Act.1「生きる意味」
眠りにつく前。 亮哉はいつも思い出す。 三年前。 自分と同じ病気で死んだ祖父の事を。 亮哉の祖父は地元でかなり力を持った名士だった。 倒れる寸前まで、仕事に没頭していた。 聞こえは悪いが、 権力を司る事にも貪欲だった祖父は、 意味の無い延命に興味を持たなかった。 思う事が出来ず、ベッドに縛り付けられたまま、 残りの命を費やす事よりも。 最後まで、「地元の有力者」である事を選んだのだ。 地位を保つ為、強引な事をやってのけた祖父を嫌う者は多い。 しかし、亮哉の目には。 命を越えてもやり遂げたい事がある祖父が羨ましく思えた。 潔ささえ感じられた。 亡くなった祖父に倣って、 亮哉も、どうせ生きるなら。 誰がどう思おうと。 自分のしたいように、堂々と生きる事を目指した。 そして、今。 祖父と同じ病気にかかった自分。 何時、人生が終わるかも知れない恐怖に辛うじて冷静でいられるのは。 亮哉の目に強く焼き付いた祖父の生き様であった。 季節は夏から、秋へと移り変わっていた。 10月中旬。 ある土曜日の午後。 市内北東部にある総合病院の廊下。 綾香は病室の長い廊下を静かに歩いていた。 向かう先は、勿論亮哉の居る病室。 今回が初めての訪問だった。 先程、受け付けで部屋番号を尋ねた時の看護婦の表情が頭をよぎった。 若い看護婦が綾香に向けた眼差しは 明らかに嫉妬と羨望が入り混じっていた。 ・・・彩賀君は、病院でもモテるんだな・・・ 時々擦れ違う看護婦と目を合わせないように、 綾香は下を向いたまま、病室へと向かった。 亮哉が居る病室の前まで来た綾香は ノックしようとする手を一瞬、躊躇した。 毎日、変わらない亮哉の姿を学校で見ているのに、 病院では、違う亮哉の姿を見そうで、恐いのだ。 背骨が硬くなったような緊張を覚えた。 だが、何時までも立ち尽くしているわけにはいかない。 悪い想像を振り切って、綾香は扉を叩いた。 「どうぞ」 聞き慣れた、よく通る声が応えた。 ノブを回して、ドアを押し開くと、 ベッドの脇の事務机に座っている亮哉がこちらを向いていた。 いつか図書室で見た縁なし眼鏡をかけている。 学校で会う時と少しも変わらない、 亮哉の元気な様子に、綾香は安堵を覚えた。 「突然、どうしたんだ?」 座ったまま、亮哉は意外そうな声を上げた。 いきなり綾香が病院を訪ねてきたので、意外に思ったのであろう。 「あ・・・迷惑だったかな?」 自分自身が深入りを好まない綾香は、かなり遠慮がちの態度だ。 「いや、水瀬さんが来てくれた事は・・・嬉しいよ」 亮哉の口元が思わず緩む。 それを見て綾香は照れから、微かに赤面した。 亮哉は綾香が鞄と一緒に包みを持っている事に気が付いた。 「あ・・・これね」 亮哉の視線に気付いた綾香は、包みを亮哉の前に差し出した。 「お母さんが編んだんだ。 気に入らないかも知れないけど・・・」 後半の声は小さくなっていった。 亮哉は綾香がわざわざ病院まで訪ねてきた理由を悟った。 礼を言いながら、亮哉は包みを受け取ると早速、中を開いた。 ●挿絵1 「中々いいじゃないか」 亮哉はカーディガンを目の前にかざしながら喜んだ。 「そう言ってもらえると嬉しいです」 綾香の方は慣れぬ状況から、相変わらずぎこちない。 ふと亮哉は綾香が先程から、ずっとこちらを観察している事に気が付いた。 その理由に気付いた亮哉は、苦笑した。 「水瀬さんは癌という病気に先入観があるだろう?」 図星な綾香は、申し訳ない気持ちから黙っていた。 「癌という病気は非常に個人差が本当はあるんだ ある日、突然発見されて数週間後に亡くなる人もいれば 何年も病気と付き合っていく人もいる。 ドラマとか観ていると、 癌にかかって変わり果てる人が居るけれど これは坑ガン剤との相性の良し悪しでもあって 一概にこれがどうだというのはない。 ただ、さっきも言った通り個人差も非常に高いから その人にあった治療法がなかなか見つからなくて苦労するんだ」 「・・・そうなんだ」 納得した綾香は、自分の無知を恥じた。 本来は自分が励まさなければならない立場だと思うのに。 いや、そう思う事は。 実は健康な者の傲慢か? そんな自分の気持ちを亮哉に見抜かれないように、 綾香は、通学鞄の中から、アルバムバインダーを引っ張り出した。 「また文化祭で色々出展するんだ。 今年は最後だからね。 時間の合間をとって色々撮って来たよ」 綾香は机の横に回りこむと、バインダーを開いて、亮哉に写真を見せた。 夏休みの間に取ったのだろう。 写真は海や川。 深緑に囲まれた水辺の風景が多かった。 去年に比べると一段と作品に深みを増している。 少しずつ、自分の世界に自信を持ってきた証拠か。 「受験生・・・といっても、私は持ち上がり希望だから」 同じ付属の大学にそのまま入るのが、綾香の第一志望だった。 「まぁ・・・水瀬さんがそう決めたんだったら いいんじゃないのか?」 亮哉は写真に目を通しながら応えた。 しかし、自分の言った言葉とは裏腹に、 ページをめくる度、微かに寂しさが積もっていく。 病気が治る治らないにしても。 亮哉が目指す大学は東京。 いつかは離れ離れになる。 勿論、遠距離でも本当に絆が強ければ、縁は切れない。 だが、今の所。 自分と綾香の間に決定的な繋がりを確証できるものはなかった。 ページをめくる手が段々速くなっていく。 「彩賀君、どうしたの?寒いの?」 亮哉の『異変』に気付いた綾香が、 少し先回りをして、ベットの上に置いてあった カーディガンを拾い上げ、亮哉の肩にかけた。 「あっと」 上手く肩にかからなかったカーディガンがずり落ちそうになる。 慌ててカーディガンを掴んだ、綾香の両手を、 亮哉はいきなり力強く、握り締めた。 「!!」 綾香は反射的に手を抜こうとしたが、動かない。 それに、何のつもりで、亮哉がそうしたか理由が分かったからだ。 綾香の手を握り締めたまま、亮哉は頭を綾香の胸の方に寄せた。 ●挿絵2 「本当は・・・俺も恐いんだ。 自分がいつ死ぬか・・・」 亮哉は泣きたいのを堪えて、綾香に訴えた。 初めて人に見せた、亮哉の弱音であった。 |