Act.2「見えてこない事もある」

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一方、稔之は、バスケ部引退後、
学校帰りに教習所とバイトに通いつめる、かなり忙しい日々を過ごしていた。
部活動をしていた頃より、帰宅は遅い。
卒業後の進路先は、製造会社の工場勤務と決まっていた為、
生活としては安定しているのだが、
稔之はわざと自分を多忙へと追い詰めていった。
勿論、綾香と会わないようにする為。
綾香の事を考えないようにする為であった。
インターハイ予選決勝以来、綾香の稔之に対する拒絶は決定的な物となっていた。
ならば、もう出来るだけお互い会わない方が良い。
とにかく、距離を置く事が最善のように思われた。
卒業まで、後半年足らず。
会社の寮に入る事が決定していたので、同時にアパートを出る事になる。
綾香とは一切関わりを捨てて、新しい生活になれば
綾香よりも好きになる人が現れるかも知れない。
しかし、稔之は、そう願いつつも。
それが綾香に対する強い未練から発している事に気付いていた。
・・・俺はこのままでいいのか・・・?
何度も、稔之は自分に問い掛けた。

数週間後。
立華大学付属高校写真部室。
文化祭に向けてのミーティングが終わった後の事である。
部員の堀田と悠平は終わるなり、
疲れたらしくさっさと出て行ってしまい、後に綾香と西谷だけが残った。
・・・あー。バインダーを一冊、 
   彩賀君の病室に忘れてきちゃったよー。
   今度、取りに行かなきゃ・・・
自分のそそっかしさを省みながら、
綾香も鞄を机の上に引っ張り出して、帰り支度を始めた。
その時、ホワイドボードの文字を黒板消しで消していた西谷が言った。
●挿絵3
「今日は、彩賀の所に寄っていかないのかい?」
綾香は、その言葉にビクっとなって、西谷の方を向いた。
西谷はいつもの落ち着いた調子で、黒板消しを縁に置いた。
・・・やっぱり、西谷君は気付いていたんだ・・・
亮哉は頭脳明晰で芯が強い。
友人の西谷にも病気の素振りは一切見せなかった筈だ。
しかし、西谷の洞察力はそれより上回っていたみたいだ。
「・・・いつから、気付いていたの?」
「決定的なのは、春の始業式に彩賀が倒れてからだよ」
だとしたら、かなり前から勘付いていたのである。
観念した綾香は、素直に亮哉の病気について知っている事を述べた。
「病気が病気だから良くはないよ。
 でも、彩賀君と同じクラスの、浜崎君っていうのが
 作った、「スーパー特効薬A」というのを
 密かに飲んでいるから、
 お医者さんも、驚く位健康体なんだってー」
以前、スタンガンを作成した科学部の勝田といい、
特別進学科は強物揃いばかりである。
ちなみに、浜崎君は薬学部志望。
そして、将来ノーベル医学賞を獲るのであった。
・・・そんなもの勝手に飲んで大丈夫なのか・・・?
西谷は、病気とは別の意味で友人を心配した。
西谷の深刻な表情を、綾香は
・・・余程、彩賀君を心配しているんだ・・・
と受け止めた。
さすがに、綾香も自分だけに見せた亮哉の動揺を西谷に教える訳にはいかなかった。

