Act.4「少年は誓う(下)

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その週の土曜日。午後3時。
亮哉は時間をかけて、綾香の家の玄関前まで辿り着く。
包装からして高そうな菓子折りを抱えて、亮哉は背筋を伸ばした。
緊張からか真剣な表情で、チャイムのボタンを押す。
明るい返答の声がすぐにあがり、綾香の母、晶子が
「とちら様でしょうか?」
とドアの隙間から、顔を覗かせた。
「初めまして。
 僕は彩賀亮哉と申す者です。
 水瀬さんとは、西谷君を通しての共通の友人です。
 先週は、水瀬さんを案内した際、
 怪我をさせて、大変申し訳ありませんでした。」
亮哉は、自己紹介と謝罪の気持ちを真摯な態度で一気に、晶子へと向けた。

突然の訪問者に目を白黒していた晶子だったが、
亮哉の秀麗な顔立ちと、生真面目な様子、
そして西谷の名前を聞いて、警戒心が解けたのだろう・・・
すぐに表情を崩すと、
「まぁ・・・そんなに気を使わなくてもいいのに・・・ 
 はるばる遠くから来たのでしょう?
 上がっていきなさいよ」
と家の中へと亮哉を招き入れた。

自分の部屋でくつろいでいた綾香は、母親に呼ばれて、リビングルームへと降り立った。
ドアを開けると、硬い姿勢でソファに座っている亮哉の姿が飛び込んできた。
突然な亮哉の訪問に驚きと戸惑いで、一瞬綾香の目が吊り上がる。
だが、心配そうに自分を見つめる亮哉の視線気づくと、そんな気持ちはすぐに消え失せてしまった。
「わざわざ、来てくれたの・・・」
気にしないで、もう大丈夫だよ、と続くはずの言葉が、喉元で絡まり声が上ずる。
強張り気味な綾香の様子は、亮哉の方にも強く伝わったに違いない。
亮哉も、
「俺が悪かった・・・」
と声に出すので精一杯。
そのまま、二人は下を向いて黙り込んでしまった。

綾香と亮哉の間に流れる微妙な空気にわざと気が付かないようにしているのか、晶子が明るい表情でテーブルの前にトレイを持ってきた。
「彩賀君・・・だったかな?
 美味しそうな、焼き菓子を持ってきたのね。
 紅茶入れたから、冷めない内に飲んで」
トレイには、白い紅茶茶碗と、菓子皿が二つずつ。
晶子は綾香にトレイを手渡しつつ、首を振って、二階に行くように二人を促した。

綾香は階段を上がり、自分の部屋に亮哉を案内した。
部屋に入ると、漫画単行本とゲーム攻略本がびっしりと詰まった本棚が目に入る。
トレイを学習机の上に置くと、左脇のベッドの下から折りたたみ椅子を引っ張りだし、組み立てつつ、亮哉に勧めた。
亮哉が腰をかけるのを確認すると、自分も学習机の前の椅子に座り、目の前の紅茶茶碗を手にとった。
焼き菓子の甘い香りと、紅茶の芳香を伴った湯気が部屋全体を薄く漂い、張り詰めた空気を幾らか和ませていく。
ここで、綾香は初めて笑顔を見せた。
「西谷君達も時々、部屋には遊びに来るんだ。
 だから、そんなに緊張しないで」
相変わらず、固い表情をしたままの亮哉に、トレイごと差し出して、紅茶茶碗を渡した。

「そうなのか・・・」
茶碗を受け取り、亮哉は一口紅茶を飲むと、ぎこちない笑みを綾香へ返した。
そうして、ゆっくりと、部屋全体を見回す。
「相当、漫画好きなんだな」
亮哉は読書好きの方である。
頻繁に図書室にも通う。
しかし、ここの部屋にある本棚の漫画単行本の多さには、驚いたようだった。
早速、興味半分、会話繋ぎ半分に、綾香に聞いてみる。
「特にどんな漫画が好きなんだい?」

綾香は待ってましたとばかりに、顔を一気に輝かせる。
自分の好きな趣味を他人に説明する事は、この上なく楽しい事なのだ。
「○○○○○って作品が一番好きなのー。
 世界観も良いけど、キャラクターも一人一人活気があるんだ。
 特にね、△△が、人間的にね・・・」
先程までの緊張感は何処へやら。
矢継ぎ早に、綾香なりに解釈した、漫画の解説をし始めるのだった。

自分の方から話題を振ってみたものの。
綾香の休む暇さえない漫画話に、内心閉口した亮哉。
確かに、独特の感性を持つ綾香の解説は聞いていて面白い。
しかし、隙間ない会話を放つ綾香の態度の裏側に、断じて他人を自分の中に立ち入らせない強固な意志を感じたのである。
心の中に微かに寂しさが入り込んでくる。
亮哉は複雑な気持ちを紛らわすように、前髪をかきあげて、視線を綾香から逸らした。
その時、本棚の一番下。
右端に押し込まれたアルバムバインダー数冊が亮哉の注意を引いた。

