Act.2「自然は真実を呼ぶ」

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旅行出発当日の朝。
綾香の家の玄関前にアメリカンタイプのバイクにまたがった稔之の姿があった。
マフラーから出るエンジン音が定期的に周囲に響いて聞こえる。
サングラスをかけた稔之は実際年齢より少し年上に見えた。

綾香がリュックを背負いながら、ドアから出てくる。
「それじゃ、二人とも楽しんできてね」
見送りに出ている弘明と晶子が、声をかけた。
綾香は行ってくるね、と軽く頷くと、稔之のバイクに乗り込んだ。

綾香の柔らかい体の感触が稔之の背中に伝わってくる。
が、稔之は今はバイクの運転に神経を集中させた。
一気にアクセルをふかして、バイクを走らせる。

バイクの姿が見えなったのを確認した弘明と晶子は家に戻ろうと引き返した時
「綾香ちゃんと稔之君って仲が良いのねえ」
犬の散歩の途中らしき近所のおばさんが弘明と晶子に意味ありげな笑いを見せた。
・・・仲が良い、か・・・
おばさんの詮索を気にする訳でもなく、弘明と晶子は何故か寂しそうにお互い顔を見合わせるのであった。

綾香の住む街から国道に出て、西へと直線に走り4時間後には広島へ。
そして広島市街の南部にある、広島港へと到着する。
さらに別府(大分県)行きのフェリーに乗り、明け方には別府へ辿り着き、
別府から南に国道を走らせて3時間あまりで、宮崎の県境である。
高千穂は、宮崎県最北部に所在するので、大分からの国道よりは随分東よりである。
綾香のお目当てである高千穂峡に着いたのは、結局出発した次の日の午後だった。

3月下旬の宮崎は本当はもう暖かい。
しかし高千穂は標高が高いせいか、思うより肌寒かった。
バイクから二人は降り、山間へと近づいた。
湿り気を帯びた土がスニーカーの底にこびりつく。
徐々に滝音が大きくなっていくのが分った。
真名井の滝、である。

雄大な滝を目の前にして、綾香の背筋は引き締まる。
滝は、人の心に洗練さを与えるのだ。
しばらく滝の周辺を右往左往していた綾香は、イメージが定まったのか、早速三脚を開き、撮影モードに入る。
シャッタースピードを決め焦点を合せ、露出の補正をしながら、
綾香はレンズ越しに滝を眺めた。
見事な渓谷を伝って流れ落ちる滝飛沫。
岸壁の上を撫でるように伝う樹木。
自然の風景を見つめると、いつも自分の心は安らぐ。

けれども、『安らぐ』と言う事は。
私の心の中に足りないものがあるのかな?

自分の心を探りながら綾香はシャッターを切った。

撮影を終えた綾香にそれまで黙りつづけていた稔之が声をかけた。
「綾香、折角だから、ボート乗らねーか?」
「いいけど・・・大丈夫?
 ずっと運転していたんでしょ?
 ボートは私が漕ぐよ」
綾香は道具をリュックに仕舞いながら、稔之を気遣った。
バイク二人乗りで高千穂に来るのは相当体力がいる事なのだ。
現に稔之はフェリーの中でもほとんど眠っていた。
「いや、俺が漕ぐ」
稔之は綾香の申し出をキッパリと断った。
綾香は決して器用な方ではない。
疲れても稔之が漕ぐ方が断然安全だ。
3月の水温はまだまだ冷たい。

貸しボートに二人は乗った。
間近で滝の雰囲気が楽しめて嬉しい反面、綾香は稔之の様子が気になった。
バイクに乗っている間は仕方ないにしても、
旅行中、ずっと稔之は黙ったままだったからだ。
・・・やっぱり、無理して付合わせちゃったからかな・・・
今も黙々と稔之はボートを漕いでいる。
けれども、どう声をかけていいのか分からず、綾香は景色を眺める事に集中した。

しかし、稔之の心中は綾香の予想とは全然違った。
稔之は、今回の旅行で思い切って想いを伝えようか考えあぐねていたのだ。
前はインターハイ出場が決定したら、と決めていた。
しかし、突然現れた亮哉の存在。
そして今回の二人だけの旅行。
もしかしたら、今こそが・・・と思い悩む。
勿論、上手く行かない可能性の方が高いだろう。
今の所、綾香が自分に対して気があるようにはとても、思えない。
が、時間が経つにつれて、亮哉と綾香の距離は縮まってくる可能性は高い。
自分の中で、振られた時の恐さと、焦燥感が激しく葛藤する。
旅行中に決めるなら、もう時間がない。
止めた煙草を再び吸いたい気分であった。
・・・どうすりゃいいんだ・・・
頭の中が混雑してきたのを振り切るように稔之は顔を上げた。

突然、深紅の風景が稔之の視界に入る。
日も落ち、夕暮れ時になっていたのだ。
夕陽が岸壁の柱状節理に反射して、深紅の光沢を放って輝いている。
見慣れぬ眩しさに稔之は一瞬眼を細めた。
その時である。

『私、本当はね、稔之が一番好きなんだよ』

聞き覚えのある声が稔之の耳に入った。
一瞬、稔之の中で時間が止まる。
そして、ぎこちなく稔之は綾香の方を見た。
●挿絵3
唇が震えているのが分る。
ところが綾香は、ボートから身を乗り出さんとばかりに辺りの風景に見とれていた。
咄嗟に稔之は我に返った。
「おい!あんまり端によるなよ!危ないだろ」
慌てて稔之は綾香を怒鳴りつけた。
「う・・・ごめんなさい」
稔之の声に縮こまって膝を抱えて丸くなる、綾香。
一息つけてから稔之は尋ねた。
「綾香、さっき何か言ったか?」
「え?何も言っていないよ」
きょとんとした感じで綾香は応える。

・・・幻聴か・・・?
稔之は眉をひそめた。
が、確かにあれは綾香の声。
『好きなんだよ』
思い返すと一層、心の中がじわじわと熱くなってくる。
同時に稔之は腹を決めた。
天孫降臨の神話で知られる、高千穂。
自然の見えない力が後押ししてくれたのかも知れない。

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