Act.5「そして関係は変わる

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「ほほう、彩賀君はなかなか郷土歴史に詳しいんだな」
品のある色合いの小皿が多数、テーブルの上に並んだ食卓。
綾香の父、弘明はビールの入った備前焼のコップを口にしながら、
亮哉に上機嫌な笑みを見せた。
頬はすでにほんのりと赤い。
「いえ、おじさんこそ、
 職場での研究成果の話、僕はかなり面白いと思いました
 K製鉄が世界最高規格の鉄鋼を生み出しているのは、
 そういった努力があってこそなんですね」
亮哉の返答に、眼鏡越しの弘明の眼は満足そうに細まった。
研究者肌の綾香の父、弘明と博識な亮哉はとても気が合う様子である。

「俺が、製鉄に興味を持ち始めたのは・・・
 高校時代にO町の博物館で飾られていた、
 見ただけで、背筋も凍るような刀剣を見てからだな・・・」
O町での出来事を冗談を交えて、話す弘明に対して、真面目な表情で耳を傾ける亮哉。
実は弘明が本当に、製鉄に興味を持ち始めたのは、
大学時代、某超有名ロボットアニメを見てからだったが、
家族の手前、弘明は口に出さなかった。

「彩賀君、御飯のお代わりは?」
晶子が亮哉の整った顔立ちを盗み見ながら、尋ねた。
晶子も亮哉の品行方正振りがいたく気に入ったのだろう。
小皿の盛り付けも、いつもより遥かに丁寧だ。

綾香は、亮哉と弘明の話に聞き入りながら、自分の頬が自然と楽しげに緩んできたのに気が付いた。
こうして、自宅で楽しく食事をするのは実に久し振りだったからだ。
・・・きっと彩賀君のお陰だな・・・
亮哉の堂々たる仕草は、綾香達の家族に明るい安定感を与えているのだった。
いつもは見せない父親の面白みを含んだリアクションに、綾香達三人はどっと笑い転げる。

「そういえば、稔之、今日は遅いわねえ・・・
 何処かへ、出掛けているのかしら」
大笑いも一段落した後、
晶子は思い出したように、壁に掛けられた時計を振り返った。
実は稔之の食べる分も別皿に分けて、テーブルの片隅に置いておいたのである。
「多分、僕が居るから・・・
 来づらいんだと思います。
 関谷君に悪いから、そろそろお暇まします」
亮哉は、眼を伏せて、少し声を落として呟くと、
椅子から立ち上がろうとした。
亮哉本人は、気づいていないが
今座っている椅子は、普段稔之が座っているのだ。

それを制したのは弘明。
「まぁ・・・そう、気を使わんと
 わざわざ遠くから来たんじゃないか。
 ゆっくりして行きなさい。
 今日は土曜日だから、稔之は部活の友達と遊んでいるんだろう
 おい、稔之の分は冷蔵庫に入れといてくれ」
晶子も、気を使わなくて良いのよ、と大きく頷いて、
稔之の分の皿をラップで包むと、弘明の指示どおり、冷蔵庫へと運び入れた。

綾香の家から道路一本、隔てた所に建つアパートの一室。
一階の最も東側にある部屋。
稔之はベットに横になったまま、ヘッドホンでハードロックを聴いていた。
音量を調節するボタンのメモリはいつもより二つ、上がっている。
当然、ドラムがとるリズムは、いつもより強く稔之の鼓膜を打った。
それでも、ヘッドホンから流れる音楽の合間を縫うように、綾香達四人の笑い声は稔之の耳の奥へと、確実に届いてくるのだった。

特に稔之の耳をついたのは。
普段、聞きなれない、亮哉の張りの有るよく通る声。
・・・何故、彩賀が綾香達の家に居るんだ・・・?
心の中の呟きは、微かに唸り声となって消えた。
両脇の耳を押さえるヘッドホンを握り締める両手は汗ばんでいる。
しかし、稔之の苛立ちを増幅させていっているのは、亮哉の声だけではない。

普段、稔之の前では寡黙な筈である綾香の父親が放つ饒舌振り。
自分には、諭すように話し掛ける綾香の母親が上げる楽しそうな甲高い笑い声。
そして、稔之とは、生活する時間帯が違うせいであろうが・・・
綾香が家族の団欒に加わっている。
通常とは、全く違う様子な綾香達家族の間に
稔之が、入り込む隙間は無かった。

