての一考察』」 「・・・・何だそりゃ」 「何だって論文よ」 言うと、刃は大きくタメ息をついて顔を片手て覆った。 「いやーもー・・・オレが悪かった。悪かったよちくしょー」 「何かイヤイヤで投げやりっぽいけどまぁいいわ」 ばさっと紙束をテーブルに投げる。でも刃は疲れ顔のままで、 「・・・帰ろっかなオレ・・・」 「なーによー折角来たってのに」 「お前自分の行動振り返るとかしねーのな」 「知らないわねそんな事」 にこにこと返してあげる。すると刃はぶつぶつ何か言ってたみたいだけど、 「でェ?何の話だったっけか」 タメ息まじりに言うと、アタシが口を開く前に論文に目を止めて続けた。 「そうだ、子供の話をしようか。よくある話だ。生まれ故郷を探して家出した子供の 話」 「え?」 突然変わった話題と口調に戸惑うアタシを無視して、刃はしゃべる。 「その子供は自分の生まれたところを知らなかった。だからある日、それを探しに行 こうと育ての親に黙って家を出たんだ」 「・・・手がかりとかは?」 刃の意図してる事がわかんないけど、続きも気になるし、とりあえず疑問に思った 事を言った。 「無いさ。なーんにも」 ぱっと手を開いてひらひら振る。 「だから子供は拾われた所、樹海の中のあるデカい樹の下へ向かったんだ」 ぱたんと手を下ろして刃は続ける。 「簡単に行くってったっが、そこまでにゃ山脈も大きい街も森もある。普通ガキが行 けるようなトコじゃねえさ」 「・・・じゃどうしたの?」 「子供は一人じゃなかった。二人居たのさ」 「・・・・・・だから?」 「一人じゃどーにもできなくても二人ならどうにかできる事もあるだろ?それで色々 迷いながらでも、二人は目的地にたどりついた」 そこで言葉を切って息を吐き、 「おおきな、樹海にそびえる大きな樹の根元だった。てっぺんなんか見えなくて、根 元は苔に覆われきってた。その樹の周りだけに陽が降ってて・・・子供二人はその日 なたに座り込んじまったんだ」 黙ったその顔からは何も読み取れなかったけど、アタシは話し方から気付いた。 「何も・・・無かったのね」 「ああ」 刃は何故かすこし笑った。 「どっかでわかってて行ってたが、仕方なく子供達は帰っていった。来た道をたどっ てね」 皮肉にも見える笑みで続ける。 「家に着くと、育ての親が二人を出迎えた。母親は遊んで帰ったときと同じように笑 ってたが、父親はつっ立ってたかと思うと、頑丈な方の一人をぶん殴った」 「!」 アタシがびっくりすると、刃はにやっと笑って、 「でもその後、二人を抱えておいおい泣き出したんだ」 「ええええ?よくある話なのそれ」 アタシの反応に、刃はくすくす笑う。 「さぁな。それでこいつには続きがある」 「何?」 「両親はみぃんな知っていた。家出のことも道中のことも」 「家出はともかく道中のこともなの?付いてってたのかしら」 「半分アタリ」 「半分?」 刃は目だけで笑んで、 「街や街道で情報屋の目が全部見てたのさ。そこから聞いてたってワケだ」 「・・・それであの反応?わかんないわねー」 「オレもわからん。でもまァそーゆーモンらしいな」 「らしいなって・・・」 どういう意味があったんだかわかんないわ。 「結局何が言いたかったの?」 「知らん。オレは昔話をしただけさ」 片眉を上げてとぼけられる。 「昔話?よくある話じゃなかったかしら」 「む。まァ昔あった事だから昔話じゃあるな」 「ならそうね。でもそう言うって事は事実なのね」 少しアタシが意地悪に言うと、刃はちょっと困った顔をした。 「全部作り話じゃあない。でも全部本当にあった事でもない。昔話なんざそんなもん だろ」 「ふぅん」 何かひっかかるけど、さっきのは本人の話だと考えていいんだろう。それよりもア タシは気になっていた事を口にした。 