Act.2「両者ご対面

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駅へと戻る道は、来た道ではなく川沿いの土手を二人は歩いた。
夕暮れ時が近い為、二人の頬を吹きつける冬特有の乾いた風は冷たい。
綾香はGジャンの襟元を正した。
枯れた草の匂いが一層、寒さを感じさせる。
「今度来る時は、カメラを持ってくるね」
T市の街並みのたたずまいを綾香は気に入ったのだ。
実際、今日カメラを持ってこなかった事を後悔している。
「そうしたらいい。
 俺は武ちゃん程、写真は詳しくはないが
 協力は出来る」
綾香の満足した様子に亮哉は嬉しそうに言った。

周囲の風景が沈み行く太陽光線を浴びて、赤味がかってゆく。
今日は天気が良い為、見事な夕焼けになりそうだ。
そんな予感を抱えながら、綾香はふと懐かしい感覚に襲われた。
幼い頃、外でひとしきり遊んだ後、家へと帰る時の風景。
母親から、いつも言い聞かされていた。
『必ず、暗くなる前に帰るのよ』
綾香は言いつけを守って、日が暮れそうになったら家へ戻る事を習慣とした。
まだ小さい背中に、赤い夕焼けを浴びながら。

過去の記憶を今、鮮明に現そうとするかのように、
古都を照らす太陽は一段と赤く染まる。
土手の斜面を覆う枯草は、まるで赤い絨毯の様に見えた。
「辺りが真っ赤だね。
 こんな凄い夕焼け、久し振りだよ」
夕焼けの見事さに感嘆した綾香は、独り言の様に呟いた。

綾香の呟きに振り返った亮哉は、思わず言葉を失った。
夕陽が放つ光芒を一心に受けた、綾香の美しさに。
赤い光はサラリとした綾香の髪を透過して、
白い肌を朱色のガラス細工の様に輝かせる。
亮哉を映す大きな瞳は深紅の宝石の様。
そして、微笑にほころんだ綾香の唇を見た時、亮哉の胸の奥はジワリと熱くなった。
・・・この娘はこんな表情をする子なのか・・・
自分の頬が熱を帯びた様に火照っている。

「どうしたの?」
その場に棒立ちになった亮哉を綾香は怪訝に思ったらしい。
綾香の問い掛けに、亮哉は自分の無粋さに気づいた。
綾香を見つめ過ぎたのである。
何でもないよ、と言おうとしたその時、
亮哉の頬を冷ますかのように、冷たい風が山合いの方から吹き上げた。
風に飛んで来た枯葉の一枚が綾香の髪に絡まる。
咄嗟に、亮哉は綾香の方に手を伸ばした。
しかし、次の瞬間、亮哉は自分の行動を後悔する。
「キャッ」
いきなり、自分の耳元に伸びて来た亮哉の手に驚いた綾香は、思わず土手の方に後ずさってしまったのだ。
さらに悪い事に枯草に足を取られた綾香は、そのまま、斜面を滑り落ちてしまった。

午後5時前。
稔之の住むアパート。
ベッドの上で半分眠りながら、テレビを見ていた稔之は携帯電話の鳴る音に目を醒ました。
気だるそうに稔之は脇に置いてあった携帯を取り上げる。
電話の相手は綾香の母親、晶子だった。
「稔之?綾香がね。遊びに行った先で捻挫したみたいなの。
 迎えに行ってくれない?
 お父さん、今日はゴルフに出掛けていないのよ。
 場所はT市の駅に行けばいいみたい。お願いね」
一気に眠気が吹き飛ぶ、稔之だった。
・・・全く、いつも、あいつは・・・
不機嫌そうに舌打ちしながら、稔之はベッドから跳ね起きた。
素早く着替えて、稔之はアパートの外へと出て行った。

それから一時間後。
駅内のベンチに亮哉と座っていた綾香は、聞き慣れたバイクのエンジン音を聞いた。
何故か急に綾香の心の中を一瞬、影が走った。
『・・・・・・?』
不思議だ。
いつもなら、手助けしてくれる稔之の存在を頼りにしているではないか。

