Act.1「きっかけは突然に」
学年期末考査も終了してテスト休みに入った3月中旬。 綾香は学習机に向かって、風景写真雑誌を眺めていた。 開いているページは、宮崎の高千穂峡が大きく映っている。 柱状節理の綺麗な岩の隙間から流れ出る滝の美しさは、写真越しといえども、溜息を漏らしてしまう程美しい。 「宮崎行きたいなぁ・・・」 思いつくと、すぐに行動に移す綾香。 早速、階段を駆け降り、父親の弘明に頼みを申し出るのであった。 二日後。 リビングルームへと繋がる設計となっている食卓にて。 稔之は、いつもと同じ様に、綾香達家族より遅い夕食を一人で取っていた。 下を向いて、無心に食べる稔之の正面に弘明が座る。 「なぁ、稔之。 綾香と一緒に二人で宮崎に旅行へ行かないか?」 聞いた、稔之は弘明の言葉が信じられなかった。 思わず、御飯を喉に詰まらせそうになる。 が、苦しさに涙ぐんだ眼に映る弘明の表情は極めて真剣だ。 咳き込みながら、稔之は応えた。 「な・・・いいんですか?」 慣れない敬語を使ってしまう。 「何が?」 表情を崩さない弘明。 「いや・・・俺と行くっていうのはバイクで行く事でしょう? 危ないですよ?」 稔之の本音はそこにはない。 が、流石に弘明には言えず、わざと稔之ははぐらかした意見を言った。 「運転に気をつければ大丈夫だろ 綾香一人の方が心配だ」 弘明は稔之の思惑には気づいていないようだ。 弘明の意見に納得した稔之は二つ返事で、綾香と旅行に行く事を承諾した。 次の日。 部活を終えた稔之は友人中田と一緒に自転車置き場の方へと歩いていた。 「中田、俺、来週の後半からしばらく部活休むぜ」 いつもの無愛想な表情のまま、稔之は切り出した。 「別にいいけど・・・何か用事か?」 「綾香と一緒に旅行に行く」 表情が強張る中田。 二人の間に沈黙が下りた。 「何が言いたいは分ってる・・・ 多分何もねーだろうけどよ・・・」 中田の沈黙の意味を察した稔之は先回りして、弁解した。 「部のみんなには黙っとくよ。 まぁ・・・気をつけてな」 友人といえども、中田も必要以上に他人に干渉しない性質だ。 それ以上は、何も言わず、自転車置き場で稔之と別れた。 が、何故か突然稔之の行動が気になり、こっそりと中田は稔之の後をつけた。 尾行して十数分後。 電柱の影に隠れた中田はドラッグストアに入っていく稔之の姿を確認した。 ●挿絵1 『稔ーーーーっ この間までの落ち込みは一体? 機会があればすぐ、そーゆー行動をうつすやつなのかー?』 電柱を握り締めながら中田は心の中で絶叫しつつ、友人を突っ込んだ。 終業式の日。そして放課後。 綾香達が在籍するクラス。 自分の席で綾香は浮かぬ表情をしていた。 「あさってから関谷君と二人で宮崎なんだよ・・・」 大きな瞳はいつもの元気がない。 悩みの色に染まっている。 そして綾香の席を挟んで両側に律子と美樹が立っている。 「別に気にすることないんじゃない? お父さん達だって一人で旅行するよりは・・・ って考えたんじゃないの? 自分がしっかりしてれば問題ないと思うけど」 美樹の言葉に律子も頷く。 確かに美樹の言うとおりだ。 何故、稔之と旅行する事がこんなに重く感じるのだろう? いや、本当は分ってる。 亮哉に知られたくないのだ。 それとも、亮哉に秘密を持ちたくないからかも知れない。 亮哉と信頼関係を築き上げていきたい自分に、綾香は気づいた。 「そうだよね・・・ 旅行するからといってね」 綾香は自分の不安を打ち消すように、笑顔で二人を振り仰いだ。 友人二人も笑みを綾香に見せる。 が、友人二人も綾香を落ち着かせるためにああ言って見せたものの 内心は、こんな機会を稔之が逃す筈はないだろうと想像していた。 