連載めるまが小説



 その夜は雨で、窓越しに雨音のノイズが聞こえてた。
 テーブルのランプだけをつけて、頬杖をついて、アタシはレモンティーを冷めるに
まかせていた。
 片手を載せた本の文字は全然文章として頭に入ってこなくて、あくびをひとつする。
ついでにタメ息を吐いて本を閉じた。
「どんなつまんねェ本読んでんだ?」
 突然聞こえた声にアタシがびくっと反応すると、声の主はランプの光のかげから出
てきた。
「びっくりしたか?」
「・・・おどかさないでくれる?」
 一週間ぶりくらいに会った刃は、また盗賊稼業のついでなのか今日も黒ずくめだっ
た。イタズラが成功したときの笑顔でこっちにやってくる。
「脅かすために隠れてたんだがな」
 アタシの手の下から皮装丁の大判本を取ると、背表紙に目をやった。
「神魔図録?古ィ画集だな」
「図鑑でしょ」
「イヤ図鑑って言うにゃ想像図が多すぎるし説明文が長ェよ」
 片手で持ったまま、本の背表紙で肩を叩きながら言う。
「え?アンタ読んだコトあんのコレ?」
 見上げて初めて、この雨の中来たのに刃がコートの裾も濡れてない事に気が付いた。
まぁどうやって来たかわかんないんだけど。
「は。読んだっつーか・・・眺めたくれェだな。こーゆーモンちゃんと知りたきゃル
ーシェ先生に話聞いた方がぜってーいいし」
「ルーシェ先生!?」「何だァ?!」
 唐突にアタシが上げた大声に刃がびっくりして身構える。思わず立ち上がったせい
でレモンティーも少しこぼれた。
「ルーシェ先生ってったわよね今!」
「お、おう・・・・それがどうかしたか?」
「どーもこーも!魔法体系学の大物じゃない!そりゃ神サマとか魔物とかに詳しいに
決まってんじゃないってゆーか何でアンタそんなひととなかよしっぽいの!?」
「何でってオレの先生だし」
「アンタのなワケないじゃない。世界的な有名人よ」
「へーそこまで有名だったのか先生。そーは見えねーけどな」
「なんでそう素直に感心してんのよ!スゴい人なんだからね」
 刃のボケ加減にアタシがキレかけてると、ぽんと頭に手を置かれた。
「まー落ち着け真緒。そう興奮すんなら先生の話してやるから」
 持ってた本をテーブルに戻すと、椅子を引いて座る。
 少し力を抜いてから、アタシは言った。
「ルーシェ・フェレイス・ハーミットよね?今更人違いだったらヤだけど」
「ああ。間違ってねーよ」
 刃は足を組むと、すこし遠くを見る目でしゃべり始めた。
「翡翠色の髪に琥珀の瞳。教師用にローブが似合う、どっか抜けた人でな。歳は知れ
ねーが20代っつっても通りそうな感じで。まァ世に言う優男ってヤツだ」
「そういえば何歳か聞いたことないわね」
「それで奥さん持ちで娘3人居るらしーから世の中わかんねー」
「3人!?それこそ何歳よ!?」
 素っ頓狂な声を上げるアタシに、刃はひらひら手を振って。
「だーから知んねーって。娘ってのにまだ会ったコトねーし。ガブリエラ先生も若い
ように見えるからそうデカくねーたァ思うが」
「ガブリエラ先生?」
「ん?あァルーシェ先生の奥さんだ。夫婦そろって皇立学園の先生やってる。ルーシ
ェ先生は大学の教授の資格も持ってるらしいんだが、オレは初等部で魔法学全体の授
業受けたな。で、ガブリエラ先生は保健室のセンセ。こっちもダンナに負けず劣らず
ほえほえしてるぞ」
「・・・ほえほえって・・・。何か全然スゴそーじゃないんだけど」
「どんな想像してたのか知んねーけど実際はそんなモンだ」
 ・・・アタシルーシェ博士って学者っぽくて、びしっとキメた人だと思ってたのに。
まぁ写真で見ただけなんだけど。
「うー、スゴい頭良さげなイメージがー」
「頭悪くはねーぞ。ちょっと抜けてるけど」
 頭をかかえるアタシに、刃がフォローを入れようとしてるみたいだけど、
「・・・でもいつか『論文というものはどうして結論だけ書いてはいけないんだろう
ねぇ』とか言ってたなー」
「フォローんなってないわソレ」
「フォローしろうとしてねーもんよ。あのセンセは一見ボケてて実はスゲぇってのが
ウリだと思ってるし」
「それって博士をホメてんの?バカにしてんの?」
「さァな。間抜けなトコも含めて、オレは先生のこと尊敬とか憧れとかゆーの持って
っから」
 尊敬。憧れ。意外な言葉にアタシは息を吐いた。
「・・・アンタでもそーゆー人居るのねー」
「それこそけなしてんだか何だか。居てもいいだろーが」
「悪くは無いけど。意外だわ。盗賊やってるひとって世の中のはぐれ者ってイメージ
があったから、ちゃんとガッコ行ってたってのもそうだけど」
「まーフツーの盗賊だの野盗だのの連中は大体マトモに稼げねーから盗人稼業やって
るんでそうらしいが、オレ達ゃちょっと別なんだわ」
「別?」
 アタシが訊くと、刃は口を開きかけて、急ににやりと笑った。
「そこまではまだ言わねーよ。だってオレ真緒の事そんなに知らねーもん」
「えー」
「平等にしろってったのはそっちだろ?知りたきゃ自分で調べな」
 腕と足をそれぞれ組んで意地悪く笑う刃を、睨み返す。
 でも仕方無いわよね。アタシが言い出したんだし。
「・・・そーね」
 タメ息まじりにかえすと、刃は腕組みを頬杖に変えて、その笑いから意地悪さが消
えた。
「一度、ルーシェ先生に会ってみな」
「え?」
 唐突に言われた事にアタシがきょとんとしてると、軽く図録の表紙を叩いて、
「真緒みてェに若いクセに何か抱えてそーな奴は、先生に会って話でも聞いてもらっ
た方がいいと思うぞ」
 ざっと、血の流れが凍りついた気がした。
 アタシが、いつ、そんなそぶりした?
 細く息を吐く。
「・・・・・・」
 会ってみればいい?
 ぴしりと、またアタシの感情にひびが入る。
 軽く言ってくれるわ。
 膝の上で拳を握り締める。急に耳につく雨のノイズ。
 そんなの
「・・・無理よ」
 訳知り顔に言わないで。
 アタシの押し殺した声に、刃は頬杖をやめた。
「そうか」
 返事は重くなかった。
「まァウカレ者が好きなもん押し売りしてるだけだしな」
 はっはと笑うと、すっと椅子から立った。
「さて、これ以上長居すっと雨がもっとヒドくなりそーだし。帰るわ」
「・・・そう」
 刃はカルくじゃあな、と言って、今日はドアから出て行った。
 ドアの閉まる音が余韻も残さず消える。
 それに何か張りつめていたものが切れて、アタシはテーブルに倒れるように突っ伏
した。
「・・・ひとに話したくらいで抱えてるモノが軽くなるワケないじゃない」
 雨は、まだ止まない。

 

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