Act.3「相手を想う事」

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アパートの門の前で、亮哉は西谷を待っていた。
「・・・武ちゃんに気を遣わしてしまったな」
相変わらずの余裕の笑みだったが、目には感謝の色が浮んでいた。
「いいよ・・・別に。
 でも、こういうのは今回だけだからね」
西谷もいつもの調子に戻って、笑い返した。
二人は並んで、駅に向かって夜の道を歩き始めた。

亮哉は、西谷に向かって話し始める。
「関谷って奴は、非常に
 『愛されたい』という気持ちが強い男なんだな。
 それなのに、自分の気持ちを素直に出せない
 そこが、奴の可哀相な所だ」
西谷は黙ったまま、亮哉の話を聞き続けた。
「だが、水瀬さんが関谷を突き放せないながらも、
 遠ざける理由も分る。
 関谷の愛情って言うのは、無意識に見返りを求めているからな
 自分に気持ちが向いて欲しいから、世話を焼くんだ。
 水瀬さんから、すれば負担だろうな・・・
 俺にも経験がある」
亮哉は更に、話を続けた。
「自分で言うのも何だが・・・
 俺はよく告白される。
 そして、俺が断るだろ?そしたら・・・
 『あんなに色々してあげたのにー』
 と言われたり、
 こちらが勉強している時に電話して来て、
 『寂しいのー』
 と懇願される事もあった。
 好意を持たれる事は俺も嫌じゃない。
 だけど・・・これは、本当は俺が「好き」なのではないんだろうな
 ・・・俺から愛情を得たいというのが、近いんじゃないのか?」
それまで聞いていた西谷が口を開いた。
「確かに彩賀の言っている事は筋が通っていると思う。
 しかし、人間普通そこまで強くないよ。
 特に女性はね。
 『好かれたい』『必要とされたい』と願うから、
 人間は、お互いの存在を大切にしていくと思うんだけど・・・」
「ふふん。武ちゃんはフェミニストなんだな。
 まぁ・・・俺もこの考えを押し付けたりはせん」
駅に着いた二人は改札口をくぐって、別々の乗り口へと別れた。

ホームの片隅のベンチで電車を待つ亮哉は、
綾香と初めて出会った時の事を思い出していた。
実は文化祭の時が最初ではない。
綾香の方は恐らく覚えていないだろう。
綾香と出会ったのは一年生の終わり頃だ。

あの時、亮哉は社会科教室へと向かっていた。
当番だったので、亮哉は両手に大量の資料を。
そして、たまたまコンタクトレンズを無くしていたので、
引っ張り出してきた度の合わない眼鏡をかけていた。
視界を資料に遮られて、足取りのおぼつかない亮哉は、
正面からやって来た、女生徒とぶつかった。
資料が床一面に散らばる。
そして、一緒に拾い上げたのが綾香だったのである。

亮哉は、直観した。
この娘は「俺」が落としたから、拾い上げたのではない。
「俺」じゃなくても、同じ事をしただろう。
端正な顔立ちをした亮哉は、幼い頃から非常によくモテた。
それ故、自分に近づいてくる女性が見せる
「特有の媚」
に敏感だった。
綾香の事は何となくその時から印象に残っていたのである。
こういう縁になるとは、その時は思わなかったが。

