Act.1「立華大学付属高校文化祭」

目次へ 三章最後へ あらすじへ キャラクター紹介へ


11月下旬の連休初日。
市内中心部に存在する立華大学付属高校。
学校設備を東西に分割し、本館に直結するメインストリートは文化祭を楽しむ人々で普段にはない賑わいを見せていた。
道の両側には白いテントを張った模擬店が並ぶ。
その間を本校生徒だけでなく、他校生、近隣の住民が大勢行き交い、模擬店はどこも繁盛していた。

関谷稔之の所属する、2年11組体育科の模擬店は、メインストリート西側中央部にあった。
頭にタオルを巻き、背の高い稔之にはサイズの合わないエプロンをジャージの上につけている。
切れ長の目をより細めて真剣な視線の先は・・・たこ焼き。
そう、稔之は販売用のたこ焼きを焼いている最中だった。
鉄板の上のたこ焼きが固まり始めた時、稔之は右手に握っている金串で器用にたこ焼きをくるりとひっくり返す。
その時、稔之の左隣でたこ焼きの入ったパックを客に渡し終えた、友人、中田伸道が
「稔、初めて、たこ焼き焼くにしちゃ上手いな」
人の良さそうな笑みを浮かべて、稔之に話し掛けた。
応えず、黙ってたこ焼きの調理に集中する稔之に、中田は笑みを崩さず話し続けた。
「でもな、客商売なんだから、その表情何とかしろよ。
 さっきの小学生、ビビってたじゃんかよ。あれ、お前が怖かったんだぜ?」
中田は先程の様子を思い出し、こらえ切れず笑い声をあげた。
(●挿絵1)
「るせーな、中田、これタイミングが難しいんだぜ。失敗したら意味ねーだろ」
稔之が片眉を吊り上げた時、二人の背後に同じクラスの生徒が駆け寄ってくる。
「関谷、中田。交代の時間だ。ありがとな」
二人は店の隅でブレザーに着替えると、その場を離れた。

メインストリートに出た瞬間、稔之の方に中田が振り向く。
「あそこに、S女子学園の娘がさっきからいるだろ。声かけてみないか?」
中田の目線を追った稔之は、斜め向かいのベンチに座り、意味有り気な視線をこちらに向ける、他校の女生徒二人連れを見た。
長身の稔之と中田は人目を引く方なのかも知れない。
だが、少しの時間、女生徒を眺めていた稔之は、硬い表情で俯くと
「俺は・・・遠慮しとくよ・・・」
小さく呟いて固く唇を引き結んだ。
同時に脳裏には神崎裕美の姿が通り過ぎ、胸の奥が小さく疼いた。
真横の焼き鳥を焼く模擬店から発する香ばしい煙が、目に入り、しみる。

俺はもう、同じ事を繰り返す訳にはいかない。

稔之は始業式の日以来、固く決意したのだ。
稔之の心情を知ってか知らずか、中田は一瞬、真剣な眼差しで稔之の顔をじっと見つめた。
しかし、すぐに温厚な表情を取り戻すと、
「そうか。じゃあ、これ持っていきなよ」
自分のクラスの模擬店に戻ると、クラスメイトからビニール袋を受け取り、稔之に手渡した。
温かさの残るビニール袋の中を覗く、稔之。
中にはたこ焼きが二人分。
・・・中田?
驚いて、稔之は顔を見上げる。
しかし、中田はもう稔之の側から離れ、二人の女生徒に話かけ始めていた。
稔之も、黙って別館の方向に歩き始る。

綾香への想いに気づいて、三ヶ月。
この期間、稔之は今まで通り変わらず、綾香の家に通い、以前と同じ様に綾香と綾香の家族に接し続けた。
いや、本音を言えば想いに気づいたからといって、どうしたらいいのか分からない。
何年も続いた綾香との平行線の関係。
それは、少々の事では崩れない様な気がした。
だとしたら、逆に今までの生活を同じように少しずつ積み上げていった方が良いのかも知れない。
体育館の方からバンドの演奏が聞こえる。
若干、音程の外れたボーカルの声を耳に響きかせながら、稔之は別館の階段を登っていった。

