〜第8話〜

「・・・つーワケなんだけど・・・」
 軍議に使用される部屋は、政務室をふたつ繋げたほどの広さがある。広い室内の中央に、長く広い机が設けられており、その上には地図と書類が並べられている。上座の椅子には国主である煌莱が腰を下ろしている。机を囲む形で集まった者達を前に、槍瑛は書類の説明を終えた。
 北の大国・朧阿(ろうあ)が静かに、しかし確実に中央の少数民族を平定している事。そして、その領域はやがてこの嘉条に届きつつある事を。
「そんな事が・・・」
 地図を睨むようにして、桐巳には驚きを隠せなかったようだ。
「まぁ、今の段階では推測の域を出ないけどな」
 そう返して、ひとつ息をつく。確かにまだ北の国境線に干渉されたわけではない。杞憂であって欲しい『推測』だった。
「ですが、国境線は不可侵との取り決めがあった筈では」
「と、俺も思ってたんだが現状がコレじゃあんまりいい期待は持てそうにないだろうな」
 槍瑛の指が卓上の地図を指し示す。
 向かいに立っていた龍真が一息ついて、言った。
「・・・で?これからどうするって?」
「ソレなんだけど、昨夜一晩考えた結果、俺ちょっと史鳳(しほう)に行って来ようとおもうんだけど。どう思う?」
「「はァ?」」
 返した槍瑛の意見はあまりに唐突なものだった。室内の全員から、示し合わせたかのように聞き返す声が重なった。上座に座る煌莱が、大きな瞳を丸くして発言者を見た。
「史鳳・・・?」
「ええ、東の。あちらさんがこれに気付いてるかの確認と今後の対応について話し合ってこようかと」
「それは解ります。解りますが、何故貴方が・・・」
 桐巳が場にいる全員を代弁した。各国とは定期的に使者を遣り取りして国交を保っている。それは東に位置する史鳳も例外ではない。現に、その使者団はつい先日帰還したばかりだ。
「その方が手っ取り早いだろ?使者を使って言伝るより確実だし。それに、たまには直(じか)に相手の意見聞いときたいしな」
「・・・とか言いながら、あちらさんの姫目当てとか言うんじゃねえだろうな?」
 龍真の隣から、烽焔が冷めた目で見遣った。
「ぎく。・・・いやァ、それはそれ、これはこれって事で」
 あながち可能性の全否定は出来ないようだ。もっとも目の前で爆弾発言を落とした友人は、どれほど軽薄そうに見えても公私を混同するほど愚かではないのであるが。
「・・・当の朧阿に臨時の使者を立ててみるというのは」
「それも考えたんだけどな。逆に『ウチを疑ってんのか』とか言われちゃマズイだろ?」
 他の文官の発案に、槍瑛は残念そうに返した。色んな意味で北方の大国を下手に刺激したくない。それはここにいる誰もが暗に了解している事である。
「・・・ですが、槍瑛軍師、貴方の『穴』はどう埋め合わせるおつもりですか?」
 桐巳が新たな問題を提示する。仮にその案を通した場合、事が迅速に進む代わりに宮には軍事を取り扱う軍師の存在が欠けてしまうのだ。しかし、槍瑛は心配御無用といった様子で、隣に立つ少年の肩をぽんと叩いた。
「誰か忘れてない?ここにいる白錘君が目に入らぬか?」
「えぇッ!ぼ、僕ですか!?」
 一方、急に指名を受けた白錘は、飛び上がらんばかりに驚いた。この軍師補佐の少年は、知能こそ優秀だが、今ひとつここ一番の度胸に欠ける感がある。
「・・・オイオイ、お前までその反応はお兄さん悲しー。・・・大丈夫大丈夫。そりゃ確かにいつもより仕事は増えるかもしれねえけど、実際俺よりお前の方が得意な作業ばっかりだし、どうしようもなくなったら桐巳でも頼って行け。ま、いい機会だから経験しといて損は無ェって」
 な?と再び肩を叩かれる。やや沈黙を置いて、やがて白錘はひとつ頷いた。
「・・・解りました。力不足ではありますが、出来る限り頑張ります!」
「・・・とまぁ、俺はこういう考えなんですけど、如何でしょうか陛下」
 槍瑛は、上座に座る煌莱を見遣った。黙って何事かを思案しているように見えた煌莱は、静かに意見を述べた。
「・・・そうだね、今の段階ではそれが妥当だと思う。白錘、大変だと思うけど頑張ってくれる?」
「は、はい!!」
 年の頃はさして変わらないが、事実上の国主から言葉を貰い、白錘は居住まいを正して返答した。
「んじゃ、そーゆー事で。細かい事は決定次第通達するから、解散!」
 歯車は、新たな方向に噛み合い、動き始めた。