二人は、一年の時稔之が他校の女生徒と並んで歩いてた姿を思い出していた。 稔之が女生徒の肩に手を回していたのを。 しかし、そんな事今の綾香に言えない。 「じゃあ、私、寄ってく所あるから」 明るさを取り戻した綾香は鞄を手に取ると、席を立ち、教室の外へと駆け出した。 綾香の後姿を見つめながら、美樹は呟いた。 「私、関谷稔之って好きじゃないわ。 ずっとみなちゃん一筋のように見えるけど、 噂じゃ、手を出した女は数知れずって言うじゃない」 冷ややかに稔之を非難する美樹の言葉に律子は、黙って下を向いたまま。 ・・・違うわ。関谷君はみなちゃんに一途だから苦しいのよ。 みなちゃんもそれが分っているからどうしたらいいのか 分らないんじゃないかな?・・・ 同じ友人でも美樹と律子は違う方面から綾香を気遣っていた。 だが、二人とも本当は綾香が亮哉か稔之。 どちらを選ぼうが気にはしないのだ。 二人とも綾香の友人。 綾香の決めた事を尊重したいと願っている。 「俺が何故、関谷と旅行に行く事を許諾しなければならないんだ?」 図書館の渡り廊下で綾香の話を聞いた亮哉は、首を傾げた。 「いや・・・そんな意味じゃないけど・・・」 亮哉のよく通る声が周囲に聞こえてはいないかと綾香は辺りを見巡らせた。 幸い人通りは少ない。 「俺にはそういう意味合いに聞こえたが・・・」 亮哉の眼は綾香の顔から少しも外れていない。 「水瀬さん、 自分の事は自分で決めるべきだろう? 関谷と旅行に行く事はご両親の気持ちからすれば分らない事もない」 亮哉の口調は穏やかながらも、いつもとは違う微かな苛立ちが含まれていた。 ●挿絵2 綾香は瞳を伏せた。 ・・・どうして、私は彩賀君に旅行の事を言いたかったんだろう・・・ 亮哉に秘密を持ちたくないからだと、最初自分は思った。 だけど、本当は亮哉に妬いて欲しかったからかも知れない。 自分の浅はかさに思わず赤面する綾香。 日頃、亮哉の好意が積極的に向けられると困惑するくせに、 いざという時は、亮哉の気持ちを確かめたいのだ。 心の中に反省の気持ちが湧き上がってくる。 「彩賀君、変な事を言ってごめんね。 私がどうかしていたよ。 それじゃ、勉強を頑張ってね」 綾香はぺこりと頭を下げると鞄を持ち直し、階段の方へと向き直った。 ・・・俺、冷たい事言ったかもしれん・・・ 綾香のあっさり引いた態度を、亮哉は自分のせいと受け止めた。 西谷から聞いた限りでは綾香と稔之は家族同様に育った仲。 が、稔之は綾香に好意を抱いているのだ。 綾香が旅行に対して警戒を示すのは当然だ。 不安を訴えに来た可能性もある。 「水瀬さん!」 亮哉は綾香を呼び止めた。 怪訝そうに綾香は振り返る。 と、亮哉の右手にはいつの間にかスタンガンが。 驚きに瞳を見開く綾香に亮哉は歩み寄った。 「これは、科学部の勝田が作ったスタンガンだ。 関谷がついていても道中何が起こるか分らない。 ・・・気をつけてな」 スタンガンを手渡しながら亮哉は、心配そうに綾香を見遣った。 重厚なデザインをしたスタンガンの重みがズシリと綾香の掌に伝わった。 こんなもの一高校生が作って大丈夫なのだろうか? 一瞬疑念がよぎる。 しかし、亮哉なりに心配してくれているのだ。 先程までの落ち込みが一瞬にして消え失せる。 「ありがとう、彩賀君」 スタンガンを握り締めて綾香は礼を言った。 「いやあ・・・」 綾香に見つめられて亮哉は頬を紅潮させて微笑した。 照れ隠しからか、視線を少し逸らす。 微妙に良い雰囲気の綾香と亮哉であったが、 スタンガンを挟んで向かい合っている二人を道行く生徒は、避けて通り行くのだった。 |