Act.2「心揺れる時」

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一週間後の昼休み。
校庭の南東隅にある体育用具室前を、稔之はふらふらと歩いていた。
連日のハードな部活練習と、夜にバイクを流しているのがたたったのか、頭が重い。
こめかみから脂汗がじっとりと流れる。
身体の関節のあちこちが熱を持って、熱い。
何故、たった一度、亮哉が綾香の家に入り込んだだけで、こんなに動揺するのだろうか?
他人が聞けば、大した事がないと、言いそうだ。
しかし、稔之は一番見たくない物を見たような気がしたのだ。
そう・・・認めたくはないが。
綾香達家族は、自分が思っている程、稔之を必要としていないのかも知れない。
・・・それとも、単に、俺が子供なだけか?
日頃、気づいていなかった心の中の依存心を稔之は責めた。
その時、身体のだるさに耐える稔之の眼に、
苦しみの元凶である亮哉の姿が入った。
校庭を横切る亮哉の後ろには女生徒が数人ついていっている。
亮哉にしきりに話し掛ける様子をみれば、女生徒達は亮哉に気があるのが一目瞭然だった。
しかし対して、応じる亮哉の表情は怜悧に感じた。
・・・綾香の前では優しく見せてってけど
   本当は冷たい奴なんじゃねーのか?
冷静に考えれば、好意を持つ者に対して、気持ちを受け止められないのなら
最初の段階で冷たくあしらうのも優しさの一つだと分るはずなのに、
体調が悪いのと、亮哉に対する嫉妬から、稔之は見当違いの怒りを覚えた。
諦めたのか、女生徒の一人が顔を俯かせて立ち止まった時、稔之の怒りは頂点に達した。
腫れぼったい頭を片手で支えながら、一歩亮哉の方へと歩み寄る。
と、その時、日頃から最も慣れた気配を後ろから感じた。

「稔、俺最近DVDプレイヤーを新しくしたんだ。
 帰りに、寄っていかないか?」
中田が声をかけながら、稔之の肩に腕を回してきたのだ。
中田の腕が今日は、ずんっと重たく感じた。
途端に、稔之は吐き気をもよおした。
「どうした?稔」
聞き慣れた声がかすれて聞こえる。
中田にもたれかかるように、稔之はその場で膝をついた。
稔之は自分でも気が付かない内に風邪をこじらせていたのである。

放課後。
稔之と中田が在籍する、体育科の教室の入り口。
綾香は入り口の柱に手をかけながら、きょろきょろと周囲を見回した。
稔之の姿は見当らない。
代わりに、すぐに中田と目が合った。
「中田君、関谷君は一体どうしたの?
 最近、バイクで通学しているみたいだし、
 帰りも物凄く遅いんだよ」
綾香の大きな瞳は憂いの表情を浮かべて、伏せていた。

中田は、昼間の出来事を話そうかと一瞬思ったが、すぐに思い直し、機転を利かせた。
「ああ、稔ね・・・気にする事ないよ。
 部活が忙しいのもあるけど、
 あいつ、この間の期末の出来、あんまり良くなかっただろ?
 帰りにいつも、俺の所によって課題やってんだよ
 稔の事だから、水瀬さんに説明してないんだろうぁ」
中田の話を聞いた綾香は安堵したように、胸を撫で下ろした。
「良かったぁ。
 様子が変だから、お父さんもお母さんも心配してたんだよ
 関谷君はいつも家では無愛想だからねー」
そして、綾香は中田に礼を言うと、駆け足で廊下を走っていった。
中田はそんな綾香の後姿に思わず微笑した。

「・・・・・・?」
テレビと布団と学習机以外、ほとんど何も見当らない畳六畳間の部屋で稔之は目を覚ました。
この部屋は見慣れている。
学校から自転車をこいで10分程の離れた所にある、中田の部屋だ。
中田は隣の県、K市出身。
従って、高校進学を機に、ここで下宿しているのだ。
稔之は布団に寝かされていた。
左側に電気ストーブをつけてあるせいか、左頬だけが煌々と熱い。
昼間程ではないが、まだ体中がダルさ一杯だ。
ゴロリと寝返りを打った途端、ガチャガチャと、ドアの鍵が開く音がした。
中田が帰ってきたのだ。

稔之がまだ寝ていると思って、中田はこっそりと自分の部屋にあがる。
稔之は眼を閉じたまま、中田にかすれた声で口を開いた。
「俺・・・倒れたのか?」
「ああ、全くここまで連れてくるの大変だったぜ」
科白の割には中田の口調は穏やかだった。
「気分は大分良くなったか?
 H亭でから揚げ弁当買って来た。
 もう少ししたら・・・食うか?」
あと、喉が渇いているだろう、と中田はウーロン茶のペットボトルを稔之の枕元に置いた。
●挿絵3
更に中田は言葉を継いだ。
「水瀬さんには、今日は俺の所で稔は泊まるって言って置いた。
 教室に来たぞ。相当心配してるんだよ、ありゃ」
からかう訳でもなく淡々とした様子で中田は喋り続ける。
「・・・いつか、分ってもらえるよ」
とうに中田は稔之の綾香に対する想いは気づいているのだろう。
そして、稔之は中田の落ち着き振りから、もう一つ確信した。
中田は知っている。
過去に自分と綾香の間に何があったのか。
知っていて、自分と友人で居てくれるのだ。

『この学校に来て良かった』
正直、稔之は望んでこの学校に来た訳ではない。
本当は、H商業でバスケがしたかったのだ。
しかし、自分がしでかした事でそれは、不可能となってしまった。
入学の際、父親と共に頭を下げて多額の寄付金を納め、
割に合わない誓約書に捺印した時に受けた屈辱と、
かつて、試合で戦った相手がH商業のユニフォームを着て、
全国で活躍していると聞いた時の悔しさを稔之は常に忘れていない。
厳しい練習は、綾香に対する想いだけで、向かっていた訳ではないのだ。
そして、稔之の気持ちは言わなくとも、中田に届いていたのだ。
自分の心が壊れそうな時。
引き上げてくれるのは、身近な人間なのだ。
慌てて布団を頭から被る。
急に目頭が熱くなったのだ。


「話変わるけどさ・・・稔に頼みたい事があるんだ」
急に中田は、照れくさそうに頭をかいた。
折角、真剣な気持ちになっているのに、水を差してごめんねーといった雰囲気だ。
「何だ?」
稔之もすぐに普段の無愛想モードに戻る。
「実はさ・・・」
稔之の耳元に話し掛ける中田。
聞いた稔之は、思わず眼が点になった。

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