2週間後。
期末試験も終わり、夏期講習に入って間もなくの日の午後。
綾香は、亮哉に呼び出されて写真部部室に向かった。
ドアの前には既に亮哉の姿が。
綾香は、部室のドアの鍵を開けると、亮哉に入るように促した。
開けるなり、ムッと立ちこめた熱気が二人を襲う。
綾香は机の端の年代物の扇風機のスイッチを入れた。
扇風機は首を振りながら、部屋の空気を回転させた。
「・・・勝手ながら、関谷の連れから事情は大体聞いた」
亮哉のカッターの襟が風に揺れる。
しかし、聞いたものの亮哉でさえかける言葉が見つからなかった。
何を言えば、綾香の救いになるだろうか?
「・・・あれから、関谷と会ったのか?」
綾香は首を振った。
「今、全国大会で忙しいみたいだから・・・」
勿論、そうでなくても二人が意識的に避けるだろうという事は、亮哉にも分っていた。
暫くの沈黙の後。
「水瀬さん、
 関谷も十分苦しんだんだ。
 昔の事に捕らわれてばかりいると、
 大切な時間はすぐに過ぎてしまう・・・」
言いながらも、
何て在り来たりの科白を言っているんだろうと、
亮哉は自分の無力さに、苛立った。
こんな事を言ったって、事態は全く解決しないではないか。
「・・・何で、彩賀君にそんな事が言えるの?」
案の定帰ってきた綾香の言葉は、冷たく感じられた。
綾香にとって亮哉の言葉は、高い所から見下ろしている風に聞こえたのかも知れない。
「何で!何で!」
またしても、大きな瞳に涙が浮かぶ。
「水瀬さん・・・」
綾香の興奮を押えようとして、亮哉の腕が伸びた時、
肘が机の上に積み上げられた雑誌に当った。
雑誌が音を立てて、机の下に叩き付けられた。
「おっと、悪かったな」
屈んで雑誌を拾い上げる亮哉のカッターシャツの胸ポケットから金属製の小さなケースが零れ落ちた。
ケースはカシャンと甲高く周囲に音を響かせると、パックリと蓋を全開させ中身をぶちまけた。
様々な種類の錠剤が、コロコロとあたりに転がる。
ケースはピルケースだったのだ。
「彩賀君、大丈夫?」
涙を引っ込め、綾香もしゃがみ込んで錠剤を拾い始める。
綾香の姿を見て、亮哉の口元が思わず緩んだ。
・・・やっぱり、俺の思った通りだ。
水瀬さんは裏表のない優しさを持った人間だ・・・
昨日も思い浮かべた社会科教室へ向かった時の出来事が、亮哉の頭を掠める。

錠剤を指先で拾い上げていた綾香は、何気なくパッケージの表示を見た。
・・・・・・?
表示名は「○○○○○○」と示してある。
綾香は、同じ名前をテレビで聞いたことがあった。
癌の特効薬だ。
一瞬にして顔色を無くした綾香に気づいた、亮哉。
「・・・始業式の日。俺、倒れただろう?
あの時、精密検査をしたら見つかったんだ
まだ、初期の段階だったがな」
静かな声で、亮哉は薬の意味を認めた。
綾香の脳裏に、渡り鳥が空を飛ぶ様子が、横切った。
それは「雁」である。
要するに、あまりにも突然告げられた事だったので、現実味が湧かないのである。
「・・・そんな」
言葉を失う綾香だった。
「・・・ずっと普通通り、学校来てたよね?」
「5月から、家じゃなく、病院から通っている。
学校で知っているのは、一部の先生だけだ。
武ちゃんにも言っていない」
「全然気がつかなかった・・・」
亮哉の方が大変な問題を抱えていたのに、甘えていた自分に恥ずかしくなる綾香だった。
「病気の事が皆にバレても構わんが・・・
周囲に同情されるのは堪らなく嫌だからな
俺は必ず治ると思っているし、悲観はしていない」
強い意志が感じられる声で、亮哉は告げた。
「でも、無理しないで」
「分かっている」
「だけど、倒れたのは病気のせいじゃなくて、
やはりショックだったからな」
半分拗ねたような笑みを亮哉は、綾香に向けた。
●挿絵6
「・・・ごめんなさい」
申し訳なくて、目を合わせられない綾香だった。
「ははっ。じゃあ、病気が治ったら、今度は俺と何処かに一緒に行こうか?」
病人とは思えない積極さである。
その前向きで行動力のある性格が、実は亮哉の病気の進行を最小限にしているのだが。
「ええっ」
途端に綾香の顔が引きつる。
・・・旅行はもうたくさんだよ・・・
困り果てる綾香を見て、亮哉は吹き出した。
「ははは。別に泊り掛けでなくていいんだ。
堀田君から聞いた。
水瀬さん、高知に行きたいんだって?
高知なら、高速バスを使えば、日帰りで行けるじゃないか」
「そうだね・・・」
それなら、と綾香も承諾した。
「ん?そろそろ、武ちゃん達が部室に来そうな時間だな。
俺はそろそろ失礼する」
亮哉はクルリと綾香に背を向け、ドアのノブに手をかけた。
「彩賀君」
呼んでから、意味もなく呼び止めてしまった事に綾香は気づいた。
「うん?」
首だけ亮哉は向き直る。
「ううん、何でもないの。ごめん」
綾香は小さく首を振ると下を向いた。
亮哉は再び、綾香に笑いかけると、ドアを開けて外に出ていってしまった。
一人になった綾香は、急に寂しさに襲われた。
両手を組みあわせて自分の肩にかける。
・・・もっと彩賀君と一緒に居たい。
誰か、何とか早く彩賀君を治して・・・
亮哉の回復を心から願う綾香であった。

第九章 「深層心理」 終わり

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