Act.3「自分は、自分」
10日程経ったある日。 この日は校内球技大会が広い校庭で繰り広げられていた。 種目は男子がサッカー。女子はバレー。 生徒達の歓声が高くて青い冬の空へと響く。 「いつもクラス分けで、行うから どうしても、決勝に残るのは体育科ばかりだな」 校庭の一郭で、西谷はシャッターを押し終わるとカメラを胸の前まで下げて苦笑した。 「いいじゃないか、武ちゃん。 この日は、体育科に花を持たせる日だと割り切ればいいんだ」 横で、ブレザー姿の亮哉は、両腕を組んで頷いた。 「しかし、最初から勝敗の分かる試合ってのは、何処となくなぁ・・・」 西谷は、この学校の球技大会のシステムを批判しつつ、亮哉のブレザーのジャケットをちらりと盗み見た。 ・・・この間の体育の時間も見学していたよな。 風邪を引いている訳でも無さそうだし、 何処か悪いのか? しかし、必要以上に他人の事に立ち入らない西谷は、それ以上は深く考えない事にした。 もうすぐ、2年男子の決勝が始まる。 温和な表情が途端に厳しく引き締まり、再びカメラを構えて撮影に入った。 西谷と亮哉から、南に10M程離れた所で、 綾香と友人である美樹と律子は、地面の上で体育座りをして試合を見学していた。 いや、見学というにはかなり語弊があるかも知れない。 綾香と美樹は試合に目もくれず、昨日見たアニメ番組の話題に花を咲かせていた。 片や大人しい律子は、少しの間綾香の様子を窺うと小さく溜息をついて、決勝戦を観戦し始めた。 フィールド上では、当然体育科に所属している稔之の姿も見えた。 立華大学付属高校サッカー部県内でも強豪の部類に入る。 それは、全国から集められた優れた選手が体育科に多数いるからだ。 だから、校内球技大会と言っても、体育科同士の決勝戦ともなると、ちょっとしたレベルの試合であった。 互いにゴール近くまで攻めていっても、なかなか決定打となるシュートは許していない。 その中でも、稔之は正確なパスを決めている方なのだ。 稔之がスポーツ選手としてセンスがある事が、律子の目にも分かる。 そして今日ばかりは日頃、稔之を怖がってる女生徒も声援を送っている。 ・・・何だか、みなちゃんは、関谷君に対して冷たいよね・・・ 律子は、随分前から感じている事を心の中で呟いた。 ●挿絵4 勿論、綾香から稔之の悪口を聞いた事はない。 しかし、律子は、綾香は意図的に稔之に対して無関心を装っているのではないだろうかと、考え始めていたのだ。 親同士が決めた事とはいえ、毎日稔之が家に通ってくる事は、正直煩わしい部分もあるかも知れない。 でも、稔之は態度こそぶっきらぼうだが、綾香の事を大切に思っているではないか。 それなのに時折見せる、稔之に対して必要以上に距離を置く綾香の態度。 亮哉の存在のせいではない。 現れる前から、綾香はそうだった。 『関谷君に、声援を送ってみたら? きっと、みなちゃんの声援を関谷君は一番待っているんだよ?』 ・・・言えない。 何故か、綾香にそれが言えないのだ。 綾香は稔之に関する事で、私達には秘密にしている事があるような気がするのだ。 友人として、これは触れないで置くべきことなのだろうか? 律子は黙ったまま、グラウンドを激しく飛び交うボールを目線で追い続けた。 試合終了のホイッスルがグラウンド中に甲高く響いた。 試合は大接戦の末、0-1で稔之が所属するクラスが勝利を決めた。 11組の生徒が互いにガッチリを腕を組み合わせて、喜びを噛み締めた後、 稔之はその輪から外れて、泥と汗でまみれたTシャツをはたきながら 綾香の方に近づいてきた。 いつもの怒り顔で近づいてくる為、既に条件反射で身構える綾香。 「全く、おめーは興味ねー事には、とことん無関心なんだな」 稔之は、片眉を上げながら言い捨てるように、綾香に話し掛けた。 「だって、体育科が勝つのって当たり前じゃん。 私達、普通科は途中から暇で仕様がないよ。 やっぱ力の差が歴然なんだから、 体育科の連中は両腕両足に10kgのリストバンドつけるべきだよ。 そうすれば、平等になって楽しいかも?」 綾香のアホな発想を稔之は、無視して律子を見た。 表情が少し柔らかくなる。 「・・・中津さん・・・かな? あのさ。今度の土曜日、俺と綾香。 あと、俺の友達との4人でスケート滑りに行かないか?」 「えーっ。嫌だ。そんなのいきなり勝手に決めないでよー」と、綾香。 