Act.4「亮哉、動き始める」

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タッタッタッ。
暑い午後の陽射しの中、自分の走る足音だけが、綾香の胸に重く響いた。
自然と涙が溢れ出るのを、時々自分の指で拭う。
あの事件の日。
お互いの想いを打ち消すのが暗黙の了解だったんじゃないのか。
いや、想いではなく互いの裏切りを忘れる事が。
別々の中学に進んで、距離を持った事で、
自分は、あの事件を完全に忘れたつもりだった。
綾香は忘れる事で、稔之の想いを消すよう相当な努力をしたのだ。

食事の時間も稔之とは意図的にずらした。
そこそこ、仲の良い幼馴染同士の方が二人にとって幸せだと思ったのだ。
現に、稔之も中学に入ってから、何度か彼女が居た事もあったらしい。
しかし、稔之は綾香と同じ高校に入り、再び気持ちをぶり返した。
その事に薄々気づいていた自分は、わざと一層距離を置いた。
が、旅行での一件以来、互いの誤魔化しと辻褄は合わなくなってきた。
いっその事、稔之の気持ちに応えられたら、どれ程、楽だろうか?
けれども、あの時の稔之の表情は今でも許せない。
それに、今自分には亮哉という存在がある。
その証拠に綾香は、亮哉を求めて走っているのだった。
日頃は、こちらが引いてしまうような尊大な態度が、
心が揺らぐ時には妙な安心感を与えるのだ。

朝の待ち合わせ場所でもあった、玄関まで辿り着いた時、
丁度、帰る準備をしていた西谷達写真部一同と、亮哉に鉢合わせした。
西谷達は心配そうにこっちを見ていた。
下を向いたままの堀田、悠平に外に出るよう促した西谷は、綾香の方に歩み寄ろうとした。
が、亮哉に肩を叩かれ、立ち止まる。
亮哉がここは俺に任せろ、と言った感じで頷いた。
「分った。じゃあ僕達は現像をしなくちゃいけないから
 学校に向かうよ。
 水瀬さんは、今日は取り合えず帰ってね。
 明日、部活に来て」
西谷は、大人びた微笑を綾香に残して、堀田達と門の外へと出て行った。

綾香と亮哉は、体育館西側の沿道を黙ったまま並んで歩いた。
綾香の涙は、もう止まっていたが、瞳の周りは赤く腫らしたまま。
「私、と・・・関谷君にひどい事言っちゃった」
まだ、嗚咽の止まらない綾香は、途切れ途切れに亮哉に伝えた。
「関谷とは、長い付き合いなんだろう?
 そりゃ、衝突する事もあるさ」
亮哉は、写真を撮った直後の綾香の表情を思い出しながら、応えた。
あの時の、綾香の怒りはこちらにも強く伝わって来た。
綾香と稔之の間には、長く積み上げた物もあるだろう。
決して、楽しい出来事ばかりでもないはずだ。
近くに互いが存在すれば、悪い所も見えてくるし、煩わしい時もある。

亮哉は木陰にある涼しげな雰囲気のベンチを見つけ、座った。
綾香もベンチの端に黙って座る。
木々の間から、ミーンと蝉の鳴く声が聞こえる。
少し気の早い蝉もいるものだ。
腕時計は4時を回っていたが、周囲はまだまだ明るい。
亮哉は、無言のまま、周囲の木々を見巡らせた。
亮哉は、綾香が自分から稔之との出来事を話し出すのを待っているのだ。
15分程経った頃だろうか。
ようやく落ち着いた綾香は、
小学校時代の出来事を、ゆっくりと話し始めた。