「・・・何かさ、今日のアンタ変ね」 「はァ?」 「なーんかぎこちないってゆーかわざとらしいってゆーか。突然語り出したりとかさ」 すると、刃は渋い顔になって黙りこくった。どっと椅子の背にもたれて顔を片手で 覆う。隠されなかった口もとが、何故か片方つりあがってる。 「んー。言いたくないから秘密」 「何それ」 「・・・女の魅力は秘密で出来てるんだよ」 「それは何かいい言葉だけど。今まで高いテンションで来てたから、いきなりそんな んで居られても、アタシも据わりが悪いんだけど」 「気分のいいときしか来なかったからだ」 指の間から片目がこっちを見る。 「わざわざ疲れてるとき来ても真緒が退屈なだけだろ」 「・・・それが今よ」 言うと、唇が自嘲気味に歪んだ。 「つまり何かあったのね」 見えていた片目が閉じられた。うつむいて肘を膝につき、両手で顔を隠す。そのま ま動かないから、アタシは泣き出したんじゃないかと思ってどきりとした。けど、 「・・・真緒、明日ガッコは?」 「?お昼からだけど」 くぐもってはいるけど普通の声に、思わず安心して答える。刃は大きく息を吐くと 唐突に言った。 「今日、泊めてくれ」 「はい?」
***
「・・・アタシ、ひと泊めたこと無いから何したらいいかわかんないんだけど」 ソファーに移って、脱いだコートを顔までかけてだれんと寝そべってる刃に言って みた。 「おかまいなくー。何事も経験だァ」 ひらひらと片手だけが軽く振られる。それにちょっとムカついて、 「経験ってアンタねぇ・・・知ってりゃできることでしょ」 「知ってるだけじゃどーしよーも無ェこともあるさ」 「知識じゃなくて知恵があればいいんじゃないの?」 「ほぉ?」 コートがずり下げられて、片眉の上がった目から上だけが出てきた。 「知ってる事で全部何とか出来るって考えるか」 「・・・どういう意味よそれ」 議論を持ちかける教授の顔みたいだと思って、警戒するアタシには答えず、 「しかも言い方からして『知恵』ってモンにこだわりがあると見える」 もそもそ動いたかと思うと起き上がって、 「真緒の言う『知恵』ってなァ何だ?」 やっぱり議論になりそうだ。アタシは頭を切りかえると真面目な顔をした。 「・・・自分で編み出すものね。ひとから聞いたり本で読んだりするんじゃなくて。 ひとが編み出したものが伝わってまとまって知識になると思うわ」 「ふぅん。知識と知恵は≒(ニアリーイコール)ってワケか?」 「自分かひとかの違いじゃないの?」 「じゃ何だ。例えば人がやって来る。礼儀正しい挨拶して茶ァ出し失礼にならないよ う相手して退屈させない。コレを自分で考えてやったらそりゃ知恵ってやつか?」 「・・・何か違うわね。どこかで知ったことから誰でも考えられそうだわ。もう知ら れてることだし」 「どっかで見聞きした事を寄せ集めて考えてひねり出す。最初は何でもそれさ」 馬鹿にされたみたいで、アタシは聞き返した。 「じゃアンタの定義はどうなのよ」 「知識ってのはひとの経験。知恵ってのは自分の経験が言葉になったもん。その先が カンとか覚えてる雰囲気とかだな」 「それアタシの言った事と同じじゃないの?」 「さてね」 軽く首を傾げると、にやりと笑って言った。 「オレにとっちゃ笑い話にできるかどうかの違いだな」 「何よそれ。アンタの思考回路の中身を知りたいわね」 「オレは真緒が『知恵』にこだわるワケを知りたいね」 「・・・・・」 アタシは言葉につまった。 言えない訳じゃない。でも、言いたくない。 「・・・機嫌が良くないのにわざわざやって来た理由を聞いたらね」 「何ィ」 刃が顔をしかめる。 「・・・ンなもんちょっと考えりゃわかんだろ」 拗ねたように言って、またソファーに倒れこんだ。 「考えりゃってったって・・・・・・・・・・・・あ。」 思い至ってアタシは口を閉ざした。