亮哉はアルバムバインダーに手を伸ばし始める。
「水瀬さんが、今まで撮って来た写真かい?
 興味あるな・・・見て良いか?」
パタリと会話を止めて、微笑しながら了承の意味合いで頷く綾香。
止め処ない会話をする事で、幾らか警戒心が拭えたのかも知れない。
亮哉はアルバムを手に取ると、表紙をめくった。
一頁に二、三枚の割合で写真が台紙に貼り付けられている。
西谷から聞いていた通り、台紙に貼られた写真は風景写真がほとんど。
初夏の眩しい新緑の輝きに溢れる、高原。
真っ赤な紅葉がまさしく、山間を流れる渓流に零れ落ちている瞬間。
コスモスの可憐さが一層和やかさを引き立てる田園風景。

構成はどの写真も悪くない。
見栄えも繊細な色合いで穏やかな美しさがある。
けれども、何かが足りない。
創作に一番必要な、
力強い、心に訴えかける物が。

亮哉は頁をめくる度、写真を見つめる度、
ある思いが強くなってくる。
・・・水瀬さん自身もこれらの写真に似ている所があるな。
   優しい娘だと思うが。いまいち本心が見えてこん・・・

最後に今までのアルバムからすれば、半分の大きさであるバインダーを開きかけた。
「あっ、それは、部活の写真とは違うよ」
綾香が、焦って亮哉の手からバインダーを取り上げようとする。
その時、綾香の指先がバインダーの角にぶつかり、バインダーは上を開く形で亮哉の足元に落下した。
即、バインダーを椅子に座ったまま、拾いあげた亮哉は
大丈夫か?と言おうとした声を思わず、呑み込んでしまった。
確かにこのアルバムだけは、部活用と違う。
単なる、私生活を映したスナップ写真を集めたばかりの物だった。
様々な場所で友人達に囲まれた綾香の姿が映った写真が大半の中で・・・
亮哉の心を捉えたのは・・・

寺社を背景に撮影した、八部咲きの桜の写真。

亮哉はすぐにその寺社は、尾道にある千光寺(せんこうじ)だと見抜いた。
・・・しかし、この物悲しそうな状況は一体何なんだ・・・
湿った曇り空を縦横に這った桜の黒い枝から、
微かに崩れ落ちる白い花びら。
満開を迎えるのは、これからだというのに、
花の重さでたわむ細い枝先は、何故か、
脆くて儚げな印象を、見る者に受けさせる。

心を締め付けられるような。
それ以上の美しさを求めるならば、壊れてしまいそうな。

「・・・彩賀君?」
写真に見入り、物思いにふけっていた亮哉は、怪訝そうに自分を呼ぶ綾香の声に我に返った。
亮哉は綾香の方に顔を向けて、
「水瀬さん、この写真は一体?」
とストレートに疑問をぶつける。
亮哉の咄嗟の質問に、綾香は一瞬、瞳をぱちくりとさせてから。
「それはね・・・
 中3になる前の春休みに、友達と尾道へ旅行した時に
 撮った写真だよ。どうかしたの?」
屈託ない表情で応えた。
が、亮哉には、その綾香の笑みが何処となく空々しい物に感じ取れた。

・・・この写真を撮影した時の状況に触れて欲しくないのか・・・?
それとも思い出したくもない程、哀しい事があったのか。
いや実際、辛すぎる出来事だったから、忘れてしまっているのか?

現に今、写真に触れている亮哉の指先から腕へ、
そして胸の中にまで浸透してくる、
深くて暗い、哀しみは確実に亮哉の心の底を押し上げる。

・・・だが、今の俺の立場から、これ以上の事は聞けん・・・
知り合って間もない、自分と綾香を隔てる距離はまだまだ大きい。

『俺はもっと水瀬さんの事が知りたい』

「もう、写真、しまっちゃうね・・・」
亮哉の沈黙を退屈ととらえたのだろうか。
綾香は亮哉の持つバインダーを手に取ると、再び本棚へとしまい込もうとした。
その時、亮哉の心の中に少しずつ積み重なっていた寂しさは、
口から言葉となって溢れ落ちた。
「水瀬さん」
凛とした声が綾香の瞳を亮哉へと引きつけた。
さらに亮哉は息を一つつくと
「俺が、必ず、助けるからな」
よく通る声が部屋の中の空気を張り詰めた。

「えっ・・・」
亮哉の唐突な科白に、綾香は戸惑ってその場に釘付けになった。
如何にも芝居がかった言葉のようにも思えたが、
そんな気持ちを跳ね飛ばすほど、亮哉の表情は真剣さに満ちていたからだ。

一方、亮哉の方は亮哉の方で、
言ってしまってから自分の言葉に恥ずかしくなった。
思わず、自分自身を笑い飛ばしてしまう。
「はは・・・
 一体何を言っているんだろうな・・・俺」
あんな突拍子も無い事を言うなんて、自分でも思わなかった。
端正な顔立ちが一瞬赤面に、崩れる。

「ううん、何だかよく分らないけど・・・
 ありがとう。彩賀君」
綾香は亮哉の言動の理由を理解はしなかったが、好意的に解釈した。
綾香もどちらかと言えば、他人から見ると脈絡のない行動をする方。
だから、大して気にならないのだ。
そういった意味で、二人は似た物同士なのかも知れない。

丁度その時、ドアをコンコンと、ノックする音が二人に聞こえた。
綾香の母親、晶子だ。
ドア越しから
「彩賀君、夕ご飯を作ったんだけど、
 一緒に食べない?
 もう少ししたら、綾香と降りてきてね」
亮哉に優しく呼びかける声が耳に響く。
窓の外を見遣ると、すっかり日は落ちている。
初冬の夜の訪れは、思うより早い。

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