同じ頃。
亮哉は、いつも欠かさず行っている予習にも手をつけずに、
ベッドで仰向けになって寝そべっていた。
ぼんやりとしている、亮哉の頬に、
この間の綾香の胸の感触がぶり返して来る。
みるみる亮哉の顔が赤くなってきた。
『あーっ、俺、思わずあんな事をしてしまったんだー』
叫びたくなるのを堪えて、亮哉は掛け布団を頭から被った。
病身の身でありながら、こんな事を考える自分は異常なのか?
自分の生死の恐怖よりも、
綾香の前でどんな行動をしてきたのかが気になるなんて。
案外、自分はいい加減な人間なのだろう。
同じ病院の中だけでも、必死に病気と闘っている人間は大勢いるのに。
一人、布団の中で身悶えしている亮哉の耳にノックの音が届く。
返事をすると、恐る恐るドアが開いた。
亮哉の担当医である。
「亮哉君。
 ・・・ちょっと話があるんだけどいいかい?」
密かに、先程から亮哉の様子を窺っていた担当医は、
傍目から見て亮哉の謎な行為に内心引きながらも
努めて、真剣な表情を作りながら亮哉に歩み寄っていった。
そして担当医は、勉強机の椅子に座ると黙って亮哉を見つめた。
亮哉もすぐに只ならぬ担当医の様子を察し、
顔を引き締めると、上体を起こして乱れた布団の皺を伸ばした。
亮哉が聞く体勢に入ると、担当医は口を開いた。
「・・・今まで、手術を行わず、
 薬でガン細胞を除去する手段をとっていたんだが・・・
 亮哉君の意志さえ確認がとれれば
 やはり、手術を行う方が良さそうなんだ」
亮哉は黙って、次の言葉を待った。
「・・・これまでの治療が無駄だった訳じゃ、決して無い。
 現に発見以来、進行はほとんどない。
 が、この方法だと完全に治る見込みはない。
 すると、いつかは・・・」
恐らく、病に倒れる事になるのだろう。
しかし、今まで手術をしなかったのには何か訳があるはずなのだ。
要するに担当医は、その旨を説明した上で、
亮哉に手術の可否を決める事を促す為に、部屋に訪れたのである。
「手術をするのに何か不都合があるんですね?」
亮哉は先回りして、担当医に質問した。
担当医は、大きく頷いて話を続けた。
「前にも述べたが、
 君の病気は初期の食道ガン。
 今の時点では命に別状はないのだが、
 亮哉君は若いし、何かのきっかけで進行速度が早まるかも知れない
 問題は、癌細胞の位置だ」
担当医は、レントゲン写真を亮哉に見せた。
「極めて、心臓の近く
 しかも、動脈部分に非常に近い。
 ここにメスを入れる事は、かなり危険な事なんだ。
 勿論、こちらでも最大限の努力はする
 だが、君の強い意志も必要なんだ」
担当医の額には汗が滲んでいた。
医者にとって、患者に辛い現実を伝えることは、相当な精神力を要する。
「・・・少し考えさせて下さい」
治す為には、一刻もはやく手術を受ける事が一番だろう。
しかし、即答は出来なかった。
担当医は亮哉に視線を向けた。
「・・・しかし、君は強いね。
 最初、入院して来た時、
 『病気にかかっているのは僕ですから
  正確な情報をすべて直接僕に言って下さい』
 と言われた時は、度肝を抜かれたよ。
 君位の年齢だと、普通ご両親と話し合って
 それから、本人に伝えるかどうか決めていく。

 当然なんだが、中には
 ご両親と話している地点で、親の方が取り乱して
 どうしようもならない場合も多いんだ」
君の潔さに、逆に病状を伝える僕の方が、重圧に耐えられなくなってしまうよ
と、いう言葉を医者は呑みこんだ。
亮哉の脳裏に一瞬、祖父の姿がよぎった。
「・・・僕は、昔から
 例え、どんな結果になっても 
 自分の事は、自分で決めるという考え方なんです・・・」
「・・・そうか・・・君はしっかりしているよ」
褒め称えたように、担当医は亮哉に笑いかけると病室を出て行った。

担当医が遠ざかる足音を聞きながら、
亮哉は目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。

俺は全然強くなんか無い。
弱い自分を見せたくないだけだ。
いつも衝撃は、後から後から湧き出てくる。
亮哉は布団の端を握り締めた。
最近は特にそうだ。
かつてより、『弱く』なった気がする。
再び、綾香の柔らかな感触を思い出す。
水瀬さんを好きになってから。
俺は、失いたくない物が出来てしまった。
水瀬さんから離れたくない!

思わず、感情的になった亮哉は握り締めた掛け布団を引っ張り上げると床に叩きつけるのであった。

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