本当は稔之は、もう一つ激しい葛藤に立ち止まっていたのである。
そう、過去に犯した、自分の罪の意識に。

別館3階、物理室。
写真部文化祭展示場所は毎年、物理室と決まっていた。
教室の壁を四方に暗幕で囲い、部屋の中を黒く塗りつぶしたベニヤ板で幾間かに区切ってある。
ベニヤ板には多数の写真パネル。
教室出入り口付近の受付に座っている綾香と堀田は、部長・西谷の様子をぼんやりと見つめていた。
パネルの前では、西谷が礼儀正しい笑みを絶やさず、女子大生風の若い女性に、写真の説明案内を続けている。
童顔な顔立ちと大人びた物腰が同居する西谷の存在は、この日、一層大きく感じられた。

展示されている写真の多くは西谷の作品だからだろうか。
西谷の作品は、主に人物写真。
それも、スポーツ関係が殆ど。
そして何故か、激情という性質から程遠い西谷の性格からは想像もつかない、迫力を受ける作品ばかりだった。

が、綾香は素直にとある疑問を堀田に向けた。
「ねー?、何で西谷君の写真を見にくるお客さんって女の人が多いんだろうね?」
堀田は室内にこもった熱気にあてられて、汗ばんだ額を拭いながら、言いにくそうに応えた。
「それは・・・写真じゃなくて・・・西谷君その物が目当てなんじゃないでしょうか・・・」
「むー。確かに西谷君、優しそうだもんね」
腕組みをして頷きながら、綾香は女性の方を盗み見た。
確かに、女性は写真パネルよりも、西谷を見ている時間の方が長い気がする。
・・・こりゃ、美樹も大変だな・・・
綾香はしっかり者の友人の顔を思い浮かべながら、思わず苦笑した。
そして、西谷が女性を教室の外まで送るのを見届けると、綾香は大きく深呼吸をした。
慣れない化粧品と香水の残り香に軽い眩暈がする。
「水瀬さん、顔が火照ってるよ。少し外の空気を吸ってきた方がいいよ」
西谷が柔和な物腰を保ったまま、綾香の方に近寄ってくる。
「ううん。大丈夫。それより西谷君の方が疲れているんじゃない?」
綾香は心配そうに西谷の笑みの下の疲労を窺おうとする。
が、全く、そんな様子は読み取れない。
「ははっ。僕は好きな事をしているから、全然平気だよ」
西谷が明るい笑い声を上げた時、入り口に背の高い生徒が現れた。
稔之である。

「ちーっす」
挨拶とは裏腹に無愛想な稔之の表情に三人は一瞬まごついた。
何より西谷、堀田は普段、稔之とは殆ど接触がない。
・・・一体、何をしに来たんだろう・・・?
三人は視線を交わした。
そして、最初に切り出したのは綾香だった。
「関谷君。写真見に来たの?ありがとうね」
慌てて、綾香は受付から立ち上がる。
その瞬間、稔之は綾香の制服の端に目を止めるなり、いつもの不機嫌な声を出した。
「何だよ、お前、スカート汚れてんじゃんかよ。みっともねえな」
言うよりも早く、稔之はブレザーの懐から埃をはらうエチケットブラシを取り出すと、綾香に投げた。
ブラシを受け取りざま、その場でスカートに付着した埃を取ろうとする綾香に
「こんな所で取るんじゃねーよ。トイレ行って来い!!」
稔之は声を大きくした。
綾香は一瞬、顔を紅潮させると、
「そんなに、怒らなくても・・・」
と小さな声を漏らしながら、ひょこひょこと小走りに廊下へと出て行く。

二人の様子に唖然としていた西谷はすぐに冷静さを取り戻すと、
「いつか、水瀬さんが話していた公園の写真を見に来たんだね。こっちにあるよ」
西谷は稔之を入り口から少し遠く離れた奥まった場所に、招いた。
「悪いな、西谷」
照れくさそうに稔之は礼を言う。
西谷は、初めて間近で稔之の笑みを見た気がした。
実は、西谷は稔之の事が得意ではなかった。
勿論、西谷は人物に対して好き嫌いの激しい方ではない。
むしろ、逆。
しかし、それでも以前稔之が出場した試合の場面を撮影した時からだろうか・・・
時折、稔之の全身から発する高校生離れした殺気が、西谷に警戒心を持たせた。
綾香からは、その外見に似合わず、結構面倒見の良い性格であると聞いているのだが。
けれども、西谷は稔之に対する複雑な気持ちを表面的には少しも出さずに、
「まあ、折角だから、座ってゆっくり見ていってよ。水瀬さんも喜ぶよ」
と、稔之に近くに置いてあった椅子を勧めた。