挿絵5
「だけど、私もズルいよね。
 あの事件があってからも、
 私、ずっと世話を焼いて貰っていたんだ。
 なのに、今でも、昔の事を責めるなんて・・・」
話し終えた綾香は、同時に自分の非も認めた。
「関谷が、水瀬さんの事を気にかけるのは
 単に、好意を持っているからではないだろう。
 水瀬さんのご両親にも世話になっているし、
 それに、好意の内容も色々あって・・・
 一種の家族に対するものもあるんじゃないのか?」
「うん・・・分ってる。
 だから、私も関谷君に対しては、家族の様に接しようとしていたんだ」
しかし、やはり、異性同士の幼馴染。
微妙な感情をお互い持ってしまうのは、仕方ないか・・・
亮哉は、足を組み直した。
今、綾香の心は自分に寄り掛かっている。
ここで、綾香に対して、都合の良い科白を吐いてしまえば、
綾香は完全に、こちらに惹き付けられるだろう。
が、第三者が遠くからなら、どうにでも良いように言える。
そんな一時の誤魔化しで、綾香を手に入れたって先は見えている。
綾香と稔之が自分の心を偽っても、結局、本当の幸せは手に入れられないように。
『俺は、水瀬さんの意思で、俺を選んで貰いたい』
亮哉は稔之と違い、一時の感情や勢いで物事を決めてしまう性格ではなかった。
亮哉はスックと立ち上がった。
「水瀬さん、今日の所はひとまず帰ろう。
 俺が言うのも何だが・・・これは今日、明日で答えが出る事ではない
 そりゃ、本心を言えば、関谷とこれ以上仲良くならないのは
 俺にとって都合がいい事だが、どうもスッキリはしない」
実は、亮哉は綾香の話を聞いて、何箇所か合点がいかない部分に気付いたのであった。

明けて、月曜日。
授業を終えて、部室へ向かおうとしていた西谷を亮哉が呼び止めた。
「武ちゃん、
 萱原さんが、前言っていたよな
 関谷の友達が、関谷と水瀬さんの昔の事を知っているみたいだって」
「ああ・・・中津さんがね
 ・・・ってまさか、彩賀!」
「ふふん、『むやみに人のプライベートは探るんじゃない』だろ?
 だが、俺は武ちゃんと違って、当たらず触らずな考えとは違うんだ
 あれだけ、水瀬さんが苦しんでいて、
 放っとく訳にはいかん
 ・・・というか、もう、中田って奴に会う約束取り付けたし」
「おいおいおい!
 確かに物事を解決するには、まず情報から・・・
 って言うけど、そんな早急な・・・」
全くもう、彩賀っていつも強引なんだよな、と呆れ果てる西谷であった。
「時間は明日の午後七時。
 場所は、中田って奴のアパートだ。 
 ちなみに、武ちゃんも同席する事は既に決定している」
不敵な笑みを称えながら、亮哉は西谷にも強引に約束させた。
「俺一人じゃ、奴も本心を言わんかも知れんが
 武ちゃんは、中田と部長会議で同席した事もあるんだろ?
 それに、お前は人の警戒心をほぐさせる所があるからな
 じゃ、部活頑張れよ!」
言うだけ言うと亮哉は、ツカツカと廊下を歩き去っていった。
・・・全く、あんたって人は!!
もう、西谷は言い返す気力さえなくなってしまっていた。
●挿絵6
そして、次の日の約束の時間。
「ここが中田の部屋か」
西谷を伴って、中田の部屋に訪れた亮哉は言うなり、ドアのベルを鳴らした。
暫くして、ガタンと物音がした後、ゆっくりとドアが開き、
柔和な表情をした少年・・・中田伸道が顔を覗かせた。
「中田君、先日は、インターハイに向かって練習が忙しい中、
 無理を言って悪かったな」
言う事は礼儀正しい亮哉だったが、もう格好はすぐに部屋に上がりこむ体勢に入っていた。
そんな亮哉の姿に、顔を引きつらせながら西谷も
「どうも」
と小さくお辞儀し、目線で
『うちの友達が、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません・・・』
必死に謝って、部屋の中に入っていった。
別にいいよ、気にしないでくれと言った感じで、中田は西谷に笑いかけながら、首を振った。
二人が畳の間に座り込むと、中田は切り出した。
「この話は、俺も部長になった時、
 監督から聞いた話なんだ。
 まぁ・・・どこにでもある話と言えばそれまでだけど
 捉え方はそれぞれだからな」
最初に中田は断りを入れると、落ち着いた表情で
ゆっくりと、亮哉と西谷に向かって語り始めた。

第八章「インターハイ予選決勝」 終わり。

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