第一幕 参 源五郎と空が早々につっかい棒を掛けた町屋の扉をどんどん叩いて住人を呼び出し、縄を借りて男を縛り上げ、その間に近所の連中に番屋に走ってもらって役人がおっとり刀でやってくる頃には、既に月は中天に昇っていた。 緊張と、それ以上に寒さで顔を青くしている空に同情を示したものか、役人は「話は明日改めて」と念の為に護衛まで付けて二人を長屋まで送ってくれた。 流石に遅すぎる、と心配していた猿坊さん。事情を聞いて一度はひっくり返ったが、すぐに立ち直って悪党退治のからくりを考案し始めたのはまた別の話である。 明けて翌日。 二人はこの町の岡引、甚衛(じんえ)の家で火鉢に当たっていた。主は昨晩から番屋にいるらしく、甚衛の娘が出してくれた茶と煎餅がそろそろ無くなりそうである。 「ふわあ…」 昨日の疲れが残っているのと、炭の温みで空が思わずあくびを漏らしたところで、どかどかと威勢のいい足音が聞こえてきた。 「よお、悪い悪い待たせたな!」 挨拶代わりの胴間声を響かせ、通称「雷甚衛」が入って来る。豪放磊落を絵に描いたようなこの岡引、昨晩は寝ていない筈なのに相変わらず無駄に元気が良い。口も悪いし手も早い、しかし町人からは慕われている彼はどっかりと腰を下ろし、空に向かって笑いかけた。 「しっかし災難だったなあ!お空よ、おめえ怖くて寝れんかったんじゃねえのか」 「いや怖いって言うか…なんか良く分かんなかったって言うか…」 何しろ出来事自体が唐突過ぎた。空にしてみれば源五郎に抱えられている間に全てが終わっていたようなもので、あわや自分は殺されかけたのだという認識はいまいち薄い。 源五郎は源五郎で普段からあまり動じる事の無い質だから、実際の所この二人には微妙に危機感が欠けていた。 「落ち着いとるなーお前ら。まあ話が通り易くて有難てえ」 自分で持ってきた茶をぐびりと一飲み、甚衛は胡座を崩して前のめりになった。 「しかし甚衛親分、俺らには何が何だかさっぱり分かってないんだぞ?話なんぞ出来るもんじゃねえ」 「そりゃそうだ。何せ、あの物取り野郎自身にも分かってなかったらしいからな」 「はあ?」 二人は顔を見合わせ、お互いに首を傾げ合った。一体さっきから何度「分からない」が出たことか。 「大体、だ。俺らが襲われた事自体が変なんだよな。あの男、しきりと『金、金』言ってたが、どう見ても俺も空も金を持ってるようには見えんだろうに」 「無い袖は振れないって奴だよね。源なんか明日のご飯に困ってお栄さんに団子たかってるってのに」 「それは余計だ」 図星だったのか、源五郎が空の頭を小突く。だが当たっている。金に困っているのなら、もっと大金を持っていそうな者を襲えばいい事だ。何故自分達が狙われたのかが見えてこない。 がりがりと頭を掻き、甚衛は腹の底から息をついた。 「おめえらにゃ悪い所なんてこれっぽっちも無えよ。まあ聞け。奴は青物屋の亭主だった」 それで獲物が菜切り包丁だったわけか。しかし、八百屋の辻斬りなど聞いた事も無い。 「元々酒飲みで賭場に入り浸るようなろくでなしだったらしいがな。それでもまあ、昼間はそこそこ真面目にやってたらしい。だが、ここ半月ほど行方が知れんかったそうだ」 朝一で手下を駆けずり回らせて情報を集めてきたらしい。裏の取れた話なのだろう。 「女房の話では、姿をくらますしばらく前から急に金遣いが荒くなってたらしい。ぼんやりしたり暴れたりで扱いに困ってたが、ある日家の有り金持ち出してどろん、だったそうだ」 それだけなら良くある話かも知れない。女が出来たとか、賭場で負けが込んだとか、事情はともかくそう珍しい出来事でもない。 「根は悪党じゃねえらしいんだ。ここいらの話は牢で本人から聞いた。殊勝なもんだったぜ。だが野郎、話の最中にいきなり暴れだしやがってな」 そりゃあ人が変わったみてえだったぜ、と甚衛は大袈裟に腕を振って見せる。どうやら男の暴れぶりを表現しているつもりらしい。 「親分、そんで大丈夫だったの?」 「お空に心配されるようなこっちゃねえ。脳天に一発踵落とし食らわせてやったら静かになったさ」 それでまだ賑やかに騒げる奴がいたら見てみたいと二人は思ったが、ここは言わぬが花である。 「金遣いが荒くなったのも道理だ。野郎、阿片に嵌ってやがった」 「阿片ー?!」 空の声が高くなったのも無理はない。 いくら賭場通いをしていたとは言え、阿片などそう簡単に手に入る代物ではないからだ。高い安い以前に、そもそも一般人がぽっと手に取れるほど品数が無いのである。 「まあそんなもんに手え出してりゃ、幾ら金があっても足りんわな。だがこの阿片を売ってる奴ぁ、その辺がしっかりしてるらしい。とにかく金と引き換えにしねえと絶対に薬は出さねえってことだ。薬が切れりゃあ当然辛い。だが持ち出した金は底を付いた。そんなこんなで、野郎も滅茶苦茶だったんだな。とにかく金が欲しかった。だから、とりあえず最初に目に付いたおめえらに襲い掛かったってわけだ。金持ちだろうと貧乏だろうと、財布さえ取れれば一時は凌げる。それしか頭に無かったんだな」 正に災難に遭った、って事だな。 そう締め括って、岡引はもう一度深々と息をついた。嫌な、取り調べだったのだろう。 やくざでも何でもない、ただ少しだけ癖が悪いだけ、で済んでいたはずの町人が、人を殺めるところだったのだから。それ程に、危険な物なのだ。阿片などという薬は。 「なあ親分…もしかして、あのお縄になったって物取りも…」 「察しがいいな源五郎。その通りだ。向こうの番屋に確かめてきた」 「どっちの野郎も、阿片に手を出してたらしい」 まるでその言葉が冷風を運んできたかのように、がたがたと扉が軋んでいた。 |