Act2 「relationship (稔之編)」

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しばらくして。
「水瀬さん、西谷君。花火大会楽しんで来て下さい」
たんこぶの腫れがひいた堀田は眼鏡をかけ直し二人に挨拶して、公園を出て行く。
入り口に止めてあった自転車にまたがり、堀田は家に帰っていった。
実は綾香が写真撮影にこの日を指定したのは、理由があった。
綾香、西谷、そして綾香の友人、律子と美樹の4人で花火大会に出かける約束をしていたからである。
(※西谷は美樹と付き合っている 2話参照)
「じゃあ、僕達も出ようか」
西谷に促されて綾香も公園を出た。
一旦、西谷と一緒に綾香の家に器材を置きに行った後、駅へ向かい、会場で律子達と合流という話になっている。
二人は自転車で綾香の家に向かった。

家に到着するなり、西谷に貸していた自転車を物置にしまい込むと、綾香は器材を抱え、中に入る。
ほどなく、ドアを開き再び外に出て行こうとする綾香を
「綾香!そんな格好で出かけるの?もう少し何とかしたら?」
つっかけを履きながら母親の晶子が呼び止めた。
綾香は写真撮影の時と同じ、ジーパンとTシャツ姿。
小さい顔、すらりとした手足を持つ綾香には、様になっている格好だったが。
しかし17歳という年齢からしたら母親としては、もう少し身なりに気を使って欲しかったのである。
「いいんだよ、別にこれで・・・」
うざったそうに綾香は晶子に構わず門を押し開く。
まなじりをつり上げて綾香を追って外に出た晶子は、道路の脇で丁寧に自分に向かって挨拶する西谷に気づいて慌てて笑みを取り繕った。
「あら、西谷君。家の中で待っていてくれれば良かったのに・・・暑かったでしょう?」
「いえ、すぐに出かけるから構いませんよ」
自分の脇に隠れるように並ぶ綾香に、内心苦笑しながら西谷は応えた。
「あまり、遅くならないようにするのよ。綾香」
母親の呼びかけにそっぽを向く綾香に代わって、駅に向かって歩きながらお辞儀をする西谷。
二人を見送りながら、
「昔は、白いワンピースが好きな娘だったのに・・・」
晶子は玄関脇に突っ立ったまま小さく嘆いた。
同時に、道路を隔てた所に建つアパートの前でアメリカンタイプのバイクの洗車を終え、シートをかける稔之の肩が、ピクリと微かに震えた。

●挿絵4

この県の中心を真っ二つに割るように流れるA川。
丁度、市街地を流れる辺りに存在する中州より発射される5000発の花火。
県下で行われる花火大会の中では最大の規模であった。
花火大会のメイン会場となる○○橋周辺、川岸東側の道路。
花火が打ちあがる前から、既に足の踏み場も無いほど、混雑が激しい。
道路脇の石階段を降りてすぐに拡がる河川敷。
河川敷には五色の鮮やかな光を放つ提灯を連ねた夜店が、立ち並ぶ。

夜店の中の一つ、玩具を扱う出店の前。
綾香と友人の律子は、店先に並び置かれたトレーディングカードを一心不乱に物色する。
「律っちゃん、こないだ、コンビニで買えなかった○○○○のカード、あったよ!」
天井から吊り下がる輝く子供用ペンダントを片手で押し上げるようにして、綾香は律子に呼びかける。
「みなちゃん、××××のも見つけたよーー」
普段、大人しい律子も祭りの熱気に当てられてか、やや興奮気味に手に取ったカードを見つめた。
「結構、夜店って掘り出し物が多いよね・・・
 ん?隣のお面屋、△△△△似てるよ!」
律子の腕を引っ張って人を掻き分け、綾香は隣のお店に向かっていく。
「もう・・・二人とも、こんな所でも・・・」
綾香と律子から数メートル離れた所に立ち、呆れる美樹を
「まぁ・・・いいじゃないか・・・」
と隣に立つ西谷がなだめた。
ふと、西谷は腕時計を見る。
「そろそろ花火が始まる時間だ。手前の方に移動しようよ」
言うと、人の間を縫うように3人を誘導した。

花火が打ち上がり始めて30分程経った頃。
メイン会場川岸より200M程下流の河川敷。
この辺りになると人の混雑も若干まばらな印象を受ける。
そして、川の手前で座り込み花火を見上げる稔之と、右隣に浴衣を着た裕美の二人が居た。

花火は轟く炸裂音と共に、空に光と色彩を一瞬の内に力強く激しく乱舞させる。
同時に弾けた後のきらめきが残こす美しさが、見る者に切なさを抱かせる。
しばし、花火に見入っていた裕美は、刹那的な光景に耐えかねた様に、稔之の右肩に自分の額を押し付けた。
肩から伝わる温もりが、髪を結い上げたうなじと浴衣の襟元から漂う芳香が、稔之の体温を確実に上げていく。
稔之はさらに甘い感触を楽しもうと裕美の左手を握った瞬間・・・
一月前のことを思い出した。

体育館正面玄関前での出来事。
自分に倒れかかった綾香の細くて柔らかい二の腕。
胸にかかるサラリとした髪の感触。
そして一瞬、確実に繋がった二人の体温。

体に刻まれた綾香の記憶は、現実の稔之との間で残酷にも交差する。
内面の葛藤を振り払うように稔之は裕美の左腕を思いっ切り引き寄せた。
はっと裕美が顔をあげて稔之の方を向く。
二人の視線が絡み合う。
しかし、稔之は裕美の眼を逸らすように川面へと目線を落とした。
揺らめく橙色の映り込みが稔之の視界に入る。
稔之の手が裕美の体からすり抜ける。
・・・落ち着かない。俺は一体誰に見られたくない?

