Act.2「BOY MEETS GIRL」

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「今日は天気が良いね。見て!○○山が見えるよ」
屋上に上がった綾香は、県南部、K半島の最高峰である山を指差した。
やや、風が強いせいで、綾香のサラサラの髪が吹かれて形の良い額の生え際を覗かせた。
稔之は黙って、綾香の指差す方角を見る。
稔之の方を見やった綾香は、ふと、稔之の手にあるビニール袋に気づいた。
風に乗って、微かにソースの匂いがした。
「それ・・・たこ焼き?」
「ああ、食うか?」
綾香の目の前に、稔之はビニール袋を突き出した。
二人は給水塔に近づくと、背もたれ代わりに寄りかかり、しゃがみ込んで、並んでたこ焼きを食べ始めた。

「あの写真・・・関谷君のお陰で撮れたんだと思うんだ」
たこ焼きを口にほお張りながら、綾香は唐突に言った。
「ああ・・・でも、前にも言ったじゃねーか。
 公園には、俺から行ったんだ。気にするな」
たこ焼きを食べ終え両手を頭の後ろに組み、空を見上げながら稔之は応えた。
「ううん。違う。校内撮影の日覚えてる?
 私ずっと、バスケの練習見てたの。
 関谷君、一度もシュートを外さなかった。
 日頃の積み重ねが・・・相当だもんね。
 それに比べて、私は何もせずに、「出来ない、撮れない」って悩んでいたの
 だけど、関谷君の姿を見て、何か吹っ切れたの。
 ありがとう。関谷君」

「・・・・・・!」
稔之は驚愕の表情で綾香の横顔を真剣に見詰めた。
バスケットボールをしている時、実は稔之は綾香を意識していない。
考えているのはチームの事。
対戦相手の事。
そして何よりも自分自身の事。
しかし、その瞬間の稔之を、綾香は一番見ていたのである。

微動だにしない、稔之に気がつかないのか・・・
綾香は稔之の右手の甲のテーピングに視線を移した。
「これは・・・試合で怪我したの?」
「そうだ」
一週間前、0工業との練習試合で、稔之のシュートを何としてでも阻止しようとしたガードと衝突して出来た怪我だった。
・・・そんなにハードなんだ。バスケって・・・
思わず、目線を落とす綾香の心情を察したのか、
「どんな手段を使っても勝たないと、意味ねー事もあるんだよ」
再び、空を見上げた稔之の目付きが一転して険しくなった。
特に自分は勝ち続けなければいけない人間だろう。
傷害事件を起こし、行き場を無くした自分を受け入れた学校はここしかない。
例え、「投資」目的でも、自分はそれに応えなくてはならないのだ。
過去を償う方法が他に思い浮かばない。

綾香の方も本当は校内設備の日以来、現在に至った稔之の心情を何となく理解していた。
違う中学に通った綾香は稔之の傷害事件の原因を知らない。
稔之は絶対に話したくないのだろう。
自分も無理して知る必要はないと思っている。
だが、中学の頃からバスケに才能を見せた稔之の事だ。
本当はH商業に入りたかったのだろう。
稔之なら、H商業に入っていれば、超高校生級として全国で活躍したかも知れない。
それが叶わない悔しさが、稔之を地道で辛い練習に駆り立てているのではないか。
だとしたら、稔之にかけられる言葉は一つだけ。
「・・・来年、インターハイに出場出来るといいね・・・」
綾香の瞳が、稔之の眼を捕らえた。
「予選、西谷君達と応援しに行くよ」

綾香に見つめらた瞬間、稔之は稲妻に打たれた様な衝撃を受けた。
綾香は本気で願っている。
俺が全国に行く事を。
稔之の心の中にかつて感じた事のない強固な決意が浮かび上がった。
(●挿絵3)
綾香と視線を逸らさず、稔之は伝えた。
「必ず、インターハイに出場するよ」
そして、もう一つ、湧き上がった決断。
『出場決定したら、綾香に自分の想いを打ち明ける』
稔之の鋭い眼光は、初めて優しさも加わった。

二人の耳に、拡声器を通した文化祭実行委員会のアナウンスの割れた声が校舎から響いて聞こえる。
頭上には、限りなく高く青い空。

しかし、稔之はこの時、気づいていなかった。
残酷にも、綾香の澄んだ大きな瞳は、自分の姿を移していない事を。

・・・随分、長居しちゃった。早く戻らないと・・・
稔之と階段で別れ、綾香は物理教室へ小走りで再び向かう。
入り口をくぐった途端、綾香は未だかつて感じた事のない清涼な風を感じた。
・・・暗幕で囲ってあるのに何故?
ふと、受け付けの方を向いた綾香は、見知らぬ男子生徒が悠然と腰をかけているのを見た。
右手には文庫本を、そして両耳にはポータブルMDプレイヤーのイヤホンをしている。
その為か、男子生徒は下を向いたまま綾香に気が付かない。
「あの・・・」
困惑した綾香は、男子生徒に小さな声で呼びかける。
男子生徒はまだ、綾香に気がつかない。
綾香は一段と声をあげた。
「あの・・・部員じゃないのなら、受け付けに座らないで、別の所へ・・・」
綾香が言い終わるより先に、男子生徒は文庫本を机の上に置き、顔を上げた。

