Act3 「心の輪郭」

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午後10時半。
「ふーっ。今日は色々買っちゃったな」
綾香はリュックを背負いなおしながら、最寄りの駅のホームに降り立った。
夜店で買ったトレーディングカードを何種類か詰め込んだリュックは、隙間からりんご飴を覗かせる。
左手にはアニメキャラのお面。
花火に興奮し体を上気させた人々の間をすり抜けるように改札口をくぐった綾香は、前方に稔之の姿を見つけた。
・・・あれ?今日は帰ってこないのかと思ったよ・・・
一瞬、意外そうに眉を上げる綾香。
しかし、深く考えず花火大会の余韻の勢いに任せて欽ちゃん走りで稔之に駆け寄った。
「よっ!花火楽しかった?」
元気よく声をかけた綾香は、稔之の顔を見た途端、表情を強張らせた。
稔之の眼つきは普段より鋭さを増し、瞼の際は赤く腫れあがっている。
何度も微かに歯軋りしているのが聞こえた。
綾香は黙って稔之の横を歩きながら駅の外に出た。
稔之も特に何も言わない。

家に向かう途中の住宅街を二人は歩き続けた。
耳には互いの靴音と、建物の隙間から微かに鳴り響く鈴虫の声が聞こえる。
綾香は下を向いている振りをして、稔之の様子を観察する。
・・・神崎さんと喧嘩でもしたのかな?
思いきって稔之に声をかけてみる。
「あの・・・お腹痛いんでしょうか?」
わざとピントのずれた事を言う綾香。
「ああ・・・」
聞いているのか、どうか解らない返事を返す稔之。
・・・やっぱり何かあったんだ・・・
確信する綾香であったが、どうしても先に踏み込めない。
下手に立ち入った事を聞くと稔之が傷つくと考えたからだ。
近い存在だから立ち入れない。

しかし、綾香は気が付かなかった。
実は自分の方こそがこの少年に対して断じて、立ち入って欲しくないという事に。

けれども、目の前で苦悩する稔之を見捨てる事は出来なかった。
『関谷君も家族みたいなものなのになぁ・・・』
昼間、西谷と堀田に向かって言った言葉が、自分の心の中に響き渡る。
一時的でも稔之の気をまぎわらす方法を考えつく。

突然、綾香は稔之の顔の前に、持っていたお面を突き出す。
思わずのけぞる稔之に向かって、お面のゴムを思いっきり引っ張り弾いた。
「花火大会に行って、腹痛になるなんて、気合が足りんのじゃ!」
歩きながらお面を稔之にかざし続ける綾香。
「何なんだ・・・お前・・・」
ようやく稔之が綾香の方を向く。
いつもの鋭さが消えた。
「このお面を付けろ!!」
背を伸ばした綾香は素早く、稔之の顔にお面を装着する。
「何すんだよ!」
お面を引き剥がしながら稔之は綾香を睨みつけた。
構わず稔之に向かって語る綾香。

●挿絵6
「お面というのはね・・・その面の人物に成り切る重要なアイテムなんじゃ。
 そのキャラを見習って、貴様も気合を入れろ!」
「今、それ、適当に思いついた事だろ・・・」
眼を細めながら冷静に突っ込み返す、稔之。
綾香は、稔之の突っ込みに若干、気持ちの回復を見た。
が、敢えて稔之の変調に気が付かない振りをして、言葉を継ぐ。
「フッ・・・そのお面は、腹痛が治るまで君にやろう。じゃ、おやすみ」
丁度、家の前に着いた事に気づいた綾香は、稔之に不敵な笑みを残すと駆け足で家の中に入っていった。

呆然と綾香の後姿を見つめていた稔之の髪を、涼しい夜気が撫で上げる。
稔之は綾香が自分を励まそうと試みた事に気づいた。
手に残されたお面を無意識の内に握り締める。
嘗ての記憶を再び稔之は思い起こす。
・・・綾香は、もう覚えていないのか・・・?
相当、辛い出来事だったのに、自分の知らない何処かで立ち直ったのだろうか。
稔之の体を寂しさが走り抜ける。
綾香と苦しみを分かち合えない孤独感。
しかし、同時に稔之の胸の中に熱い塊が生じる。
突然、稔之は気が付いた。
自分が誰よりも綾香の事を必要としている事に。

始業式の日の放課後。
特別教室練の2階。
稔之は裕美に別れを告げた。
南校舎へと続く渡り廊下の角に稔之は立つ。
気丈にも背筋を伸ばして、渡り廊下を歩いてゆく裕美の姿に稔之は胸をえぐられるような痛みを感じた。
理由の一つは、己のふがいなさに。
もう一つは。
他人とまともに向き合おうとしない自分や綾香と違い・・・
真っ直ぐに心に飛び込んでくる裕美を好きだったのも事実だったからだ。
しかし、自分の気持ちにもう嘘はつけない。

稔之は裕美の言葉を頭の中で反芻する。
『自分が分からないと相手を受け止める事なんて、出来ないよ』

相手を通して
自分の心の中に入り込み
自身の背けたくなる部分まで見つめたものだけが
本当に人を愛する事が出来る。

稔之に綾香の凍てついた心を溶かす事は出来るのだろうか?

拳を握り締め、空を見上げる稔之。
気が付けば青い空は随分高くなっていた。
季節は変わる。

第三章 「夏の終わりに・・・二人を繋ぐ漆黒の記憶」 終わり。

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