*        *        *

「あー、いたいた」
 お茶をしませんか、と約束していた湖成のもとに向かっていた華燐は、医務関係の部屋が集う建物の端にある階段を昇ろうとして、背後から声を掛けられた。振り返った先には、にこやかに手を振る若者の姿があった。

「史鳳・・・って、東にある?」
 彼の――槍瑛の持ってきた話は、ひどく大きなものだった。他国との地理関係を少しでも聞いておいて良かったと華燐は思った。
「そ、昨日の軍議でそーゆー事になったんだ。一応華燐ちゃんにも伝えておこうと思ってね」
 確か史鳳は東にある比較的大きな国力の国だ。ついこの間まで、知りもしなかった未知の異国。
「・・・・・・ねぇ、槍瑛?」
 ややあって、華燐は目の前の男を見上げた。
「なに?」
「・・・私も・・・私も、連れて行って欲しいの」
「・・・へ?」
 槍瑛は目を丸くした。先日自分の発言を聞いた者たちもこんな気分だったのだろうか。しかし、華燐の視線にふざけた色は見られなかった。
「私はこの国の・・・嘉条の御剣の主なんでしょ?『嘉条の』って事は、他国にだって私と同じ立場の人がいるって事でしょ?・・・だったら、会ってみたいの。私一人じゃまだ解らない事ばかりだから・・・」
「・・・・・・」
「そ、そういう政治的なものに私なんかがついて行ったら、足手まといかもしれないけど・・・」
 たどたどしく言葉を繋いでいだ少女の語調が、やや弱くなった。
これまで、都の賑わいさえ知らなかったであろう華燐は、いつの間にかその役目に自ら歩み寄り始めていた。『御剣』という未知の存在を畏れ、遠ざかるのではなく、少しでもその存在を知ろうと。
 槍瑛は、やがて頷いた。
「・・・・・・いいよ」
「本当?」
「そういうお願いならむしろ歓迎。それに、やっぱり何事にも『花』って欲しいしさ」
「あ、ありがとう!」
 華燐の表情が明るくなる。槍瑛は再び考え込むように腕を組んで華燐を見遣ると、やがてひとつの提案を投げかけた。
「・・・それじゃ、そうと決まればまずは・・・服かな?」
「服?」
「史鳳は文化も違ってくるから、俺たちのこういう普段着じゃ不都合も出てくるワケ。」
 そう言って、華燐の服と自身のそれを交互に指す。
 嘉条の衣装は、男物ならば主に袖口と裳の裾を留める形を取っている。故郷の義兄のお下がりを貰った華燐も、長さを詰めてその形のものを身につけている。生まれてこのかた同じような形の服しか見慣れていない彼女には、異文化の服装というものが今ひとつ理解出来ずにいた。
「それに、日程もそれなりにかかるしね。まるっきり同じってわけにはいかないけど、嘉条(ウチ)にも似た形の服はあるからそれの方がいいと思うんだ。・・・そうだな、湖成でもつれて街に行って来なよ」
「街に・・・」
「そーゆーコトでしたらお任せくださいなっ!」
 新たな問題に向き合った華燐の頭上から、突如明るい声が降って来た。
「こ、湖成さん!?」
 見れば、二階部分の回廊の端から湖成が身を乗り出すようにしている。視線を遣ると、存在を主張するようにひらひらと手を振った。毎度すごい所から、と華燐が思っていると、
「ヤですよこんな所で話し込んでおきながらっ」
 医務棟は私の庭ですよっ、と豪語しながら階段を駆け下りてくる。小回りの効く小柄な体が同じ場所に足をつくと、彼女は槍瑛に向かってぴっと敬礼してみせた。
「お任せください槍瑛様。この湖成、腕によりをかけて華燐さんに相応しいやつをいっちょ選んでまいりますっ!」
「おぅ任せた!代金は経費で落としてやるからな!」
「ラジャでーすっ!じゃ、善は急げです華燐さん、レッツラ・ゴー!!」
「わわわッ・・・!」
 言うが早いか、畳み掛ける勢いで腕を引かれ、華燐は街に繰り出す運びとなった。