相棒さんの話をしてて、次に来たときは話をそ らした。ってコトは多分相棒さんとケンカでもしたんだと思う。それで帰りたくなく ってアタシのとこに来たんだ。 すると刃は片目だけを開けて言った。 「今わかっても言わなかった。それも知恵っちゃ知恵だな」 「・・・そうね」 「それで?何でそうこだわる?」 結局そこに戻る。 「・・・今日はしつこいのね」 「はぐらかす気か?まァオレもやったが」 「・・・そんなに聞かれると何か言うのヤになるわよ。さらっと喋りたいような中身 だから」 屁理屈じみた言い訳をしていしまう。刃は片目でアタシを見てたけど、片眉を上げ るとその目も閉じた。 「ならいいさ。夜は長ェ」 あっさり言って、靴のままの足を上げて肘掛けの向こうまで出す。コートをさっき みたいに引き上げてしまって、もう寝る気に見える。でもアタシから話を切っといて 話しかける気もしなくて、仕方なく論文に目を落とした。 『太古において天使は一人の神の遣いであった。天使たちには階級もあり、必ずし も人型をしているわけではなかった』 『創世記第102版より、創世の女神の母親は大天使だったことが記載される。しかし 創世の女神自身の召喚呪や魔法陣が存在しないため、版を重ねた今もそれは他の神々 より伝え聞くしかない』 開きっぱなしだったトコロには、もう知っている事----アタシの頭に入れられてい たことが書かれている。次いでで、創世の女神は召喚方法は無いけどこの世界に居る ってこと、だから偶然になら会えるかもしれないってコト、でも姿形をよく変えるか らなかなか本人とはわからないかもって事も思い出す。 ページをめくっていく。 物語の仮想部分はよく高次の存在から聞いた話から出来ているということ。見たこ との無いものは描き出せないということ。 ・・退屈してきた。 でも続きを読むのはそこからの発展が気になるからなんだけど。 規則正しい深い呼吸が聞こえてくる。そっちを見ても顔までかけたコートの下は本 当に寝てるかどうかはわかんない。ただアタシの出方を待ってるだけかもしんない。 それがわかる程、アタシはこの黒ずくめの人のことを知らない。 「・・・役に立つ事なーんも知らないのねアタシ」 呟くと、コートの下がごそごそ動いた。張りの無いユルい声がする。 「少し、考えてみたが」 欠伸をかみ殺すような声。 「知ってて使えるモンが知恵っつーもんじゃなかろか」 「え」 指一本立てた手が出てきて、指先をくるくる回す。 「人付き合いの仕方は?喧嘩の仲裁の仕方は・。うまいメシの作り方は?・・・知っ てても使えなきゃ役立たずだ」 言葉が終わるのと同時に指は止まって、 「使えるかどーかはやってみなけりゃわかんねー。結局そこで自分の経験っつーヤツ につながるんだな」 「理屈じゃダメってこと?」 「だァな」 ごそごそと手が引っ込められた。 「・・・そぉ」 アタシが相づちを打ってそれきり、また静かになった。 ぱらぱらと紙束をめくっていく。 『物語のおいて高次存在はアドバイザー、もしくは便利屋という側面を持ちつつ、常 に理想像で描かれる』 ばさっとそれを裏返しに閉じた。テーブルの向こうに押しやって、空いたところに へたりと伏せる。 微妙な沈黙。 「・・・前。アタシ『真央』を超えたいって言ったでしょ」 返事は、無い。かまわず続ける。 「何でも知ってる人の知ってた事が、アタシの頭の中に入ってる。どうやってもそれ からは逃げらんないのよね」 腕を枕にして頭をのせる。 「何かを見聞きしても全部分かってるのよ?いつどこで習ったかわかんないような事 までね。これって何かシャクじゃない?」 目を閉じる。 「だから『真央』の知らない事まで勉強してやろうとおもったのよ。時代は動いてる んだからできない事じゃないわ。