だが、一番稔之の心に止めを刺したのは。
亮哉が綾香の部屋に上がりこんだという事実。
稔之は帰宅の際、綾香の家の階段にある窓ガラスから、
綾香に招かれて部屋に入る亮哉の姿を目撃したのであった。
自分が何年も飛び越えられない部分に、
綾香と知り合って間もない彩賀亮哉はいとも簡単に踏み越えた。
・・・あいつは一体何者なんだよ・・・
普通の高校生とは違う、悠然として大人びた物腰な亮哉の姿を、
稔之は、悔しさを込めて心の中に湧き上がらせる。

突如、稔之の前に現れた亮哉の存在は、
稔之が、密かに心の拠り所としていた、
幼い頃から培った、綾香との平凡な日常を。
強くなりたいと願うからこそ、耐えられる
積み重ねてきた、バスケットボール部での練習の日々を。
そして、「もう逃げたりはしない」と自分に誓わせた
花火大会での裕美が流した涙を。

いとも簡単に踏み砕いていくのであった。
嫉妬が放つエネルギーは、今までのどんな思いよりも強いという事を
稔之は改めて実感した。

『俺は、結局、同じ間違いを繰り返していくのか?』
右手をヘッドホンから離し、目の前に握り拳を作って振りかざす。
その拳はかつて朱く、染まった事がある。

●挿絵5
抑え様の無い苦しみに耐える稔之の耳に、
再び、亮哉の声が入り込んでくる。

稔之は切れ長の眼をきつく、固く閉じた。
無理矢理に作り出した、暗闇の中で
自分の心の中にある平衡感覚が崩れていく事を実感した。

更に明けて、月曜日の朝。
捻挫の腫れも大分引き、綾香は友人二人と一緒に校門をくぐった。
下駄箱に向かう途中、綾香達は亮哉と西谷がこちらに近づいてくるのに気づいた。
お互いに挨拶を交わす面々。
早速、美樹が西谷に駆け寄っていく。
自然と、綾香は亮哉の方へと、歩み寄った。
顔を上げて、大きな瞳に亮哉の姿を映す。
「土曜日は、楽しかったよ。じゃあね」
そう言うなり、走り去ろうとした綾香を亮哉が呼び止めた。
「来週、期末テストだろう?
 水瀬さんが休んどいた時に、授業で進んだ所、
 俺なりにまとめておいた。
 良ければ、参考にしてくれ」
亮哉は数枚のルーズリーフを綾香に突き出した。
見るとルーズリーフには、丁寧な文字で、
綾香が休んだ日に行われた全ての講義内容部分がびっちりと書き込まれていた。

「同じクラスでもないのに、わざわざ・・・」
顔を再び亮哉に向けて上げた綾香は、亮哉と眼が合うなり、言葉を詰まらせた。
そこには、最初に出会った時に受けた、自信有り気な少年の姿は無かった。
変わりに、立っているのは、
はにかんだ表情で下を向いて、地面を見つめる亮哉。
綾香の心臓がドクンと、跳ね上がる。
・・・この人は、こんな表情もする人なんだ・・・
亮哉の意外な一面を見たような気がした。
綾香の頬が微かに紅潮する。

美樹との話を終え、亮哉の方へ歩こうとした西谷は、背中に突き刺さる視線を感じて、思わず後ろを振り返った。
振り返って、見遣った先は、体育館の入り口。
丁度、部活の朝練を終えた稔之が出てきた所だったのである。
綾香と亮哉を見つめる稔之の眼は、悔しさに歪んでいた。
遠くから、息を呑んで稔之を見つめる西谷。
稔之の方も西谷の視線に気づいたらしい。

●挿絵6
西谷をジロリと一睨みすると、怒りを押し殺したように肩を張らせて、校舎へと歩き去ってしまった。
この時、西谷はある事を思い出した。

『関谷君は、中学の時、傷害事件を起こしたみたいなんですよ』
夏休み前に聞いた、堀田の言葉。
・・・まさか・・・
随分前から西谷の頭の中にあった憶測は、この時確信へと変わった。
顔から血の気が引いていっているのが分かる。
西谷は、友人、亮哉の横顔を改めて見つめた。
・・・彩賀。
   もしかしたら、えらい二人に関わってしまった
   のかも知れないぞ・・・?

綾香、稔之、そして亮哉。
三人の向かう先は、幸せではないのかも知れない。


第五章 「夕陽が別つ3人の運命」 終わり

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