Act1 「風景の向こうに」

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校内施設設備撮影の日より一月ほど経った、8月下旬。午前10時。
空に薄く全体に伸びた雲が浮かんでいるせいか、比較的過ごしやすい日。
場所は綾香と稔之が樹木を修繕した、「第一公園」
公園の外周をなぞるように植栽されている樹木の間から、時折、力なく蝉が鳴いている。
遊具の辺りには幾人かの子供達が駆け回る。

そして、公園中央部に立つオブジェクトの前。
準備を終え、写真撮影に取り掛かろうとしている高校生三人の姿。
立華大学付属高校写真部のメンバー、綾香、西谷、堀田の三人である。

綾香は何度も設置場所を迷った末、ようやく三脚を立て、カメラを据え付ける。
引き続き、絞りの調整に入る綾香に、
「水瀬さん。あのオブジェクトを撮りたいんだよね?
 ・・・だったら、もっと絞りを開いたほうが良いんじゃないかな?」
右隣に立ち様子を窺っていた西谷が、穏やかな口調で指摘した。

●挿絵1
「ううん。これで、いいの」
「えっ?でもこれじゃ・・・」
西谷は一重の黒目がちな眼を細めて、注意深く、カメラを観察する。

使用しているレンズは広角レンズ。
絞りの数値はF16。
三脚を使用するという事はパンフォーカス(※)を狙う為の手ブレ防止か?
(※手前から遠景まですべてにピントが合って見える状態。
  ピントのイメージがシャープになる分、被写体ブレの恐れがあるので必ず三脚を使用)

近距離撮影の技法ではない。
もっと、遠距離、広範囲の写真・・・すなわち風景写真に使われる方法だ。
・・・一体、水瀬さんは、どういう写真を撮りたいのだろう?
疑問に悩む西谷に追い打ちをかけるように綾香が、突然顔を上げて呟く。
「海みたいに撮りたいんだよね・・・」
「はぁ!?」
思いもがけない綾香の言葉に西谷の眼が一瞬、点になる。
「ほら。あのオブジェクトの周りを囲っている木、波のように見えない?
 それでもって、オブジェクトの方は島に」
綾香の視線を追って、西谷はオブジェクトを改めて見やる。
公園ではよく見かける、そびえ立つオブジェクトと周囲を囲う、低木寄せ植え。
双方とも多少、斬新的なラインを描いているが・・・
返答に窮する西谷に変わって、
「水瀬さん、自分だけの世界の話をしても人には分かりませんよ」
二人から少し離れた所にあるベンチに腰をかけていた堀田が、苦笑しつつ応えた。
言うなり、反射的に体を起こし、堀田は身構える。
いつも通り、睨みつけてくるだろうと思ったのだ。
が、予想と反し、綾香は下を向く。
「そうだよね。訳わかんないよね・・・」
しまった、と堀田はこめかみに手をあてる。

そんな堀田を西谷は目線でいさめつつ、頭の中に閃く物を感じた。
『自分だけの世界』
この少女は写真を通して・・・
自分の心の中の幻想を他人に見せようとしているのではないだろうか?
綾香が中学時代に撮影した、千光寺(せんこうじ)の桜の写真が、西谷の頭の中をよぎる。
・・・そうか・・・
綾香に対するアドバイスの方針を変える、西谷。
「水瀬さん、自分が思うように撮ってみなよ。
 ・・・ただPL(偏光)フィルター(※)を使った方が良いよ」
西谷はリュックからフィルターを取り出し、綾香に手渡す。
(※偏光フィルター・・・被写体の表面反射を取り除く役割を果たす。
  具体的には植物の葉のテカリを取り除いたり、青空や雲の白さを強調したりと色彩効果を高める)

「心の中に思い浮かぶ光景を撮影するような感覚で撮ってみなよ。
 ただね、実際の被写体とのイメージの格差が出てしまうと思うんだ
 だから、このフィルターを使う事で輪郭を強調させるといい」
表面的には、綾香を励ますように言いつつも・・・実際の所、西谷は迷った。
綾香の世界観を理解していない自分がここまで口を出して良いものかと。
しかし、当の綾香は新しい玩具を買ってもらった子供のように、顔を輝かせ、夢中でフィルターをレンズに取り付ける。
「そっか。こういう便利な物があったんだね。西谷君、さすがだよーーー」
続けて、綾香はファインダーを覗きながら、フィルターの前枠を回転させる。
そして、効果が表れた所で一息ついて、いよいよシャッターを押す。
そんな綾香を暖かい眼差しで見つめながらも、西谷は心の中で綾香に、半分自分に忠告した。
    