出口の方を見ると、予想通りアメリカンタイプのバイクが駅前に滑り込んで来た所だ。
ヘルメットを被っているものの、バイクにまたがる長い足は間違いなく稔之の物。
亮哉に体を支えてもらいながら、綾香は痛めた足を引きずって外に出る。
出た途端、綾香は稔之の目とぶつかった。
心なしか、いつもより一層吊り上っている気がする。
稔之に声をかけるのを躊躇う綾香に代わって、横に居た亮哉が
「お兄さんですか?
 水瀬さんに怪我をさせて、申し訳ありません。
 僕の不手際なんです。
 遠い所から、迎えに来てくださって
 大変、ご迷惑をお掛けしました」
と深々と頭を下げた。
一瞬、三人の間に妙な沈黙が降りた。

「ぷっ」
笑いを堪えきれずに吹き出した綾香の声が、沈黙を破る。
「ははっ、違うよー。
 彩賀君、関谷君はね・・・」
稔之を亮哉に紹介しようと説明した綾香を
「綾香!早く乗れよ」
と、稔之が大声を上げて遮った。

綾香は一瞬、名残惜しそうに亮哉の方を見た。
そして、ゆっくりと稔之のバイクにまたがる。

予備のヘルメットを被り、綾香の姿勢が安定したのを背中で感じ取った稔之は、
「まぁ、気にすんな。
 綾香はいつも、こういう奴なんだ」
と今まで亮哉を睨みつけていた視線を和らげ、微かに笑みを見せた。
●挿絵2
そして、稔之は再びバイクのエンジンをふかす。
稔之は彩賀亮哉の存在は、以前から知っていた。
学年切っての秀才で、稔之の知り合いの女生徒も何人か、亮哉に憧れている。
綾香とは、大方西谷を通しての友人だろうと、稔之は既に想像ついていた。
・・・彩賀、綾香を狙っているのか・・・
今の所、綾香の方はその気はなさそうだが。

稔之と綾香を乗せたバイクは一気にスピードを上げて走り出した。
綾香は、悄然とたたずむ亮哉に手を振った。
亮哉の姿はどんどん小さくなっていく。

この県の西部を流れるT川に沿って作られた国道を、バイクは走りつづける。
日はとうに落ち、家屋の数もまばらなので、
前方を照らすライトだけが、確実に見える視界だ。
ヘルメットの隙間から、流れ込む冷気が頬と叩きつける。
綾香は稔之の肩に手を回しながら、
稔之が駅前に現れた時の自分の気持ちについて考え込んでいた。
『何故、私は関谷君が現れた時、暗い気持ちになったの・・・?
 関谷君は怪我をした私を、わざわざ迎えに来てくれたのに・・・』

●挿絵3
綾香と稔之の家から、T駅までの直線距離はおよそ、40km。
連絡して1時間足らずで稔之は現れた。
相当、急いで来たに違いない。
・・・なのに、私は・・・
来て欲しくないと無意識に思ったのだろうか?
だとしたら、自分の都合の良い時だけ、関谷君の助けを必要としているなんて。
そんな自分が恥ずかしい。
綾香は稔之の肩をしっかりと握った。
・・・ごめんね、関谷君・・・
綾香は瞳を閉じて、心の中で稔之に詫びた。

稔之と共に、自宅の玄関に綾香は入った。
下駄箱の上にある置時計は午後7時半過ぎを示していた。

あがりまちに腰掛け、足をかばうようにゆっくりと靴を脱ぐ綾香に、
「部屋まで、階段上がるの手貸そーか?」
とヘルメットを脱いだ稔之がぶっきらぼうに言った。
「大丈夫」
綾香は強い声で応えた。

綾香はこれ以上、稔之に甘える訳にはいかない意味で言ったのだったが、
稔之には、静かながらもきっぱりとした拒絶の意味に受け取れた。
黙ったままの稔之に綾香は
「いつも、ありがとう。関谷君」
と礼を言うと、ぎこちない姿勢で傍らの階段を上がっていってしまった。
玄関に立ったまま稔之は、階段の先を見上げた。
薄暗くて、2階の様子はよく見えない。
そういえば、最後に綾香の部屋に入ったのは何時の事だっただろうか。
確か小学5年生位だったような。
今はこんなに近くに居ても、立ち入れない。
稔之にはこの階段が、自分と綾香の間を立ちはだかる見えない壁の様な気がした。

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