実際新しい呪文の構成も出来て博士号まで取れたわ よ。・・・・・・でもね」 息を吐く。テーブルに温さがわだかまった。 「それでもまだまだ足んないのよ。アタシが自分でつくり出さないと超えらんない」 「そりゃ無理だ」 間髪入れず、やけに至近距離で聞こえた声に、アタシはびっくりして起き上がる。 上着を脱いだ刃がテーブルに座っていた。 あっけにとられたアタシに構わず、ぺらぺらめくっている論文に目を落としたまま、 「立つ足場が無きゃ立てねェ。足場から作ってちゃ人生が足らねェ。今まで何千年と 積み重なった足場が無けりゃ何もできねえ。そういう意味じゃ自分だけでつくり出す ってなァどだい無理な話だ」 「・・・へりくつだわ」 「そう。言葉遊びだな」 紙束をテーブルに戻して床に降り立つと、刃は眠そうに頭をかいて言った。 「まァ何だ。オレが言えそな事1コ見つけたんで言おうかなと思って起きたワケだが。 聞くか?」 「・・・一応」 また変な理屈をこねるのかもと、ちょっと警戒しながら頷く。 「超えるだ何だ言ってるけどな、そのカラ知らなきゃ破れねェ。そんで殻の大きさが わかったら、まっすぐ破ろうとしちゃまた人生足んねーから・・・真央のやって無ェ 事やってみりゃいいのさ。別にソレは勉強にゃ限んねーし」 そして刃は照れくさそうに笑って、 「・・・何つーかな。人生まだ長ェんだからべんきょ以外の事もやってみろって思っ たんだよ真緒見てて。まァオレが勉強嫌いなせいもあるし、こんなエラそーな事言え るトシでもねーけどよ」 「・・・・・・。」 アタシは瞬きを何度かして、言葉を繰り返した。 「やったことない、事」 何だろうこの落ち着かない気分。 「ああ」 短く答える刃に訊きかえす。 「たとえば?」 「知らねーよ。オレぁ真央の人生知らねーもん」 欠伸をしてソファーに戻ろうとする背中に、思いついて言ってみる。 「例えば、家に盗賊泊めるとか?」 すると黒髪の盗賊は肩越しにこっちを向くと、にやりと笑った。 「盗賊と知り合いんなっちまってるとかな」 寝息がソファーの方からきこえてくる。 やっぱり本当に寝てんのかどうかわかんないけど、窓から入る月明かりには規則正 しくコートの下が上下するのが見える。起きてるとしても何を思ってるのかは知らな いけど。 それと同じくらい、アタシは真央のことを知らないのに気付いていた。 ベッドで寝返りをうって、目を閉じる。 アタシはあの人の親を知らない。歩いた道を知らない。笑った友達を知らない。本 人を知らない。 業績を知っても、論文を知っても、顔を知ってても、文章じゃ感覚でしかわかんな いものはわからない。 でもわかるためには、アタシが知ってること使わないと何もできないのよね。 ぐるぐる考えてまた寝返りをうつと、ソファーの上で青い瞳が月明かりをあびてこ っちを見ていた。 「真緒」 光が入って蒼く光る目と白く映える顔。最初に会ったときを思い出す。 「・・・・・・何」 そんな既視感を感じながらアタシは眠い声を出した。 「前にもきいたような気がするが・・・お前頭に入ってた『知識』、どう思ってる?」 「・・・・・・そうね。やっぱりお荷物よ」 自分の頭を指して続ける。 「コレがあるおかげで、アタシはフツーじゃない人生送んなきゃなんなくなったんだ から」 「だぁな」 「でもね」 肩眉を上げて、何か言いかけた刃を遮って言う。 「コレがあったおかげで、アタシは変わった人生の行くアテができたわ」 アタシがにやりと笑う。と、珍しいものを見た気がした。 「・・・良かったな」 刃が、微笑んだ。 含みのない自然な表情にアタシがびっくりしていると、 「じゃ、おやすみ」 かまわず先にコートの下に戻ってしまった。しばらくびっくりしてたアタシも、息 を吐いてごそごそ布団をかぶった。 ゆっくり寝るには十分な程、夜はまだ長い。