*     *     *

 男の指に弾かれて、十環(カン)銭が空中に放り出された。くるくると綺麗な軌跡を描いたそれは、やがて重力に従い、再び男の手の甲に落ちた。同時にもう一方の手で貨幣を覆い隠した男は、目の前のもう一人の男に呟いた。
「・・・どっちよ?」
 回廊の柱にもたれたまま、重ねた両手を示す。一時考えて、相手はぽつりと予測を立てた。
「・・・・・・オモテ」
「じゃ、俺はウラだな」
 そう言って、覆い隠した手を退ける。そこには、貨幣の単位を示す文字が刻まれた面が上になって乗っていた。
「よっしゃオモテ!俺の勝ちィ!!」
 『表』と答えた男――烽焔は小さく勝ち鬨を上げた。しかし、
「じゃ、お前で決定な」
 貨幣を投げた男――龍真は、貨幣を摘み上げて表の面を見せてきた。
「はァ!?」
「考えてもみろ、こんなモン運の強ェ方が適任だろ?」
 抗議の声に、しれっとした様子で貨幣を財布にしまい込む。烽焔はぐっと言葉に詰まった。
 そうこうしていると、通りすがった人物が声をかけてきた。
「・・・何なさってますの?二人とも」
 見上げてきた小柄な少女は、宮のもう一人の主と言ってよい。煌莱の実妹・鈴琳だった。傍らに侍女である沙那を連れている。
「いやちょっと陛下に頼まれ事をしましてね」
「お兄様に・・・?」
 鈴琳が首を傾げると、その髪に飾られた簪(かんざし)が小さく鳴った。