「稔之、今日一緒に来る相手、間違えたんじゃない?」
裕美の感情を押さえた声が、打って変わって気まずくなった沈黙を打ち破った。
「何?何、言い出すんだよ」
妙に冷静な声が癇に障り、思わず口調を尖らせる稔之。
だが、稔之も薄々気づいていた。
裕美も一月前の件以来、何かを敏感に感じ取っている事に。
「あいつとは特別何でもねーよ」
自分の中に確実に湧き上がってきている微妙な気持ちを振り捨てるように、稔之は投げやりに応えた。
「嘘!嘘よ。稔之、私と居る時、よく誰か探している眼するじゃない!
 さっきもそうだった!」
そして、裕美は稔之が誰を探しているのかに気づいた。
感情的になるのを防ぐように裕美は下を向く。
自分の恋人に、他に大切な人が存在する。
これ以上、惨めで辛い事が他にあるだろうか?
稔之も地面を見つめながら、心の中に綾香との関係を改めて問い掛ける。

両親代わりである夫婦の娘。
兄妹みたいなもの。
幼馴染。

どれもしっくりいかない。
俺と綾香はどんな関係?

「なかなか応えてくれないんだね・・・」
眼に涙を溢れんばかりにためた裕美が稔之の目を改めて覗き込む。
水瀬さんが私に見せる優しさは、稔之の関心が実は自分に向いている余裕から?
哀しさと悔しさで熱のこもった視線は稔之を貫き、心の中の少女を射抜く。
稔之の心臓がビクッと跳ね上がる。
裕美の視線は稔之にある記憶を呼び覚まさせた。
花火が上がり続ける光景も胸にまで響く爆裂音も一気に消え失せる。
稔之の意識は一つの記憶に吸い寄せられた。

そう・・・嘗て、「あいつ」もそんな眼で綾香を見た。

いつの間にか稔之は、箱の中にいるような狭い空間に立ち続けていた。
透けてみえる壁から箱の外を見やる稔之。
綾香が何者かに首を掴まれ、水面に顔を押し付けられているのが見える。
必死に這い上がろうと水中をもがき、手を激しく振る綾香。
稔之は箱から出て綾香を助けようと試みる。
しかし、出口が見つからない。
無我夢中で壁を叩く。
堅い表面を爪で引っ掻く。
それでも壁は開くどころか微動だにしない。
絶望に駆られた稔之は硬く眼を閉じた。

稔之は一度だけ、綾香を救う事が出来なかった。
綾香は以来、変わってしまった。

・・・一体、どうしたっていうの?
裕美は稔之の狼狽ぶりを呆然と見つめ続ける。
下向き加減の姿勢で座っている稔之の体は小刻みに震えていた。
全身からは玉の様な汗が流れ続け、切れ長の鋭い視線は宙を泳ぐ。
・・・水瀬さんとの間に何があったの・・・?
裕美の頭の中は混乱を極める。
しかし、裕美は確実に理解した。

稔之と綾香。
二人は他人の入り込めない、深い絆で繋がっているという事に。

たちまち裕美の心の中を嫉妬と哀しみが覆い尽くす。
が、稔之の動揺ぶりが辛うじて、裕美に優しさの断片を残させた。
裕美は悲しい決意を胸に決める。
そして稔之の肩に手を伸ばす。
「稔之、しっかりして!」
右肩を揺さぶる裕美の声に稔之は我に返る。
お互いの視線が今日初めて真剣にぶつかる。

「水瀬さんとの間に何があったのか、私は知らない・・・」
 だけど、私の事ももっと見て欲しかった・・・
 相手を見なきゃ、付き合っている意味なんてないよ?」
私も見てなかったけど、と呟きながら裕美は立ち上がる。
昂ぶる気持ちを押さえつける様に静かに話し続ける。
いつの間にか花火大会のプログラムはクライマックスを迎えていた。
裕美の背後に大会のメインであるスターマイン(連続花火)が、瞬く間もなく打ち上がる。
おびただしい数の閃光と幾重にも渡る大輪の花が夜空を無限に彩る。
伴って、絶え間なく鳴り響く爆裂音と湧き上がる人々の歓声が稔之の聴覚を一時的に麻痺させる。
それでも、裕美の声は確実に稔之の心に届いた。
 
自分をもっとよく見て。
自分が分からないと相手を受け止める事なんて、出来ないよ?

幾筋もの涙が裕美の頬を伝う。
●挿絵5
やがて唇を噛み締めた裕美は稔之にくるりと背を向けると、一直線に石階段の方に駆け出した。
一瞬、遅れて稔之も立ち上がり、急いで裕美の後を追う。
が、いつも俊敏に動く体は、鉛の様に重く感じた。
石階段を駆け上がった裕美は道路を北側に走り抜け、人波の中に呑まれてしまった。
稔之は押し寄せる人をかいくぐり、必死に裕美を探し続ける。
しかし、裕美を見つけ出す事は出来なかった。

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