   『被写体の本質まで見抜く、鋭い洞察を持ち合わせた心』
   
・・・これが写真を撮るのに一番大切な物
   道具や技術なんかじゃない・・・
    
敢えて西谷は口に出さない。
自分自身で気づかなくては意味が無いからだ。
そして、この精神を掴み取った者だけが、「物を創る事」の権利を手に入れる。

1時間後。
公園北部に建つ休憩施設。
撮影を無事終え後片付けも済ませた三人は、屋根付き野外卓に腰をかけ、涼を取る。
それぞれ、近くのコンビニエンスストアで買って来たアイスキャンデーを手に雑談を交わす。
「確か、あの樹って関谷君が直したんですよね?」
ソーダ味のアイスキャンデーにぱくつきながら綾香に尋ねる、堀田。
「うん!私が公園で穴掘っていたら、いきなり来たんだよ。関谷君って凄く勘が良いと思わない?」
「うーん・・・多分、関谷君、水瀬さんの家族に余程、気を使っているんですよ・・・」
堀田はいささか適当な見解を返したが、実はかなり鋭い所をついていた。
「ふむ・・そんなに気を使わなくていいのに・・・」
綾香の方も堀田の言葉に対して、大して深く捉えなかった。
さらに続けて、冗談めかすように言った。
「関谷君も家族みたいなものなのになぁ・・・」

「ところで、水瀬さんは風景写真が好きだよね?何かきっかけがあるの?」
今まで複雑な表情で二人の会話を聞き流していた西谷が、話題を変え綾香に質問した。
一瞬、綾香はアイスキャンデーを食べるのを止め、考え込む。
やがてゆっくりと顔を上げ、
「私が小学生の頃、お父さん自然公園散策にはまっていてね、よく二人で色んな所に出掛けたんだ」
西谷と堀田の背後に見える公園西側の田んぼを眺めながら、応える綾香。
緑の稲穂が垂れる光景の上空を、無数の赤とんぼが飛び交うのが目に入る。
稲特有の香りを乗せた風が、サラリと綾香の髪を撫でで通り過ぎた。

●挿絵2
「小学生の頃、学校面白く無くてね、いつも週末が来る頃には疲れきってたんだよ」
口調こそ明るいものの、綾香の大きな瞳から元気な光が消え失せ・・・
能面のように無表情になるのを西谷は見た。
「だけどね。週末に広い風景を見るたびに・・・風に触れるたびに・・・気持ちが変わっていったの。
 自分を取り巻く環境なんて、小さい世界の一部だって事をさっ」
「・・・そう、一番、印象に残った場所ってある?」
普段なら、立ち入った事を聞かない西谷が、目に気づかいの色を浮かべながら質問を続けた。
再び、黙り込んだ綾香だったが、すぐに明るい表情に戻って口を開く。
「高知県、足摺岬(あしずりみさき)かなぁ・・・?海の色と澄んだ空気は格別だったよ。
 また行きたいなぁ・・・」
思いを馳せる綾香に堀田が
「足摺岬って自殺の名所ですよね」
と口を挟んだ。
次の瞬間、頭頂にたんこぶを作り床に転がる、堀田。
挿絵3
堀田の姿を呆然と見ていた西谷は気を取り直すと、
「ぼ、僕も足摺岬は知っているよ。行った事はないけど。
 ・・・確か、四国最南端の岬だね。南国風の植物が生い茂って見事な景観だって聞くよ」
膝の上に両手を組み、納得したように頷く。
「じゃあさ!今度、部内旅行と称してさ、3人プラス美樹と律っちゃんを誘って行こうよ!」
早速、提案する綾香に西谷は首を振った。
「いや・・・僕は一緒に行かないよ。多分、足摺岬は別の人と行った方が良いと思うな」
「えっ?」
不思議そうに西谷を見つめる綾香。
そんな綾香に西谷は、含み笑いともとれる意味ありげな笑みを返した。

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