言われるがまま、稔之は長い手足を投げ出す様に、椅子に体を預けた。
稔之の視界の正面に、綾香が写した例の公園写真パネルが入り込んでくる。
写真は、ごく普通のモニュメントの周囲に低木が纏わりついているだけに見えた。
・・・こんな風だったか?
稔之が公園に向かったのは夜。
綾香が写真を撮影したのは昼。
稔之の記憶に残る光景とは、大分印象が違う気がした。
写真関係に全く造詣がないからかも知れないが。
・・・綾香の考えている事はいつも分からん・・・
稔之は自分の気持ちに同意を求めるように西谷に聞いた。
「あいつ、変わっているだろ。苦労してんじゃねーの?」
「まあね・・・」
稔之の右横に立ったままの西谷は、苦笑いしながら応えた。
「だろうな」
西谷の笑みにつられた様に、稔之は片唇の端を笑みの形に変えて頷いた。

しかし、西谷には
『だけど、そんな綾香を好きなのは俺だけだ!』
という稔之の心の声が聞こえた気がした。
一瞬、稔之の一種の傲慢さに微かな反感を感じた、西谷。
だが、すぐに
・・・余程、水瀬さんの事が好きなんだな
と思い直し、心の中でも苦笑した。
その時、綾香が元気よく、教室の中に飛び込んで来た。

「あーっ見てるね。写真どうだったー?」
うきうきした表情で稔之の傍に駆け寄る、綾香。
稔之は無愛想な顔に戻って、椅子から立ち上がる。
「まあ・・・普通だな」
「それだけ?」
綾香が少し不満げに眉をしかめながら、稔之にエチケットブラシを返す。
「俺は写真の事はよく分かんねー」
以前より少し伸びた前髪を触りながら稔之は綾香の方を向いた。

そんな二人の間を割って入る様に、西谷は言った。
「水瀬さん、ここの屋上は今、開いているんじゃないかな?
 外の風にあたってきなよ。初日から疲れを残さない方が良い。
 丁度いい。関谷と一緒に上がってきな」
先程から、西谷は稔之の持つビニール袋の存在に気づいていた。
稔之に対する感情はともかく、稔之の想いを無げに扱う程、西谷は無粋な人間ではなかった。
「えーっ、でも・・・私だけ、休む訳には・・・」
下を向いて大きな瞳に困惑の色を浮かべる綾香の背中を押すように、
「いいから、いいから」
西谷は入り口の方に綾香を促した。

西谷のさり気ない自分への気遣いを察した稔之は
「サンキュ、西谷。俺、もうこれ、いらねーからやるよ」
西谷にしか聞こえない小さな声で囁くと、一枚のカードを西谷のジャケットのポケットに入れた。
そして、綾香の後を追って、肩で風を切るように教室の外へ出て行く。

「・・・・・・?」
怪訝そうにポケットからカードを取り出した西谷は、それが何か分かるなり全身が硬直した。
カードは、ラブホテルの会員証だったのである。
『君と一緒にしないでくれよーーーーー!』
西谷は久しぶりに内心、絶叫した。
(●挿絵2)
カードを持つ手が小刻みに震える。
「あのー。本当に水瀬さん行っちゃって良かったんでしょうか?」
綾香と稔之が教室から遠ざかった事を確認した堀田が、恐る恐る西谷に話し掛けた。
「え?」
堀田の声で我に返った西谷に、さらに堀田は続ける。
「西谷君、午後から有志バンドのキーボード演奏あるじゃないですか? 
 ・・・僕も、これからクラスの方の展示手伝わなければならないし・・・
 ここの受付どうするんです?」
「ああ、それは、当てがあるから大丈夫だよ・・・」
すっかり、普段の落ち着きを取り戻した西谷は、懐から携帯電話を取り出すと、とあるクラスメイトの一人にメールを送った。

三章最後へ 次ページへ 目次へ 感想等はこちらへ(無記名化)