*     *     *

 桐巳は墨を含んだ筆を手から取り落とした。手元に敷かれた白い紙面に無造作に黒い染みが模様を描く。
「・・・今、何と仰ったんですか陛下」
 政務室のひとつにやってきた煌莱の言葉は、沈着冷静と名高い彼にそれほどの衝撃を与えるものだった。煌莱はおそるおそるその言葉を繰り返す。
「・・・・・・だからね、・・・僕も・・・・・・僕も、史鳳に行ってみたい、って・・・・・」
 聞き間違いではなかった事が、良いのか悪いのか。桐巳は卓上の紙もそのままに、改めて椅子から立ち上がり煌莱に向き直った。
「・・・まさかとは思いますが、この度の軍議の決定は・・・・・・?」
「ち、違うよ!それとこれとは別だよ!」
 煌莱は慌てて頭(かぶり)を振った。桐巳は静かに息をつく。
「・・・そうですか・・・。陛下のお考えを疑ってしまった事、お許しください」
「ううん、仕方無いよ」
「・・・ですが、それとは別に、先に非礼をお詫びしておきます」
 しかし、次の瞬間桐巳はそう言って、深く頭(こうべ)を垂れた。
「と、桐巳・・・?」
 静かに息を吐き、そして再び吸い込んだ彼は、次の瞬間腹の底から声を荒らげた。
「貴方は一体いつになったら御自分のお立場をわきまえてくださるんですか!!!」
 その声は、宮の何処まで響いたか知れない。少なくとも、政務室と同じ階層にいた人間は一瞬動きを止めたという。
 そして、彼の言葉はそれだけに留まらなかった。
「もううんざりするほどお聞きになっている事とは存じますが、もう一度復唱させていただきます。よろしいですか!?貴方はこの嘉条の主であり、正統に皇家のお血筋を引くかけがえの無い方なんです!貴方にはこの国を統べるという重大なお役目があるんですよ!?その貴方を、何が起こるか解らない使者団と共に軽々しく行かせられるとお思いですか!?」
 普段温厚な彼は、滅多に声を荒らげる事は無い。その代わり一度その堰が切られると、反論する事は困難だった。
「・・・・・・だからだよ!」
「・・・え・・・?」
 しかし、煌莱は彼に取って返した。普段は大人しく叱られるままであった筈の彼の意外な反論に、今度は逆に桐巳が言葉を止めた。
「・・・僕は、この嘉条の主。僕はこの国を導いていかなくちゃならない。それは僕自身が一番よく解ってる。・・・でも、僕にはまだ足りないものが沢山ある。この国の事も、他国の事も、知らない事ばかりだと思うんだ・・・」
 普段の好奇心からの発言だと思っていた。しかし、彼の――目の前の若き国主の目は真剣だった。その発言は、確かに一理あると言えよう。
「で、でしたら、宮でも充分に学ぶ事が・・・」
 だが、彼は一介の官吏の類とは立場が違う。おいそれと他国への旅を認めるわけには行かない。
「確かに書物の記録だったら書庫にいくらでもあるよ。無茶な言い草だって事も分かってる。でも、書物だけじゃ解らない事だって沢山ある。それを自分の目で見て来たいんだ!!」
「陛下・・・」
「お願い桐巳!危ない事は絶対にしないし、文句だって絶対言わないから!!」
「ですが・・・・・・」
 正直、軍師みずからを行かせる事だけでも不安なのにと考えていた桐巳は、どれだけ目の前の深緑の瞳が訴えてきても、どうしても首を縦に振ることが出来なかった。
 すると、いつの間にか僅かに開いていた部屋の扉から、鈴のような声音が入ってきた。
「・・・桐巳の負けじゃありませんこと?」
「鈴琳様!」
 沙那の開く扉から、声の主である少女が衣擦れの音を立てて入ってきた。その背後から背の高い壮年の男が続く。将である龍真と烽焔の二人だ。
「俺も姫さんに同意だな。今回の陛下のソレは、ただのワガママじゃねぇみたいだぜ」
 煌莱を見遣りながら龍真が言う。
「俺ら、陛下に頭下げられちまったんだよ。迷惑だって解ってるけど自分だけじゃ何があるかわからないから、俺か烽焔どっちかについて来て欲しいってな」
 桐巳は煌莱と龍真達を見比べた。臣下に対しても気安い煌莱だったが、君臣の立場はわきまえている筈だった。それは高慢なのではなく、絶対的な秩序を維持する為の、言わば礼節である。その彼が。
「確かにお前の言い分ももっともだけどさ、・・・俺じゃ頼りねェかもしれねぇけど、俺からも頼むわ」
 どうやら、白羽の矢は烽焔に決定しているようだ。
「・・・ですが、貴方まで抜けるとなれば、軍の統制は・・・」
 あくまで冷静に、桐巳は状況の補正を図った。それに答えたのは龍真の方だった。
「俺は別に構わねぇぜ?勝手知ったるってやつだ。短期間なら烽焔の分までまとめて面倒見てやるよ」
 だから引き受けたんだしな、と煌莱を慰めるように言う。更に続けて鈴琳が言った。
「それに桐巳、お忘れですの?私(わたくし)にだって立派に皇位継承権はありますのよ。お兄様の代わりに私が政務を代行しても、何も問題は無いでしょう?」
「鈴琳様・・・確かに道理は通っていますが・・・」
 兄に似た淡い翡翠色の瞳に見上げられ、桐巳は言葉に詰まった。すると、唐突にその丸い瞳が潤んだ。
「ひどぉぉい!!桐巳はお兄様は良くても私では力不足だとおっしゃるのねぇぇッッ!!」
 腕の先まで隠れる丈長の袖に顔を埋めて、鈴琳はその高い声で嘆き始めた。しっかりして見えるが、その実はまだ十五の少女なのである。こうなっては桐巳はいよいよ返す言葉が無い。
「いえ、そういう訳では・・・」
 なだめようとするが、鈴琳が顔を上げる気配は無い。周囲を見渡しても、決まりが悪そうな金の髪の少年と、泣かせたなと状況をからかうような壮年の男、どちらにつくべきだろうかという顔をした若者と娘。
 長い長い間を置いて、やがて桐巳は半ば捨て鉢に言った。
「・・・・・・解りました!許可いたします!!」
「本当、桐巳ッ!?」
「・・・・・・・・・はい」
 確認の返答にも長い間があった。考えに考え抜いた挙句の決断だ。純粋に心配する傍らで、桐巳の中では早くも今後の調整の困難さが渦を巻いていた。
「ありがとう桐巳ッ!大好きだよッ!!」
 そう言って飛びついてくる少年の言葉も、桐巳には不本意ながら半分半分にしか聞けなかった。

 心ここにあらずで今後を思案し空(くう)を見る彼の視界に、袖の隙間からこっそり顔を出して小さく舌を出す少女と、それを見て笑いを堪える男。そして絶句する若者と侍女の姿は映らなかった。

 

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