Act.3「謝罪と、償いと」

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薄目を開けた綾香。
天井の白いタイルの輪郭が段々と明確になってくる。
綾香は救護室のベットで自分が寝かされている事に気づいた。
ベットの周囲はベージュ色のカーテンで囲ってあった。
部屋はシンと静まり返っている。
人の気配はなさそうだ。
・・・夢を見ていたんだ。
横になったまま、綾香はブラウスの襟元に手をやる。
じっとりと汗をかいて湿っている。
・・・彩賀君は、どこに行っちゃったんだろう・・・?
綾香は無意識の内に亮哉の姿を捜した。
その時、廊下からドンドンドンと近づいてくる足音を聞いた。
ガチャンとドアが大きく開かれる。
綾香はビクっと体を硬くした。
誰が来たか予想がついたのだ。
布団を頭からすっぽりと被った。
「綾香。西谷から聞いた。大丈夫か?」
未だ、興奮から冷めない様子の稔之の声がした。

稔之は少し躊躇ってから、思い切ってカーテンを開けた。
綾香は布団に潜り込んでいる様子だった。
試合を終えた稔之は、西谷から事情を聞いて、
着替えもそこそこに、慌てて、救護室まで飛んできたのだった。
「綾香、俺達、勝ったよ。・・・全国に行ける
 本当に・・・本当に・・・応援ありがとうな」
稔之はベッドの脇に歩み寄り、綾香へと優しく囁いた。
切れ長の眼は、いつものような鋭い光はない。
幼馴染の少女を想う、少年の目だった。

「・・・帰って」
冷ややかな綾香の声がポツリと、静かな部屋に響き渡った。
「綾香、どうしたんだ?」
綾香の異変に気づいた稔之は、掛け布団の裾に手をかけた。
バシッと綾香は、その手を払いのけて、ゆっくりと起き上がった。
乱れた髪を直す、綾香の表情は稔之が今まで見た事がない程、無表情だった。
それこそ、石の彫像みたいに。
「・・・念願の全国大会出場おめでとう。
 だけど、私、稔之の顔、見たくないの。当分」
綾香は稔之と視線を合わさず、壁の方を見つめたまま。
「綾香、一体どうしたんだよ!」
流石に稔之も、只ならぬ綾香の様子に懇願の意を込めて、声を荒げる。
嫌な予感がする。
「稔之。プールでの出来事、覚えてる?」
「お、覚えてるよ」
しかし、今更、何故そんな事を言うんだ?と言い掛けた稔之だったが、
綾香の強気な気配に押されて、言葉を飲み込んだ。
「助けるの間に合わなくて、悪かったな」
稔之は視線を下に落とす。
「間に合わなかったって!?
 嘘言わないでよ!
 あの時・・・あんた笑っていたじゃない?」
綾香の何年にも渡り沈められていた怒りは、叫び声となって表れた。

あのプールでの事件の日。
校舎4階のベランダで級友達とふざけていた稔之は、
校庭西側にある、プールサイドに綾香達の姿を見つけた。
季節外れのプールに用がある者なんて殆どいない。
綾香が呼び出されたらしいと、遠目に見た稔之でも咄嗟に状況を理解した。
教室を飛び出した稔之は、一目散にプールへと駆け出す。
綾香が苛めにあっているのではないかという、綾香の両親の会話を何日か前に耳にはさんでいた。
階段を一気に飛び降りるように降りていった稔之は、あっという間に、プールサイド脇の階段に辿り着いた。
丁度その時聞いた、
綾香が西条という男子生徒と一緒に帰宅しているという話。
それは稔之にとって初耳であった。
・・・綾香が!?
稔之の方も、綾香の想いに気づいていた。
そして、稔之も綾香の事が好きだった。
綾香は、自分だけを想い続けていると思っていた。
しかし、それは自分の勝手な思い込みだったのか。

綾香は今、同級生に追い詰められている。
今、助けねばならないのは分っていた。
が、稔之の体は悔しさで動かない。
『俺だけを好きだった訳じゃないのか』
稔之の心の中は、綾香を救う気持ちよりも、裏切られた悲しさの方が大きかったのだ。
そして、激しい水しぶきの音が聞こえた。
すぐに、三人の女生徒が階段から駆け降りてくる。
お互いに笑い合っていた三人であったが、
稔之の姿を見つけるなり、表情を強張らせ下を向いて全速で駆け出してしまった。
稔之は、すぐさま階段を駆け上がり、プール脇に立った。
綾香がもがきながらも、何とか縁につかまり這い上がるところだった。
稔之は、不意に愉快な気分になった。
自分でも予期しなかった感情である。
『俺を・・・俺を。
 裏切るから、こんな事になったんだ』
心の中で呟いた時、水面から顔を出した綾香と視線が合った。

「私ね、プールに落とされたから、ショックだったんじゃないよ」
綾香の声が、稔之の意識を過去から現実へと、引き戻した。
・・・分ってる、だから俺も何年も苦しんだんだ
稔之は心の中で必死に言い募った。
しかし、構わす綾香は続けた。
「稔之っていつも優しいよね。
 私に対して。あの事件があってからも、色々助けてくれた。
 だけど、今気づいたの。
 稔之の優しさって、
 私を独占したいから。
 私に、振り向いて欲しいから・・・なんだよ!」
最初、冷静なように見えた綾香の声は、段々、感情的に大きくなった。
「そりゃ、私だって、何も出来ないから
 今でも、稔之に甘えていた所あったと思う。
 稔之だけじゃない。
 西谷君にも、頼ってばかり。
 だけど、稔之の優しさは見返りを求めているから、苦しい!」
・・・綾香の言っている通りだ。
   でも、俺は、どうしようもない位、綾香が好きなんだ!
稔之はもう泣き出しそうな顔で、綾香の肩をつかもうとする。
先程まで闘っていた相手選手を、萎縮させていた人間と同一人物とはとても思えない。
綾香の肩に稔之の指が触れる直前、綾香はドンと稔之の胸を強く突き倒した。
一瞬、後ろに稔之がのけぞった隙に、綾香はベッドを飛び降り、床に置いてあった運動靴を片手に、外へと走り出て行った。

「稔!何があったんだ?」
稔之を気遣って、後を追って来た中田は、
激しい言葉のやりとりの後に出て行った綾香を見つけて、慌てて中へと駆け寄って来た。
稔之は上半身を折り曲げ、ベッドに突っ伏していた。
・・・もしかしたら、俺は。
『この日が来る事が、分っていて
 強くなろうとしていたのかも知れない』
過去の過ちを受け入れる為に。
稔之は、そう思うことで、あえて辛さを紛らわそうとした。
もっと強くならねば。
「中田・・・全国頑張ろうな」
突っ伏した体勢を崩さないまま、稔之はかすれた声で呼びかけた。

その後。
インターハイに初出場した立華大学付属高校バスケ部は、
ベスト8という大健闘を遂げた。

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