瞬間、綾香は息が止まる様な衝撃を受けた。
男子生徒の凛とした、そして端正な顔立ちに。
穏やかだが、意志の強そうなその視線に。

言葉を失った綾香の顔を、男子生徒は一瞬見つめると、イヤホンを外してその場に立ち上がった。
「俺は、ここの部長、西谷に頼まれて、受け付けをやっている」
やや低めだが、よく通る声が綾香の耳にすんなりと入り込む。
「え・・・?西谷君の友達なの?」
「そう。俺の名前は彩賀亮哉(さいが りょうや)。西谷と同じクラスだ」
その名前は綾香も知っている。
全国統一模試の成績優秀者順位表で、よく見かける名前だ。
その事を裏付けるかの様な知性を感じさせる穏やかな笑みを、綾香に向けながら
「水瀬綾香さんだね。話は西谷から聞いている」
亮哉は額に掛かった、目と同じ鳶色の前髪をサラリと指でかきあげた。

「な、何を聞いているの・・・?」
亮哉の秀麗な顔立ちと、初対面の男子生徒と話す緊張から、綾香の声が上ずる。
「色々とね」
対して亮哉は余裕ある笑みを一層深めた。
そして、教室の奥の方に体を向けると、例の公園写真パネルを見遣った。
「これ、君が撮ったんだな?・・・西谷とは全然作風が違う」
ツカツカと靴音を響かせながら、亮哉はパネルの前まで歩み寄った。
亮哉の後を従うように、綾香も向かう。
両手を胸の前に組み、暫く考え込んでいるポーズを取ってパネルを観察していた亮哉は、突然口を開いた。
「現代庭園モニュメントを、枯山水と同じ手法で撮ったのか・・・」
「?」
「いや、この植栽部分、そうだな・・・一種の風景写真と同じような感覚で撮ったんだろ?
 確かに、この木の刈り込みの仕方は、水の流れを意識している様な感じがする。
 モニュメントが山の上流だとしたら、木は川から注ぎ込まれる大海の広さか・・・」
「!!」
驚きに綾香の瞳が一層大きく見開く。
自分の写真についてこれほど、的を得た意見を貰ったのは初めてだったせいかも知れないが。
嬉しさが心の底から込み上げて、綾香は自分でも興奮気味なのが分かった。
「で、どうなのかな?私の写真は・・・」
思わず笑みがこぼれそうなのを堪えて、綾香は思い切って尋ねた。
「全然、駄目だ!!」
毅然とした表情を全く変えずに亮哉は、すかさず綾香の顔を見据えた。
『何ーーーーーーっ』
昂揚した気持ちに一気に冷水を浴びせ掛けられた気分に陥った、綾香。
顔面を引きつらせたままの綾香に構わず、亮哉はパネルを指差した。
(●挿絵4)
「この公園の場所は何処だ?」
「○○市、S○町・・・」
「この学校より、少し西南部だな。
 それなら、公園の南側は、K半島の山々がはっきり見える訳だ。
 K半島の稜線は、S内海に綺麗に映える。
 K半島を借景に入れて、木の流れにそって北側から撮影する。
 そうすれば自然の雄大さが、現実味を帯びてくるはずだ」
「シャッケイ?」
「自然の山々自体を、庭園の光景に入れて、風景に深みを増す技術の事だ」
「うーん。よく分からない・・・」
考え込む綾香に、亮哉は唐突に提案した。
「俺の住む、T市に借景の技術が素晴らしい事で、有名なR寺庭園がある。
 来週の日曜日、空いていないか?
 西谷達と一緒に来るといい」
「そんな・・・急に言われても・・・」

いつも、マイペースな綾香だったが、それはあくまで友人達の間内での事。
西谷の友達と言えども、初対面の突然の亮哉の誘いに綾香は、おおいに戸惑った。
そもそも、綾香は稔之や西谷達、写真部員以外の男子生徒と普段ほとんど口を聞かない。
・・・悪い人ではないのかも知れないけど・・・
「まぁ、すぐには決められないよな。西谷と相談してから決めたらいい
 だけど、早く、意味合い掴みたいだろ?」
顔立ちからは想像がつかない、亮哉の半ば強引な性格に綾香は内心呆れながらも
「近い内に返事するね。
 でも、彩賀君って変わってるよね。
 普通、西谷君と友達でもここまで部員の写真に関心なんか持たないよー」
それでも、自然に綾香は顔がほころんで来る。
やはり、自分が撮影した写真に関心を持たれる事は相当嬉しい。
「それだけ、水瀬さんは写真の『スジ』が良いって事さ」
亮哉が冗談めかして綾香に笑いかけた。
清涼感を与える目つきが、綾香の心を一層解きほぐした。
「あはははは、ありがとう」
二人は笑い合って、またパネル写真を黙って並んで眺めた。

クラスの手伝いを終え、教室の入り口に辿り着いた堀田は、西谷が廊下で窓の外を見ている事に気づいた。
「あれ、西谷君、入らないんですか?」
不思議そうに声をかけながら、教室に入ろうとする堀田を西谷が、黙って手振りで静止した。
疑問に思い、廊下から教室の中を窺った堀田は、綾香と亮哉が楽しげに何事かを話しながら、展示写真を一つ一つ、閲覧して回っているのを見た。
そして、本人同士は気づいていないのだろうが、西谷と堀田の目からは、二人の間の空気が、一つの空間を生じるかの様に繋がっているように見えた。


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