Act.3「スタートライン

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文化祭も無事終了し、平常授業に戻った水曜日の昼休み。
チャイムが鳴るのと同時に西谷は、クラブハウスサンドを手に、後ろの席に座る亮哉に振り向き様話し掛けた。
「水瀬さんに、今度の日曜日T市に来いって言ったんだって?」

西谷は入学当初、綾香達と同じ普通科に所属していた。
しかし成績優秀な西谷は、先生の勧めもあって2年進級時に「特別進学科」に編入した。
特別進学科は、国立、有名私大を目指す成績優秀な生徒ばかりを集めたクラスである。
そこで知り合って友人になったのが彩賀亮哉という訳だ。

亮哉は、鞄から取り出した弁当の包みを解きながら
「ああ、水瀬さんの写真の技術に役に立てたらいいんじゃないかと思ったんだ」
明瞭な声でサラリと言ってのけた。
「気持ちは嬉しいんだけどさ、急にそんな事言われても・・・
僕な、次の日曜日、模試なんだよ」
西谷のいつもの穏やかな口調に、困惑と気遣いの相交じった色が加わった。
亮哉は意外にキビキビとしだ動作で、箸でご飯を口にかき込んで、呑み込むと
「別にいいじゃないか。水瀬さん一人で来たって。
 俺もその方が都合良い」
(●挿絵5)
「おいおい・・・」
亮哉のもう一つの思惑を察知した西谷は、やや太めの眉毛をひそめた。
「武ちゃん、何度言っても紹介してくれないもんな
 この学校であんな可愛い娘に、彼氏いないなんて信じられん」
亮哉は自信有り気な笑みを西谷に向けた。
「まぁ・・・水瀬さんは普通の娘とは少し考え方が違うからね。
 それに僕は紹介とか気が進まないし」
「水瀬さん、好きな奴とかいるのか?」
「いや・・・そうじゃないけど・・・」
西谷は几帳面な仕草でクラブハウスサンドのラッピングを折りたたみながら、稔之の鋭利な容貌を思い浮かべた。
「水瀬さんの意志もあるしね」

実は稔之の為ではなく、友人として亮哉を気遣って西谷は忠告したのである。
理由は分からない。
しかし西谷の鋭い直感が、亮哉と綾香をこれ以上接触させる事を危ぶんだ。
と、同時に亮哉を展示場に呼んだ事に後悔と自責の念に駆られる。
が、憶測だけで発言するのを好まない西谷は、話題の矛先を変えた。

「この間、正岡と藤野さん喧嘩しただろう?
 原因・・・少しは彩賀にあるんだよ」
普段温厚な西谷にしては手厳しい意見に、亮哉は心外そうに形の良い眉をつり上げた。
「何故だ?
 物理の課題の中で解き方が分からない部分があるから
 教えてくれって頼んできたのは、藤野さんの方だ。
 ここは丁寧に教えてあげるのが理にかなっているって物だろう?」
・・・駄目だ、こりゃ・・・
西谷は軽く溜息をついた。
爽やかな外見とは裏腹に、亮哉は意外と我が強い。
周囲に絶えず気配りする性格の西谷は、時折冷や汗をかく事もしばしばであった。
「わかったよ。
 放課後、水瀬さんに会うから、僕が水瀬さんの意志を聞いてくる。
 それで、いいかな?
 でも、あまり知らない男子生徒と行動するタイプじゃないからね。
 期待はしないでくれよ」
西谷は、亮哉を一気に説き伏せる様に言うと、ラッピングをゴミ箱に捨てる為に立ち上がった。

放課後。
写真部部室。
堀田と一緒にゲーム雑誌を読んでいた綾香は、扉の開く音を聞いて、入り口の方を見た。
いつも温和な笑みをたたえて入ってくる西谷が、珍しく何事か思いふけっているのに気づいた綾香は、
「文化祭の疲れが出ているの?今日は早く帰った方がいいよ」
席から立ち上がり、西谷の傍に近寄った。
(●挿絵6)
「いや、大丈夫。それより、今度の日曜日、
僕は用事があって行く事が出来ないんだ。
T市は水瀬さん家からも距離があるし・・・断ろうか?」
西谷の深刻な表情に、綾香は西谷が亮哉の誘いに乗り気でない事を悟った。
綾香は決して鈍感な方ではない。
亮哉の自分に対する関心が、写真技術だけではない事を確信した。
綾香の胸中に緊張が走る。
「どうする、無理しなくていいんだよ?」
西谷は自分の心の中を一瞬で見抜いたのだろう、心配そうに顔を覗き込んでくる。
綾香は自分の中に湧き起こった微妙な感情を整理する為、考え込んだ。

彩賀君は、西谷君以外で初めて私の写真に興味を持ってくれた人。
しかも、一層向上する為のアドバイスまでくれた。
作品を創る者にとってこれ以上嬉しい事はない。
だけど、私がT市に一人で出掛けるって事は、彩賀君に別の期待まで抱かせてしまう。
一度しか、接した事のない彩賀君に対する、私の気持ちは正直分からない。
西谷君の友達だから、悪い人じゃなさそうだけど。

顔を上げた綾香は自分を見詰める西谷と目が合った。
その時、綾香の心の中に鈍い痛みが一瞬、現れてそして消えた。

いつもそうだ。
私は西谷君に気を使わせてばかり。

そして綾香の脳裏に、屋上での稔之の真剣な目つきが蘇った。
関谷君にいつも助けてもらってばかり。
一人で突っ走る様に見えて、実は心のどこかで、二人が手を貸してくれる事を期待している。
それが自分でも理解できた途端、綾香の気持ちは固まった。

T市に出掛けよう。
R寺庭園で、「何か」を掴み取ろう。
いつまでも殻に閉じこもっている訳にはいかない。
・・・殻に?
そこで綾香は自分の気持ちに疑問を持つ。

更に、考え巡らそうと物思いに耽る自分を、西谷ばかりでなく、ゲーム雑誌を読む手を休めて、堀田が怪訝そうに見ているのに気づいた。
思わず、赤面した綾香は
「やだなあ、二人共、そんなに心配する事ないじゃん。
 T市なんて一人で行けるよー。
 それに、彩賀君って西谷君の友達でしょ?
 私がしっかりしていたら大丈夫だよ」
早口ながらも、一通り意見を述べた。
「・・・じゃあ、そう彩賀に伝えとくよ」
綾香に、いつもの温和な笑みを返す西谷。

「今日はもう帰るか。
 文化祭の片付けで疲れているだろう?
 途中で、○○屋のソフトクリーム食べようか」
西谷が腕時計を見遣りながら、再びドアノブに手を掛ける。
ソフトクリームと聞いて顔を輝かす、綾香。
「堀田君、その雑誌貸したげる。早く行こうよ!」
堀田をせかすと綾香は、西谷に続いて部室の外に出た。

部室の外はすでに薄暗い。
視界の隅では、グラウンドでノックに精を出す野球部員の姿が遥か向こうで、霞んで動く。
空を見上げた綾香の瞳に、幾つかの明るい星が瞬き返す。
その時、晩秋の冷たく透明度の高い風が三人の髪を吹いた。
もうすぐ、冬が来る。
既に、差し迫っている寒さから逃れるように、早足で三人は校門へと足を向けた。

第四章 「変わる未来、彩賀亮哉登場」 終わり

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