「綾香、おめーは黙ってろ」 稔之に言葉を切られてしまい、綾香は膨れっ面で下を向いた。 綾香は綾香なりに、男子慣れしていない律子に気を使っての行動だったのだが。 しかし、律子の反応は綾香の予想とは違った。 「・・・私は・・・別に構いませんよ・・・」 消え入りそうな小さい声で応じながら、こっくりと承諾の意味で律子は大きく頷いたのである。 土曜日。 市街地最南部に存在するスケート場。 休日だけあって、リング場は大勢の客で賑わっていた。 スケート靴を履いた稔之は、リング場に降り立つなり、人波の隙間を縫うように颯爽と滑り始めた。 ここでも、運動神経抜群の稔之は人目を引いた。 女子大生のグループが稔之に向かって手を振る。 稔之も手を振って応じた後、リングの端で戸惑っている綾香の方を向いた。 綾香の方は如何にも初心者って感じだ。 手摺りをガッチリと握って離さない。 腰も滑稽なぐらい及び腰だ。 「仕様がねーなー。ほら、来いよ」 と、稔之は綾香に向けって手を伸ばす。 「・・・貴様の助けなどいらぬわ・・・自力で滑ってやる・・・」 綾香は引きつった表情のまま、絶対に手摺りから手を離さない。 「・・・分った。じゃあ、せめて肩の力を抜け・・・ あと、足はな・・・」 稔之は呆れ顔で、綾香にスケート技術のアドバイスをし始めた。 一方、リング場の外。 中田と律子は、自動販売機の前にある椅子に並んで腰を掛けていた。 ●挿絵5 「ごめんねー。中津さん 無理な頼みを聞いてもらって」 と、中田は笑いながらも、律子に向かって頭を下げた。 「ううん、いいの・・・」 やや緊張気味に、律子は首を振った。 普段、律子は男子生徒と口を聞かない。 なので、全身から硬直した雰囲気が伝わってくる。 それでも、律子はすぐに真顔になって言った。 「だけど、みなちゃんは多分、彩賀君の方が・・・」 稔之の心情を察しつつも、やはり律子は綾香の友達なのであった。 「わかってる。 最後には水瀬さんが決める事だよ」 ぎこちなく苦笑しながら、中田は応える。 律子の緊張が中田にも伝染しているのだ。 律子は中田の横顔をこっそりと上目遣いに見た。 稔之とは違い、随分と人当たりがよい印象を受ける。 人間的にも表裏が無さそうだ。 ・・・もしかしたら、この人は知っているのかも知れない。 みなちゃんと関谷君の間に何があったか・・・ ふと、中田が律子の視線に気づき、こちらを向いた。 目線があった律子は、赤面して下を向いた。 ・・・俺、こんな大人しい娘と、話すのって初めてだな・・・ 中田は、ある意味新鮮な戸惑いを感じつつも、 同時に律子の思惑にも気づいた。 表情が自然と引き締まる。 「まぁ、あの二人には時間が必要だろうな」 中田の返答に、律子は、自分の推測が的中した事を悟った。 手にとっている缶コーヒーはもう冷めかけていた。 「おい!綾香、よそ見してんじゃねーよ」 稔之がいつもの様に、綾香に怒鳴りかける。 先程から、綾香は中田と律子の様子が気に掛かって仕方がないのだ。 手摺りは離さず、首だけがリング場の外に向いている。 傍目から見たら、むち打ち症になるんじゃないかと、心配してしまう位だ。 「いや、あんたの友達が律子に迷惑をかけたりしないかと・・・」 言葉遣いもいつもと違う。 「中田は、お前より人間出来ているよ!」 稔之も、応えるのにもう半ばヤケクソである。 「お?」 次の瞬間、綾香は手を滑らせ、手摺りから体が完全に離れた。 バランスを崩した綾香は、そのまま、つんのめるように、リング場を2、3歩歩いた。 慌てて、稔之が駆け寄ろうとする。 が、綾香は器用に氷の上を歩き始めた。 「あ、滑れるようになったー」 カクカクと膝を立てながら、前方へと進む。 ●挿絵6 ・・・滑っている内に入いんねーよ、それ・・・ 稔之は、綾香の自己満足的な滑りを眼の前にしてガックリと肩を落とす。 しかし、綾香の笑顔を見ている内に、自然と口元がほころぶ。 そう、綾香は現実としてこうやって自分に笑いかけている。 確かに亮哉の存在は、これから先、自分と綾香の間に大きな影響を与えるかも知れない。 しかし、今までこうして綾香と日常を積み重ねてきたではないか。 自分の心の中が明るくなるような感触を覚える。 遠目にガッツポーズをとる中田の姿を稔之は見た。 『もっと自分を信じよう』 中田に向かって手をかざすと稔之は再び、綾香に向かってスケートの滑り方を教え始めた。 第六章 「迷走を脱出する方法」終わり。 |